private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来 17

2023-12-23 14:02:14 | 連続小説

 キジタさんの言葉が投げやりに聞こえたスミレだった。2度目の命を与えられたことを望んでも、喜んでもおらず、むしろ厄介ごとをかかえたかのような言いようだ。
 自分の子どもなら、その確率が低かろうが助けたいと思うのが親ではないだろうか。それが医者に言われた言葉に反発したかもしれないと仮説をたてること事態、スミレには随分歪んだモノの考え方に聞こえる。
 命拾いして負い目を感じるとか、決断力に乏しいことを嘆くより、その穿ったモノの見方を考え直さない限り、この苦しみは続くのではないかと心配になる。
「それは単なる正論ね」カズさんがスミレを見る。正論のなにが悪いのだろうか「当事者にしか、わからない想いは、どうしたってあるのよ」と、当事者ではないカズさんがそう言った。
 おやじさんは子どもをなぐさめるように、椅子に座るキジタさんの小さな足に手を添えてさすった。その膝から先は床に着かず、所在なさげにブラブラとしている。
「何かあるごとに親も、姉も、あんたは死にかかっていた。死んでもおかしくなかった。そのつもりで生きろと叱咤しました。そこに悪気はないとは承知しています。どちらかと言えば弱気で、臆病なわたしを勇気づけるためなんでしょう。それなのにわたしはどうしても、それを力量として生きていくことができませんでした。漫画の主人公も、テレビアニメのヒーローも、生死の境目から蘇り、さらにパワーアップして活躍しているのに、どうして自分はそういった境地になれないのか、そう打ちひしがれるたびに、ますます弱気になっていくのです」
 子どものキジタさんが、大人になってからの苦しみを吐露している。それがこの言葉に妙な真実味を上乗せしている。子どもなのに、理想通りの自分を思い描けていない、自分の未来図が見えていればそれは致し方ない。
 マンガやアニメのヒーロー、ヒロインのようになりたいと、想いを重ねていたのはスミレだって変わりない。つらい境遇や、過去の悲運な出来事を乗り越えて、勇ましく立ち向かう姿に憧れていたのはキジタさんと同じだ。
 自分はどうしたってそのような環境には育っておらず、人並みに生活が送れ、不自由ない暮らしができている。それだから在り来たりな行動しかできないのか。かと言って厳しい状況に自ら身を置いて、実際にそこか這い上がれるか試してみる勇気もない。
「それが果たして、勇気であるかは捉え方によるわよねえ」そうカズさんは言って微苦笑した。
 勇気でなければ、愚行なのだろうか。バカにされたようなスミレはキジタさんを見た。最初からその恵まれた立場にあれば、勇気ある行動も、やらずもかの愚行になり。厳しい立場でこそ勇気を持った決断と称えられるならば、勇気と愚行とは紙一重であり、その価値もまた当人だけのものだ。
「そうですよね。いやまったくその通りです。スミレさん。わたしにとっては勇気と言われるのが重荷なんです。手術に成功したから、わたしは今こうして生きているので、この話に残酷なオチはありません。ただわたし自身は、残酷なオチを背負って生きているのです。まわりに言われなくとも、わたしに判断力が乏しいとか、決断力に欠けるとか、大きな勝負を仕掛けられないとか。そんなことは自分が一番わかってるんです」
 せっかく助かった命が、そのひとを苦しめているなんて因果なものだ。さらには多くの助からなかった人たちにしてみれば、贅沢な話しだと怒りをかうだろう。
「必要な出来事が、必要としている人に届かない。それはひとの力だけではどうにもならないよね」カズさんが言った。
「お金持ちは、いくらお金があっても、もっとお金を増やす方法を考えるのに明け暮れ、お金の使おうとしない。同じように、命がいつまでもあると思って、ほとんどの人は日々を怠惰に暮らしている」
 その例え話が同じなのか、スミレにはわからない。
「お金が必要なひとには、必要とする分だけのお金が回ってこない。命をつなぎとめたいひとに、命が回ってくるかどうか、それは多分に運が左右する。運よく命拾いしたとしても、その命を有効に使えるかどうかは本人次第。せっかく助かった命は、運がなければ無くなっていた命の対比ではないんだよ」
