private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

A day in the life 2

2016-11-26 15:16:25 | 非定期連続小説

 分刻みでスケジュールをこなしているアケミの行く手を阻み、軽トラが路上駐車をしている。普段は車通りの少ない平日の商店街への脇道で、工事ということもあり我が物顔で路上駐車しているのが余計に癪に障る。
 法務局へ行く抜け道として使っているこの脇道は、信号もなく定刻通りに到着するために重宝しているのに、とんだ障害物に軽くクラクションを入れると、能天気そうな作業員が軽く右手を挙げて軽トラに乗り込んでいく。
 ちょうど作業が終わったらしく、荷台には用具が積み上げられ、道路はきれいに片づけられていた。これでまだ作業中であったら、クルマをどけるにも時間がかかりアケミの苛立ちも相当なものになっていたはずだ。
――まったく、工事してりゃなんでも許されるってわけじゃないのよ。あっち、こっちで工事しちゃ、路線規制とか、通行止めとかして。ふだん使ってる者にとっちゃ、たまったもんじゃないわ。どうせ年間経費を消化するために、どうでもいいところ掘り起こしてるだけでしょ。
 と、自分本位な八つ当たりもはなはだしい。
 会社での朝の申し送りを終えて、得意先との商談へ向かう前に法務局へ登記謄本を貰ってくる途中だった。個人で会社を経営していると、法務局にはなにかと係わりがあり、やれ届け出だとか、証書の発行だとか、はたまた、得意先の代行で写しを引き取りにいくこともある。駐車場の込み具合も含めて予定の10分前には到着しておきたいところで、こういったよけいなことで時間を取られたくない。
――大丈夫、想定内よ。それにたいしたロスじゃない。
 これだけ、インフラが整備されているというのに、ああいったお役所は昔よりは改善されたとはいえ、まだまだ一般企業とはかけ離れたところも残っている。以前に担当者が昼からの出勤なので、それからの対応となると当たり前のように言われた時は開いた口がふさがらなかった。ふさがらないついでに、ありとあらゆる文句を言い並べたところ、はあ、そうですか。と暖簾に腕押しで、アタマに血がのぼり切れかかったことがある。これからも何度も付き合うことになるので、あまり心証を悪くするわけにもいかずその場はそれで引き下がったが、いま思い出してもはらわたが煮えくりかえってくる。
 会社を経営する者にとって時間を守るということは特に重要で、得意先とのアポに遅れるなんてことは絶対にあってはならない。信用が第一で、何年も経って築き上げた信頼関係など、たったひとつのミスで簡単に崩れさることだってある。それを思えば、お役所の仕事はまだまだ甘く、どちらが金を払っている顧客であるのかという意識は薄弱だと思えてならない。
――競合相手がいれば、そんなことやってられないはずでしょ。郵便局だって行くところによって違うこと言ってくるから、取り扱い局ごとにそれぞれフォーム変えてたらコストがかかってしかいないし、日本経済の低迷からの脱却は、こういった実務にかける余計な手間をなんとかするとこから考え直した方がいいんじゃないのっ!
 怒りの矛先がほうぼうへ向かいはじめ、社用車のライトバンのハンドル操作も荒々しくなっていく。
「ああっ! もうっ!」
 法務省まであと100メートル。信号の先頭に止まったアケミの目の先に映ったのは駐車場に並ぶ数台のクルマだった。
――これも顧客第一に反してるわよね。日々の来客数と対応物件から割り出される対応時間を数値化して統計を取れば、どれだけのキャパを要する駐車場が必要か、もしくは自前で用意できなければ、近接する部分に契約駐車場を足りない分用意するとか、手の打ちようはいくらでもある。そういった分析もせず、既存の施設のみで賄おうとする親方日の丸的な態度が許せないわ。商業施設ならこれだけで商機を逃しているわけでしょ。
 テレビの推理番組とか情報クイズ番組であったり、どちらにしても、ある程度、視聴者にこれでもかとヒントを与え続け、こうなるに決まってると、先読みさせることで、悦に入らせ、脳の快楽中枢を刺激し、自ら選んでいるようには思わせないように、再びその番組を見させるように仕組んでいる。
 経験は人の人生を豊かにすると同時に、ミスディレクションを引き起こす要因にもなる。成功体験は人間の視野を狭くして、失敗体験は人間をますます臆病にしてしまう。悪いイメージは一度でも考え出すと取り止めがなくなる。
