private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over19.2

2018-06-24 13:29:14 | 連続小説

「わたしはいいのよ。いつも良い子にしているから、信用されてるの。いちいち連絡しなくても心配されないから、おかまいなく」
 おかまいなくって、かまいたくなるけど。だっておかしいだろ、イイ子が無断外泊としても心配されないなんて。安易に考えれば、もう親から見放されているとか、親と同居していないとか、、、 やっぱり、安易だ、、、 
 
朝比奈の私生活について謎は深まるばかりで、ぜひ詳しく訊いてみたいところだけど、そこらへんは闇の中なんだろうな。すべてを明らかにしないところが朝比奈の魅力を作り出しているのは間違いなく、そいつを証明するかのように、おれのぼやきもどこ吹く風で、朝比奈はソッポを向いている、、、 ソッポというか電話ボックスを、、、
 しかたなくおれはポケットの小銭を確かめて、電話ボックスに向かった。こんなところに電話ボックスだなんて、いったい日頃は誰が使うんだとか、そんな余計なツッコミも気を紛らわすにも至らない。いったいあの母親にどういえば夜間外出を見逃してくれるってんだ。かといって黙って朝帰りするのはもっとやばいだろ。どうやって顔をあわせるればいいのか、、、 これはあれだな、人生の岐路に立たされているってやつだ、、、
 
ここはやっぱりマサトに悪者になってもらおう。それが持たれつ、持たれつ、、、 持つことはない、、、 これで普段の貸し借りなしで、お互いさまってやつじゃないか、、、 この先なんど人生の岐路に立たされてもおれは、マサトをダシにしてくぐり抜けていく、、、 いけるはず。
 
と、マサトのせいにできるありとあらゆる悪事のストーリーを組み立てつつ、ダイヤルを回す。これまでの人生で何度も回した数字。意識しなくても勝手に手が動く。こういうのって超能力のひとつだと思うんだけど、日常に埋没してそれほど脚光を浴びないのはもったいない。
「あら、イッちゃん。さっきマサト君から連絡あったわよ。今日バイト先でお別れ会するんだってね。あんたどこか行っちゃって戻ってこないから、心配して電話があったの。今日は夜通しやってるから、早く来るように伝えてってね。高校最後の夏休みだし。今日は大目に見るから楽しんでらっしゃい。あっ、お酒はいいけど、タバコはダメよ。じゃあね」
 あつ、そうなんですか。母親は自分の言いたいことだけ言って電話を切ってしまった。そしておれはひとことも言葉を発することなく外泊の許可を得た、、、 いいんだろうか、、、神のご加護か、マサトの悪運か。
 さて、お別れ会とは? おれに内緒で、ひとをダシにしてそんなことを企画していたなんて。いや、おれのじゃなくて、スタンドのか、、、 なんにしろおれにだまって、、、 あれ? てことはキョーコさんとか、女子大生のおねーさんとかも来てるかも。あっ、キョーコさんにクルマ乗り回してることバレちゃうな。こんな運転じゃ笑われちまう、、、 もっと練習してから会うことにしよう、、、 そこはキョーコさんにいいところを見せようという下心が満載していた。
 おれは、きっと煩悩のかたまりのような顔をしてクルマに戻ってきたらしく、朝比奈は不快な表情を隠そうともせず、いやどちらかといえばニラミを利かしてくるもんだから、おれは顔を引き締める。なんとか母親を説得したといった体裁をととのえるつもりなんだけど、どこまで通用するやら、、、 金属探知機よりも、レントゲンよりも正確におれを解析していく、、、
「なんだか、つかみどころない顔してるわね。うまく言い訳できたとも、失敗して帰ってこいと言われたとも思えない。そのわりには別のこと心配してそうだし」
 ギクリ、、、 ギクってした時点でダメだな、、、 朝比奈は実用性のある超能力を発揮して、ほぼ100%おれの中と外で起きたことをあててしまった。それともおれはそこまでわかりやすのだろうか、、、 わかりやすいんだろうな、、、 子どもがどんだけ隠れて悪さをしても、母親はすべてをお見通しってのと同じだ、、、 それ、普通におれん家だな。
「まあいいわ、理由がなんであれ、時間が確保できればそれでいい。いまからやらなきゃいけないことは決まっているんだから、そうでしょ?」
 
