private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

A day in the life 4

2016-12-24 20:35:13 | 連続小説

 これが50を越えたいいオッサンでなければ、少しは格好もつくのだろうか。そう夏木は卑屈に嘲笑った。
 曇り空の天気は陽が差し込んでいなくとも蒸し暑さは容赦なく、あのまま地下街を歩いていればよかったと後悔していた。昼食を取り損ねて、いったい何を食べようかと悩みながらブラついてみても、食べ物屋が多すぎて、それがかえって選択肢を狭めることになり、どれも決定打に欠け、いまひとつだと却下しているうちに地下街は終わり、いいかげん効きすぎた冷房にもうんざりして、そのまま階段を上がって外に出てしまった。
 
外に出たすぐは、プールから上がった時のような爽快感もあり、まだ暑さも堪えず、まあこの先になにかあるだろうとたかをくくって歩いていたら、ビジネス街に入ってしまったようで喫茶店はあっても、まともな食事を取れるような店が見当たらなくなってしまった。
 地下街に戻るのもひとつの手だが、それも今となっては手遅れだと思えてならない。後戻りすることが、それほど悪い判断と決めつけているわけではなくとも、自分はそうやって半世紀生きてきたため、それでうまくいったこともあり、失敗したこともあった。それで勝率は50%ぐらい。五拾歩百歩、フィフティ、フィフティ。半々。言いようはいくらでもあっても、そんな事実より後戻りすることを否定し続けていた自分のこだわりを尊重したいだけだった。
 電車の駅と駅のあいだにある目的に行く時は必ず、手前の駅に降りて先へ進む。決して行き過ぎた駅で降り引き返すことはしない。そこにどれほどの意味があるのかわからなくとも、これまでかたくなに守っていた自己規律を途中で放棄する決断ができないだけで、やめてしまったとたん、これまでのすべてを否定することになってしまい、その結果がどちらに転んでも後悔するのは間違いないと考えていた。
 定価で買ったジャケットが、別の店では50%セールで売られているのを見たときとか、無理すれば渡れそうな信号を渡らなかったら、そのせいで電車を一本乗り過ごし30分待つ羽目になったとか、見たくない現実は容赦なく襲いかかってくる。自分で守るべきルールを破らないのは、別の世界に足を踏み入れないための叡智と、これまでの経験に培われた安全地帯を確保するためだ。
 たかだか食事の場所を決めるのに自分の人生論や、哲学まで持ち出すのは大げさだとはわかっている。そうだとしても、ものごとは一事が万事で、なにかひとつのちょっとした裏切りがすべてを失くしてしまう人たちを何度も見てきた。
 年を取るほどに人は強くなれるはずなのに、経験という足かせが同じように人を弱くしていく。年寄りが恐れているのは老いていくことではなく、経験により知りえた数々の痛みと傷の痕跡により、次の一歩が踏み出せなくなってしまうことなのだ。
 暑さのせいだろうか、そんななんの役にも立たない持論が、あたまのなかでめぐっている理由は。なんだっていいのだ、なにかの帰着できる安心材料が欲しいだけなのだから。
 ハンバーガーショップの店先で脚立の上に立った女性店員が足元もおぼつかない様子で、天井に手を伸ばしている。その店はビジネス街を抜け、繁華街に入ろうとしている場所にあった。この先は、スナックやら居酒屋が立ち並び、ますます昼食からかけ離れていくため、食事をとれる最後の砦にも見えた。
 あぶないと思った。これは自分でも嫌な性格だと常々わかっていた。年寄りがフラフラとひとりで歩いていると、体の具合を悪くして倒れないだろうか。わき見運転をしているドライバーを見れば、事故を起こすのではないか。友達と話しながら自転車に乗る子供を見かければ、曲がり角を飛び出しクルマにハネられるのではないか。心配すると同時に、もしそうなればすぐさま駆けつけて、自分がその人を助け、あわよくば正義のヒーローになれるのではないかという邪まな考えがあった。
 起こらなくてもいいアクシデントを陰ながら望んでいる。そうでありながら何も起こらなければホッとしている。トラブルを目にすれば避けて通ろうとする。悪人を成敗するイメージは何度でも繰り返せても、実際に行動を起こす勇気などない。ひとを助けるイメージはできていた。でもそれが本当に起きたならば自分はどう動くのか知りたかったのかもしれない。
「スイマセエエン、……」
 店の責任者だろうか、男がなにやらいいわけがましく恵比須顔でしゃべってきた。腕の中にいた女性店員は、すでにもう自分で立ちあがっている。申し訳なさそうな顔をこちらに向け、深くお辞儀を重ねている。
 たまにはこんなこともある。イメージ通りの行動ができるのも、日ごろから他人のトラブルを期待していたたまものだ。ここは、さも何でもないことだと余裕を見せるのが粋というもので、そこまがしっかり予定に組み込まれていた。一番いい場面だ。
「まあ、まあ、こちらへ。さっ、さっ」
 その余韻に浸る間もなく、男になれなれしく肩を抱きかかえて夏木は店内へ連れ込まれて行った。いったいハンバーガーショップなるものに入店するのはいつ以来何だろう。若い頃に見たチェーン店とは随分様変わりしたそこは、小洒落た店の造りだった。
