private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来12

2023-10-15 18:09:14 | 連続小説

「スミレ。そうなんだけどね。わたしたちはいつだって現世を生きているようで、同時に誰かの疑似体験の中を生きているようなものなのよ。年数を積んでいけば、なんとなく世の中ってものがわかった気になって、自分の知らないことも誰かが知っていていて、その受け売りで自分も知った気になって、それでいて何もわかっちゃいない。それは時に強みにもなるけど、負の要素も多く含まれるのよね」
 スミレはカズの言葉を理解できるようになってきた。これまではガチガチに固まって、ほぐれそうもない糸がからまっていた言葉は、自分のこれまでの知識ではわかるはずもないのに、経験がなくとも言葉が勝手に解き放たれていく。
 学校の授業も、日々新し事を教えてもらうことを繰り返している。すぐに理解できることもあれば、そうではなくあとから復習したり、誰かに聞いたりして納得することもある。
 それらは覚えなくてはならない前提で行われているだけで、自分にとって必須かどうか別である。まわりと同じ知識を得なければ、自分の価値がないような気になり、テストでも点数が取れないという、一種の被害妄想的な抑圧感がそうさせてるだけだ。
 カズさんの言葉を理解しようとするのは、そういった雑念は一切なく、自ら意味を探ろうとして行き、それが段々と苦痛なく自分の身にまとわりついていく。そんな新しい感覚をスミレは得はじめていた。
「そんな上っ面らな知識をもとに、他人のすることには、あーすればいい、こーすればいいと勝手な意見を持つんだけど、自分では責任を持つのがイヤだからなにもしない。その立場でいることの心地よさを手放そうとしない。実体験をしているようで、カラダを張って何かしたこともない。それなら誰かが決めた世の中を、自分のモノのように錯覚して生きているのと同じなんだよね」
 そうカズさんは言って、チラリとキジタさんのほうを向いた。
「誰かが何かを知っているという集団的な知能を持って、これまで人類は進歩を続けてきたでしょ。それもいつしか飽和状態となって、知識の伝達だけでは進歩はおぼつかなくなってきた。もしくはそれ以上を人が要求するようになってしまったようね」
 多くのことが成りゆかなくなって、限界○○とか、○○離れととか、言われて久しい。スミレの両親もそんなことをよく嘆いては、誰かの所為にしている言葉をよく耳にした。
「知識の共有は、これまでの地域的で極地的で少数意見であったものから、電子機器を通して全世界的で多様性が求められ全体の総意が必要となっているでしょ。知識はひと伝えではなく電子機器に蓄えられ、正否を委ねられ、誰もが平等であることを強要されるようになり、利便性だけを追求してそんな電子機器を乱用すれば、今度はそれに支配されるようになるだけなのに」
 キジタさんは感心したように何度もうなずいていたと思えば、ポケットから手帳を取り出してなにやら書き留めだした。
 カズさんは電子機器と言うがそれはデバイスのことなのだ。どうやらキジタさんもスマートデバイスがない時代のひとのようだ。
 そう思えばキジタさんは、カズさんやスミレが何か言うと、これまでもなにやらメモを取っていた。
 カズさんはキジタさんが何をメモしているか気にならないのか、それについて言及することはない。キジタさんもふたりを気にすることなく書き込みを続けている。
 スミレもカズさんの意見に感心することはあっても、メモするには至らない。そもそも手ぶらで何も持っていない。
 こういうところに人としての差が出るのだろうかと、改めようとしたことも何度かあったが未だにそれには至らない。
 同じようにいいアイデアが浮かんだ時も、メモをすることなく家に帰るころには忘れてしまうことが多々あった。
 数々の有益な言葉や、アイデアをすべて書きおいておけば、どれほどの資料になったのかと、失くした物の大きさを悔やんでみる。
「そんなもの大した言葉でもなく、大したアイデアでもないよ」
 カズさんはそう切り捨てた。メモを取り終えたキジタさんは、なんだか自分のことを言われているかと、いそいそと手帳をポケットにしまう。
「スミレちゃん。そうだよ。余程の言葉や、アイデアはメモしなくたって忘れないさ。記憶に残らなかってことがそれを如実に物語っているよ。逆にそんなモノを残しておいても山積みされた言葉の羅列が残るだけで、余計にアタマが整理されず、必ずしも正しい方向へ導いてくれるとは限らない。ある意味、言葉というのは即時的に価値を持つものであり、同じ言葉であっても時がたてば重みを失ってしまう。思考なんてさらにその比じゃない」
 さっきまでメモを取っていた人が言う言葉ではないのではないかと、スミレは微妙な顔をする。キジタさんはそれについて気に留めることはない。自分がしたことはそれとは別であるかのようだ。
 確かにカズさんが何かを言ったあとにメモすれば、それについて書いていると判断しがちだが他に気になったことを書いた可能性もある。その時の人の行動や言動に惑わされることはありがちだ。
「それもまた、自分の意思で生きていない要因のひとつね。他者の動きに合わせて反射的に、反動的に自分の思考が生まれていく。自分の意思で考えたようで、引き金は他者が引いているに過ぎない。わたしたちの時代は、それが権力者からの強制が土台としてあった。大衆は敵対するものがなにかを知りながら、声を挙げることはできなかった。声を挙げるには大きすぎるし、遠すぎたから。それなのにスミレの時代ときたら、権力者にそれほど力がないのに、いえ、逆に下に見下しているぐらいなのに、そんな人たちにいいように扱われているなら、自分達を貶めているだけということに気づきもしない。何ひとつ自分の考えを膨らませることなく、他者の引いた既定路線に乗って正論を吐くだけで満足している。それが、この先の、、、」
 なんだか、メモひとつの話しが壮大になってきた。子どもがこの国を動かしているわけではない。そこまでわかっているならカズさんや、キジタさんがどうにかすればいいはずだ。
「そうですね。だからこうスミレさんと、コンタクトを取ったわけなんですけどね」
 キジタさんはそんな重要な言葉をさらりと発した。当然スミレは強く反応する。
「えっ! それってどうゆうこと?」
「そんなに、あわてないで。時間はまだあるんだから。他者から言われたことに反応するだけじゃなく、自分の意思で物事を組み立ててみなさいよ」
 カズさんが、焦るスミレを制する。うまいことこれまでの流れに丸め込まれてしまったスミレだ。どうであっても教えられる立場であればいたしかたない。
「まったく、物事をいちから覚え直さなければいけないのがこの人種の弱味ね。無から知識を吸収するよりも、すべてを知った子どもを迎える利点が上回るようになり、常識がひっくり返る時期がくるようになるかもね。そうすれば人を長生きさせるより、効率的になるんじゃないの?」
 そんな非現実的なことをカズさんは言った。まったく同じではないがいまのスミレはそのテストケースだとも言える状況下で、スミレは自分がそんな立場であるとは思いもしていない。


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