そう。とにかく家に帰らなくても良くなった。自分の手でつかみ取った自由ではないけれど得た時間に変わりはない。その時間を使って、あとは上手く走れるようになればいい。久しぶりに血が沸き立ってきた。自分でもわかる。なにかが生まれるのがわかる。新しい力が自分に備わってくる。そして、動機でなんであろうとも目指す先はひとつだ。
 おれの高校生活でやるべきことはただひとつで、それは部活で結果を出すことだった。そのためにほかをないがしろにする良い理由だったのもたしかで、それさえやっておけば他は適当でも許されたってこともあるんだけど、そうやってひとつひとつの現象を組み立てて成果につなげていく作業が身にあっていたこともある。
 
それなりに嘱望され、めぐりあわせもあったけど、なんとか3年の春には結果を出せるところまでもってこれた。めぐりあわせのひとことですませたけど、そこにはそれなりに不幸なできごともあった。
 
いったいこのめぐりあわせとはなんなんだろうかと、折りに触れて思うことがある。ひとをもてあそぶように、ときに甘く、時に苦く、おれたちを揺さぶってくる。
 
おれはこどものころから、なにか特別な日があれば、それを楽しむより無事にその日を迎え、無事にその日を終えることが何よりも重要だった。楽しむより無事に終えたい気持ちが常に勝っていて、それはいろんな不幸を目にしてきたゆえの防御策だったんだ。
 
例えば旅行とか、遠足でもいい。なにかのきっかけで楽しみや、しかたなく出かけた先で不幸な目にあうっていうのは、いったいどんな圧が働いているのか。本人だけでなく、誘った人、そこに居合わせた人。それはみんなにおとずれた不幸になっていく状況を恐れていた。
 
無事に終えることができなかったあの日、なんだかおれはその日が来るのをずっと待っていたようにも思えた。それなのに、先生も、部活の仲間も、ぶつかった他校の生徒も、みんななにか申し訳ないような、見てはいけないモノを見てしまったあとみたいな、できるだけ触れずに済まそうとしている態度がおれには逆に辛かった。ついにおれにその時がやってきたんだって思った。
 
それからはもう自分でもわからないうちに、何を求めるでもなく流されるままに時を過ごしてきた。おかしなもので、これでいいんだとふんぎれたおれよりも、まわりが過剰反応して、そうすればするほど、おれは余計になんでもないふうを装っていた。おれがそんなふうになるとまわりは安心してそれを続けていく、そのほうが楽だからだ。おれも回りが楽なのを安心して自分を制御していた。そして、今後もそうやって時を塗り潰していこうとしている。なぜ自分自身の判断でできなかったのか、それは、、、
「それは、それはいま必要じゃないでしょ。必要なのは、やるべきことをやるべき時間におこなうことだね。ホシノはこれまでそうして不幸をかいくぐる生き方をしてよかったことあったの? これまでの積み重ねの経験をかてに、この先も生きていこうとしていくだけでいいの? もうやめていいんじゃないのかな、そういうの。これまでがこうだからじゃなくて、この先をどうするべきかって尽力すべき。いまならホシノはもう一度やれるのよ。ほんの少しの偶然と、まわりの人達のお節介のおかげで」
 どうして朝比奈がそこまでおれのことを考えてくれるのかわからなかった。なんだか、おれに立ち直って欲しいみたいな、更生して欲しいみたいな。うれしいんだけど、それほど気にかけてもらえる理由がない、、、 朝比奈の側にあるとすれば、、、
 いいや、そうじゃない、そうじゃないんだ。これまでだってなんども声をかけてもらっていたはずだ、あの先生も、あのお爺さんも、親も、友達も、、、 おれはその時、訊く耳を持たなかったり、気持ちに入ってこなかったり、心に響かなかったりと、理由はさまざまで、そうしてうまくいかない人生を誰かのせいにして浪費してきた。
「誰だってそうよ、自分だけがなんの出会いもないって悲観している。よかったじゃない。ホシノはもう、信じることができるんだから。あとはもう自分も信じてなにをすべきか判断することね」
そうか、そうなんだな。おれがいましなきゃいけないのは過去を慮ることでも、後悔を再認識することでもない。あの日の、あの時と同じように、ただ頑張ることだけだ。キョーコさんが本当に望んでいたのは、永島さんのクルマをまた勝負の場所にもどしてやることなんだ。そうしておれもまた、もう一度走ることができる、、、 ってことで、、、