 店内にこもっているタバコの匂いとかからも、子連れの家族が好んで来るような場所ではなく、逆にそういった子どものいない店を求めるニーズを満たす場所だと読み取れた。それにメニューを見渡してみると、予想どおりこれまで目にしたことのない、これがハンバーガーかと思うような商品ラインナップだ。ランチやおやつ代わりにこれほど金額をかけられない学生では敷居が高いだろうし、かといって50になろう男がひとりで店内で食べている姿が様になるかといえばそうとも思えない。
 この頃ではこういった高級嗜好を売りにしたハンバーガー屋が流行っているらしく、ひとつがあたれば2号店、3号店と増店していく。二千円出しても旨いハンバーガーを食べたいと思う人間がいればそれに応える商売が発生し、需要がなくなれば消えてなくなる。同じことを繰り返しても、栄えれば時代を先どる寵児ともてはやされ、衰えれば時代を読み切れなかった没落貴族とさげすまれる。
 需要があろうがなかろうが自分には縁のない店であり、こんなキッカケでもなければこのような店に入ることなどなかっただろう。なんとなく席について、ガランとした店内は、昼のピークを過ぎて閑散期に入っているようで店内には誰もおらず、注文待ちの女性と、奥で待ち構える店長と思える男性の注目をあびるなか、オーダーを考えようにも、いっこうにあたまが働かない。
 ここは、ちょっと考えるからと、女性にさがってもらってメニューボードに集中した。数種類のセットメニューが表記されているがなにがなんだか、つまりどのような食材が挟まっているのか商品名を見ても写真を見てもピンとこない。それより何が美味くて、何を自分が欲しているのかも湧きあがってこない。
 はやり自分には縁のない店だったのかとも考えるが、いまさら他の店を探す気にもなれず、とりあえずは腹を満たすことを先行させるべきかと思い悩んでいると、店内に、にぎやかな声が押し寄せてきた。出入り口を見ると5人の若い男女が楽しそうにおしゃべりをしながら入ってきた。女性店員のいらっしゃいませーという声に、軽く手を振り、手慣れた様子で席に着き始めた。どうやら常連らしい。学生とも思えず、会社員にしては服装も昼食の時間も自由度が高いように見える。断片的に聞こえてくる会話の内容からすると、IT系ベンチャー企業の社員、いや全員で起業した仲間たちなのかも知れない。
 仕事なのか趣味なのか、趣味の延長が仕事なのか、なんにしても自分が知っている会社勤めの形態からは程遠い、大学のサークルをそのまま仕事場に移したように思えた。TVの情報番組はそんな真新しい仕事の仕方を若者の象徴として担ぎあげている。そのような現象もすべて国の方向性しだいで、モデルケースにもされるし、若者の奇行と笑われることにもなる。今がただ、前者の時代だというだけだ。
 メニューを開いて、今日は何にする? なんて声も聞こえてくる。そして、めいめいが灰皿に手を伸ばし、男も女も一斉にタバコをふかしはじめた。やはりこれがこの店の存在価値のひとつだと理解でき、タバコを吸わない夏木にとってこの中で食事をする気には到底なれず、テイクアウトを決断する決定的な後押しになった。
 飲み物を見ても、ソフトドリンク、野菜ジュース、そしてありがちな炭酸飲料の数々。いまどきなのはノンアルコールのビールテイストがラインナップされているぐらいで、これならばハンバーガーとサイドメニューを買って、どこか場所をさがして食べた方が気も楽だし、財布にも優しい。そんな心配をしなければならないのは本意ではなくとも現実的な考え方だ。なにかを手にするには、なにかを手放さなければならない。賢い人間は、まず手放すものを用意してから、欲しいものを手にする。そんなことはわかっていても、しょせんは手放す手持ちがあればの話しだ。
 若者のグループに先を越されないように席を離れ、カウンターに立つ。オーダーを取る女性店員は思いのほか若くアルバイト然としていた。なんにしますかあ? 語尾を伸ばす話し方は社会人としては誉められた行為ではないが、それで顧客が喜べはいつしかスタンダードに成っていく。良い、悪い。礼、無礼。常識、非常識なんてものは時代とともに変わってしかるべきだ。それが古代ローマの時代から、いまの若者はなんて嘆きが続いていることが証明している。
 夏木は、フレッシュヘルシーバーガーなるものと、オニオンリングフライをテイクアウトで注文した。レンジの前の男性店員は某有名チェーン店もビックリのスマイルフリーを携えて、そんなあ、ゆっくりしてってくださいよと、いかにも社交辞令な言葉をかけてきた。なにも商品をタダにして欲しいとか、少しは値引きして欲しいとか、そんなことは望んでいるわけではない。そもそも、そういったシチュエーションでのこのこと店に入ってしまった自分が不甲斐ないだけだ。そこで間髪いれずに女の子が800円になりますとにべもなくのたまう。
 こうなれば一刻も早く店を出てこの嫌な流れを断ち切るしかない。男性店員はフライパンにパティを滑らせ、輪っかにカットされた玉ねぎに、塩とコショウをふり、薄い衣をつけて鉄製のかごに放り込み、油の中に投入した。ジューという小気味いい音と、香ばしい匂いが漂ってきた。
 いやね、ちょっとこのあとに用事があってねと、無難な言い訳をすると、ああそうなんですか、残念ですねえと、一ミリも残念そうに聞こえない言葉が、油と一緒に換気口に吸い込まれていく。その男はフライ返しを右手に、左手を腰にあてて、口笛でも吹きながらやれそうなぐらいの手慣れた様子で調理を続けている。
 
ここはファストフードの店ではない。頼んでから1分もかからないで商品が出てくるような店ではないのだ。注文を取った女性店員は悪びれる様子もなくニッコリと笑顔で小首を傾ける。所在をなくした夏木は、レジ横に据えられている椅子にしかたなく腰をおろした。そうすると、それを見計らったように若者グループがぞろぞろと、レジに並びだした。
