private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権 FINAL SCENE

2016-10-23 14:10:12 | 連続小説

「なんだよ、今日は自前なのか? おっかしいなあ。時田さんに伝えといたんだけどよ」
「まあねえ、フラれ男からタバコせびるのも悪いと思って。となり… いい?」
 仁志貴は、ひとり公園のベンチに座っていた。平日の昼間ということもあり人気もなく広さだけを感じさせる視界に、咥えタバコの仁美が遮るように姿を現した。
「なんだよ、慰めてくれるのかと思ったら、キビシイな」
「慰めて欲しかった? それは別にわたしじゃなくてもいいんじゃないの」
「あれえーっ、妬いてるのかな? そりゃ光栄だね」
 仁美は手に持った携帯用の吸い殻入れに灰をこぼす。
「ままならないのは、なにもあなただけじゃないわ。どこにだってある話だし、積極的に望んでいなくても、そうなってしまうこともある。そのくせ本当はね、そうなってどこか安心してる自分もいる」
 仁志貴は意外な表情をして、少しあたまをひねる。なにを言おうが言葉はそれ以上の意味を持たない。本人の感情であったり、その時の条件によって意味を持たされていく。仁志貴はベンチに前のめりに座り、次の言葉を待っている。
「それぞれなのよ。変化していくの。必要なものと、そうでないもの。自分が必要とされているなんて横柄な考えだとは思ってはいても、そう言われればすがりつきたくなってしまう。そのうえで現実的な審判がくだされていく」
 今度はベンチにふんぞりかえり、仁志貴は大きく肩を開き、足を組んだ。
「悪いなあ、オレ、高校中退だからさあ、むずかしいこと言われてもわかんねえな。わかんねえからさ、ナニ言ったって覚えれないし、気にもならない。それで、アンタがスッキリするならさ、好きなだけしゃべればいい」
「なにカッコつけちゃって。話しを聞いて欲しいのはソッチも同じなんじゃないの? 臆病なのはなにもわたしだけじゃない。まだなにも信じられていないのはアナタだけじゃないわ」
 仁美は最後の一服を大きく吸い込んで、ゆっくと吐き出していく。うすく広がる紫煙の先でキャッチボールをはじめる少年の姿があった。日のあたる場所で、白いTシャツが輝いている。
「へっ、色々とお見通しなんだな。偽装に使われたことをタテにして、下心のあるお節介するつもりだったんだけどガラじゃないしな。オレからそれ取ったら何にも残らんけどよ」
 仁美の開ける吸い殻入れに、仁志貴も吸いつくした吸殻を捨てた。素直に白状されれば少し悪い気にもなり、話題を変える。
「会長さん、ひどくなくて良かったわね」
 仁志貴は目を強く閉じて、嫌なことを思い出したとばかりに。
「まったくだ、時田さんも人が悪いぜ。オレにだって教えてくれたっていいのにさ。そうすれば… 」
「言えないでしょ。アナタ、知ってたら、あんなレース展開できたの?」
 すばやく切り返す仁美に、言葉が詰まる仁志貴。
「余計にカイトに情を持つだろうな。 …カイトも知らなかったってな」
「恵さん、おまつりが終わったら、無理矢理でも病院に引っぱってくつもりだったし、それ相応の下準備もしてたから。会長の病気が原因で悪い空気が流れるのだけは避けたかったの。会長が頑張る姿も、どこにその原動力があるかって考えれば、それを取り上げることはできないでしょ。分かってあげてよ」
「そりゃそうだろうけどよ。アノ人どんだけ自分ひとりでやれば気が済むんだって話しだろ。結果論だけどさ、それじゃあ背負い込みすぎなのに、やってみせるところがなんだかなあ、気に入らねえなあ」
 恵の相談を受け、会長の病状から適した病院と医師を探して、日々の体調の報告をしたり、まつりの終了後には診察入院ができるように手配を取っていたのは仁美であったがそれを口には出さない。
「恵さんはね、違うのよ。誰かのためにしているようで、実は本人が自主的に動くように仕向けている。本質としてはね、まわりを使うのがうまいのよ。恵さんにこうなればいいわねって、言われると、そうなるように動いてしまう。アナタだってそうでしょ?」