 おやじさんが、カズさんの言葉を受けてそう言った。スミレ以外は共通認識できているらしく、またまたアタマがこんがらがってきた。それはもう、お金持ちになるのも、長生きできるのも運次第ということで、身もふたもなくなってしまう。
 スミレの短い経験則ではそうなってしまうのも無理はなく、大人たちは、子どもになった大人も含めて、多くの経験からその類似事例を抜き出すことで言ているのだ。それらの関係性の中からでこそ生まれる意識もある。カズさんはこの状況を楽しんでいる。
「そうね、誰もが正当な理由を求めてるんだから。それはなるべく自分の意に沿ったモノが好ましい。そうでなければ納得出来ない。と同時にそうでない場合の想定をあらかじめ準備しておき、なるべく衝撃度を緩和するように備えておきたいものなのよ」カズさんが言う。
「そうなのかもしれません。わたしもそうでない想定をしました、、」すぐにキジタさんが受ける。
「そうねえ、例えば医者に反発したからとか?」カズさんはスミレを見てそう言った。ここでつながってくるとは。スミレは口をへの字に曲げた。
 キジタさんが予定してるそうでない場合は、本当にそういうことだったのだろうか。子どものスミレにもそれはあまりに子どもじみていると、子どもの姿のキジタさんに言うのも変だった。
「、、わたしはそもそも生まれるべきではなかったと。そうすれば、両親に心配もかけることなく、自分自身の存在に思い悩むこともなかったのです」
 はやり、それだけの話しでは終わらない。医者への反発に置き換えたのも、キジタさんがその思考に陥ってしまいたくないからで、どうにもその根は奥深そうだ。
「わたしは一度だけ親に訊いたことがあります。医者に助かる確率は低いと言われたのに、手術したのはどうしてかと、それに、お金だって、、、」
 確かにそこは気になるところであった。お金の心配もあり、言い出しづらい。無理を承知でも、万にひとつの可能性があればと願ったからだと、親からは言って欲しいところだ。
「それで、親御さんは何て?」カズさんが声をかけた。
 キジタさんが、それを言葉にするのが厳しいように見えたのだ。実際キジタさんはこうべを垂れて口を閉ざしたままだ。
 おやじさんがキジタさんの肩を優しく撫でる。その動きに流し出されるように、腹の奥にしまってあった言葉が喉元までこみ上げてきた。ふたりはキジタさんの奥底に溜まったモノを吐き出させて、楽にしてあげたかったのだ。
「、、 それが、覚えてないんです。教えてくれなかったのではなく、何か言われたのは間違いないんですが、それなのに記憶がないんです。こんなに大事な言葉なのに、なにひとつ、、 ただ、ふたりの穏やかそうな顔は印象に残っています。およそ子どもに、どんな気持ちで命を救おうとしたかを話すような、そんな表情とは、かけ離れた表情だったんです」
 キジタさんは、余りにも想定外の言葉を受け入れることができずに、そのまま記憶から消してしまったのだろうか。奥に置いてあったのは、それを思い出さないように閉じ込めているように。
「訊いたのはそのとき限りです。二度と訊くことはできませんでした。自分が助かった本当の理由を、遠ざけて生きてきたんだと思います」
「だからなのね、」カズさんは柔らかな口調で肯定する。
「あなたがケンちゃんを脱却したいのも、姉に昔のことをからかわれるのが嫌なのも、その話題になることに怯えていた。そうなんでしょうね。本当の理由を、もはやそんなカタチで訊きたくはないとしているのだから、、」
 キジタさんは、コクリとうなずいた。
「どんな理由であったにしろ、わたしはこうして生きています。それ以上に何を望むことがあるでしょう。でも、、」
 その言葉に続けて何を言い出すのか、スミレは息を飲んだ。
「、、こんな思いをするために生き延びたのは、いったい何故なんでしょうね」
 キジタさんは大きく首を振った。清々しい表情も、なにか無理をしているようだ。キジタさんはその理由を探して生きている。そのためにあえぎ、傷つき、自分の弱さを表に出している。
 生き延びた理由は、何かこの世にできることがあるからのはずだ。スミレにだってわかる。しかし、誰も安易な慰めの言葉など口にしなかった。