 各々が、女性店員と小粋な会話を交わしながらオーダーをしている。奥の男も時折会話に交じりながら、次々と入るオーダーを手際よくこなしていく。夏木はなにやら、若い時に見た、流行りのテレビドラマのシーンが目の前で行われているような気分になってきた。ここに自分の居場所はない。では、どこにならあるというのか。口に笑みがこぼれそうになり、あわてて手で口元を押さえていた。
 待つこと5分ほど、注文を取ってくれた女の子がお待たせしましたと、見た目クラシックな紙袋を差し出してきた。夏木はこのごろクセになっているように、どんな店だって女性店員から商品を差し出された時には、手が触れないように気をつかって袋の端を持った。そんな気遣いなどどうだっていいのか、女の子は微笑んで会釈をしてくれた。それを真に受けるほど素直な性格でもない。調子にのってこれ見よがしに手でも触れようものなら、あとで何を言われているか分かったものではない。それどころかセクハラだのなんだの、すぐに抗議されてもおかしくない昨今だ。
 席を立ち、お礼を述べようと顔を上げた時には、女の子はもうそこにはいず、若者グループの商品が次々と出来上がり、お皿に盛りつけるのに忙しそうだ。拍子抜けの夏木は軽くあたまだけさげて店を出ようとしても、奥の男性店員も調理にかかりきりで、夏木の行動など気にも留めていない。やれやれという思いでいっぱいになる。落下を救った彼女もあれ以来姿をみせないし、これはもしかしたら新手の呼び込みなのではないかと勘繰りたくもなりつつ、それもこれも自分が望んだ状況でもあればいたしかたないとあきらめ顔だ。
 店を出ると若者グループの楽しげな顔がガラス越しに見える。彼らが楽しげなのは現象でしかなく、実体ではない。自分が現象を見て架空の人間像を作っているに過ぎない。実際に話したこともない人間の外見だけでどうのこうのと思って、勝手にひがんだり、勝手に優越感に浸ってみたり。こんなことを50年も続けてきて、これからも続けていくのだ。たぶん、きっと。
 
食事中も白い帽子を取らない彼は、相続の問題で実の姉と犬猿状態にあり、電話がかかってくるたびに罵りあっている。ロイヤルブルーのサマーストールの彼女は、実の親から関係を迫られ家を飛び出し、いまだに男性と深い仲になれないでいる。黒いセルロイドのメガネをかけている彼は、隣家の騒音にあたまにきており、何度か言い争ったすえに相手の恨みを買い、夜道で襲われそうになった。銀色に髪を染めた彼女は胸のしこりが気になり、先週産婦人科で見てもらったら、早期ガンの可能性を疑われ、来週に再検査を受ける予定になっている。そして… そして最後の彼女は…
 誰もが平凡な日常を生きているようにみえる。誰もが最悪の事態から抜けられずにいる。なにもないような顔して生活できるのは、見栄か、意地か、反骨心か。そんなまわりを意識しながら、今日もまた生きながらえている。30になっても行き先が見当たらなくてもしかたがない、50過ぎてもなにも見えてこないのだ。
 さて、どこかに座れる場所はないものかと、ビル街を歩き出した。手に抱えた紙袋は温かく冬場ならまだしもこの時期なら不快にも思える。折り曲げられた開口部を開くと英字新聞に見立てた包装紙にハンバーガーと、オニオンリングが入っている。英字新聞は湯気のために湿り始めていた。このままではバンズも、カリッと揚がったフライも、湿ってふやけてしまい、わざわざ不味くしてから食べるのは馬鹿げたはなしだ。
 夏木は歩きながらも手早く包装紙を開き、蒸気を逃がしてやった。そのままハンバーガーを取り出し口にした。大豆由来のパティと盛りだくさんの野菜。たしかに値段相応の価値はある味だった。それが原材料のコストなのか、調理人のコストなのか、店舗、雇用者などのランニングコストなのか。どこでなにを搾取しているのか誰にも分からない仕組みの中で暮らしていけるこの国の仕組みとシステム。
 野菜が高いのは美術品のようなキレイなスーパーで売られるような商品だけで、すでに加工されて店で使用するモノは、見た目がどうであれ味に間違いなければ問題なく、安値で仕入れることができる。消費者は見てくれにごまかされて高いモノをつかまされているだけだ。
 人件費が高いのは、実生活に必要以上の商品を必要だと思わせる政策に気づかず、それらを購入させるために与えられている。生きるために必要のない無意味な金の流通にしか過ぎず、かたや最低限を得るだけで苦労する人たちがそれを支えている。
 
不動産の価値はそれを効果的に使える者達の手の中にある。自分の手持ちにするのもいいし、誰かに貸して利ザヤを得るのもいい。時代と流行の中で利益の消費の波を受けて変動することで、手ゴマが増えればそのまま内ポケットに納められ、手ゴマが減れば消費者に負担させて元に戻せばいいだけだ。
 結局、あの女性を二度と見ることはなかった。別になにかが起こるとも思っているわけでない。なんとなく追いかけて来てくれて、お礼の一言でも言ってもらえる。そんな光景を想像していた。ふりかえっても殺風景なビル街が立ち並んでいるだけで、行きかう人々も無言で足早だ。誰も誰にも干渉せず、自分のテリトリーを守っている。ビルのテナントに入っている靴屋の女性店員は、ショーウインドウに流行りの靴を並べている。スマホをいじりながら歩いている男性は、何処かの誰かとつながっているのだろう、ニヤニヤとしながら指先を動かしている。耳にイヤホンをしてジョギングをする男性が走り抜けていく。