Starting over19.1

2018-06-17 18:15:41 | 連続小説

「それでよかったんじゃない?」
 おれを放し飼いにしていた朝比奈の可愛い声を久々に聞けて、物語の続きも、意図するところも、訓戒も、思い出すにはいたらなかった、、、 そもそも物語だったのかもあやふやだ、、、 それなのに、なぜよかったと言えるんだ?
「なぜって、ずいぶん楽しそうにしてたし、相性いいんじゃないの。もしかして、ホシノとクルマって。以外とね」
 ああ、物語の続きじゃなくてクルマのはなしね、クルマの。そりゃそうだ。いまそれ以外のこと考えてどうするって。とはいえ、そう言われて、ハイそうですと答えるのも癪なぐらいにおれは楽しんで走っていた。こんなにひとつのことに夢中になったのはいつ以来だろうか。
 
永島さんやマサトや、ついでにツヨシが入れ込むのも無理はないのか。男の子がハマる要素がいっぱいあるし、なにしろ誰よりも上手く運転したいと思えてくる。アイツらが速く走れることを自慢するのもわかるようになった。
 
同じなんだ。自分で走っていたときもクルマを走らせることも。手にした武器が違うだけで、速く走るにはそれなりの工夫というか技術というか、なんにしろ思考を止めずに次の一手を考えていく。その行為自体はなにもかわらない。
「ねえ、ちゃんと聞いておきたいんだけど。ホシノ、最初ときのこと覚えてるの」
 あいかわらず冴えないおれは、朝比奈の言わんとする意味がわからず、なにを言ってるんだか、さっきやって見せたばかりだろなんて、のたまいていると、ああそうかと朝比奈の問いの先が見えた。問いの先は見えたけど、問いへの回答はそんなに簡単には見えてこなかった。
 
初めての行為というものが往々にして、一番印象に残り、記憶に留められ、いつでも懐かしく感じられるからこそ、初体験なる言葉もあるぐらいなんだから、この先何度クルマを動かそうと、この時感じたような、新しい力が体内にもぐり込んできて、指の先から足の先まで血の廻りや、神経をつたう痺れさえ快感に思えるような体験は二度と味わえないなら、今日という日は大切な一日になるわけだ。
「それも、すべて映像とか、五感からの刺激による脳内物質の抽出による錯覚でしかないんだけど。二度目以降からは、だんだんと感動も記憶も薄まっていくのはしかたがない。最初は、あまい味覚とともに思い出になったりするでしょ。ホシノくん」
 
またあ、冷静に語っちゃって。そんなこと言ったら人間の経験なんてものは、脳の感じ方ですべてが決まってしまうじゃないか、、、 たしかに朝比奈とはあまかったけど、、、
 
いつからだろうおれが初めて自分の足で競い合ったのは。そしてその時のおれは今日と同じような快感を得ていたんだろうか。
 覚えてないくらいだから、それはきっと特別な体験ではなかったのかもしれないし、朝比奈が言うように、そのとき脳はいつもと違う強い刺激を受けただけで、強く印象に残ったけれど、生きてくうえでさほど重要でなければしばらくして意味をなくし、多くの記憶の中のひとつとして埋没していったのかもしれない。
 