 子どものためにありとあらゆる手を講じて、命をつなぎ止めることがモチーフになるドラマはよく目にする。それが万人が望む見たいストーリーだから。命を救われた人たちが共通して望んだ結果ではないこともあるのだ。
 産まれてきて良かったとか、生きて恩返しをすればいいとか、耳障りのいい言葉は直ぐにでも口にできるだろう。そんな言葉をキジタさんは望んでいない。それはもう、自分のなかで何十回も唱えていた。人それぞれに解毒の方法は異なる。
 時に慰めよりも、その判断を尊重することが必用だと、カズさんもおやじさんも知っている。
 言葉が通じることを前提として、この世の中の仕組みが成り立っていても、本当は誰もが口に出せるものでもないし、目に見えて他人との差に気づくものでもない。
 それでも誰かとは違っている。みんな一緒ではなく、誰もが自分だけの解を持っている。それを本人から宣言するのは野暮だと誰もがわかっている。
 スミレもようやくそのことに気づきはじめていた。自分にも自分だけにしかない解を幾つかある。母には理解してもらえたことは、父には理解してもらえない。友だちには理解してもらえても、両親にはダメだった。
 みんながみんなスミレと同意見ではない。その人から見ればスミレは異端者で、何かかけている欠損者なのだ。手術の必要はないけれど、直ることもない


昨日、今日、未来16

2023-12-10 18:05:08 | 連続小説

「おやじさん。めずらしいですね。フロアに出てくるなんて。今日もおいしかったですよ。こんな食材出してたら、店が儲からないでしょう」
 キジタさんがおどろいて声を掛ける。今はもう少年ではなく、元のおじさんに戻っている。おやじさんと呼ばれたひとは、所どころに調味料のシミを残した調理服を着ている。キジタさんの言葉を聞く限り、どうやらこの店の料理長兼オーナーらしい。
 腕まくりをした腕は細く、血管が浮き上がるほどだった。油のはねた痕が所どころにシミになっているのが、おやじさんの年季を物語っている。
 ゴムのスリッパをつっかけたまま、おやじさんはスミレたちのテーブルまで寄ってきた。となりのテーブルから丸椅子をひとつ引き寄せ、テーブルのすみに陣取った。いわゆるお誕生日席だ。
「おやじさん、すいませんがもう少しわたしに話しをさせてください」
 キジタさんはそう断ると、おやじさんは目を閉じてコクりと首をうなだれた。その肯定を合図として、再びキジタさんはスルスルと子どもになっていく。そして恨めしそうな顔をカズさんに向けた。
「姉さん、違うんですよ、、」やはりカズさんは仮想姉だった。
 キジタさんは小さくなっても話し方は元のままだ。子どもが大人びた話し方をするのは違和感しかなかった。この状況でなければ絶対に目にすることはない風景を、当たり前のように見ているスミレがいた。
 スミレはカラダが成長しても知識や思考は元のままなので、この不釣り合いな状態にバランスを崩してしまいそうであったのに。
 大人のように賢ぶって話す子どもがいれば、普通ならなにも知らない小僧が生意気を言ってと、冷ややかに見られるだろう。そんな先入観さえバカらしく思える。その人がどんな想いで話しているのかを、もっと自然に聞くことができれば、その人との接し方もまったく別のモノになるはずだ。
「そう、同じことなんだよ、スミレちゃん。わたしだってそうなんだ。カラダや脳の成長とともに、知識が取り込めれるわけでも、与えられる情報が最適化されているわけでもないんだ。だから誰もがその不釣り合いな状況を埋め合わそうと苦慮している」
 同じではないとスミレは否定したかった。いまの自分の状況はあまりにも実態よりかけ離れすぎていて、経過した時間も少なすぎる。キジタさんが重ねてきた年数とは比べものにならない。
 カズさんは失笑している。
「そうでしょうね。スミレの状況は特殊だけど、それはしかし、わかりやすい環境であり、ある意味、対応しやすいんじゃないの? キジタさんはが言いたいのは、そうではなく、今の状態が正なのかどうかもわからないまま、いろいろな情報を詰め込まれていき、それを正確に処理することが成長の証として、可視化されてしまうことが、どれほど精神に歪を与えているかということよ」