 以前に駐車待ちで並んだときには、たった2台だけだったのに30分も待たされた。それとは別の日に、スムーズに駐車場に入れたにもかかわらず、前の客があとに控えるアケミの都合などお構いなしに、担当の対応に難癖つけてなかなか終了せずに20分近く待たされたこともあった。
 駐車待ちをしている5台のクルマのあとにならんで、うまくして入局できたとしても、そのあとで対応してもらうのにいったいどれぐらいの時間がかかるのか。考えれば考えるほどに、それは永遠の時間のように思われた。
「 …どうする?」
 アケミが考えた選択肢はふたつあった。おとなしく駐車の列にならぶか、どこか近場に路上駐車して手早く用事をすますか。確率論ではあっても目の前の5台に連なるクルマを見てしまえば、素直にあとにつきづらい。それに、自分のうしろにもう一台並んだらもうそこからは後戻りできない。
 未来はたったひとつしかない。それを選ぶのは自分だ。その時点では無限にある選択肢は数々の未来につながっている。その中で最良の未来を選ぶために人は生きているはずだ。そこには倫理も道徳も建前上は存在しても、最終結論を導き出す要因にまではならない。
 現実がありきたりな世界なら、理想はもっとも良い選択をした結果の最良の世界につながっていく。ただ、人間の欲は果てしないもので、理想を手に入れればそれはもう理想ではなく現実の世界で、ありきたりな日常の一部になってしまうのだ。それに気づかずにつねに理想を求めていけば、その度に現実に突き戻されることとなり、虚しい思いとともに、そこから前進することもできなくなる。
 考えをまとめるには短すぎる赤信号の長さだった。べつに極端に短いわけでもない。自分が時間の欲しいときには無情にも時間は短く感じられ、早く過ぎて欲しいと思えば一向に進まない。そうやって知らないうちに人生の時の流れはうまいぐあいに調節されているのだろう。
 アケミはバックミラーに目をやり、うしろからクルマが来ないことを確認して、もう少しだけ考える時間を確保した。結論は八分どおり出ていても、それを実行に移すまでの後押しが欲しい。5台のクルマは動かない。止まったままだ。それを後押しと信じるしかない。アケミは並んでいるクルマのうしろには付かずにそのまま直進し、一本目の角を左に曲がった。
 裏道には違法駐車が縦列に並んでいた。ゆっくりと横を流して止められるスペースがないか、動きだしそうなクルマはないかと目を凝らす。そうして進むうちに次の角まで到着してしまい、チッと舌打ちする。
 その角を度左に折れて進むも、この道は大通りに面しているので止められる場所はない。次の角を左に曲がれば、さきほどの正面の通りまでの裏道となっているので、そこを目指して左折する。再び先ほどと同じ状況が視界に広がり、一台のすきまもなくクルマが止められている。法務局の周りを一周して元の信号まで戻って来ていまい、恐る恐る駐車場の状況を見ると、さっきまで並んでいた5台のクルマは2台になっており、クルマも別の車種に代わっていた。
 猛烈な悔しさがこみあげてくる。理想の世界は、さきほどの5台の後ろに並ぶ先に待っており、素直に並んでいれば、いまごろ駐車できていたという取り戻せない時間と事実がなんとも虚しくてならないし、自分が判断を間違え相反する世界に足を踏み入れてしまったことも無性に腹立たしい。
 ひとつの失敗をひきずって、さらに深みに入り込んでしまうのか。それともミスはミスとして受け入れ、気持ちを切り替えて、仕切り直すことができるか。払った代償が大きければ大きいほど後戻りを決断することは容易ではない。フランスの高速旅客機の例を出すまでもなく、それは人類の永遠の課題であり、決して解決することもない。自分の選んだ道をひたむきに進むことが一般的に賞賛されるのも、誤った判断を推し進める悪しき要因となる場合もある。
 アケミは少なくなった駐車の列を見なかったことにしたのか、そのままやりすごして、先ほど左折した角も通過し、もうひとブロック先の裏道に賭けてみた。きっとそこなら、一台くらい止められるスペースがあるはずだ。明治時代にブラジルにフロンティアを期待した人達も、終戦後の朝鮮に桃源郷を夢見た人々も、そう信じて後戻りできない船出を決行していった。
