private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over06.21

2019-01-27 06:06:04 | 連続小説

 水道の蛇口を目いっぱい開けると、強い流水がホースの口から噴出し、激しい水しぶきがボディの汚れを弾き飛ばしつつ、あたりに霧散する細かい水が太陽光をあびて小さな虹色を浮かび上がらせていた。
「なんだよう。いきなり攻撃するなんてえ。はじめるなら、はじめるって、そういってからにしろよなあ」
 文句を言いながらもガキんちょは嬉しそうだ。そんなふうに言われると、おれは余計に図に乗って、ガキんちょを追い立てるようにして水を撒き散らしてやる。やめろよーなんていいながら楽しげに水しぶきを浴びている。
 おれは事務所から死角になる場所からはみ出さないように、ガキンチョを水しぶきで追いたててコントロールしていた。これでも結構気をつかっている、、、 もしかして、いい保育士になれるかもしれない。
 なんだかこういうのって悪くない。暑いし、水は気持ちいいし、クルマに触ってみたいとか、大人の仲間入りをしてみたいと思うのは誰にだってあることだ。それがガキんちょの本当の気持ちかなんて読めないけど、楽しそうな子供の顔を見て、こっちまで嬉しくなってしまうのは、おれもまだ捨てたもんじゃないのか、それともおれのオツムがやっぱり子供並みなだってことか。
 なんだかんだ言いながらもおれがそうしたかっただけで、この子は単にきっかけでしかなかったんだ。おれも子供の頃にこんなふうに遊んでもらった記憶があって、それは父親ではなく近所に住んでいた兄ちゃんで、もう名前も覚えていない。
 おれはその当時の兄ちゃんの役割りを、いま果たしていると思うと、それはなんとも感慨深いと同時に、当時おれが見ていた未来に到達してしまったんだと少しだけそら恐ろしい気分にもなる。
 こうしてひとつひとつ、こどものころに出会った大人に自分がなっていく、、、 それが決められた約束ごとのように、、、 その定めをクリアしていくごとに年齢を重ねて、すべて終わったとき自分の人生も終わってしまうような、あといくつのこうした記憶との再会と、幼き自分との再会を果たしていくのだろうか。すべての呪縛から解き放たれるために。
 あの兄ちゃんも、いまじゃあ30過ぎぐらいになるはずだ。久しく見かけていないから、家を出てどこか別のところで暮らしてるんだろうけど、彼もまたいつかの自分を思い起こしておれと遊んでいたんだろう。
 そんな想像をしていると、またおれがその時期になると思い出したりして、普段は一切思い出さないくせに、こうやって節目、節目で水先案内人のような存在になってきたりする人っているもんだ。時の流れってこういう感じ方をたまに知らしめてくる。おれはそれを遠くへ追いやろうとしていた。
 ひととおり水遊び、、、 洗車、、、 を終えたら、ガキんちょには、なるべくクルマの影に隠れているように伝えた。柔らかいスポンジを渡してガラスとタイヤの部分だけなら拭いてもいいぞと言ったら、サルのように動き回って順番に拭きだした。部下に仕事を命じる上司ってこんな感じなんだろうか、、、 この後のおれの人生に、そんな時間はきっとやってこない。
 そのあいだにも何度かお客が来たけれど、マサトが時折、恨めしそうな顔をこちらに向けて対応している。オチアイさんからの洗車を頼まれているから、そこらへんはおれも強く出られた。
 おれは客が入ってくる度に、ガキんちょに隠れろって声をかける。それもまた子供にとっては遊びと同じで、あわてて隠れては見つかってないかを確認してくる。おれも面白がって、心配気な顔を作って少しおどかしておいてから、親指を立てて無事を知らすと、目いっぱいホッとした表情をするからたまらない。
 最後の仕上げでムース地の布でボディの拭きあげをするおれに、カゲのように付いて回り、神妙な顔つきで隠れていることを大いにアピールしている。ヤツにとっちゃかくれんぼをしているのと同じで、相手が大人で、それも真剣勝負だからスリル満点なんだろう。そりゃ、公園で子供同士で遊ぶより醍醐味があるだろう、、、 クセになったらどうするんだ、おれ、、、
 おれはいまさらながらに、ガキんちょになんて名前なのかを聞いてみた。別に、どうしても知りたいわけじゃないけど、呼びづらいから。ガキんちょとか、オマエとかじゃあなあ。特に親しくなろうってつもりもないし、変に懐かれても困るんだけど、このままというのも気が引ける。
 これで里心でもつかれたら面倒なはずなのに、それがおれの浅はかなところで、、、 里心がついているのは案外おれの方だ、、、 新たな記憶が植え付けられるだけだってのに。
「ボクね、ツヨシ。おニイちゃんは? イチエイ? ふーん、へんなナマエだね。でもボク、おニイちゃんでいいや。ボク一人っ子だから、キョーダイいないし、おニイちゃんとなら、なかよくできそうだからね」
 変な名前と言われるのは、いまに始まったことじゃない。でも年下に、こどもに言われるとやっぱり少しへこむけど、それは子どもの素直な感想だ。しょうがない。おれと同じ一人っ子って言うのも親近感がわくし、年のはなれた弟ができたかと思うと、それも満更じゃない。
 そういえば子供の時に弟が欲しいって、夫婦のあいだも考慮せず、母親に無茶振りしたことがある、、、 一笑にふされたけど、、、 いまはいなくてよかったと思っている。そんなおれに一日限定の弟ができたとおもえば、それもいいじゃないか。
 
