private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(パン屋と服屋のあいだで3)

2024-06-30 14:58:42 | 連続小説

 店の扉を閉じて振り返るケンシン。道の中ほどでマオは立ち止まっていた。まだ言いたいことがあったのか、このまま引き上げて良いのか、彼女が逡巡しているようで心が痛んだ。
 アタルのようにいつまでも目を離せずに見ていると、ケンシンの心配は的外れだったようで、マオは左手側から誰かが来るのを待っているだけだった。
 そうであれば会長が言い忘れたことでも思い出したのか、それとも念押しに戻って来たのか。気になってのぞき込もうとしても扉の窓では小さくそこまで見えない。ショウウィンドウの窓はすでにブラインドが下ろされている。
 マオは軽く手を上げて会釈をした。店で客に接する時と何ら変わりのない柔らかな動きだった。それを見れば、どうやら知った人がマオに近づいているようだ。
 その相手が扉の窓に現れ、ケンシンの視界に捉えられた。上下スポーツウェアで、キャプを被っている。パッと見たところは中高生の男子に見えた。
 ランニングの途中らしく、マオに近づくとスピードを緩めた。マオが何やら話しかける。穏やかな表情だ。カレはその場で足踏みを続け、今度は身を持て余すようにステップを踏みはじめた。
 マオは目を見開き口を手で覆い驚いたしぐさをした。何の話題を話しているのか、そのあと首を振って手を開いて制止する動きに変わった。
 カレは肩をすくめて気に留めていな様子で、今度はマオのまわりをステップを踏んで回り出した。マオはそれにつられて首を回したり、身体の向きを変えたりしてカレを追っかけ、しきりと話しを続けている。
 ケンシンは覗き見に罪悪感を感じながらも目が離せなくなっていた。これでは今後はアタルに文句を言えない。いったいふたりがどんな関係なのか、気になってしまい判断する情報を欲しっていた。
 想像する中では姉と弟という構図が一番しっくりするが、それはケンシンがそうであればいいと望んでいるだけで、それ以外の選択肢では余りしりたくない関係性となってしまう。
 それを確認してどうなると踏ん切りをつけて仕事に戻ろうとした次の瞬間、ケンシンの目に飛び込んだのは驚愕の光景だった。
 ステップを踏みながらダランと下げていた両手が目にも止まらぬスピードで、右、左とマオの顔面に飛んでいった。
 それは例えではなく、本当にケンシンの眼には腕の動きが見えなかった。そのためにカレの拳がマオにヒットしたのか判断できない。ただ、マオは倒れるわけでもなく、顔は困ったような笑顔であるので、当たってはいないのは間違いない。
 そうではあっても放っておくわけにいかずケンシンは店を飛び出した。自分に何ができるかわからないまま突っ走った。いくら知り合いだからといっても、このままにしておくわけにはいかない。
 事実カレはマオの回りを移動しながら何度もパンチを放ち続けている。いつ本当に当たってもおかしくないはずだ。
「なにしてるんだっ!」ケンシンはカレの腕をつかもうとした。その行為を嘲笑うかのように、またそうなることを予感していたかのように、ケンシンが伸ばした手からスルリと身をこなした。そして見えない右のフックがケンシンのアゴ先を捉えた。
 ケンシンは尻もちをついてしまった。当たってはいないのに。
 それなのにマオとは異なりケンシンは腰から崩れ落ちていったのだ。そして首筋に冷たい汗が流れた。
「エマさん! やめて!」マオは慌ててそう言ってエマを制止て、すぐにケンシンを心配した。
「カミカワさん大丈夫ですか?」あっけにとられ地面に座り込んでいるケンシンに、マオは両ひざをついて寄り添った。
 ケンシンは恐る恐るアゴ先に手をやった。痛みはない。それなのに何かカミソリにでも切られたような感触が残っている。ホッとするのと同時に嫌な汗と、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ごめんなさい、あのコ、フザケてただけで、本気じゃないんです。そのう、つまり、いつもの挨拶みたいなもので、、」マオは申し訳なさげにそう言った
 ケンシンが驚いたのはパンチを食らわずに倒れたことだけでなく、男のコに見えた相手をマオがエマさんと呼んだことだ。