 祈る気持ちで角を折れたアケミは、クルマのスピードを最大限におとして前進し、空きスペースを探すべく目を凝らす。微妙な隙間は軽自動車なら止められてもアケミの商用車では収まらない。苛立つ気持ちと、すぐにでも戻って駐車の列に並んだ方が良いのでは、と思う気持ちを抑えつつ、根気よく一台、また一台と確認を続ける。もうすぐ裏道も終わりにさしかかった頃に、駐車しているクルマの前後にそれなりのスペースが目に入り、心臓が大きく鳴った。
「大丈夫、大丈夫、空いている。絶対に止められる」
 アケミは自分にそう言い聞かせて、スペースの横を通りながら自分のクルマが入るかどうか目算した。なんとか縦列駐車するぐらいのスペースはある。縦列駐車は得意ではなくともそんなことも言っておられず、バックにレンジを入れて惰性で後進する。これほど緊張する縦列駐車は、自動車学校の仮免試験のとき以来で、障壁代りのチェーンに触れそうになり、教官に急ブレーキをかけられた嫌な記憶もよみがえる。
 サイドミラーで左右幅を確認しつつ、バックミラーで後ろとの距離を測る。誰も見ていないのでそこは余裕を持って切り返しを数回こなし、なんとかクルマを納めることができた。こみ上がる歓喜に身体が跳ね、思わずハンドルを右手ではたく。
「よーし、何でも簡単にあきらめちゃだめよね。攻めの気持ちがあるから運も呼び込めるってものよ」
 そうひとりごちして、意気揚々とハンドバックを手に、ドアノブに手をかけようとしたそのとき、サイドミラーには見たくもない物体が映り込んでいる。白と黒に塗り分けられた軽自動車。ミニパトがゆっくりと前進してくる。
一台づつ車内を確認しては、先端にチョークの付いた棒を窓から手を伸ばし、器用に使いこなして、タイヤとアスファルトに直線を引き時刻を書き込んでいる。
「なんなのよっ! このタイミングで来る?」
 せっかく駐車スペースを見つけて意気揚々と出かけようとしたところに、路上駐車の取り締まりが現れるとは、ついてないにもほどがある。せっかく手に入れたものを手放すという行為は、はじめからなかった時より失望感がより増して、絶対に手放したくない思いが強くなる。
「どうする?」
 アケミが考えた選択肢はふたつ。クルマを出して他に止められる場所をもう一度探し直すか、このままこっそりと助手席側から外に出て用事をすますか。例えマーキングされても制限時間内に戻ってきてクルマを出せば、駐車違反に問われることはないはずだ。それは局内での対応がスムーズに進んだと仮定しての話しになるが。
 そうこうしているあいだにも、ミニパトは迫ってくる。慎重に身体を動かして、助手席の方へ席を移ろうと試みる。ヘッドレストからあたまが出ないように、身体を下にずらしながらの動作となるので時間もかかり、体力も使うため少し汗ばんできた。足を伸ばすとスカートが捲れあがり、これ以上足を広げれば下着があらわになってしまう。誰も見てないからいいようなものの、こうまでして今日の予定をクリアしていかなければならないものかと、救われない泥沼にはまっていく自分が滑稽に見えてくる。
――アンジーなら、スカートの裾を破って、さっそうと座席移動するところだけど、破ったあと、どうやって法務局や得意先に行けって言うのよ。悪役と戦ってるならさまになるんだけどね。
 なんとか助手席に移り込んだときには身体がぐったりしてしまった。ここで止まってしまうわけにはいかない。開扉レバーに手をやり、ゆっくりとドアをあける。ところが少し開いたところでそれ以上は開かなくなってしまった。アケミはやせ型だが、さすがにこの隙間には身体は通らない。
「ちょっと。どうなってんのよ。コレッ!」
 窓越しに悪態をついても、壁とドアのあいだにある物体は動じない。ドアに傷がつくのを承知で力を込める。グッグッと金属がこすれる音がして、あわてて力を抜いた。ダメだ、ここからは出れない。そうなればあとは後部座席のドアから降りるしかなく、恨めしそうに後ろを振り向いた。移り込むにはかなりアクロバテックな動きを強いられる。背もたれを目いっぱい倒して、ミニパトの婦警に気づかれないようにして、身体を寝かせたままうしろにずれて移動するしかない。
――だからアンジーじゃないって。
 それは自分で突っ込みたくなるほどバカバカしい行為だ。それにミニパトはもう2台後ろまで迫ってきている。いまからトライして後部座席に移動できても、見つからずに車外に出るのは至難のわざだ。
 必死の思いで座席を移動して、クルマのドアに傷までこしらえて、結局はこのザマで、なにひとつ得るものはなかったどころか、さらに無駄に時間を浪費しただけとなった。はじめのボタンの掛け違いを正すには、やはり最初までもどらなければ二度と元に戻ることないのか。