 その中で、信号待ちをしている女性の立ち姿がなんともさまになって目に付いた。燦々と照りつける太陽に、目の前の風景は色彩を奪われて白色に近づいていく。目に見える色は温度とともに変化し、一定の華氏の下で色彩が成り立っているだけであり、それが変わればすべてのものの色はズレてしまうのだ。水辺に浮かぶ白鳥もゴミ袋が浮かんでいるに変わりなく、華やかな紅葉も嘔吐にまみれたアスファルトと同じで、美しいという観点が大きく様変わりしてしまい、女性のきめ細やかな白い肌が青くもなり、赤くもなれば近づこうとも思わない。点で愛せる一次元はまだ楽なやりかたで、線で愛す二次元の中で苦労を感じていれば、だれも面で愛そうとはしなくなっていく。
 自分は本当に彼女を助けたのだろうか。本当に彼女という存在はいたのだろうか。長年の希望が現実と妄想を入れ替えてしまったのだろうか。事実あれから、店内で彼女の姿を見かけることもなく、店員たちも彼女の存在がないようにふるまっていた。
 正面から笑顔の少年が近付いてきた。すれ違いざまに夏木のポケットに何かをねじ込んできた。タチの悪いイタズラかと驚いて振り返ると、顔はなにも問題はなさそうであっても右手はダラリとさがり、右足は引きずっている。それでもニッコリ笑っていた。夏木はポケットに手を突っ込み、その感触で数枚の紙幣を感じ取ると、寂しげな顔で少年に応えた。自分のしたことに後悔を感じつつも、それを生活に糧にしているならなにも文句を言う筋合いではない。
 生まれた時からモノがあった世代から、それらを取り上げることはできない。なにもなかった時代に生まれた人たちが、新しい物質を次々と手にしていくことを夢を叶えたと呼べるなら、今はもう夢の中に生まれてきたと同じで、これ以上夢を追い求める動機が新たに生まれてこなくてもいたしかたない。それとも若者たちの夢は物質から、あてのない精神へシフトされていくのだろうか。はたしてそれが幸せなのか、不幸なのか。物質的価値が高い次元であふれているいまでは誰もその答えを出すことを望んではいない。あの少年もまた時代が創り出した象徴でしかないはずだ。
 大通りに面した歩道に花壇が造られており、その縁に腰をおろした。さきほどコンビニで買った廉価ビールテイスト飲料のプルトップを起こし、喉に流し込んだ。この暑さにはおあつらえ向きの飲みごたえだ。食べさしのハンバーガーを取り出し口にねじ込む。これはこれでおいしいのだがビールには合わないのは健康食品と、嗜好品では相性が良くないのだろうか。薄ころものオニオンリングも味付けが薄く、オニオン自体の味は申し分なくともケチャップぐらいはつけないとツマミには心もとない。
 数匹のハトが夏木の足元に近づいてきた。食べ物の匂いに引き寄せられたのだろうか。それにしても、この危機感のなさは野生の動物とは思えないほどだ。食を得るために受け継がれてきた遺伝子がこうも簡単に覆るのは、それ自体も生死にかかわる事態だからなのか。食を得るために自らを危険にさらすのでは、本末転倒以外のなにものでもないように思える。バンズをつまみ指でつまんで粉々にすると、レンガ敷きの歩道にパラバラと落下していく。ハトは何の躊躇もなく口ばしでつまみ上げている様子をみて、自分も落下してくる食いぶちに無条件で食らいついていることに対して、どれほど危険なのかを改めて考えさせられた。
 人間は自らの造形を認識し、危険区域に入り込まないようにしているはずだ。動物の知能をもってして、はたして一緒にいる仲間たちが自分と同じ姿をしていると認識できているのだろうか。鳥は自分の尾翼が見えなくても、尾翼にどこにもぶつけないし、飛来物もよけることができている。そうであれば知能の範囲ではなく、脊髄レベルの神経が反応して、危険を察知する前に命令を下しているのだろうか。
 夏木は興味本位に鋭いスピードで、足回りのハトめがけて足を蹴り上げてみた。エサを摘まみながらもハトは一瞬の間合いで避けて見せ、それぐらいではやられはしないと馬鹿にした態度ですぐさまエサを摘まみだす。
 人間にだって、かつてその機能は備わっていたはずだ。緩慢なる平穏は、緩慢なる危険認知となりさがり、緩慢なる死を迎える状況が進行していくだけなのだ。
 これもすべて人生の一日。
 それもすべて人生の一日。


A day in the life 3

2016-12-10 21:47:27 | 連続小説

 店先の電球か消えていた。今日は曇りがちの天気で、店先がいつもより少し薄暗く感じられたので気になって見に来たら、やはりぼんやりとした電球は時折点滅しながら最後の時を迎えようとしている。
 前回、ここの電球を取り換えたのはいつだったろう。寒い時期ではなかったから、たぶん、いまと同じくらいの季節ではなかったかと思い起こしてみる。そうだとすれば1年ぶりになる。それとも2年ぶりかもしれないと、年単位で時の流れを追ってみたが、すぐにそんなことはどうでもいいと首をふった。
 ユウコにとって切れた電球の交換は、バイトのコの面倒をみても、入れ替わり立ち替わりしていくのを見守っていくことと大差なく、それを何年も見続けている自分の、ある意味節目になっていることがなんともたまらなかった。イチカワさんは2ヶ月で辞めてしまった。ハヤシダさんは昨年の5月から今年の3月まで、カワモトさんは2月まで、そしてこの電球は8月まで。ただそれだけのことだ。電球を交換する時期をいちいち覚えているために働いているわけではないし、バイトの変遷を列記するために生きているわけでもない。