走ることは日常であり、かけっこだって、運動会の50メートル走だって体育の授業だって、遊びの延長にしか過ぎなかった。初体験として感銘をうけながらも、その後の日常に薄められていくなんよくあることで、誰のコップにだって入る水の量は決まっているんだから。
 
断片的には、先生や友達から誉められたりして優越感に浸った記憶はある。なんだかんだで、部活に入るように勧められて、競技をして人に勝つのは嬉しくて、タイムが縮まれば方向性に間違いはないともっと頑張って練習したし、試合で負ければ悔しくて、タイムが伸びなければ、別のやり方があるんじゃないかと試行錯誤しながらさらに頑張って練習した。
 
そういうのが動機といえば動機なんだろうけど、当時はそんな気持ちはなく、いま思えば何かに突き動かされていただけだ。自分の意志とは別のところで自分が動いていた。そう思えばこれまでの自分の人生は、ほんとうに自分の生きてきた道だったんだろうかと考えさせられる。
 
ああ、そうか、おれがいま置かれている状況は、それと同じなんだ。もう一度あのときの時間を繰り返す機会を与えられた、、、 それがおれの望みだったのか、、、 もう一度、自分の道を取り戻すときだ。
 
夢中になってやれることってそんなに簡単には見つからない。きづいたら日が暮れていたとか、朝になっていたとか、時間の流れの中からはみ出している感じ。おれたちはどうしても同じような毎日を送るのは、それが安全で安心だと思い込んでいるからで、違う一歩を踏み出すのには、それによって起こる変化を想像できずに躊躇してしまう。
 
おれはいま、これまでと違う一日への一歩を手に入れてしまった。人より速く走るために、タイムを縮めるために、なによりも朝比奈を守るために頑張らなければならない、、、 すいません、ちょっとカッコつけました、、、 それが自分の望むところと違っていても、その場に投げ出されたならやるべきなんだ。
「よかったね。ホシノ。動機やキッカケがどうであれ、自分がやるべきことが見つかって。望んだことが本当にしたいことだとは限らないし、思いもせず手にしたモノが宝物になることもある」
 おれに必要なのは、愛でも金でもない、生きていくための動機なんだとでも言いたいのだろうか、そんな雰囲気がそこにあった。
「勘違いがわたしたちの人生をつくりあげているなら、これもまた正しいことなんてひとつもない理由でもある」
 なるほどそうか、思いどおりにいく人生なんかない。あってもそれで幸せになれるわけでもない。安息は狂気を求め、混乱は静寂を欲している。生きることが複雑になるにつれ、選択肢が増えるにつれ、本当に求めているモノがなにかを見失っていくようだ。
「大切なものを手にすれば、別の大切なものをまた失っていくのはこの世の決まりごと、自然の摂理、宇宙の法則。そこで提案だけど、ホシノは家に連絡したほうがいいんじゃない。おかあさん心配するでしょ。まだ失うには早過ぎるしね。べつに帰らなくたっていいんでしょ?」
 朝比奈が首をくるりとまわして見上げた先には薄暗いあかりがついた電話ボックスがあった。蛍光灯が古くなっているらしく時折切れかけてまた点く。モールス信号のように点滅していた、、、 電話しろと解読できたらできすぎ、、、
 そっからそうなるのか。帰んなくていいんでしょなんて、簡単に言ってくれちゃって。自分こそいいのかよって言い返してやりたい。部活で遅くなるとか、汗だくだから銭湯寄ってから帰るとかってノリで話せる状況じゃないんだから。
「なに? ホシノ外泊したことないの? 夏休みももう終わるんだから、口実になるイベントなんていくつかあるでしょ」
 夏の思い出になるようなイベント。ああ、なにも思い浮かばない。部活とその合宿、しかも女子とは別の場所。恥ずかしいくらいなにもなさすぎて返す言葉もない。朝比奈は何て言い訳するつもりなんだ。バイトが遅くなっちゃって電車がなくなったから、とか。マリイさんが急病で一緒に病院へ、とか。バンマスがわたしのこと離さなくて、とか、、、 それはいかんな、、、 なんにしろ、かくも人生の選択肢は多すぎれば、自分の本当の欲求がなにかなんてわかりゃしない。ならば、お気に召すまま、、、 神のご加護がありますように、、、