 アケミはしかたなく、スマホを取り出して耳にかざし、通話をしているふりをする。連絡を取る必要があり、やむなく駐車したように見せかけるためだ。サイドウインドウには目をやらずとも、目端にミニパトが映るのを確認する。声をかけられたらスマホでの用事を済ましたふりをして、サッサとこの場をはなれるしかない。
 ウインドウをノックする婦警に対し、いま気づいたとばかりに驚いた表情をつくり、手をのばしてパワーウインドウを操作してウインドウを下げる。婦警は助手席にひとりで座っているアケミに、運転手はどうしたのかと問いかけてくる。たしかにこの構図は、他に運転手がいて、車外に出て戻ってくるのを待っていると思われるのがふつうで、助手席でひとりスマホを操作していても、緊急停車している言い訳にはならないと今さらながらに気づいた。
 婦警にクルマを出すように促され、申し訳なさそうにしてアタマを下げる。ただでさえ予定時間を過ぎているのに、これ以上ムダなやりとりをして時間をかけるわけにはいかない。
「ごめんなさい、ちょっと主人が所用で。ここで待っているように言われて… 」
 婦警は知らないが助手席側からは外に出ることができないので、クルマを出すためにはもう一度、運転席に移動しなければならない。助手席側のドアが開かない動きを再演して、先ほどの行動を婦警が見ている前でするのは気恥ずかしい。笑顔であたまをさげ、手の動きで婦警たちに先に進むように促す。いぶかしがる婦警は何故サッサとクルマを降りて運転席に移らないのかと不思議そうに見ている。なんだかんだっと言ってここに居座るつもりでいると思われているらしい。
 ここでアケミの考えた選択はふたつあった。自分は免許を持っておらず、主人が帰ってくるまでここを出ることができないと伝えるか。助手席側のドアが開かないと伝えて、運転席に移り変わりクルマを出すか。いずれにしても理想とかけはなれた世界しか待っていなさそうだ。
 第一の選択は他に依存する部分が多すぎて効率的でない。戻ってくることのない架空の主人を待ち続けて、婦警がもしも立ち去らなければ嘘がばれ、あらたないいわけをひねり出さなければならず、それに時間がかかりすぎる。
 いつまでもここで留まっていてもしかたがないと観念したアケミは、目を離さない婦警にニッコリと微笑み返しして、右足を持ち上げ運転席のフロアに滑り込ませる。スカートが張り、結構きわどいラインまで裾が捲れ上がる。婦警で良かったと安堵するとともに、往きに裾を破かなくて良かったと胸をなでおろす。それでも婦警たちは目を剥いて驚きを隠せないでいる。なにか見てはいけないものを見たような表情で首をふっている。
 アケミはエンジンをかけ、ハンドルを切りかけてミニパトに後ろに下がるように仕草でつたえる。ゆるゆると後退するミニパトの前方をなめながら、ウインカーをあて社用車を前進させた。自分の行動を正当化するためにおこなったことへのしっぺ返しは相当なものとなった。署に戻った婦警がおもしろ、おかしく喧伝する姿が容易に想像できる。
 大きなため息をつくアケミ。いまさらもう法務局へ向かう気にもならないし、そもそも時間がない。それにもし法務局の駐車場に向かって空きがあったとしたらと、想像するだけで気が狂いそうになる。理想の世界には永遠にたどりつけない自分を再確認するようなものだ。
 これから得意先に向かえば30分前には余裕で到着する。そうすれば資料を見直す時間もとれる。そういえば一か所だけ、言い回しをどうしようかと保留にしておいた部分があったはずだ。
 時間に余裕があるのは何しろ良いことだと、そう自分に言い聞かせても乗り気になってこない。法務局だって。余裕を持って会社を出てきたはずなのに、駐車場の混み具合に惑わされてあるべき時間を迷いのなかで失ってしまった。
 大通りでクルマを路肩に寄せていた。エンジンを切り、シートに身をゆだねる。
『マリちゃん。あなたね、選択肢がひとつしかないから仕事がうまく回っていかないのよ。リスクマネジメントして、AがダメならB。BがダメならCと、腹案はふたつ、みっつ用意しておくものでしょ』
 そんな社会人としての術をパート社員に偉そうに吹いていた。自分でさえこれだけ考えて行動し、仕事をこなしている。前日には翌日のスケジュールを組み立て、必要なタスクにチェックを入れ、さまざまな状況を想定して対応できるように準備している。それでうまくいったことも何度かあった。
――うまくいった?