よーし、それじゃあツヨシ。バンパーと、グリルの部分も拭いていいぞ。と言うが早いか、おれの足元を通り抜け、あっという間に前のバンパーに張り付いていた。
 これほど嬉々として洗車してる姿をみると、なんだか腑に落ちないのは、おれは仕事としてどちらかといえば仕方なくやってるのに、ツヨシにとっては遊びの延長で、やらせてもらえて感謝さえしている。仕事の内容は変わらないのに、向き合う気持ち次第で、それは苦行にも、遊びにもなりえるなんて、、、 子供に仕事のなんたるかを教えられているおれ、、、
「ねえねえ、おニイちゃんは、何のクルマ乗ってるの?」
 ナニ言ってんだ。クルマどころか、免許も持ってない。持ってないどころか、取る予定さえない。この世でクルマに乗るには免許ってヤツが必要で、、、 無くても運転はできるけど、見つかれば手が後ろに回る、、、 若くして自分の経歴にケーサツの御厄介になる記録を残したくない。
 そもそもクルマに興味はない。スーパーカーブームとかって、宇宙船みたいなクルマの写真を見せあってたマサト達のなにがそんなに楽しいのか、ただかたわらで見ているだけだった。
「メンキョなんかさ、とればいいじゃん。ボク、お絵かきのメンキョショウ持ってるよ」
 そりゃ、表彰状だろ、、、 おれは子供の頃から床屋が嫌いなんだよなあ。あの二人だけで向き合う時間がなんとも収まりが悪かった。何のハナシかって? 床屋のオヤジに話し掛けられるのもイヤだったし、話し掛けられないのもイヤだった。自動車の教習所もクルマの中でそんな状況になるだろ、それがどうにも好感を持てない一因だ、、、 ハナシが長いって。
「なんだ、カッコわるいな。スタンドでバイトしてんだろ。とうぜんクルマぐらい、もってるとおもったのにさ」
 悪かったな。スタンドでバイトしてるてえのにクルマに縁遠くて。船を持ってないからサカナ屋でバイトできないし、飛行機を持ってないからペットショップで鳥を売ることもできないから、しかたなくスタンドでバイトしてるんだ、、、 って、子供にムキになってどうする。
 いいかい、働くには動機とエサがあればいいんだ。おれには動機はない。あるとすれば朝比奈にエエ格好するエサに飛びついただけだ。『しょうがないよお、この世はオンナが動かしてるんだからさあ。おニイちゃん』なんて、ツヨシが言うのを半分期待したけど、、、 さすがにそれはなかったか、、、 ただ、おれが何かを言い出すのを期待して目がクリクリとしている。
 
そう言うツヨシはどんなクルマが好きなんだ。おれはそんな気もないくせに上っ面だけの言葉を吐いていた。普段ならこんな場をつなぐような言葉は口にしないから、ツヨシがきっとこの言葉を待っているってわかって言っただけだ。
 
ツヨシはおれがどんなクルマに乗っているかとか、どんなクルマが好きなのかなんてどうでもよくて、自分のことを話したいための前フリだった。気を利かしたつもりでも、そんなコッチの都合なんかおかまいなしにツヨシは待ってましたとばかりに。
「ぼくさあ、カウンタックが好きなんだ。フェラーリもいいけど、ちょっとお高くとまってるみたいだから。なんかそれに立ち向かってる感じのランボルギーニの方がカッコいいだろ。ぼく、大きくなったら絶対、カウンタック乗るんだ。いいでしょ」
 ああ、そう、そういうことね。いくらクルマにうといおれでもさすがにフェラーリとかランボルギーニぐらいどんなものか分かる、、、 ベルリネッタ・ボクサーとかLP500とか、、、 ふつうの人生を送る限り、けして手に入れることのできない類のオモチャだ。たぶん父親のコロナが20台くらい軽く買えるだろう。
 そこはやっぱり子供だと思わざるを得ないけど、子供らしい夢でいいじゃないか。子供の夢と希望に、現実をつきつける権利などおれにはない。そうしておれは、これもまた大人になって失っていくモノのひとつなんだと知り、今日はツヨシのせいで、やたらとそんな思いをつきつけられている。
 そうだなカッコいいよな。ツヨシ、オマエ、大きくなったら買えると良いな。そんな、いかにも取って付けたような合いの手を入れても、おれのミエミエの言葉はツヨシにさえ見透かされているようにも思え、こちらに目を向けずに、ひとりでブツブツと早く大人になんないかなあとぼやいている、、、 こちとら早く大人になっちまって、この先の見通しがたたないってえのに、、、 
 戻ってくる世界を間違えればよかったかもしれないとまで思ってしまう、おろかなおれ。