 新しい電球取りに熱気のこもった備品庫のドアを開ける。空調が効いてないので早めに目的物を取り出したい。電球の所在はわかっていた。上の棚に置かれた白い箱に見覚えがある。その箱を取り出すと、想像していたより軽い感触にいやな気持が湧きあがり、蓋を開ければやはり重さのとおり、電球は残りひとつになっていた。その段になってようやく去年の(そうあれは去年だった)記憶がよみがえってきた。
 そんなきっかけで記憶が戻ってくることはよくあることだ。夏休みに入ればその時の、誕生日を迎えればその時の、正月になればその時の、過去の印象的な出来事がよみがえってくる。普段は日常の生活の中に埋もれている、生きていく上で何の支障もない出来事が、こうした時節の恒例行事とともに、回線がつながって脳裏に映像として浮かび上がる。そうなるのが何かを示唆しているかのように。
 あの時、電球があと一個になったから、買い足さないといけないとマネージャーのサトダに伝えて、発注書を書いたはずだ。そこまでは記憶があるが実際に発注した記憶はないし、実際に電球の在庫もない。いったいどこにやってしまったのだろう。箱にひとつ残された電球のにらみながら思いも馳せても、こんどは何も脳裏に浮かんでこない。どうでもいいことは、ひょんなきっかけで思い出すのに、大事なことはこれだけ考えてもなにも思い出せないことに、なんとも理不尽さを感じてしまう。
 たぶん制服のポケットにいれたまま洗濯してしまったか、ノートとかに挟んでおいて、そのまま失念したというのが関の山だ。探そうにもどこを探せばいいか思いつくところもなく、どのみち出てきたとしても日付が書いてあれば使い物にならない。それであれば探す時間にコストをかけるより、書き直した方がよっぽど早い。サトダもそんな些細なことなど忘れているだろう。
 そんなことを考えていたら、額にじんわりと汗がにじんできたので、最後の一個が入った箱をそのまま備品庫から運び出し、電球だけ取り出して客席のテーブルに置いた。いますぐ発注書を書けば、やり忘れる心配もないが事務作業は他にもあるのでまとめて取り組みたい。一日の締めが終われば、あれやこれやと今日中にやっておかねばならない発注作業が発生することはわかっている。店舗のケアは夕方の客足が増える前には済ませておくのが常識だ。そこでユウコは空箱に『発注』と書き込んでおいた。
 電球を手にして店先に立ったところで、電球を取り換えるには背が足りないことに気づいてがっくりと肩を落とす。もちろん背が足りないことに気を落としているわけではなく、電球を取り換えるのに脚立が必要だと気づけない自分にだ。
 そしてそれをきっかけに、またどうでもいい記憶が甦ってきた。前回電球を変えるときに脚立を取り出そうとして、棚と壁の隙間に押し込められていたそれを取り出すのに狭い隙間に手を伸ばし、引っ張り出すだけで一苦労して、汗は吹き出すは、くたびれるわで散々な思いをしたことを。
 備品庫には冷暖房は付いておらず、開けっ放しで作業すると店内の気温が取られてしまうので、扉を閉めて作業をする規則になっている。冬場ならば上着を一枚着こんでから中に入るし、いまのように夏場の暑い時期に作業すれば少し動いただけで汗ばんでくる。それを思えばやはり前回は夏の時期だったのだと、なんの役にも立たない確証だけは得ることができた。しかもそれが1年前なのか、2年前なのかまで思い出せなかったことを引きずってしまう。
 なににしろ自分はまた切れた電球を交換する立場の人間だ。前回に交換したときに、こんな雑用をするのはこれで最後だろうと思っていたはずだ。一年も先のことなど考えられないまでも、いつまでもここで働いているとも思えず、仮に働いていても、そんな雑用は新人に引き継いでいると、漠然ながら考えていたはずだ。もちろん今回もまたそう思っている。
 今日発注する電球はLEDにしようと心に決めた。それならさすがに次のタイミングまで付き合うことはないはずだと、良案と思ったのもつかのま、なにもダメになる電球は店の中にいくつも存在していることに気づき、再びガックリと肩を落とした。
 店先で電球を片手に突っ立っているユウコがそんな思いに憂いでいると、新人のミナミが不思議そうに声をかけてきた。
「センパーイ。何してるんですか? こんなとこでボーっと、つっ立って」
 ユウコは、ミナミに関心を示すことなく、あいかわらず天井を見上げている。この状況を見て、一から説明しなければならないのはどうなのか、使える新人なら何も言わなくても手際よく脚立を用意するだろう。少なくとも自分はそうした。
 これ見よがしに、手をのばして天井の電球に届かないことを示して見せた。ゆうに20センチはあるだろうか。そんなユウコを見ても、かしげた首を元に戻さないミナミは、届きませんねえと、てんでユウコの思いを感じる様子もない。
 ユウコはひとこと、そうね。とだけ言い残し、その場を離れた。そんなことはもうわかっていた。そうでなければ今こんなことをしていないし、あいかわらず新人を一から教育する役を仰せつかってはいない。それも、モノ覚えが悪く、気の利かない新人であれば指導にも身が入らずに、いかにして自分の手をわずらわせず、なおかつ手間をかけずにそれなりの戦力にできるかということにだけ特化した教え方で、3か月、半年先の成長を見込んだものではない。つまりはその日の戦力にさえなればいいと割り切り、いつ辞められても教育に割いた時間が損失にならないようなやりかただ。それが、これまで何十人という新人と関わってきて結論に達した究極の方法だった。