 うまくいったと思い込んでいただけなのかもしれない。本当はふたつも、みっつも用意した代替え案に陽の目を当てたかっただけなのかもしれない。自分がこれだけ準備していることを知らしめて、自分自身で満足していただけなのかもしれない。いわば自らリスクを求めて、それに対応できている自分に酔っているということだ。
 いったい自分は何をしたかったのだろうか。これまですべきこと、やるべきこと、したかったことをすべて棚上げして、不安を取り去れないままうわべだけうまく立ち回っている、あるべき自分ではない自分を過ごしてきただけではないか。アケミの行く手を阻む悪意なき人々は、結局のところ自分で作り出していたにすぎない。
 なにもかもバカバカしく思えてきた。
迷宮に陥った人間は自分が迷宮にいることに気づいていない。ある時、前に見かけたネズミを見つけて、迷い込んだネズミを哀れに思っていると、上空から自分を見ている誰かにささやかれた。おまえも抜け出せないのだと。
 クルマを停めた場所から見えるハンバーガーショップの女性店員が、天井の電球を交換している。台にした脚立の上に不安定に立って、必死に手を延ばしている。時間を惜しんで足を踏み外しケガでもしたら元も子もないのに、彼女はなんとかやり遂げようと徐々につま先立ちになってきた。
 ここで、アケミの選択肢はふたつあった。いまより高い台座を用意するか、自分より背の高い他のヒトに替ってもらうか。
「あきらめて、やめてしまうって手もあるのにね… 」
 それも単なる人生の一日。
 今日もまた人生の一日。
 これもまた人生の一日。


A day in the life 1

2016-11-12 13:47:38 | 非定期連続小説

 地面に貼り巡らされたレンガがそこだけ隆起している。まるでそこだけが、そのように造形されていると思えるほど、自然に盛り上がっていた。
 想像するに、それは近くの街路樹の根が成長し、レンガを持ち上げていったか、なんらかの他の植物がその下で繁殖し芽を出し、太陽を求めレンガを押しのけようとしていると言ったところか。
 夏の暑さもさめやらぬまま、赤茶けたレンガの照り返しやら、吸収された熱が発散し膨張した空気に身体が重くのしかかってくる。
 レンガの隙間からは茶色い物体が見えかかっていた。
 商店街の蕎麦屋の前にそれはあった。夏まつりがおこなわれ、そこで転ぶお年寄りや子供が多数あったとかで、市に通報があり整備することになった。
 さびれていたはずの商店街が、今年の夏まつりはえらく盛況だったらしく、市の補助金も出ない中で、自前で整備費を都合付けたと市の担当者が驚きながらも、予算が浮いたと喜んで話してくれたのを耳にして、それであれば事前見積もりで提出した工費の値切りに応じなければよかったと、タケシタは毒づいた。
 個人で外構業を営むタケシタがなんだか厭な流れを感じていたのは、ここに来るまでに通りかかった公園で、似合いのカップルが真っ昼間からベンチに座ってビールを飲んでいたのを目にした時からだ。
 藤の木の蔓をつたわせようと鉄骨で作られた建造物に、自らのDNAに背くことなく蔓を伸ばし、柱に巻きついて、天井を覆っている。5月にはきっと紫の花を下げて行きかう人の目を楽しませるのだろう。今はベンチの二人に良い感じで日影ができており、それはそれでまた気に食わない。
 カップルなんてものは、イイ女に野暮いオトコと不釣り合いであれば、なんでこんなヤツがいいんだとアタマにきたり、不細工オンナとイケメンならばやってろよと舌を出したりと感情が動くもので、それが美女に男前だと、テレビでも見ている気分になり、自分はフレームの外に追い出されてしまった気持ちをタケシタはいつも持ってしまう。
 仲むつましいふたりの生活風景を想像力の乏しいあたまで思い浮かべ、大きなため息とともに虚脱感につつまれる。そして人生のこれまでの道のりと、これからの道筋を照らし合わせれば、いままでまともに女と付き合うこともなく、これから素敵な女性と巡り合う予定もありそうにもない自分に悲観し、仕事へ向かう気持ちもいっそう萎えていた。
 映画のワンシーンを演じるようなふたりを横目に、なんともやるせない気分を引きずりながらここまでやって来た。サッサと仕事を片付けようと軽トラからトラ柵を取り出していると、いつのまにか明らかに敵対心を目に灯した団体に囲まれていた。
 人は逆境に立ち向かう姿に感情移入しやすい。弱い立場の人間ならば余計にそうなりやすいのは、自らの境遇と重ね合わせるといったところか。体制側が造って管理している道路や歩道が、そんな自然の小植物の抗いを受けていれば応援したくなるのはわからないでもない。
 一生懸命に生を得ようとしているそんな健気な植物を撤去しようとしているタケシタは、あきらかに体制側の人間であり、網にかかった獲物のごとく反体制グループの毒牙にかかり、大きな反発を一身にあびている。
 自分の家の庭先に繁っている雑草ならば、親の敵のようにして容赦なく引き抜くはずなのに、歩道のレンガの隙間に芽生えた植物に優しくなれるのは、どんな心の棲み分けをしているのだろうか。世の中にはそんな偽善があふれている。メディアが取り上げれば数をタテにして、ますます盛り上がっていく。数は正義になる。それがどれだけ恐ろしいものか知っている年代の人であっても、こういった心温まる話にはコロッと、こころを持って行かれる。
 タケシタはそんな大勢の正義の味方を向こうにまわし、絶望的状況にあった。誰だって面倒な仕事はご免こうむりたい。できれば自分だってそちら側にまわり、芽吹かせようとしている小さな命を守ってやりたいと腰も引ける。
 役所から仕事を貰うために使い勝手のいい便利屋のように立ち回り、次の声がかかるように愛想と、季節の贈り物をかかさない。そんな立場の自分がこんなことで寝返るわけにいかないと思いつつ、そういえばこのごろやたらと面倒な仕事が増えてきたと思い起こされる。キリギリスが眼鏡をかけたような担当の上から見くだす顔が、さらに憎らしく思い出された。した手にでるほど自分の立場を危うくしているのではいかと、いらぬ心配が現実化してしまった。
――あのヤロウ、こうなるって知ってたんじゃないだろうな?