 仁志貴は、戒人と瑶子との関係と、人力車レースでなにができるかを話されたことを思い出していた。強要でも、お願いでもない。こうなったら面白いわねと言われただけだ。やらされたことではく、自発的にやろうとする気になるから自己責任で完遂しようと思いも高まる。
 追い打ちをかけるように仁美が挑発的な物言いをする。
「アナタは何も得るものが無いのに、どうしてあんなにガンバレたの? いくら親友のためだといえ、アナタだって、瑶子さんを本気で愛してたんでしょ? わたしには、ちょっと、答えが見つからないわ」
「実はよ、オレにもよくわかんねえんだ。何がしたかったのか、何をするつもりだったのか。カイトを助けたかったのか、ヨーコを自分のものにしたかったのか。流されただけなのかもしれない。自分の存在を示したかったのかもしれない。でも全部本当じゃなかった。なにをさせられたのか、ようやくわかった… 」
「わたしと、出会うためだったとか言いたいんでしょ。ダメよそんなベタなのは」
 指先で口を押さえられた仁志貴は、最後まで言わせろと不満顔だ。
「だってよ、カイトのやつだって、あれだけ自己演出してみせたんだぜ。オレの行動にだってなんらかの意味がなきゃさ… ちょっと、寂しすぎるだろ」
「あの瀬部くんにしては想像以上だったわね。ああいうことおおぴらにするタイプじゃないって誰もが思ってた。それだってやらされたわけじゃない。必要性に迫られたんでしょうけど、自分の考えだけで果たしてあそこまで動けたかどうかは、なかなか認められないわね」
「だろ? アンタもそう思ったろ。驚きだよ。これまでどれだけケツ叩いても動かなかったのによ。アイツ、ゴールの50メートル前にヨーコを待たせておいて、わざとCVTの緊急停止ブレーキを引いて故障を装いやがったんだぜ。転倒も持さない覚悟で自分の一番いいところを、真剣さと一途さを、本気で瑶子に伝えたんだ。ホントにコケて、流血までしたのは普段の運動不足がたたったんだろうけど、結果オーライとすれば、よりリアリティーが高まったってもんだ。あとで酔っ払わせて、無理矢理ゲロさせたんだけどよ」
 それこそリアルな例えに仁美は目を細め、横を向く。
「瑶子さんの耳には入れたくないハナシね」
「そうでもないんだぜ、ヨーコのヤツ、うすうす感ずいてるみたいだ」
「へえ、気にならないんだ。普通、ちょっと引くでしょ」
 仁志貴は意味ありげに口角を上げるのは、仁美の言葉に強がりを見てとったからだろう。
「アンタも知ってるように、アイツらあの後、残飯処理係みたいになって売れ残りを押し付けられたろ、それでふたりで取り残されちゃって、しかたないから誰もいなくなったゴール近くで、ベンチに座ってたんだよと。道路にはまつりで出たゴミが散乱していて、ひどいありさまで。そこにバナナの皮が落ちてて… でさ、アイツら偶然のように、ふたり同時に笑いだしたから、どうしたんだって聞きあうと、どっちも相手がバナナの皮に足滑らすところを想像して笑っちゃたんだって… 後からカイトに聞いたんだけどさ。アイツららしいよ」
 自分の心を見透かされた気になる仁美は、とってつけたありきたりな言葉を返す。
「なにそのエピソード。リアクションが難しいんですけど。ふたりには見えてるモノが同じってことはわかるけど、それじゃあ感情移入も難しいわ。 …それでアナタは完敗を自覚したってこと? ひどいオチね」
 仁志貴は手をあたまのうしろで組み、空を見上げた。それについては答えるつもりはないらしい。
「長年の付き合いと言うか、どのみちカイトが隠し通せるわけないし、ヨーコはそんなんだっていいんだよ。だいたいさ騙すとか、騙されたとか、男と女のあいだには普通にあることだろ。騙されたって本気で自分のことを思ってくれてるんなら、そいつはウソではなくなる。本気のウソだ」
「なにそれ、ムリヤリつなげようとしてない?」
 仁美は首をひねって手をハタハタさせた。
「あっ、わかっちゃった? なんかさあ、そろそろなびいてくれるとオレも嬉しいんだけどよ」
「アナタの胸に顔を埋めて泣きくずれられたら、わたしもずいぶんラクなんだけど、そういう性格じゃないしね。お生憎さま。それじゃあ、まさに恵さんの思うがままになっちゃいそうだし」