Starting over18.4

2018-06-09 06:08:02 | 連続小説

 朝比奈の胸で十分温ためられたキーがおれの手に戻ってきた。おれはもういちどスタートの儀式をとりおこない発車の準備を整えた。抑圧と解放。解放と抑圧。おれと朝比奈はそれをお互いに繰り返して。そしていま放出することで最初のクライマックスを迎えようとしている。
「いつでも、イッていいわよ」
 
朝比奈はバックに位置してくれていたので、おれは初っ端から面倒なこと考えずに前だけを向いて発車させればいい。朝比奈流に言えば、なにしろ前に進むべき場所があるのは結構なことだ。
 
左にあるスティック、、、 シフトレバーというらしい、、、 バイトのシフトと同じで必要なときに必要な場所になければうまく機能しないってことなのか。
 
Rと数字と、そこへの通り道が丸い鉄球に刻み込まれている。論理的に考えればまず1を選択するのが利にかなっているだろう。動かし方はさんざん練習したけど、どのように扱えばいいのか理論的に理解してはいない。
 
左足を踏み込んだままシフトを1の位置に持っていくと、カチリとはまり込んだ感触が手を伝わってアタマに響いてくる。いま1に入っていると自己主張してくる。その認識をもとに走ることができるように工夫されているのだろうか。
「ホシノ、いまどこに入れるか考えた? あっ、そこからだったのね。ゴメン、ゴメン。バックはココねR。押し込んでからじゃないと入らない。あっ、でっ最初は1から、それより速く走ろうとすれば2・3と上げていく」
 おっ、正解。安心したおれは左足で踏み込んだペダルから力を抜くと、クルマはいきなりグッと持ち上がり、そして少しも前進しないままエンジンも止まってしまった。
 朝比奈はそうなることを予測していたかのように、鼻から息を漏らしていた。おれの心臓は止まったエンジンの代わりに爆音がするぐらいに高鳴ってしまった。
 
一難去ってまた一難。さっきまでの練習はまだ序の口でしかなかったのか。どうやらこれは簡単ではない、、、 あたりまえだ。クルマを動かすんだから、ひとつひとつ起因する行為を連続的に行なわなければ、前に進むことさえできないぐらいの難易度があったって当然なんだと思う。
 
おれがなんとか発車にこぎつけるまで、エンジンは4回ストップして、朝比奈は3回鼻から息を漏らし、2回首を振り、1回口角を上げた。おれはそのたびノドから心臓がはみ出す、、、 はみ出すなら朝比奈の、、、 がいいんだけど、、、
 
ちなみにエンストとはエンジン・ストールのことで、エンジン・ストップではないし、ましてやエンドウさんのストッキングの略でもない。どちらかと言えば後者の方がしっくりくるのに、それを言うと、シロート扱いされ笑われることになる、、、 あっ、エンジン・ストップのほうね、、、 いつかエンジンが止まらないクルマができれば、そんな知識は何の意味もなくなるのに、そういった細部のこだわりがオトコの優劣に差をつけている。行為を替え、品を替え延々と脈づいている悪しき習慣だ。
 ようやくトロトロと駐車場から這い出して幹線道路に出たんだけど、エンジン音だけが大きくなり、一向にスピードが上がらないから、おれの心臓がまたまた小躍りしはじめる。
 