 口ではどんな小さな仕事でも、面倒な仕事でもやるので仕事を回してくださいと懇願するがそれも程度問題で、トラブル処理も兼務なら工賃に上乗せしてもらわなければ割が合わない。
 これからタケシタは対抗する声を制し、植物を守ろうとする正義の味方たちを蹴散らし、レンガを外して、土を掘り、植物を取り除き、市指定のゴミ袋に放り込んで、あと地に除草剤をこれでもかと撒いて根絶やしにして、土を戻し、きれいにレンガをはめ込み、なにごともなかった平常の歩道に戻さなければならない。
 普段ならなんの造作も他愛もない作業だ。それなのになんの因果か多勢に無勢は見ての通り、たったひとりで徒党を組んだNPOだか、市民団体だかに立ち向かわなければならい。自分こそがレンガの下敷きになっている、か弱き命ではないかと哀願し、同情を買いたくなってくる。
 暴言を浴び続けているタケシタは、廃棄せずに他の場所に移すだけだと、簡単にばれるようなウソをついぐらいしか回避手段を思いつかいない。気が弱いタケシタが大勢を相手に、腹芸を見せられるはずもなく、乾いた口や、詰まる喉で、しどろもどろになりながら説得しても信頼性はゼロである。
 移植と言っても簡単にできるわけもなく、そこの管理者と交渉して必要であれば費用が発生するし、運送料も余分にかかる。ただでさえギリギリの利益で請け負っているのにそんなことをしていればアシがでる。希少植物であれば受け入れ先もあるがそんなうまい話があるわけもまなく、この場が丸く収まりさえすればサッサと手離れして廃棄するつもりだ。
 
人だかりが目を引き、関係のない通りかかりの者まで面白半分で一緒になって騒ぎはじめたから始末に負えない。その中には退去する代わりに何か貰えるのではと期待する物乞いまがいなヤツらもいて、タケシタを囲む人たちはそれ自体がまわりの迷惑になっていることなどお構いなしに、正義・正論をゴリ押しして勝手な振る舞いをしていることに正気でなくなっている。
 世の中には多くの仕事があり、こういう仕事も必要なのだと寛容にはなれない人は多い。自分がしてきた仕事がどれほど高貴で、誉れ高いものだったと信じて疑うことなく、自分たちが仕事をするうえで、一切自然に害を加えなかったなどありえず、小さな生命の芽生えと引き換えに、自分たちの必要以上の快適な生活を支えてきたはずだ。それともその自覚があるからこそ、償いのためにこんなことをしているとでも言うのか。たとえそうであってもひとりでは何も言いださず、同じ意見を持つ賛同者が増え、ようやく行動を起こせるぐらいのやわなムーブメントなのに。ついでに野次馬まで加勢して。
 誰もひとりでは世界の貧困をなんとかしようとも思わない。自分ひとりの範疇に収まらないとき人は無関心になれる。それがたったひとりの不幸な人間がフューチャーされると、こぞって人々は手をつなぎ支援をもとめ、そのひとりのみを不幸から救うことに満足し、それ以外は見えない世界だと割り切る。ひとりだけが幸せになり、そのために隣の不幸な人がもっと不幸になっても、誰の手も差し伸べられずに、誰に知られることもなく、この先も生きていようとも、ひとりを幸せにした達成感だけで手を取り合った人たちは満足感を得ることができる。
 とどのつまり正義なんてものは自己都合で自己完結でき、できれば世間の注目をあび、目に見えるものだけを救うことが望まれている。それはある意味、体制側の思うツボなのではないか。彼らは只、自分より不幸な何かを助けたいという欺瞞に従って行動し、快感を得て、少しの良心と引き換えに、多くの悪行を正当化してしまっているだけなのだ。
 それでは見えているもの以外は見えていないに等しいはずなのに。
『自己は結果であって要因ではない。誰もがそうであり、多くの人々が自分の人生を悲観している。結果だけを見て、うまくやれていないと自分を責めている。その要因がどこにあるのかとは考えない。アナタの話しを聞いてくれる人がいる。アナタを勇気づける人がいる。アナタを必要としてくれる人がいる。アナタと一緒にいたいと思う人がいる。それだけで充分なはずなのに、もっと大きな報酬を得る結果を望んでいる。言葉の重みも深みもそれぞれの神がのたまう言葉と同じだったなら、その浸透力も変わっていたはずだ。計算がなく、温かみがあり。利益が伴はなくとも、思いやりがある』