「あっ、そっ。それも期待してたんだけど。時田さんの影がここでは逆目に出たみたいだな」
「ゴメンね。これで埋め合わせさせてくれない?」
 仁美は勿体ぶったような仕草で、大きく脹らんだ部分のファスナーを下ろし、片方の手で大切に寄せて、レースに包まれたふたつのふくらみを外に露出した。
「おいおい、昼間の公園だぜ。ここでかよ?」
 首をかしげて、口を半開きにする仁美。
「ダメかしら、そういう気分かと思って、気を利かせたつもりなんだけど… 」
 細かい湿り気が表層からも見てとれ、手で触れれば心地よい吸着力に、一度つかむと手が馴染んでいき、もはや仁志貴は倫理に従順ではいられない。
「子どもの手前、教育上よくはないよな。でもまあ、いつかは覚えることだし… まっ、いいか」
右手にはスペイン風の噴水。ステンレスで組まれた花畑のアーチと、木で作られた機関車のオブジェ。その中でふたりが宴をはじめる。
 仁志貴の指先が輪を描いて金具の部分をなぞり、起用に起こしてから力強く押し込むと、解放され重力に従って収まりきらない物体が滴り落ちる。仁志貴は遠慮なく口をつけてきた。後頭部にしびれが走った。
「おいしい?」
「最高」
 仁志貴は、チラリと目を上げた、仁美の鎖骨が緩慢に動くと、指で包み込んだ硬質の物体を掴み、意思を伝える軟肌がくぼむ。そこでほとばしる液体が侵入してくる。
「自分に正直に生きるってさ、一番むずかしいことでしょ。できることも、できないことも含めて。いつのまにか、できることだけが正直に割り振られるようになっていった… 」
 仁美は今度は大胆に、開口部を唇で覆いこんで含んでいく。
「でっ、アナタは、どうするつもりなの?」
「なんにも変んねえだろうな。好みのオンナがいれば口説くだけだし、惚れたオンナがいれば大切にする。それだけだな。そうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていく。オレの正直なんてもんはそんなもんだ。それがそんなに特別なことじゃないと思っている。世の中ってやつは良いことばかり強調して、見てくればっかり気にして、うまくやれてることが正しいとだと思っている。そんな姿には到底共感できねえ」
「ずいぶん単純なのね。それがアナタだから? それとも、アナタがオトコだから?」
 仁志貴は、仁美の肩に手を回す。
「ちょっと、なに勝手に触ってんのよ。 …あっ、それ… イッ… 」
 大きく躍動する喉元。動かなくなった右手、指先の圧力が弱まったと思ったら、腕にかけてなだらかにすべりおちていく快感を伴ったシビレ。頚椎を通り、脳の奥までにひびいていく。後頭部が自分の意志とは反して後傾する。口をとじる。目をかしめ、眉が下がる。二の腕の感覚がマヒして鈍くなっていく。麻酔を打たれたように、触るものすべてが間接的にしか感じられない。
「やっぱり、思った通りだ。ココがずいぶんと効くんだろ」
「ちょっと、どうして? もう、よくわからなくなってきたわ。繊細なのか大雑把なのか。複雑なのか単純なのか」
「オレなんか単純なもんだ。その分、きっとアンタがうまくやってくれるはずだ」
「なによそれ、性懲りもなく、まだ口説くつもり?」
「いったろ、イイ女がいればそうするって」
 仁美は手を取られ、上向きにさせられた。腹膜から脇の内側を通り首筋に這うようにして指先でなぞられる。足の先まで震え、二度三度と重ねるごとに波は大きくなっていく。
「アンタ、ヘタねー」
 キャッチボールを続けている子供のひとりがそう言った。髪が短くズボンを履いていたので、男同士かと思っていたが、どうやら一人は女の子だ。これまでも何度か背の低い方がボールを逸らしていた。業を煮やしたかのようにキツイ言葉を投げかけたのだ。
女にヘタだと言われて黙っていられる男はよほど忍耐強いか、自分の人生を悟った者ぐらいで、小学生ではありえない。
「なんだよー、ちゃんと真中に投げろよなー。オマエのコントロールが悪いんだろー」
 言い訳がましい男の子の発言に、仁志貴が茶々を入れる。
「真中がいいのか?」