Starting over06.11

2019-01-20 07:12:20 | 連続小説

「いいだろお、別にさあ、ジャマしてるわけじゃないんだからさあ」
 どこの子供なのか、スタンドの隅の水道まわりでたったひとりで遊びはじめていた。まだ誰も気付いていないようで、おれだけがその事実を知っている、、、 なんだかこの風景、デジャブを感じる、、、
 気づかなきゃよかったんだけど、知ってしまったからには放置しておくわけにもいかず、いつもなら洗濯してる時間帯なのに、今日は早く終わらせて朝比奈こないかな、なんてスケベ心丸出しで給油所まわりの掃除してたら、よけいなもの見つけてしまった、、、 昨日給油して、今日来るわけがない、、、
 この炎天下の中、外で働いているペーペーはおれしかおらず、他の誰かが知るところになれば、どのみちおれが追っ払う役割りをあてがわれるわけだから、言われる前に先回りして、ちゃっ、ちゃっとかたずけておこう、、、 なんて、かる~く考えていたんだけど、これがけっこう手ごわかった。
 子どものすることなんだからって大目に見てあげたい気もするし、スタンドの中で子供にうろうろされて、ケガでもされたら厄介だと考えるのは極めてまっとう判断で、責任者ってやつはいろいろと考えなきゃならなくて、いつも大変なんだ。そりゃそうだけど、責任者から責任を押し付けられるのは、いつだってペーペーなんだな。
 なんてことはない子供ひとり追っ払うだけのことだ。こんなショボイ雑務はさっさと終わらせて、オチアイさんから頼まれてる洗車を昼までに片付けなければならない。それなのに、思いがけず反抗的な言葉を受けて、温厚なおれもさすがにイラっとしてしまった、、、 温厚なのか?
 うーん、ジャマとかじゃなくてね、ここは遊び場じゃないんだからね。だいたいこんなとこで遊んでたって面白くないだろ。ほら公園にでも行ったほうがさ、いろいろと遊具もあるし、、、
「おにいちゃんさあ、追っ払うにしても、もうすこしシャレたこと言えないの? あたりまえ過ぎで、なんの説得力もないよ。だいたい公園なんか子供ばっかりでおもしろくないしさあ」
 どうみても小学校に入ったばっかりぐらいの子供が、シャレたこととか、説得力とか言うな! 子供なんだからそれでいいじゃないか! って言おうとして、それではかえってこじらせることになると、グッとこらえて大人の対応に切り替えてみた、、、 
 今日の夢見が悪かったせいか、、、 それとも子ネコの怨念か、、、 子ネコだな。子供に注意するのが不運のひとつとかって大げさなんだけど、幸運か不運かって訊かれれば不運だし、それが素直じゃない子供ならなおさらだ。
 いいかい、ここは大人の仕事場でさ、大人のお客がやってくるところだ。おまえさんも大人になってクルマを持つようになったら、いくらでも歓迎するからさ、、、 これが大人の対応か?
 おれだったら親にそんなふう言われれば、余計に反発するはずだろうなあと、自分のボキャブラリーの少なさに萎える。おれのおろかなところは、幼き時に学んだ経験をいかせないからなんだ。イヤだと思っていたことをやってしまう。望んでいた言葉はもう出てこない。つまらない大人になるってそういうことなんだろうか、、、
 おれのなさけない姿をみて同情してくれたのか、ガキんちょはしおらし表情で、おれを手招きする。大人のおれを、、、 大人なのか?
 素直に顔を近づけるおれは、子供に子ども扱いされている、、、 子どもか?
「あのさあ、オニイちゃん、今日、朝起きた時、寝ぼけて自分がどこにいるかわからくなったろ?」
 えっ!? なんで? なんで知ってんだ。見てたのか? んなわけないな、今日はじめて会ったし、、、 そもそも寝起き見られるってどんな状況だ。
 たしかに将来の不安を感じながら寝込んでしまい、バイトでこき使われてる夢を見て、目を覚ました時はいったい自分がどこにいて、今がいつなのかもわからず、自分を認識するためにしばらく時間がかかった。
 そういうのってたまにあったりする。旅行先で目覚めたときとか、親戚の家や、友達の家に泊まった時なんかは特に、、、 あと夢の中で、目覚めた夢を見たとき、、、
「それってさ、自分が戻る場所がわからなくなってるんだよねえ… 」
 などとのたまいはじめた。へっ、どうゆうこと。
「ぼくらってさ、どこにいるべきかって、まわりとのつながりがあって、はじめて知ることができるんだよねえ。あさ起きたときに聞く音、かいだニオイ、目にした景色、そういうのがぜんぶわかって、はじめて自分がどこに帰ってきたかってわかるんだよ。そうやって毎日、生まれ変わってるのに、たまに戻る場所を間違えたりするだよねえ」