 タケシタも薄々、感づいていた。ヤツらはひとりでは何もできない、ましてやひとりで大勢に立ち向かうことなど絶対にしない。そう思うと自分の置かれた境遇が少し異質に感じられてきた。こんなときはケツ捲くって逃げるが勝ちだと小さい頃から思ってきたし、それでここまでなんとか凌いできたという自負もある。逃げるのは決して恥ずかしいことではない。それで最後にしてしまうより、いつかやりかえせるチャンスが残り、自分の目で確かめることができる。ただ今回は、あえて一歩踏み出してみようと、妙な勇気がわいてきた。
――うーん、トイレだって一歩前に。人生だって一歩前にでれば、これまでと違った景色が見れるってことだろ…
 そうすれば、ひとつの経験値となり、うまくいこうが、ダメであろうが今後の経験則にはなるだろう。
 なにやら気持ちも落ち着いてきて一歩前に足を踏み込んだ。いつだって常識はずれな一手が世界を動かす。思いもよらない行動が多くの人々の意識を変える。
 予想もしなかった相手の行動に大勢の力も分散した。後ずさる先頭につられて全員が一歩後ろに下がり、何人かは足を引っ掛け将棋倒しとなった。これだけの多人数を相手に挑んでくるとは思わず高をくくっていたものだから、リーダー然の男も想定外の行動にすぐに対応できず、まわりの反応をうかがうのみだ。
 一方、時を得たりと思ったタケシタは、これを逃せば二度と好機は訪れないと、一気呵成にくびきを入れてレンガをはがしはじめた。
 悲鳴だか、雄たけびだかがあがるも、誰もがタケシタの行動に釘づけになっていた。反対していながら、いったい何が出てくるのか気にはなっていたのだ。多くの目が、レンガがはがされたあと地を覗き込んでいた。大きな茶色い表層が現れ、やはり街路樹の木の根が伸びてきたのかと、少々当たり前の結果になんとなく落胆の色がうかがえる。あーあっ、という声は掘り起こされてしまったことを憂うより、出てきた植物がそれほどたいしたもの、つまりは声を上げてまで、みんななで守ってあげるにふさわしい風体ではないことの方が大きいようにも思われた。
――なんだよ、しょせん単なる烏合の衆かよ。ひとの不幸は蜜の味とか、怖いもの見たさとか、せいぜいその程度の好奇心なんだろ。出てきたモノがなんの変哲もない、ありがちなモノだからガッカリするってえ、誰だって歴史の証言者になることを望んでも、そううまいこといくわけねえんだよ。
 人々の甘い夢を粉砕するつもりで、タケシタは茶色い物体を根こそぎ掘り起こそうと、クワを力いっぱい土の中に放り込む。テコの応用で、力を入れると、茶色の物体がその容姿を白日の下にさらした。
「なんなのよ、アレ!?」
 顔をしかめた女性が、いかにも汚らしいもの見たようにして声を上げた。
 夢を見るのは誰にでも平等に与えられた権利だ。かわいい植物が健気に生きている姿を見たかった。そうしてみんなで心が温まり、そんな植物を排除しようとする作業員を非難しようと手ぐすね引いていたはずなのに、残念ながら現実はそれほど予定通りに進まない。でてきた植物は、たぶん植物だと思われる物体は、見るも気色の悪い『キノコ』? そう、キノコ的な菌糸類の、そしてそれは異様に大きな、どうみても可愛らしいとはかけ離れた、いってしまえば吐き気をもよおすぐらいのグロテスクな物体が人目に晒されていた。
 ひとの心は移ろいやすく、冷めやすい。昨日までの親友が一瞬のうちに敵になるのは珍しくはない。熱愛して添い遂げた結婚相手であってさえも細かい日常の差異が、いつのまにか価値観の違いとなり、離婚の大義名分となっていく。そもそも初めは自分と異なる価値観に魅力を感じていたはずなのに、同じ理由が別れる理由に成りえるは言葉は使いようというやつか。それならば予定調和で迎え入れ、当人同士が納得できていれば、まわりがとやかく言ってもはじまらない。
 なんにしろ、さっきまでお菓子の家がこの世界に存在していると信じて疑わなかった人々は、手のひらを返すように眉間にシワを寄せ、一刻も早くその奇妙な物体を視界から取り除いて欲しいと訴えかける目に変わっていた。