 やる気のある人間であれば、指導・教育は最小限でも自ら仕事を覚え、一手先を考えるようになるのが普通だとユウコは考えている。ニブい新人で助かったのは、脚立も用意せずに電球を変えようとしたことをバカにされずに済んだことぐらいだ。
 備品庫の扉をあけると、あいかわらずムワっとした熱気と、湿った段ボールの匂いが鼻を突く。果たして脚立をいったいどこに仕舞ったのか。最後に使ったのはいったい何時だったのか、それは必ずしも自分が使ったとは限らない。以前、置いてあった棚との隙間を最初に見たがそこにはない。自分がかたづけたのなら、あんな苦労をして取り出した場所に戻すわけがない。わかりやすく目に付く場所に置くはずだ。あてもなく探していれば汗がふきだしてくるので、ここはいったん外に出て、予想できる場所を特定してからもう一度、戻ってきたほうが正解だと、ユウコはためらわずに外に出たら、そこにはミナミが庫内の様子をうかがうようにして立っていた。
「センパーイ。ナニしてんですか? 電球、かえないんですか?」
 何してんのか聞きたいのはコッチの方だ。まさか電球を替え終わるまで付いて回るつもりじゃあないでしょうね。電球の交換をコチラがやるということは、それ以外の仕事をソチラが順番にこなしていくのが常識でしょ。というユウコの願いは伝わらない。まわりを見渡せばいくらでもやるべきことはあるはずだ。一から十まで説明と指示をしなければ何もしないで、それが当然のように立ち振り回られ、すでに一ヶ月が過ぎようとしている。
 電球の付け替えを頼まなかったのも、それだけのお願いで済まないからだ。まず脚立をここまで持って来させ、右足から最初に足をかけ、両足を揃えて、電球を右手でつかみ、右回し、つまり時計の針の進む方向、ああデジタル時計しか見たことない。じゃあ、ドアノブを回す要領で電球を外してもらう。その前に、もしかして電球の熱で手をやけどしないように、足を踏み外して怪我しないように、と小さい子供に言うようなことまで声かけしなければならないかもしれない。怪我しても労災が利くからといい聞かせれば、ローサイってナンですか?って問われるだろうから、怪我しても保険でなんとかなる仕組みだと大雑把な説明をしてあげる。ざっと考えてもそれだけの時間が取られることになるはずだ。
 まあ実際には、それほど手間をかける必要もないだろう。きっと脚立を探す時点で挫折するのは目に見えている。とりあえず近くにまとわりついてもらいたくはないので、たまった洗い物をしておくようにたのんだ。たぶんこれで2時間は時間をつぶしてれる。
 いったいなんのためのバイトなのか分からなくなってくる。それでいてマネージャーのサトダには人手が増えたのだからラクになっただろうと、お気楽な言葉をかけられる始末だ。仕事を任せられるようになって初めてコチラの手も空くというもので、いまはまだ、あてがう適当な仕事をわざわざ探している状態で、この状況を見る限りこの先そんな日がやってくるとは到底思えない。
 人生は楽しんだ者勝ちだ。例えどれだけ本人が一生懸命に働いても、誰かの役に立っていようとも、皆に感謝されようとも、自分が楽しんでなければただの苦行でしかない。誰かが見ていてくれるとか、いつかは報われる日が来るとか、そんな淡い期待をいだきながら10年が経とうとしている。ベテランとして重宝されているように見せかけているがそんなものはまやかしで、若手を育てて早めに辞めて欲しいと思われているどころか、新人が半年も居付かないのは、自分の立場を守るために先輩風を吹かせて嫌がらせをし、辞めるように仕向けているとまでささやかれている。だったら、自分でやってみなさいよ。とこころの中ではいくらだって声をあげられた。
 それはそうと脚立の場所だ。もしかして別の場所に放置してあることも考えられる。その場合の犯人はサトダとなる。出したものを片付けないで自分が困るのは勝手だが、こちらまで被害を被ることもしばしばだ。エプロンをどこかに置き忘れて探し回るのはしょっちゅうだし、このあいだは店の鍵をどこかにやってしまい、閉店してからふたりで探し回り、結局は自分の私服のポケットから出てくるというオチで、危うく終電に間に合わなくなるところだった。そう思えば、電球の発注書もサトダに渡してそのまま紛失してしまった可能性が高い。いや絶対にそうだと確信となってきた。
 店内を見渡すと、サトダは窓際の席でタバコを吸いながら店の新聞を広げている。テーブルのコーヒーは金も払わず、店の物を勝手に飲んでいるのはいつものことだ。ランチの時間が終わってアイドルタイムに入ると、決まってあのように休憩を取っている。そのあいだもユウコは、今回のような雑務に追われて昼食も、コンビニで買っておいたおにぎりを頬張りながら仕事をしているというのに。
 待遇が悪いのは今に始まったことではない。近頃じゃそういった不満を世間的にぶちまけて、自分の境遇の悪さを競い合っているのを見れば、自分はまだまだラクな方だと、相対的な価値観になんの意味もないのはわかっていても、そんなモノの見方で自分を励ますしかなくなっている。
 あのう、とサトダに話しかけてみた。いかにも煙たそうな目をこちらに向ける。煙たいのはユウコの方だった。吐き出した紫煙がモロに顔にかかった。いまどき禁煙どころか分煙もしない飲食店は、いずれは客足が遠のいていく運命だと、ひとりひそかに思っていたのに、これがどうして、このあたりの喫煙派会社員の需要を満たし、特に女性客にも大いに当てはまり、そこそこの売り上げになっていた。これはある意味、ニッチ産業と言えるのだろうか。