「 …どこでもいいわ」
 軽い圧力を加えたまま、腰に向けて仁志貴の指がおりてくる。もう眼を開けていられない。椅子に座っているはずなのに身体がさまよっている。
「いろんなタマを取れるようにならなきゃダメでしょ。アンタ背が低いんだから、瞬発力つけないと。今度落としたら、公園一周ね」
 そう言って、女の子は意識して高めのボールを放った。男の子が精一杯ジャンプしてもわずかにグローブの上をかすめていった。
「取れねーよ、こんなの」
 男の子は腰に腕をやり、あからさまに不満を口にする。
「はいはい、文句言わずにボール取りに行って。そのまま、一周してらっしゃい」
 女の子の涼しげな言いように、男の子は文句を言いながらもしぶしぶ走り出した。
「けなげだねえ。女の言いなりになって。アイツ惚れてるな」
 仁美はウットリとした目を潤ませながら。
「ねえ、ニシキ。余計なこと言ってないでいいから、このまま続けてくれない?」
「 …ハイ」

 意識がなくなったのはそれほど長くはないはずだ。気づけば両手をしっかりと仁志貴に握られていた。
「大丈夫か?」
 がっくりと身体を投げ出してた。身体を持ち上げた時、これまでのイメージとかけ離れた身体が軽すぎて、ふらつくほどだった。
「疲れてたんだな。それとも安心できたのか。ビールの酔いもあったんだろ」
 仁美は大きく首を振った。
「本当に気持ち良かったのよ。アナタ、マッサージ師の資格でも持ってるの?」
「部活やってた時の顧問がさ、整体やってて、だいぶ教えてもらったんだ。いやあ、教えてもらったて言うか、ああしろ、こうしろってマッサージさせるから覚えたっていうか、覚えないとうるさくてさ、ドつかれながら覚えさせられた。おかげで、自分にもできるようになったし。どうやらそれが狙いだったらしいだけどよ。口下手な先生だったからな」
「よかたわね。将来の役に立って」
「あのさ、疲れたらさ、いつでもやってやるから遠慮なく来いよ。この商店街はまだまだ存続しそうだし。帰れる場所を持ってるって、結構大切なことだと思うぜ。できればタコスも食べてってくれると嬉しいんだけどな。将来のために」
 仁美は悟ったようにゆっくりと笑いをこぼしていった。
「なんだかね。やっぱり恵さんの思うがままだわ」
「これは時田さんのおかげだ」
「 …あのね、さっき恵さんの話しだけど、一度、直接聞いてみたことがあるの。いったいどれだけの人に関わるつもりなのかって。恵さんは、しれーっとした顔で言うのよね。自分がなにかをしようとしてるんじゃない、あなた達から私になにかさせようという強い意志を感じさせるんだって。だから、動きやすいようにちょっと背中を押してるぐらいなんだって。恵さんに言わせれば、面白いから首突っ込んでるぐらいの感覚なのよねえ」
 いささか仁美も困りげな口調になっていた。仁志貴も首を縦にゆする。
「もういいだろー」
 キャッチボールの少年が半分ほど走ったところで音をあげていた。
「ダメよー、ちゃんと走らないと。練習はウソつかなって言うでしょ。試合で結果を出すには練習がすべてなのよ」
「なんだよ、自分はラクちんしてさ、オレだけかよ」
「アナタのために協力してんでしょ」
 そんな真っ直ぐな言葉が仁美には眩しすぎた。
「なに、なに、彼女も男の子のこと、はからずもってとこなの。いいわねえ。好き以上であり、愛してる未満なところ。そういう時期とか」
「なんにせよ。オンナは演じられるけど、オトコは証拠が残るんだよな。それが問題だ」
「何のハナシしてんのよ」
 あきれたように言う仁美に、仁志貴の目は空を切る。
「ヒトミさん。もう会社は戻れないだろ。これから店に来いよ。ビールのお礼でおごるからよ」
「フフッ、今日はやめとくわ。いまの状況だと平静ではいられなさそうだし。それに… 可愛い恋敵が睨んでるわよ」
 いつのまにか公園の入口で、葉菜が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「ありゃ、リトル恵だ… 」
 仁志貴のあたまには、一番初めに恵を見た、あの夜の商店街が彷彿していた。


商店街人力爆走選手権SCENE 36