朝比奈がさっき言っていた。スピードを上げるには2・3とシフトを変えていくのだと。だからその動きをさんざん繰り返してきたわけだ。それをいま実践する時だ。おれはクラッチなるものを踏んでシフトレバーを2に入れ、クラッチをつないだ。さっきよりスピードがあがった。1・2でスピードがあがるって、わかりやすくていいけど、なんでこれでスピードがあがるのかはわからない。世の中はわからないことだらけでも、そこに理屈があって誰かがわかってりゃいいことだから深く考えるつもりもない。
 おれが四苦八苦しながらもなんとかクルマを動かしていいても、もう朝比奈はさして心配もしていないようで窓の外の流れる景色を見ていた。街の夜景がさしてめずらしいわけでもなく、なにか面白いものが見えるってわけでもなく、おれにはそうとしか思えない風景が朝比奈の目にはどう映り、そこからなにを考えているんだろうか。
 もしおれの運転に安心しているんならそれはそれでうれしいんだけど、逆にそうやっておれを安心させているとも考えられる。なんたっておれがひとつ考えてるうちに、10ぐらいの結論を出しているあたまで、先の先まで読んで今を生きているような人間だ。
 
それはずいぶんと大掛かりな作業にも思え、あたまが回りすぎるってことはそのぶん、多くのことを考え判断していくことで、知らなきゃすんだものまでもかかえこまなくならないなら、さして良いことだとも思えないなんて、その世界をみたこともないおれが言うことでもなく、大きなお世話ともいえる同情が、回りの悪いおれのあたまをよぎっていった。
 
朝比奈は時折り、そこを右とか左とかどこかに誘導しているみたいで、ウインカーなるものの操作を教えてもらい、左折はそうでもなかったけど、右折は前から迫るクルマの隙をついて行かなきゃいけないからずいぶんドキドキした。針がついたおもちゃの機関車に風船を割られないように、微妙によけながら時間内に似顔絵を完成させるテレビ番組をおれは思いだしていた、、、 貧困だな、、、
 こんなふうに
指示に従って走っていると、気分はお嬢様をいきつけのレストランに送り届ける状況を思い浮かべしまう、、、 イメージは麗しのサブリナのオードリーのお父さん、、、 朝比奈イコールオードリーはあるけど、おれにそこまでの格式はない。
 おれはどうにかひととおりにクルマを動かすことができるようになり、なんとかたどり着いた工場地帯の脇にある、搬送用の道路にクルマを止めた、、、 ここに来るつもりだったのか、、、 なんのために。
 
黒ずんだ工場は点在する照明に照らされて、幾連ものパイプや、高くそびえる煙突。それに水蒸気とか煙とかが映し出されていた。
 
おれは子供のときに読んだ、『魔法の白い粉の工場』なる物語を思い出していた。町に突如として出来た巨大食品工場が、一日中、365日休むことなく食料品の元となる“白い粉“を生産し続け、これまで家で食事をつくっていた人たちは、その工場で作られた”白い粉“から生み出される、安くておいしい料理を食べるようになり、学校では給食として支給された。そして町から食料関係の仕事は一切なくなり、町で食べられるすべての食料品はその工場でつくりだされるようになった。そしてある日突然その工場は稼働を止めてしまった。その工場の食料品の生活に慣れ染まった町の人々は、、、 とかいうハナシだった。
 最初の工場の風景描写がいまのここから見える風景に重ね合わさってくる。あそこでいったい何が造られているとしても、これまで地球に存在しなかった何かであり、この先地球に残されていく何かであるのは間違いない。こうしておれたちは自分でも、地球でも消化
できない新しい便利を手に入れて、その先に向かうことを止められないでいる。