 うわっ! なに、このガキンチョ。なんかすごいこと言ってるけど、意味わかってるのか。近頃はそうなのか。いやいや、きっとなんかの受け売りで、意味もわからずしゃべっているに違いない。おれだってそうやって大人びた態度をしたがった時期がある、、、 自分の物差しと、偏見でしか物事を見られない。
「おニイちゃんは、まだなんにもわかってないみたいだからしかたないけどさ、見えるものだけがホントだって、そんなことないんだから」
 なんだか、少し前にも耳にしたようなコトバだ。いつだったろう、、、 思い出せない。やっぱりもどる場所を間違えたのか、、、 子どもの言うこと真に受けてどうする、、、 ええい、どうせいつまでも相手にするわけじゃない、ここを切り抜ければいいだけじゃないか。そう、こうやってこれまでもその場しのぎでなんとかしてきた。
 これぐらいの年の子供が意味も知らないくせに受け売りのセリフを吐いて、自分が年以上に見られようと躍起になるのはよくあることじゃないか。こういうときはこちらが引いて、彼を大人として認めてやり、機嫌よくお引取り願おうじゃないか。
 すごいぞ少年。キミはもうなんでも知ってるんだな。じゃあ自分がどこで遊べばいいかなんてわかってるだろ、、、 うわっ、なんてイヤらしい言い方、、、
「あのさあ、おニイちゃんさ、大変そうだから、ボク、おニイちゃんの言うこときくよ。それでいいんだろ」
 ガキンチョは突然、素直になった。そうなればなったで、おれも物わかりのいい態度に疑いを持ってしまう。それが子供だと余計にウラを読んでしまう。自分自身がそうだったし、大人の顔色をうかがって言葉を選んできた経緯もある。良く言えば聞きわけの良いコ、悪く言えば大人に媚を売る、、、 因果応報。おれもスレた子供、、、 だった。
 少年よ、おニイちゃんの言うことをわかってくれてうれしいよ。じゃあな、たまになら遊びに来てもいいぜ。オマエもいろいろとわけありなんだろ。手でも振ってやろうかとしたら、もう姿を消していた、、、 逃げ足の速いヤツだ。
 なんか中途半端な気持ちは残ったまま、洗車場へ向かった。銀色のベンツがそこに鎮座している。そんなに汚れていないようにも見えるけど、オーナーが細かい人らしく、そこはキッチリとプロの仕事をする必要がある。当然おれが手を掛けられるわけもなく、その後ろに止めてある、型オチのクラウンがおれの担当だ。
 年式の割にはキレイな車体で、月に一回入庫してくるって、昨日、オチアイさんに作業方法と共にそんな小ネタも聞いていた。
 オチアイさんは大学生で、ここでのバイトは2年のキャリアがあり、マサトが懇意にしているナガシマ先輩の次の古株ということだった。腕が上がってきたということで、所長からベンツの洗車をするように言われたので、これまでのクラウンがおれに回ってきた。
 こうやって日本の技能は伝承されていくんだと、肌で感じることができ感慨深く思い、腕を組んでうなずいていた。
「今から、これ洗うの?」
 そう、これをいまから洗うんだ。神妙に大きくうなずいて、、、って、セドリックのフェンダーミラーの横に、こしゃまぐれた子供の顔が突き出ていた、、、 やっぱりさっきのガキんちょだ。
 コイツいなくなたと思っていたら、こんなところに隠れていたのか、、、 ちょこざいな。
「おニイちゃん、ひとりで大変そうだね。ボク、手伝ってあげるよ」
 あのな、そんなことできるわけないだろ。つーか、いつのまにココまでもぐり込んできたんだよ。おれがよっぽど鈍いのか。まあ、それもあるだろ。否定しないけど。こらこら、クルマに触るんじゃない。キズでもつけたらえらいことだ。
「わかってるってば。ねっ、ひとりでやるよりふたりでやったほうが、早くできるしさあ。学校でならったんだよね。こまっている人は助けてあげなさいって」
 近頃の小学校は、なかなか授業の内容も高度化しているようで、日本の教育現場の充実具合を垣間見たようだ。
 こんなに言ってくれる子供の気持ちを無にするのも大人としてどうなのかという思いもある。それによくみればなかなか賢そうな顔をしているし、言葉も態度もしっかりとしている、、、 おれは昔から押しに弱い人間なんだ。
 それにしても昔からネコとか、子供とか、老人とか、なんだかそんなのにはまとわり付かれる運命にもある。いまだにその気運は変わってないらしい、、、 まだ老人との絡みはないけど、、、 なんかの伏線か。