2016-10-10 07:26:32 | 連続小説

「そら行け! もう少しだ!」
「ガンバレよーっ! ふたりともーっ!」
 ゴールへ歩み寄る二人の周りを囲む観衆は、直接に手はかけないまでも身振りや言葉で二人を喚起し、大げさすぎるMCの実況をかき消すほどの声援で加勢する。それは古い映画で見た草ボクシングの試合風景の映像を思い起こし、まさにノックアウト寸前の戒人と仁志貴にファイティングスピリットを呼び醒ます。
 CVTが作動していないために、ことさら重い車体を引くことになった戒人が一歩進み、あたまひとつ抜け出れば、今度は仁志貴が一歩足を出して抜き返す。それが交互におこなわれていく。
 どちらかが前に出たタイミングでゴールテープを切ることになり、それだけが勝負の分かれ目となる。
 観衆はふたりのあたまと、ゴールテープを交互に見て歩幅を換算して未来を予想し、「1番だ!」「いや2番だ!」と言い立てる。
 そんな喧騒の中で、ふたりは、ふたりの世界にだけ存在していた。
 仁志貴は、遥か昔の中学生の大会で、決勝戦を走った記憶が無意識に脳を横切り、鼻の奥がツンとした。片足の負傷のため力も入らず、息もあがり、あの頃とは全然違っているというのに同じゴールを目指しているように思えた。
 戒人は人生で初めて真剣に戦いに立ち向かっていた。極力そういう場面は避けて通るように生きてきたし、これからもそのつもりだったのに、なんの因果かいまこうして体を酷使して、未知の領域に身を置いている。なにひとつ経験も無い中で、腹を括り、やらなければならないと自分自身を鼓舞している。
 そしてふたりは、前だけを、ゴールだけを、瑶子だけを見ていた。得も知れぬ緊迫がひしひしと伝わってくる。
 異様な展開に追い込まれて、予定外の緊迫感にさいなまれているのはこのふたりも同じだ。ゴールでテープカッターの役割を担っているバイトの女の子は、キャンペーンガール気分で小ぎれいなコスチュームに身をまとい、まわりにチヤホヤされ、いい夏休みのバイトで小銭が稼げると安易に考えていた。それがなんだかとんでもない事態に巻き込まれている。
 走り手のあたまが交互に迫っており、この手に持つテープに最初に触れた方が勝ちになる。これまではそこそこの差がついて、どちらかがゴールラインを越えた時に適当にテープを離せばよかった。バイトの主任からはどちらが先か分からないときは、一番近くで見ている君たちが決めていいから、しょせんお遊びなんだから盛り上がればどっちが勝ったっていいんだよ、なんて軽い調子で言われ、わかりましたー。と安請け合いしていた。
 これほどまでに観衆が興奮し、熱狂を帯びる中、死に物狂いでゴールに向かって戦う状況など想定にはない。
 テープを持つ手に力が入り、ゴールラインに沿ってまっすぐになっているのか気になってしかたがない。これで同時にでもテープに触れられたら、自分たちが勝者を決めるなんて絶対に無理だと、心細くなりバイトの主任を探したものの、そこにはふたりの戦いぶりに注視している観衆しか目に入らず、ますます圧倒される。
 バイトの前に駅ビルの最上階で学校の先生の悪口を言い合っていた罰なのかもしれないと、ふたりは泣きそうな顔を左右に振っていた。
――もうっ、なんなのよ。誰か… 代わって… お願い。
 知らない人達を巻き込んで、戦いは行われる。戦いでなくとも、人が動けば誰かがなにかの影響を受け、知らないあいだに巻き込まれていく。戒人や仁志貴であっても、多くの人間の思惑でできた土俵の上で戦っている部分も少なからずあるのだから。
 戒人、仁志貴、戒人、仁志貴。順番にあたまが抜け出す。まわりにはわかっていても、本人たちにはわからない。ただ自分のあたまを先にテープに触れることだけを求めている。
 もう足を前に出すことさえ難しくなってきた。できれば引き手から身を乗り出してあたまだけでもゴールを越えたい。そんな安易な欲望が突き上げてくる。それをやらないのは、みっともないところを見られたくないという意地だけが、すべては瑶子に向かっている。
 そして、ついにその時はおとずれる。
“ゴーオーッルーッ!!”