 ウサギを見れば、やはりウサギであって、ウサギという言葉には、すでに可愛らしいというイメージが付いてまわる。ゴキブリは、どうしたったゴキブリであり、口にするだけで顔が歪んでくる。ウサギという動物がもともとゴキブリという名前であったとして、人々の印象にゴキブリという言葉自体に可愛さを感じてしまうのなら、これほど滑稽な事実はないだろう。
 イルカの数だって、クジラの数だって、それを利用したいひとたちが都合よくでっちあげた数字にすぎない。事をうまく運ぼうと考えた故に導かれた数字が、良識も愛情もましてや正義があるわけでもない。あるのは権利を守ろうとする私利私欲だけだ。
 相対的な愛情も、数による守護も、これまでの常識の中で人が種族を保持していくために刷り込まれていたことが、自らの安泰が確保されれば、それを他に求めている欲求のはけ口と変化していることに気付けない人々の暴走なのだ。
 ウエッと、吐き捨てる言葉とともに、まずは野次馬的に集まっていた通りがかりの人々が遠巻きに去っていった。高まった熱は容易にまわりに感染し、しばしそれは人から冷静な判断を奪い取ってしまう。そうであれば冷静な判断の所存こそが不確かでもある。
 最初からいた団体は、目にしたものが毒キノコのような得体の知れないモノで、自分たちが意を決して守ろうとしていたものがこんなとんでもない植物と知っても、振り上げた手を下ろすところも見つからずに、ただお互いに目をくばせ、だれの責任にするべきかと腹の探り合いをしている。
 自分からはなにも行動を起こさず、波に乗り、風に身を任せる。信念のない者は先導者の熱に侵されて正義を大義として、それが弱者だろうとなんだろうと、敵として叩きのめし、踏みつけ、ひざまつかせなければ気が収まらないところまで突っ走ってしまう。突っ走ったあげく、天と地がひっくり返れば、自己保全に走ることしか考えられない。波が止まり、逆風が吹けば関係者外として安全地帯に身を置く。自らを守る手だてをなくした者は、大勢の中のひとりとして秘匿性を発揮する。
 掘り出されて天日にさらされた物体は、あと数時間もすれば乾燥して半分ぐらいの大きさになってしまうだろう。ただ、空気に触れたことでなにやら悪臭を放ち始めたものだからたまらない。このタイミングを逃すまじと思った連中は鼻をつまんだり、せき込みながら口を押さえて、その場を離れていった。
 その場にひとり取り残されたかたちとなったタケシタは、それは本来の自分の作業に戻っただけで、ひとときテレビのニュースで取り上げられる世界に放り込まれていた感覚にとらわれ、まさか自分にそんなことが起こるなんて思いもしていなかったのに、潮が引けばなんだかものたりないような気分にもなった。
 ますます悪臭を放つキノコ的な物体を古新聞でくるみ、市指定のゴミ袋を2枚重ねにして突っ込んだ。大きく開いた穴にこれでもかと除草剤を撒いていると、どちらかといえばこの行為の方が非難されてしかるべしではないだろうかと苦笑いする。レンガをはめ直して水平を出し、養生をほどこして作業は終わった。
 軽トラの荷台にトラ柵や工具とともに、いまや粗大ゴミ以外の何物でもないヤツらの夢を積み込んでいると、焦った様子のクルマが後ろからクラクションを鳴らすものだから、手を挙げて軽トラを移動させる意思表示をする。
 人が必死になって守ろうとしているものなんて、実体を見ればしょせんそんなものなのだ。そもそも人間が自然の何かを守ろうなんておこがましい話だ。生きてく上だけではなく、より快適な生活を求めていく中で、現在の環境が成り立っているわけで、被害の一部分だけを切り取って、それをさも自分が救わなければならないとする錯覚か、もしくはせめてもの懺悔なのか、どちらにしろ身分不相応な話しだ。
 タケシタは移動した車内でタバコを一服ついた。特別な一日であり、しばらくは話のネタになるような出来事で、数少ない友人にしばし感嘆を浴び、悦に浸ることもあったがそれだけで終わった。学習することのない人々の、それも単なる人生の一日。
 今日もまた人生の一日。
 これもまた人生の一日。