 どんな環境においても、上下関係は成立し、命令する者と命令される者とか、支配する者と支配される者とか、ものの見方によって言いようはいろいろとあっても、ここでは雇用者と社員という関係で、ユウコとサトダは存在している。ユウコにしても、なろうとしてそうなったわけではなく、仕事上でそうなってしまっただけで、そうであっても権力を有する側に立てば、おのずと物事の考え方も変わってくる。意図せず手にした力が大きければ自分の枠を超えて尊大にもなり、いつしか役割に自分が追い付き、拡張された実の伴わない虚空の力はハタ迷惑以外のなにものでもない。
「なに? いま休憩中なんだよねえ。急用じゃなかったらさ、あとにしてもらえるかな?」
 言葉は優しげでも、つまりは休憩中に話しかけてくるな、それぐらいいちいち言わなくてもわかるだろ、何年ここで働いてるんだ。いいかげん、それぐらいの配慮ができるようにならないと、この先がいつまでもあると思うなよ。ぐらいのことは含んでいる。後半はやっかみ半分で、少し自分でオーバーに付け足したものだ。
 権力者にできて従事者にできないことは、赦すという寛容さだと言ったのはどこの哲学者だったろうか。または王は奴隷がいて、はじめて王であれるとも言われる。自分という存在自体がサトダを増長させているなら、なんとも物悲しい事実かと思いながら、『トランプ』の手札が良かったからと言って、弱者を排除しようとする方向に舵を切った大国の決断が、どのような結果になるのか、珍しく気になってきた。
 ユウコは申し訳程度にあたまをさげて、その場を離れた。備品庫の前まで戻り、脚立の棲みかを思い浮かべてみた。やみくもにあの暑く、狭い倉庫の中を探し回る気にはならない。ミナミが大人しく片付け物をしているあいだに何とかしたい。
 小さくはないものだ。置き場所は限られてくる。と、そこまで考えてあたまに、あることが思い浮かんだ。そしてそれはすぐに確信に変わっていった。もう一度、サトダの方を振り返った。さっきのスポーツ紙から、いまはゴシップ週刊誌に替わっていて、ニヤけた顔をしていれば何を見ているのか大体想像がつく。
 先月男子トイレの換気扇から異臭がするとクレームがあり、サトダがカバーと、ファンをはずして懐中電灯で中を覗いたところ… それを聞かされた時、三日ほど食欲がなくなったのを思い出した。おおかたそのときに使いっぱなしにして、男子トイレのどこかに放置されているのだろう。この店は賃貸ビルの一階に居を構えており、店内の清掃もビルの契約業者が一括して行っているので、バイトや社員が男子トイレに掃除に入ることもなく盲点となっていた。
 さて、サトダにこのことを話して、取って来てもらうのか。はたしてそれは建設的な考えとはいえない。どうせ、さっきも言ったけどさ、休憩中だから。あとで持ってくるからいいだろ。まだ陽は高いんだし、別に急ぐこともないんだから。なんてしれっと言っておいて、そのまま忘れてしまうのが関の山だ。同じようなことを言うのは誰だってイヤなものだろうし、言われる方だって同じで、言われたくないヤツならなおさらだ。
 ミナミがユウコのことを 馬鹿にしたような態度で見下しているのは、サトダがユウコのことを良くは伝えてないからだ。チェーン店の社員として就職し、この店舗に配置されて自分なりには頑張ってきたつもりだ。今でさえ、女性が長く働いても珍しいことではなくなっているものの、そんなものは一部の大企業だけにあてはまることで、小さな店舗の小さなコミュニティの中で、単純にいつまでも居座られては困ると支配者が思えばそれは会社方針となり、上司が扱いづらいとか、バイトにキツクあたって、定着率が悪いなどと評価すれば本部がどう判断するかは火を見るより明らかだ。
 それならそうで、ユウコの方からも辞めてしまうという手もあるのだが、このまま追われるように退社するのはどうにも気分が良くない。一方で毎年同じことをして、いったい何時がいつのことなのか忘れるような生活を受け入れられず、新しい未来を開くことを望んでいるはずなのに、現実的にはじゃあなにをするのか、なにがしたいのか具体的に決まっておらず、自分探しする年齢でもないし、そもそも先立つものもない。そんな堂々巡りが繰り返されるだけでなんの進展もなく、だからこそ電球が切れていることに気づいたとき、時の流れに心臓が締め付けられ、いやな汗が滲んだのだ。
 ユウコは踵を返して男子トイレに向かった。店員なのだから女性だとしても何にも問題はなく、理由はなんだっていい、洗剤の補充だとか、それこそ掃除のフリでもアリだ。どちらにしてもいまは、客は一人もいないのでそれほど気に病むことはない。ユウコは立ち止り、少し考えてから意を決して、もう一度備品庫の扉をあけた。
 戸棚のなかほどに置いてあるトイレットペーパーをふたつ取り出して腕に抱えて、偽装のアイテムとして選んだ。客は居ずとも敵対する目は身内にありといったところか、あとで変に勘繰られたり、あられもない噂を立てられるのも面倒だ。それがそれほど有効かどうかわからずとも、できることはやっておくに越したことはない。
 一応かたちだけドアをノックした。あまり大きな音を立てるとミナミに気づかれるといけないので、ここは抑え気味にする。ドアを押すと目標の物体はすぐに目に入ってきた。それは無造作に手洗いの脇に立てかけてある。自分が客の立場ならお節介でも店員に声をかけたりするだろう、それがこの年になっても彼氏もできず、好きでもない人たちと、将来に希望も持てない仕事をズルスルと続けている要因だと自分でもわかっている。