 まわりにいた観衆が全員で叫んだ。そしてその後の静寂。引き手を手にしたまま倒れ込んだふたりに、宙を舞った白いテープがハラハラとまとわりつく。
 勝者はどっちだ!?
 
誰もが決めかねて、まわりをうかがう。やがて静寂は喧騒に変わっていった。
 ゆっくりと立ち上がる仁志貴は、膝に手をつき、肩で大きく息をしている。顔をつたう汗が路面にボタボタと滴り落ちる。一方の戒人はあぐらをかいた状態から立ち上がろうともしない。
 自分の汗で黒く染まっていく路面から目を離さないまま戒人にささやきかける。
「やるじゃないか… ここまでやるとは、想像してなかった… おかげで、こっちの、計画はズタボロだ… いろいろと、手の込んだ仕掛け、しやがって… 」
「 …まあな。 …いつまでも、他人に使われてばかり、いられない。 …今回は、なんとか、つながった、 …から」
 戒人は無表情のままそう答えた。仁志貴には、つながったとう言葉の意味はわからない。いぶかしげな顔をしていると、目線に女性の足元が入ってきた。顔をあげるまでもない、瑶子の足元だ。
 なにかを伝えたそうであり、それでもなにも言い出せなさそうであった。
 仁志貴は首を振った。
「いいんだよ、ヨーコ。もうなにも言わなくたって。悪かったな、いろいろとヤナ思いさせて」
 瑶子はそのまま立ちつくしている。しゃーねーなと仁志貴は腰を立てて、いつもの目線になり瑶子を見下ろす。肩に手をやり戒人の方に押してやる。自分は反転して人混みの中にまぎれていった。
 よくやったと事情を知らぬ人たちから祝福を受け、肩を叩かれながら人の輪を横切って行く。ここで、誰にも決め切れなかった勝負の行方を、仁志貴が敗北を認めた形で決めてしまった。
『ウォー!!』という大歓声とともに、まわりから抱き起こされむりやり立ち上がらせられた戒人と、仁志貴に押されひょうしで戒人の前に立つ瑶子。
「ほらほら、告白するんだろ。彼女待ってるヨ」
 そんな情緒もひったくれもない無責任な言葉が飛び交う。戒人は意味ありげに右と左に目をやって、瑶子を両手で包みこむ。そして耳元で何かをつぶやいて見せた。瑶子は戒人の肩に顔をうずめ、肩を震わす。まわりの観衆にとってはそれだけで十分だった。雄たけびのような歓声と拍手がわき上がりアーケードにこだまして増幅していく。
 ひとりその輪からはみ出してきた仁志貴の背中に響くその歓声が痛く刺さってくる。そこに追い打ちをかけるように辛辣な言葉をあびせてくるは、やはり恵であった。
「残念だったわね。 …それとも、これで良かったのかしら」
 仁志貴は袖からマルボロを取り出して火を付ける。大きく息を吸いこんで口の両端から煙を吐き出す。そして空を、アーケードを見上げる。
 絵空事を自分でつぶしてしまった。自分で描いたはずの絵ならばどうにでも描きようはある。自分の良心に従順で、そこに大義があればできたはずだった。そんな思いが巡っている仁志貴に、恵の瞳はやさしく寄り添っている。
 意外な気がしていた。策に溺れた自分を蔑すんでくるのかと。そう思える時点で自分の良心に打ち負かされているのだ。
 仁志貴は
何かしらの結論を出したらしく肩をおとし、恵と対面する。
「なんだよ、カイトともつながってたのか? …って、あたりまえか。それぐらい」
 仁志貴は、戒人が実行したレース展開は、恵がシナリオを書いたのだと考えた。これまでの関連性を顧みれば気づくのが遅すぎたと思うのは当然だ。
「まーあ、そう思うのもねえ。ボーヤにしては出来過ぎだし。でもどうかしら? 私がなにか吹き込んで、そのまま実行できるとも思えないでしょう?」
 仁志貴は鼻から息を吹き出し脱力する。そりゃそうだ。あの戒人が、三歩歩けば、何すのか忘れてしまうようなそんな男が、恵の指示通りに腹芸をしつつシナリオを完成させると思えないし、無理してやろうとすれば、余計にヘタを打つのが関の山だ。