Starting over05.31

2019-01-13 15:40:28 | 連続小説

 おれが朝比奈との今後を極めて真剣に、若干自分に都合のいいように妄想していたら、いつのまにか子ネコを強く抱きしめていたらしく。朝比奈からいただいたミルク、、、 牛乳を飲んだネコは、安心感もあって、溜まりに溜まったモノをなんの躊躇もなく、おれの胸に、、、 まあ、朝比奈の胸じゃなくて良かったけど、、、
 いやまてよ、もしそうだったら、濡れたシャツから透けた、、、 いやいや、そうじゃなくて、ウチに上がってもらって、おフロでもって、そのあとにおれがいただいて、、、 うーん、さっきまでの殊勝な気持ちもどこへやら、おれの変態妄想も加速するばかりだ。
「アンタ、ほんとにドンクサイわねえ。子ネコ一匹に手間取って、挙句の果てにお釣りまで貰っちゃってりゃ世話ないわよ。早く服脱いじゃなさい。あっ、洗濯機に直接入れるんじゃないわよ。洗面で流してからでないと、他の洗濯物に移っちゃうからね」
 どうやら今日は洗濯物に縁があるようで、マサトの小言に続いて母親からも指南を受けることになった。それがこの夏の、唯一の学習成果にならないといいんだけど。
 おれはやいのやいのと言う母親のあとについて洗面所に向かった。子ネコの粗相が染み込んだTシャツは、慎重に脱がないと顔で拭うはめになる。おれは首の輪っかをなるべく広げて、息を止めて顔や髪につかないように脱ぐようにした。脱いだTシャツはすかさず洗面に放り投げる。これでいい。
「なにやってんの、自分で流しなさいよ。そこまで面倒見ないわよ。臭い取れるかしらねえ… あらっ? アンタ、子ネコどうしたの? そのまま置いてきたって。バッカじゃないの? また、隙間に入ったら元の木阿弥でしょ」
 ハイ、もう何とでも言ってください。私が悪うございました。早く洗面に行けと追い立てたのはアンタじゃないか、と言いたかったけど止めておいた。
 廊下に牛乳は溢さなくても、結局は同じようなことで叱られるハメになったおれは、バッカじゃないのじゃなくて、バカそのもので、母親の持ちネタをまたひとつ増やしただけだった。
「ほら、ボヤボヤしてないで、早く子ネコ見てきなさいよ。服なんかあとで着ればいいでしょ。これだけ暑いんだからハダカで十分よ、また汗かいて洗濯物なんか増やさないの。終わったら、そのままおフロ入っちゃいなさい」
 ハイ、おれは母親のおおせの通り、上半身ハダカのまま外にほっぽりだしてきた子ネコを回収しにいった。
 そんなアホなおれとは違い、出来のいい子ネコは従順にも門戸に鎮座してた。一宿一晩の恩義でも感じてるのか、、、 一宿はまだしてないけど、、、 一食のみでも恩義を果たそうとしたのか、それともコイツに付いてけば、オマンマの食いっぱぐれは無いと計算高い判断か。どっちにしろ野性の勘であったり、危機管理能力はおれより秀でているのは間違いない。
 おれが門戸で子ネコをピックアップして、玄関に戻ると、新聞紙を敷き詰めた段ボールを持った父親が不機嫌そうな顔をして立っており、おれに突き出すようにして渡してきた。きっと、新聞なんか読んでないで、空の段ボールと溜まってる古新聞でネコの棲家を作るようにとか母親に言われたんだ。役目が終わった父親はあたまを掻きながらダイニングに戻っていく。つまりはあとの仕事は全部おれに背負わされたわけだ。
 この家の男たちはひとりの女性にいいように振り回されている。オマエもめでたくその仲間入りできるぞ。あれっ? てことはこの母親は子ネコを飼う気なのか。
 生き物を飼うなんて絶対しないタイプだ。金魚もカラーヒヨコも死んだ時は二度と飼わないでちょうだいと釘を刺された。どういう風の吹き回しか、気まぐれかなのか、朝比奈の影響力か。どっちにしても母親についていけば生きていけるんだから、おまえは運が良かったんんだ、、、 きっと。
 おれは子ネコを段ボールでできた宮殿にそっと置いてやった。古新聞のインクの臭いが気になるのか鼻をピクつかせてしかめっ面をしている。そのうちなれたのか丸くなって目を閉じた。
 そりゃあコンクリの壁の隙間に比べればよっぽど寝心地がいいはずだ。明日になれば母親が古タオルでも用意して敷いてくれるだろう。よかったな。とりあえず生きながられることができて、、、 一晩放っておいたおれに言われたくないだろうけど。
 この子ネコが幸せになるのがどの選択肢をたどった場合かなんて、あと何十年もしなきゃわからない。それこそ死ぬときまでわからないはずだ。
 そんなことがわかっていれば誰も苦労しないし、誰もが幸せな選択をできるはずだ、、、 このおれだって、、、 そう、このおれだって数年後の自分がどうかなんて、いま進んでる道が正しいかなんて、、、 そもそも、なにが正しいかさえわかんないし、、、 わかるわけのない道を、ただ、どこかにあるはずの正解を求めてるだけなんだ。
 例えばもし、このネコが隣の家に助けられたらどうだったろうなんて、おれがもし隣の家に生まれたらと想像するに近いことで、そんなこと言い出せばキリがないんだけど、偶然にも我が家に収まったこの子ネコと、おれの行く末を考えれば、まったく考えないわけにもいかなかった。
 いったいなにが人の、、、 ネコの、人生、、、 猫生? ああ、めんどくさい、、、 とにかく、その運命をつかさどっているんだろうかなんて、おれたちはこうやって、自分で選んでいると勘違いしながら、まわりに振り回されているだけなんだ、、、 
 だからっていつまでも、選ぶことを拒んでいれば、それはたとえばいつかは現れる王子様を待つオンナのように、理想のオンナとの偶然の出会いを信じているオトコのように、それ以外をすべて妥協と思えてしまい、おれたちはもうそこから前には進めないだろう。
 おれはそのまま風呂に飛び込み、夕食もそこそこにフトンに入った。母親は、食欲ないわねアンタもミルク飲む?なんてからかってくる。父親は極力関わらないようにしている。
 おれだって子ネコの将来の心配より、自分の「もしも」を心配するほうが先だろって、、、 休み明けの「模試も」心配だ、、、 おっ、うまいか? 
 そんな現実的な危機を身に感じてしまったのが運のつきだったのか、もんもんとしたまま寝入っていたら、あろうことかおれはバイトで扱き使われている夢を見ていた。起きている時も扱き使われて、せめて寝ているあいだくらいは、いい夢見てればいいのに、これが貧乏暇なしってヤツなんだろうか。
 自分に負い目があると夢見が悪いって聞いたことがある。日頃から人に迷惑をかけることをかえりみず、ろくな人生を歩んでいないおれは、こうやっていろんな罰を受けながら、それでも懲りずに、また思いやりとか、親切心とかを偽善な行為だとか、自分の都合のいいように解釈してひねくれたまま生きていく。
 それがちゃんと自分に跳ね返ってくるってわかっているのに、ノド元過ぎれば熱さ忘れる、、、 あっ、最後まで言えた、、、 で、おんなじことを繰り返している。

