private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

エピローグ

2023-01-29 16:35:49 | 連続小説



  それは、毎週土曜日の”オールド・スポート”での朝一番の風景となっていた。
 勢いよく開けられた扉とともに、吹き飛ばされそうなカウベルが大きな音を立てる。
「ミカさーん! 聞いーてくださいよ。ウチのトーちゃんたら、ズルいんですよ」
 扉の前には腰に手をやり、仁王立ちの姿で、頬を膨らませている真陸亜がいる。
「ちょっと、マリアァー。そんなに強く開いたら扉が壊れちゃうでしょ。ウチの店にアタらないでちょうだい」
「だってぇ… 」
 開店前の店内掃除の途中だった美加は、ホウキがまるでこん棒に見えるようにして持ち替える。
「だってじゃないわよ。どーせまた、最後のコーナーでナイジにやられたんでしょ。文句言う前にウデ磨いたら。ナイジはあのコーナーに照準を合わせて、そこで抜けるように仕向けてるんだからさ。わかってて抜かれてるマリアもまだまだよねえ」
 近くのテーブルに片手をついて体をあずけ、笑みを含ませながらたしなめる美加。真陸亜は痛いところをつかれ、ぐうの音もでない。
「 …だってええぇ」
 と、消え入りそうな声でこたえながらも、そこからの言葉が続かない。
 子どもをあやすような顔つきのまま、再び店内を拭きだしながら美加は尋ねた。
「ナイジは?」
「オースチンのボンネット開けてた。古いクルマだから、いろいろガタがきてるみたいで」
「そうね、あれからずいぶん経つからねえ。あらぁ、それじゃマリア。あなた、その古いクルマに負けてるんだから、言い訳はきかないわよねえ」
「うっ、ミカさん。話しの流れとはいえ、イタいところを遠慮無しに… はいはい、早くトーちゃんに勝てるように頑張りますよ。そうしないと、ツアーズに入れてもらえないんだから。でも、ヤツらより速く走れるんだけどなあ」
 がっくりと首を落として落ち込む体裁の真陸亜が、ふたたび顔を上げた時の目は悔しさがにじみ出ていた。美加はさきほどのたしなめる口調から一転して柔からなもの言いになっていた。
「そうでしょうね。ナイジとそこそこ、やりあえるんだから、そこいらの半端な男たちに負けないわよねえ。そういっても、アナタも辛いところね。親の名が売れていると、否が応でも七光り扱いされるし、オンナであることも不利な要因だしね。誰もが納得するぐらい圧倒的な力を見せて、はじめて対等にみられるってところかしら。だからナイジだって、手加減せずにアナタとやりあってるんでしょ。あっ、来たわ」
 今度はゆっくり扉が開いて、ナイジが店内に入ってきた。軽く右手を挙げ、美加に合図だけすると、いつものお決まりの席に腰を下ろす。それを見て美加が厨房にいるハンジに声を掛ける。
 ハンジは厨房の中からチラリとナイジの姿を確認するだけで、再び作業を続けはじめた。しばらくすると香ばしいコーヒーのかおりが店内を包みだす。
 真陸亜は金魚のフンよろしく、美加の仕度のじゃまになろうとも、一向に気にすることなく、おしゃべりを続けている。美加は真陸亜の方へ向かってホウキを動かし、ゴミとともにうっちゃりながら、真陸亜の言葉に対して3倍ぐらいの返答と、軽く皮肉を添えて返していく。美加のマシンガントークは相変わらず健在だ。
 真陸亜の声が高まる都度に、ナイジはそちらへ目をやり苦笑していると、ハンジが淹れたてのコーヒーをテーブルまで運んでくれた。
 ふたりで女性群のかしましいやりとりを見て、ナイジが肩をすくめると、ハンジは少しだけ顔をしかめて腰を叩きながら厨房へ戻って行く。
「 …でもね、不思議なの。トーちゃんと走ってると、周りがスローモーションみたいに見えてきて、すべての状況判断が余裕を持って、自分の意のままにできるような感じがするの。だからひとりで走る時より速く走れてる。自分の力以上を引き出されている感じで…  あーっ、もう、言っててやんなっちゃった」
 何の会話の流れでそうなったのかわからないなか、その真陸亜の言葉だけがハッキリとナイジの耳に届いていた。脳がズレるような、なんともいえない気持ちの悪さと共に意識が時代を遡り、あの時聞いたレース後のマリの言葉を思い出していた。
――アタシね、今日隣に乗って、確信したことがあるの。ナイジのクルマに乗るのは、自分の過ごせなかった時間を取り戻していくためなんだって。ナイジが猛烈なスピードで走り出すと、周りがすべてスローモーションに見えてくるの。最初にクルマに乗せてもらった時に言ったけど『スローモーションを見ているように速い』って。たぶんうまく伝わらなかったんだと思うけど、そういう意味なの。それはいつも、ほかの人が見ているアタシの姿。何をするにも時間が掛かって、モタモタしている。それがナイジのクルマに乗ると状況が一変しちゃう。他の人が経験しないスピードの中で、無くしていた時間を取り戻していくことができる。だからこう続けた『でも、もっと速く走れるよね。』ナイジには申し訳なかったけど、そうすればアタシはもっと自分を取り戻せる。アナタのクルマに乗るってことは、アタシに取っては自分以上を引き出してくれる大切な時間なの。 …アタシにはその時間が大切だった――
 笑顔で嬉しそうに打ち明けてくれるマリの言葉に、その時は言葉の真意もつかめず、わかったようにうなずいてごまかしていた。いつしかその時間の大切さを知ることになり、今ふたたび、自分の娘から同じ言葉を聞かされたのは何かの因縁なのか。
 想いが込められた言葉にこれほどの力があったとは、この時まで知らなかった。自分を奮い立たせる力であり、人生をも決定付けてしまう運命的な啓示。
 マリの意図とは別に、なんだか馬鹿にされたような言いように感じてしまい、変に喰いかかって、あとを追いかけたのがはじまりだった。
 そうでなければふたりの人生は二度と交わらなかったかもしれない。それが運命と思えば運命なのだろうし、偶然といえば偶然なだけで、ただその結果として自分が一番大切なモノを手にすることができたならば、運命だろうが、偶然だろうがどうでもいいと思えた。
――マリ、お前の娘は元気に育ってる。もうすぐオレより速くなる。マリ。そんなんでもいいだろ。なあ、マリ… ――


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