「じゃあ、なにか。カイトが自前で仕込んだってのか。それはそれで信じがたい。ミラクルだな… いや、ヨーコのおかげか?」
「そうね、ボーヤもさすがに今回はお尻に火がついたというか、敵に追われるエリマキトカゲというか」
 なんだよ、それ。と世代の差がうかがい知れる例えに首をひねる。ウケが悪かった恵はつまらなそうな顔をする。
「今回は、つながっちゃたんじゃないの? 今回だけは… ねっ」
 また、その言葉だった。仁志貴は首をひねる。
「さっき、カイトも言ってたけどよ。なんだよ? なにがつながったんだ?」
 恵は、戒人との距離をめずらしく詰められていない仁志貴を面白がっていた。
「ふふっ、別にね、それほど深くもないけど… 浅くもないかなあ。まあ、ボーヤの妄想と現実が珍しくつながったってことかしら」
 仁志貴は大きく肩を下げて息をついた。
「結局オレは、永遠にヤツラの引き立て役なんだな」
「いいんじゃない。きっとそれはアナタ自身が望んでいるのよ。それに、それ以外でおイタしてるんだから釣り合い取れてんでしょ。小学生や、ウチのコに手ェ出すのもほどほどにしといたら?」
「ああ、彼女、そうか。そうだったな… 」
 なにやら含んだような言い方に恵は引っかかった。重そうな顔になった仁志貴に問いただしても、正しい回答を引き出せそうではない。
「彼女にさ、伝えといてよ。タバコ吸いたくなったら、いつでも来いって」
「なによ、さっき言ったこともう忘れたの? そもそも私を差し置いちゃって、どうなのよ。それに伝令係じゃないし」
「別によ、オレが手ェ出したわけじゃないぜ」
 そこで、もう一度わき上がったゴール地点をふたりが目をやる。そこではまつりの終焉を知らせる仕掛け花火の点火が始まっていた。背面が明るくなるほどに仁志貴の前面は陰に覆い尽くされていく。
 恵が覗き込んでも仁志貴の表情は伺い知れない。咥えた煙草の灯火で対抗できるほどの力はない。そうして仁志貴はひとり夜の淵に消え去っていく。
「ヒットミさんも頑固だからね。なかなか素直になれないか… アイツならなんとかしてくれと思ってたけど、そこまですべてがうまくいくほど甘くないかしらね… 」

 まつりのあとはいつだって物悲しい。それが盛大で華やかであればあるほど、過ぎ去った場所には枯れた侘しさだけが際立っている。
 戒人と瑶子はベンチに腰をおろしていた。
「こんなにもらったって食いきれないつーの。なあ」
 瑶子は笑顔のままの困った顔で小さくうなずく。ふたりの両脇には焼きソバだのタコ焼きだのタマ煎だのがこれでもかと袋に詰め込まれていた。
「なにが、お祝いだよ。単なる残飯処理じゃねえか」
 ふたりの愛の誓いを無事見届けて、まつりは終了となった。ある出店の店主が面白がって売れ残った商品をプレゼントしたところ、ウケが良かったために追従する店があとを絶たず、そのたびに、MCが○○店の○○が、お祝いの品としていま手渡されましたーっ! とアナウンスするために断るに断れない状況で、あっというまに両手にいっぱいに膨れ上がり、その姿がまた観衆の笑いを誘い、その場を動けないふたりは人波が去ってようやくベンチに腰をおろすことができた。
 台風が近づいているという予報もあったが、すでに熱帯低気圧に変わっているようで、それでも時折吹く夜風が、客が残していった塵屑と喧騒を浚っていき、アーケードの隙間を通るたびに大きな摩擦音を立てる。
 戒人は穴の開いたアーケードを見ていた。かすれた星が幾つか煌めいている。
「しかしなんだな、このアーケードもいいかげん直さないとな。このまつりで儲けがでれば一掃して新しいのに変えちゃうとかね… 」
 瑶子はベンチに手をついて肩を立てて、同じように天を仰いだ。なんだか腑に落ちないらしく首をかしげる。その姿がかわいいので戒人はすぐに受け入れてしまう。