Starting over18.3

2018-06-03 13:05:00 | 連続小説

 座ったからといって何か言い出すわけでもなく、なんだかつまらなそうな顔をしてグラウンドの方を見ている、、、 授業中に窓の外を見ている時と同じように、、、 おれの席から外を向く朝比奈の表情はいつもそんな顔をしていた。てことはこれからおれがすることになにも期待してなく、ときの流れだけを静かに待っている状況なのか。おれがそれなりの成果を見せなければ、その状況は永遠に続く、、、 その顔も良いんだけど、、、
「そんなふうに見てたの。べつにつまらないわけじゃない。つまらなそうな顔をしてるんじゃなくて、ホシノにそう見えてるだけでしょ。自分の不安を他人の顔に映しこんでいる。そうして猜疑と怒りをつくり出してしまう」
 そう、おれはおびえてるだけだ。朝比奈の期待に応えられるのか。家族の期待に、学校の期待に、世間の期待に、、、 世間は期待してないな、、、 で、自分以上を出そうとして、でも、そんなことはできないことにおびえて、ひとの顔色をうかがっている、、、 すべてお見通しだ。
 できないのはその経験をしていないから、できているのは経験済だから。それだけのことをよく見せようとして躍起になっている。赤ん坊はなにも出来なくてもみんなから可愛がられるのに、大きくなるにつれその特技を失っていく。そのかわりに自分で出来ることを増やしていかなきゃならない、、、 これもそのひとつ、、、 
 
差さったままのクルマのカギに手をやり、捻る。ほんとは少しアクセルを踏んだりしてやるらしいんだけど、その時のおれはまだそんなことも、こんなことも、あんなことも、なあんにも知らなかった。ふつうならプラグにガスがかぶって、大変なことになるらしいけど、さっきまで走っていたエンジンは文句も言わずに掛かってくれた。
--プスンッ
 
なのに、せっかくエンジンが動いたのに、朝比奈は身を乗り出して、、、 乗り出したおかげで、やわらかな部分が、、、 エンジンを切り、カギを抜いてしまった。カギは朝比奈の指でクルリと一周して胸のポケットに収まった。さっきの感触が思い出される、、、 でっ、クルマを動かさずにいったいどうするつもりなんだ。
「急がないでって言ったでしょ。そのまえにやっておかなきゃいけないことがあるから」
 プリプリとした唇が艶めかしく動いた。えっ、だって自分の感性でヤレって、そう言ったじゃないか。えっ、教えてくれるの? それならはやく言ってよ。
「キホンはね。基本は教えてあげる。歯をみがくのは好きなようにしていいけど、歯ブラシの持ち方は教えてあげるわ。指でみがくのもいいけど」
 
深いのか、意味不明なのか、よくわからない例えばなしをして。朝比奈の指ならみがいてもらいたいぐらいの思いしか残らなかった。
「指より、コッチでしょ。さあ、しっかりと握りしめて」
 
そんな、、、 しかたない、、、 つーか、指をくわえる選択肢は最初からないな。腕を伸ばす、その先に質感のいい手触り、吸いつくようなグリップ。なるほど一度握れば離し難いのかもしれない。これまでクルマに興味のなかったおれの中の本心が目を覚ましたようだった。これで意のままに操れるわけだ。
「どう、いい感触でしょ。これまでにない、ああ、初めてだったわね。はじめてでこれじゃ、今後は舌が肥えるから、他のじゃもの足りなくなるかもね」
 そうか、そういうものか。はじめて口にした食事が高級ステーキなら、もうあとからどんなニク食っても安っぽく感じられるみないな。
「高級ステーキとかって、そんなんのと比べないで。いい、握る場所は10時10分の位置。肩の力を抜いて、腕を少し曲げてリラックスして」
 10時、、、 おれは8時20分ぐらいのほうが好きだけど、、、 そんなポジションがあるのか。いいやそれで朝比奈が良いっていうならお望みどおりに。
「ふーん、さまになっているじゃない。見た目って大切だからね。それで8割がた決まってくる。ホシノいい感じよ。次は左手をかして。そう、ココへ」
 