 翌日も、朝から暑かった。玄関脇に置かれた段ボールには、満足気にごろ寝を決め込んでいる子ネコが、気持ちよさそうにしている。やはり母親はタオルを用意していた。それもお古でなく新品を。どんな思い入れがあったのか母親に愛されてよかったな。
 おれといえば二度寝したいのをこらえて、バイトに、、、 図書館に勉強という名目の、、、 でかけるっていうのに、コイツはのうのうとして、しかもめんどくさそうに片目だけを開けおれを見定めると、さも興味もなさそうに、大きなあくびをひとつして、すぐに閉じてしまった。
 そうだよな、もうおれは用済みだ。おれに愛想を振らなくても、誰からメシがもらえるのかわかってる。
 昨夜出しておいた牛乳は、まだ皿の中に残っていた。おれはもう十分だからいいだろって母親には言ったのに、育ち盛りなんだからとかなんとか、あんたの時だって、なんて講釈をはじめたから、もう好きなようにさせておいたら案の定余っている。
 子ネコが大切にチビチビと飲んでいるわけじゃない。動物とか子供とかって腹が減れば口にするし、満たされれば残ってたからってもう食べるのを止めてしまう。もったいないとか、残さず食べろなんて説教が通用するはずもなく、母親に言えば傷んでるかもしれないからって、新しいものに取り替えてもらえるだろう。
 壁のあいだで人知れず餓死するかもしれなかった状態から、一転、星の王子様へ転身ってわけで、、、 ホシノ家だけに、、、 いまだけを考えれば羨ましい限りだ。人生は何が幸いするかわからない。
 人間が小さいおれは、いやがらせのつもりで、足先でダンボールを蹴ってやったら、箱の中で子ネコはカラダを身構えた。だけど鳴き声も立てずに、それ以上の危険がないことを知ったのか、なにごともなかったように再び寝に入った。
 おれとしてはそいつが気に入らなかったんだけど、どうやらこのウサ晴らしがいけなかったようで、その日以降からおれに襲い掛かってきた不運の数々の直接の原因になったのか、ネコは執念深いっていうし、、、 
 もう子ネコのスイートホームを攻撃するのは止めよう、、、 後悔先に立たず、、、 後悔してもすぐに忘れるくせに、、、 同じこと繰り返すくせに。