「だよな。なんでもかんでも新しくすればいいってもんじゃないよな。造るのは簡単なんだけどさ、それを維持し続けるのって大変なんだよな。それでさ、そういうのを残していく方が価値があるっていうか、なんていうか、カッコイイっていうか、さっ」
 なにやら良いこと言おうとしているらしいが、シメの言葉が思い浮かばなかったケースだ。瑶子は手慣れたものだ。そうねとばかりに大きくうなずいてみせる。
「 …おまつり、成功するといいですよね… 」
「大丈夫だよ。大成功するって。今日なんかさ、どれだけオレ、貢献したと思う? ほんと売上の一部を還元してほしいもんだぜ。あっ、そうだ。セキネさんに訴えてみよう。あのひとウチの会社じゃ唯一、時田部長に強そうだし、何とかしてもらえるんじゃないか? うーん… 」
 こうして戒人が自分の世界に入り込んでいくので、瑶子はひとり穴の開いたアーケードを見上げていた。錆びた鉄柱からは赤い粉が舞い落ち、波型に成型されたプラスチック性の屋根は、外れかかった部分が風にあおられてガサガサと音を立てる。耐震性などを考慮すればたしかにいつまでもこのままにしておくわけにもいかない。
 子供のころから見ていた当たり前の風景が一変してしまうのは、どんな思いがするのだろうか、瑶子にはちょっと想像がつかない。朝起きた時に、いつもそこにあったものが無くなっている風景に紛れ込んでしまったら、きっと自分はどこか知らない世界に放り込まれてしまったと感じてしまうだろう。
 隣の戒人もあいかわらず天を仰いでいた。何か考えているようであり、何も考えていないようにも見える。それなのに唐突に口を開く。
「なんかさ、オレって運が強いって言うか。絶対にヨーコちゃんをニシキに、ああ、ニシキだけじゃないけど、誰にも取られたくなかった。まあ、ニシキならしょうがないかな、ってちょっとだけ、ほんのちょっとだけだよ… しかたないかなあって、思った時もあったけど、思い直してね。オレだって弱い人間なんだよ、いつも不安ばっかりだし、事実、失敗ばかりしてるし、イケてるって思ったことでも、まわりから見りゃ全然大したことないみたいで、レスポンスゼロなんてしょっちゅうだ。だからね、ここにくれば落ち着ける、ここなら安心できるって場所が必要なんだよ。それがなきゃ、とても生きていけない。なんでもかんでも完璧に準備して、失敗しない姿を見せ続けようとすればするほど、できていない自分を思い知らされる、何度も、何度も… だから、その、つまり… 」
 瑶子は優しく笑っていた。今回はカッコ良いこと言おうとしたわけではなく、素直に自分の思いを告げようとして、うまく言葉が出てこなくなったパターンだ。
「 …だいじょうぶですよ。わたし、誰かに言い寄られるようなことありませんでしたから… 戒人さんが、安心して戻ってきてくれれば、うれしいです… 」
 瑶子はゴール地点で戒人に耳打ちされた言葉を思い出していた。『大事な言葉だから、こんなとこで言いたくないよ』と。大事な言葉を言おうとしているらしいがなかなか核心に近づかない。それでも瑶子は幸せだった。自分を目指してゴールに向かって来てくれた。それだけで十分だった。
 戒人と過ごす緩い時間はこれまでとなにもかわらない。変わらないなりにもうひとつ強くつながったように思えた。明日もこのオンボロアーケードがあるように、明日も戒人との時間がある。そうでない世界は、きっと別の世界なんだと思えるほどに。
「戻ってくるよ、戻ってくる。オレが戻ってくるのはこの商店街しかないじゃないか」
 勘違いも甚だしい戒人の言葉にほほを緩める瑶子。
「そうですね。ずっと在り続けて欲しい… 」
 言わなければならない言葉がある。言わなくていい真実もある。それでみんなが幸せになれれば現実となっていくはずだ。
「オレさ、ヨーコちゃんのことさ… 」