 男性客はいちいちそんなことは気にしないのだろうか、なにかの作業のあとでそのまま放置してあるとか、そもそも手を洗うのに邪魔になるわけでもなく、気にもかけないのがふつうなのか。
 ユウコはトイレットペーパーを手洗いについている小物置きの上にならべ、脚立に目をやった。男子トイレに一ヶ月も放置されていると思うと、すぐに手に取るのは少々はばかられる。においがしみつくわけでもなく、自分がそれほど潔癖症なわけでもないくせに、なぜかこの時は無性に気になったのは男性うんぬんより、別の要因があったのは確かだ。
 持ってきたトイレットペーパーを手に取り、手にニ、三回巻きつけてから脚立を掴み、ドアを引き開けると、そこにはまた…
「センパーイ。男子トイレに入ってなにしてんですかあ?」
 目もとが冷やかに見えるのは、自分が勝手にそう思っているだけからなのか。別に動揺する必要はない。右手に持った脚立を見せればどんな理由があって男子トイレに入ったのか察してもらえる。はずだ…
「電球、かえるの外ですよ? トイレ? 男子トイレじゃないですよ… ねえ?」
 そうきたか。ボケているのか、マジなのか。聞いても仕方ない、本当のことは答えないかもしれない。それほど腹芸を使えるとも思えないが、絡めば絡むほど深みにはまっていくようで、男子トイレに置き忘れてあったみたい。サトダさん、忘れっぽいからねと、やや言い訳っぽかったのか、ミナミはあごを上げて蔑むように「フーン」と面白くなさそうだ。
 洗い物のかたづけが終わったらしく、じゃあテーブルのナプキンの補充お願いね。と伝えると「ハーイ」と不服そうに応える。アンタも備品庫の暑さを味わってきな。ナプキンが棚の一番上にあることは伝えない。これではサトダが言うところの悪態をそのまま遂行しているのと同じになっている。それは自分の存在がサトダの行動を左右しているように、サトダの行動によって自分も操作されているのと変わらない。
 ようやく脚立を持って玄関先に立った。正面に商用車のライトバンが路上駐車をしている。ピーク時にはテイクアウトの路上駐車がならんでしまい、時折警察から、警備を立てるように勧告があったりする。いまの時間帯ならそれほど問題はないのでいいようなものの、クルマを停めた女性は降りる気配もなく、それでは単に商売のジャマでしかないと、この状況にあっても店の心配をしてしまうのもどうなのかと考えてしまう。
 そんなことを思いながらクルマの方を気にしていたら、どうやら向こうもこちらを見ているようにうかがえた。店先で脚立の上に立ち何をはじめるのかと、注目を浴びているのだろうか。そう思えばまわりの誰もが自分に注目しているように思えてきて、早く終えてしまおうと作業を急いだ。
 脚立の上で手を伸ばすとなんとか電球に届いた。すでに熱も帯びずに冷めていおり、電球は素手でも問題なく触ることができた。ここで軍手が必要となれば、さすがにやる気も萎えるところだ。
 手は届いても、上向きに作業するのはもちろんなれていないし、少しの時間でもすぐに首筋がいたくなり、上腕二等筋には乳酸が溜まってくる。本人が思うほど目立っているわけでもないのに、なんだか視線が気になって、手がうまく動かない。平衡感覚が薄れあたまに血が足りなくなってきたと思った瞬間に足がよろけていた。死ぬ前の走馬灯は見えなかったけれど、死ぬ前に殴っておきたいヤツラの顔は思い浮かんだ。そんな嫌な顔よりも、もっと良い思い出があったろうにことごとく残念な人生だった。って過去形か。
 落下した先は硬いアスファルトではなく、弾力性のある場所だった。思いもよらぬ、まさかの御姫様抱っこに、恥ずかしさだけが前面に、一気に押し寄せる紅潮は顔面に、そして驚きの表情で目をひん剝いているサトダは対面にいた。
店長が、のんびりと休憩をしている間に、背丈の足りない女性社員に無理な作業を強いて、大けが寸前までの状況をお客に助けられたとあっては、これを面白可笑しく拡散される危険性をはらんでいると、あたまの中で打算として弾き出されていた。人間もネズミも追い込まれれば、ふだんでは起こりそうもない奇跡もあり得る。
 慌てて店先に飛び出してくるサトダ。それほど体格のよくない男はもう限界とユウコをおろす。モミ手でもしかねない様相のサトダが、いやあウチの店員がスイマセン。私がやっておくからと言ったんですけどねえ。仕事熱心というか、責任感が強いというか、それが時には困ったもんで、いえいえ、それもこれも私の不徳の致すところで。
 なんともまあ変わり身の早さはたいしたものだ。この男性は店長の意図をどれほど汲み取っているのだろうか。少し戸惑うような表情を見る限り、サトダの演技はなんの効力も発揮しなかったはずだ。本当に来店した客だったのか疑うこともなく、サトダは男性の肩を抱かえこんで店の中に引っ張っていく。店長がああいった手前、すぐに続きをするわけにもいかず、消えた電球はそのまま置き去りになった。
 もしかしたらこれが自分の人生を変える最後のチャンスなのかもしれないのに、そこに素直にすがって行けないのは、まだまだなんの価値のないプライドを捨てきれないからで、替えることができなかったのは何時かぶりに切れてしまった電球だけではなく、自分のこころの持ちようも同じだった。
 これも単なる人生の一日。
 今日もまた人生の一日。
 それもまた人生の一日。