朝比奈は離れ難い感触を断ち切っておれの左手を携えて、真ん中にある丸い突起物に誘っていった。朝比奈がひとりで器用にこねくりまわしていたあの場所だ。鉄の削り出しでできているのでヒンヤリと冷たい感触で、手の中ですべるように左右に動く。
「どう? 触りごこちは。自分の意のままに動くって感じがするでしょ。それでクルマの速度をコントロールできる。なんであるにしろ、自分の思いでコントロールできるっていうのはいいことだわ」
 そんな、簡単に言っちゃってくれちゃって。案の定、言われるままにスティックを動かそうにも、左右以外はびくともしない。朝比奈がかろやかに操作してクルマを動かしていたのだ、力任せにやる行為ではないはずだ。なにやら別の動作が引き鉄となってはじめてこの行為ができるはずだ、、、 論理的に考えれば。
 もたくつおれに朝比奈がアゴと目線で差す先は足元だった。
「イジるにはまだ早いわね。その前に、アソコを押し込んで。左足で。そう、それからソコを奥に入れるの。どう、カチって入るでしょ。さすがレース仕様。あとは手首の回転だけで自分の思う場所へ入れ込む。足の動きと連動させて。それがホシノの思いのままになったら、ひとつ飛ばしとかを試してみて。上手になるといいね。ふふっ」
 
そういえば、スティックを操作するたびに、朝比奈の左の大腿部が意志とは別に動いているように見えた。単に見惚れていたわけじゃない。太ももが描く有機的な曲線があまりにも美しすぎて目を奪われていただけ、、、 いいかたを変えても助平心は変わらない、、、 なんだ。
 なにしろ、おれのスケベ心が功を奏して、その動きだけは脳裏に焼き付いている。左の足元にあるペダルを踏み込むと、なんだかスカッと外れを押したみたいに、手応え、、、 足応え? なく奥まで踏み込めた。そうすると、それぞれ数字が刻み込まれているゲートにスッと入るようになった。
 
それも朝比奈が手を添えてくれたから、どこがどうなのかってわかっただけで、おれが入れなきゃいけない場所もよくわかった。足との連動はまだしっくりこない。ドラムをたたいた時のあのギクシャクとした感じが思い出される。ああいったのはあたまで考えちゃダメなんだ。カラダが勝手にやってくれるまで染み込ませて何度も繰り返すだけだ。
 
おれが時折、ガリっとか嫌な音を立てると朝比奈は目を細め、顔をしかめる。こうして不慣れな動作と、無知と経験のなさがどこかかしらを傷つけていく、、、 迷惑をかけるのはしかたないけど、その認識だけはしておかなきゃ、、、
「やさしくして。無理強いしてもうまくいかないわ」
 おっ、おおっ。だいたいおれはこういうとき力んじゃって。力み始めると止まらなくなり、奥歯噛みしめ過ぎてアゴが痛くなるまでその状況に気づかないから困ったもんだ。
 
どうやら、足で踏んでいるあいだはこのスティックは自由になり、踏み外せば抜くことはできても、入れることはできず半分自由を奪われるみたいだ。
 
なんだって、そんなもんだ。自由は一定の条件下でしか有効ではないのに、そんなことに気づかないまま、おれたちは自由を我がものとして消費していくことしかできない。いったい誰から誰に受け渡されたのか、なにを犠牲にして手に入れたのか。知らないってことはある意味幸せなんだ。
「よかったわね、幸せで。もの思いにふけってないで、手足動かさないと、その幸せも逃げてくわよ」
 おれがちょっと手を抜いているのはお見通しだった。クルマに乗るってラクなことだと思っていた。座ってエンジン動かしてりゃ動くもんなんだって。ところがどうして、こりゃ立派なスポーツじゃないか。練習なのにジットリと汗ばんでくる。それなのに朝比奈は涼しい顔だ、、、 本当にそう感じてんのか、、、
「大丈夫、じゅうぶん上手よ。はじめてだなんて思えない。ちゃんとイケるとこまでできるから。わたしと一緒だから。ねっ」
 ネッ、って、そんなかわいい言い方されたらおれはもう頑張っちゃうじゃないか。部活のときにケーコちゃんのおしりを目指して走っていた時のように、おとこがなにかを頑張る時は、それぐらいの動機しかない、、、 おれだけ?
「いいんじゃない、そんなんで」そんなんて、どんなんで?
「キホン動作」ああ、そう、、、