 じゃないの?と、軽く言われてもスミレは困惑してしまう。確かに、情報量が多すぎて、処理も追っついていない中で、誰かと比較されることもなく、どの程度理解できているかの基準は自分次第であることは気は楽に違いない。それ以外はすみれの方が負荷が多い。周囲の目や、誰かとの比較が、どれ程プレッシャーになるのか知らしめている。
「そこなんですよ。スミレさん」
 スミレちゃんから、スミレさんに変わった。見た目とは関係なくスミレのレベルがアップしたのだ。それをスミレはまだ身に感じていない。
「わたしはね、生まれながらにカラダに欠損があったんです」
「ケッソン?」
 その正確な意味はわからないながらもスミレは、なにかが欠けており、他の多くのひとと違いがあることを示したいのだとアタリをつけた。
「なあにスミレさん、安心してください。わたしだって、その言葉が正確かなんて、わかって使っているわけじゃないですから。なるべく配慮した言葉を選んでいるだけです。自分にも他人にも、、 ましてや害があるわけじゃないのに、そんな言われかたしたらどれほど傷つくか。言葉や漢字の振り方と言われればそれまでですが、自分ではそう言わないと、なんだか出来損ないに思えてね、、」
 言う方はそこまで深く考えて言っているわけではなくとも、言われる方の感じ方は様々なのだ。スミレだって何気ない一言で、友達から反撃を受けたことは幾度もある。
 そんなつもりじゃないと言っても、傷ついたと言われれば返す言葉もなく、これでは一体どれほど気を遣って話せばいいのか、しばらくは咄嗟に言葉が出てこなくなったことがあった。
「通常あるものが、なければ欠損していることになる。それがなくてはならないかどうかは別なのにね。あるかどうかの価値は、人それぞれに委ねられてしかるべきなのに。それが人が平等を享受できる前提でしょ。すべてが同じであることがスタートラインになっていては、そうでない人はスタートラインにすら立てないんだから」
 カズさんは、そう持論を展開した。キジタさんはうなずいているので、自分の意図を汲み取ってもらえたのだ。
「わたしのカラダの欠損は、生命に関わる重大なものだったんです。そのせいで、母乳は飲めずにやせ細っていき、両親は当然のように心配になり医者に相談したんです。そこで発覚したんです。そしてそれは手術をしないと治らない欠損だった。当時の医療では成功する確率は低く、医師からは諦めた方がいいと両親に伝えたんです。それに手術代も決して安くはないと」
 人情的には受け入れがたいものがある。そうであっても人の死と言えども、確率論は成立するし、値の上下により、手が出るか出ないかも判断される。それも助けられるかどうかの選択肢があるから選べるわけであり、その選択肢がなければ確率はゼロであり、手の出しようもない。
「わたしの両親は、手術をする選択をしてくれました。その理由が親としての責任としてなのか、わたしのことを思ってなのか、医者にそこまで言われて逆に発奮したのか。発奮したという言いかたは言葉が悪いかもしれませんが、人の深層心理というものは決してロジカルではありません。その言葉がトリガーとなって手術を決断したとしても、わたしにはどうでもいいことです。いまここに命があることがすべてなんですから」
 難しい話が重い話になってきた。スミレはその重さを取り除こうと、これは自分が望んだ空想の話なので、気に病むことはないといい聞かせた。
 マンガやドラマも、作り話とわかっていても感情移入すれば、喜怒哀楽があらわれる。ましてや目の前にいる人が、演じている訳でもなく、自分史を語ればどうしたって、相手を慮ってしまい、スミレはいたたまれない。
 そして残念ながら、この先はもっと話しが重くなっていく。
「生後間もないわたしは、自分の生死が秤に掛けられているとも知らず、自分の人生の選択を親に委ねるしかないのです。その時にわたしは、人生で一度目の重大な決断を、自分以外に託したのです。もちろん、自分では何も出来ない赤ん坊は、生のすべてを育成する者に委ねなければならないのは承知してます。それとは別の負い目、そう負い目と言っていいでしょう。負い目を持って、2度目の命を与えられたのです」