 そしてその日、またひとつの厄介事がおれにまとわりついてきた、、、


Starting over05.21

2019-01-06 07:25:32 | 連続小説

 朝比奈が牛乳を舐め続ける子ネコのあたまを、毛並みに沿って優しい手つきでなでている姿を見ると、やっぱり女の子なんだなって、少しほっとした気持ちになる。しゃがんだ姿勢でひざに手を添え、あごをのっけて。デニムのスカートからおしげもなくはみだしたフトモモが目にまぶしかったけど、おれはもう夜のおかずに追加しようとか思わなくなっていた、、、 しみじみと語ることでもないな。
 とはいえ目にまぶしいのは間違いないので、おれは朝比奈の横に周り、壁にもたれかかって腰をおろし、強制的に視野の外に追いやるしかなかった。朝比奈の横顔はなにか言いたげで、おれは口を開くのを待っていたけど、その時間がイヤではなく、ずっとこのままだっていいって思えていたのは、言葉を交わさなくたって気持が同期してる気がしたから、こうなればおれにできることなどおのずと限られてくる。
 朝比奈の淡いピンクの唇が動いた。あの日、教室から外を眺めていたときに、小刻みに唇を動かしていたのを思い出した。
「さびしそうって思われるの、イヤだから。なるべく、ねっ。なるべく、そう思われないようにふるまってた。一度でも、気をゆるしたら、もう、はどめが効かなくなる気がして… わたしだって、そう。思われてるほど強くもないから」
 胸が絞めつけられた。予測通り、想像以上。これでは今日のフルコースはオアズケ決定。いくら変態なおれだって、それぐらいの良識はもちあわせている、、、 時として、本能は良識を凌駕するが、、、 凌駕しちゃダメだろ。
 そうなんだ。誰だって、いつも、いつだって強くはいられない。人格をつくるのは自分自身なんだけど、どうみられるかは他人次第なんだ。そこでいちど根付いた役割ってのは書き換えるのは困難で、変にあらがうほどに滑稽に思われたりもする。いつのまにか押しつけられた配役。おれだって、これまでそうやってひとを選別してきた。強く、ひとりで生きていけるはずの朝比奈は、おれやまわりが勝手に作りだした配役であって、本人の思うところではないんだ。
 おれたちは、わからないことの答えを探し続けるために生きている。
「やっぱり、ホシノって、変わった個性をもってる。うーん、変わっているのがいけないわけじゃない。わたし個人の意見として」
 毛並みが違うって、この前は言われた。
「みんな変わってて当然なのに、変な仲間意識がそれを抑え込んでる。わたしね、『あの人いいひとね』とか、『あの人ってこうだから』って、誰かを選別して同属意識を共有したりできない。特に女子ってそういうのが強くって、流された方が楽なんだけど、一度ね。一度でもそうすると、細胞にまで沁み込んじゃいそうで。だから」
 どうしても引けない一線が、いまの朝比奈の居所を決めてしまったということだ。意地になっているとか、言葉で言うのは簡単だけど、そこにいたるまでの経験は他人がどうこういうことじゃない。おれには励ます言葉も、解決できる提案も、気持ちに寄り添うこともできない。吐き出したい言葉があれば耳を傾けるぐらいだ。自分ではわからない聞き上手なおれ。それがまわりの決めたおれの配役、、、 らしい。
「ホシノって、つけこんで来ないし、いいトコ見せようとしない。それでいてナヨっちいわけでもなさそう。オトコってのがギラギラしてない。ココロん中ではなに考えてるかわかんないけどな」
 ほめられているのか、けなされているのか。嫌がられてはいないので、良しとしておこう、、、 ココロの中だけは、お願いだからそっとしておいてもらいたい。
 それにしても、こうして先手を打たれると、こちらの行動も制限される。朝比奈にとって組み上げられたホシノの理想像が、その期待からはずれれば3秒で嫌われることになる、、、 イタリア人なみのエモーション、、、
「イッちゃーん! まだ、捕まえられないのーっ。どんくさいわねえ、夕食、たべちゃうわよーっ」
 期待に応えられないおれは、生粋の日本人に3秒でコケにされる。
 ここで母親が登場するのは十分考慮しておくべきで、それを怠っていたおれはいったいこの状況をどうやって説明すべきか、ひたすらあせるばかりだというのに、朝比奈はすかさず立ち上がって、軽くおじぎをした。深すぎて大げさにならないように、浅く軽くならないように、見ている者が心地よく感じる絶妙の角度だ、、、 企業研修の教師かってぐらい、、、 企業研修、行ったことないけど。
 母親は突然、よそいきの言葉遣いで「あーら、どなた。イッちゃんのお友達?」。ふつう、そうなるな。彼女にはまだ到達しない。
「こんばんは。わたし、朝比奈といいます。ホシノ。 …君とは、同じクラスメートで、いつもお世話になってます」
 はっ、こちらこそ。今後ともお世話になりたいです、、、 いろんな意味で。
「まあ、素敵な方ねえ。イッちゃんもスミに置けないわね」
 ぜひ、スミに置いといてください、、、 箸でつつかないように。
「どうせ、お世話になっているのはイッちゃんなんでしょ」
 いやあー、今晩、お世話になろうとしたけど、断念しました、、、 諸事情がありまして。
「このコ、いつもボーっとして何考えてるんだかわからないから」
 おい、おい、親なんだからもう少し子供を立てるとかしてみないか、、、 しないか。
「友達だってマサト君ぐらいしかいないし。それが、まあ、こんな素敵な女性とお付きあいしてるなんてねえ。ああーよかった、これで老後も安心だわ」
 あーっ、もうやめて、ホント、恥ずかしいから、、、 付き合ってる以外は全部事実だけど。
 おれは牛乳が入っていた小皿を母親に押しつけて、もういいから、おかわり持ってきてと頼んで母親の背中を押していく。ずいぶんハラをすかせてるのか、子ネコはまだ飲み足りなさそうで、しきりに口の周りを舌で撫でまわしている。
 一方母親は、まだ話し足りなく、消化不良の不満たらたらで、このままいくと、一緒に夕ご飯食べてく? とか言いそうな勢いだ。そんなことになったら、学校ではどうとか、勉強はどうとか、やれ受験とか、就職とか、そうすると図書館にもいかずに、バイトしていることがあからさまになりそうで、それじゃあ、母親にも、朝比奈にも説明がつかない、、、 どころか、お先真っ暗。
 朝比奈は、口に手を当てて笑いを押し殺している。母親はあいかわらずウケがいい。
「アナタ、イッちゃんて呼ばれてるの」
 ええ、まあ、イチエイっていいまして、、、 その由来は荷が重すぎるので言いなくないです。
「へえ、イチエイっていうの。初めて知った。おかあさん、ホシノのおかあさんっぽくはないな」
 そう言われればおれの母親って、おれの友達に対してこんなに気さくだったっけ。なんかもっとつっけんとんな、マサトにはいつもそうだからなのか。
「わたし、そろそろ帰るね。そのほうがホシノも都合がよさそうだし。おかあさんにはよろしく伝えといて」
 そりゃ、これ以上母親の暴走につき合わせるのは酷だけど、おれとしてはもうしばらくこうしていたい気も、、、 あっ、蚊にさされてる。
 スクーターにまたがり、ヘルメットをかぶる姿を子ネコもおれと一緒に見上げている。
「ネコちゃん、またね。ホシノに世話してもらうんだぞ。ホシノもしっかり面倒みるんだぞ」
 このネコ飼うのか。おれは子ネコの首根っこをつまんで抱きかかえた。これまで我が家で養った生き物は、縁日で釣った金魚か、口のうまい店員に騙されて買ったカラーヒヨコぐらいしかいない、、、 いずれも、半年も持たずに天に召された、、、 そういえばヒヨコはネコに食われたな。
 スクーターが小さ目の排気音を引きずりながら夜道に消えていった。うーん、微妙だ。垣間見た朝比奈の真意は、なにか具体的な解決を欲しているんだ。おれがなにかしてあげれればいいんだけど、子ネコの世話さえまっとうできる気がしない。それに、またねってことは、スタンドや家に寄ってくれたりするのだろうか。それまでおれはホシノでいられ、今後の期待を持たせるほどのオトコでいられるのか。
 ちょっぴり熱い思いが胸に湧いてくるというか、なにやらこう暖かなぬくもりが心に染み込んでくるような、、、 んっ、ホントに胸のあたりが温かくなってきた。ジワーと染み込んできて、、、 あれっ? これって、もしかして?
「あら、彼女、帰っちゃったの? ザーンネン。夕食、一緒にどうかって誘おうって思ったのに」
 そうなると思ったから帰ったんだよ。それよりこれ見てなんか言うことないのか。おれはTシャツの世界地図を開帳した。
「はーい、ネコちゃん。おまたせ、オカワリよ」
 シモの処理も終えて、おなかに余裕ができたのか、子ネコは再び、むしゃぶりつくようにして牛乳をむさぼった、、、 トコロテンか。