 深くかぶったキャップと、短い髪の毛でわかりづらくはあるが女性に見えなくともない。それがあの身のこなしと、ケンシンを圧倒した寸止めのパンチ。それが本当ならますます立つ瀬がなくなる。
 低姿勢のマオに比べ、エマは尊大な態度のままだ。鋭い眼光をケンシンに向けてくる。ひとに簡単に気を許さないタイプの人間のようだ。
 さらに言えば、男という人種を信じていない。そんな目つきだった。それがマオとを結びつける精神的なキズナになっているようにケンシンには思えた。
 エマは口には出さずに、マオに、誰? コイツ、と言ったような態度を取る。普段からそんなやり取りをしているのか、マオはその仕草に応える。
「このひとは、あのベーカリーで働いているカミカワさん。アナタがふざけてあんなことするから、ビックリしたのよ、、 」きっと… マオはケンシンの顔を覗いて、間違いでないか確認したつもりだ。
 そんな大仰なモノではない。偉そうに助けに出て、いとも簡単にやり返される。一番みっともないパターンを披露しただけだ。やはり身の丈に合わないことをすれば、こういうことになるとあらためて認識していた。
 はやとちりと尻もちの照れくささをごまかそうと、ケンシンは立ち上がってアタマを掻くしかない。
「そんな、結局、何の力にもなれず。余計な手出ししてハジをかきに来ただけみたい、、」そう自虐的に言って笑いを誘おうとする。
 声が上ずらないように必死に落ち着いて話そうとするケンシンに、エマはニコリともしない。マオを見てイヤな笑いをする。このオトコも同じだと言っているように見えた。
 別れの合図がわりのつもりか、マオだけに軽く手を上げてロードワークを再開した。自分はもうここにいたくないという意思表示にケンシンには映った。すれ違う時も目を合わせなかった。
 その顔つきは確かに女性に見えた。マオとは正反対といってよく、すべて敵対視した目つきで、薄く荒れた唇は冷淡に見え、動きのない表情からは何も読み取ることができない。多くのオトコが気に留めることがない外見の女性だ。
「さっきのコ、ボクサー 、、ですよね?」ケンシンは思わず、マオの友達かもしれない相手に、そんな訊きかたをしてしまった。
「あの、わたしもそれほどよく知らなくて、、 以前、男の人にしつこくされていた時に、助けてもらって、、」
 言いづらそうに説明するマオをみて、触れて欲しくない案件であるのがわかる。ケンシンは手をあげて、それ以上言わなくていいと制止した。
 なにか男を代表してマオに謝りたくなった。そんなことをしても何も変わりはしない。彼女の生きづらさがヒシヒシと伝わってくる。
 自分の思うところと別の要因で、常に何かと戦っていかなければならない。寂しげな顔にいくつもの疲弊の痕跡が滲み出るマオが不憫だった。
「あれからは、たまにこうして出会うぐらいで、それに込み入った話をするほどでもなくて、その時は、ただ話しを聞いてもらったっていうか、一方的に話したっていうか、、 」
 歯切れの悪い言い方をするマオだった。つまりそれほど深い間柄でないことを示したいのであろうし、嫌な記憶をケンシンに話すほどの間柄ではない。
 日頃のマオを見ていれば十分に想像がつくケンシンとしては、無様に倒された理由を明確にしておきたかっただけだった。そうでなければ自分があまりにも貧弱と認めなければならない。自分を正当化するためにマオに無理強いをさせていては本末転倒だ。
「ゴメン、いいんだムリに答えなくたって。それに、いろいろとわかった気になるつもりはないよ。ただ、カノジョに、エマさんに、興味が湧いただけなんだ」そう言って、マオの件とは切り離そうとした。
 それでもマオは下を向いて申し訳無さそうにしている。
「いやね、カノジョがボクサーであり、それなりの能力を携えていて、今後、頭角を現していく存在ならと、期待してみただけだだから」
 それはマオを安心させるための方便でしかない。たまたま偶然出会ったアスリートが有名になるなんてことは、宝くじが当たるぐらい起こる可能性は低いはずだ。
「そうね、エマさん、強いから、、」
 マオの言う強いには、複数の意味が含まれているように聞こえた。自分のやられぶりをみれば、マオを助けた時の立ち回りを想像してしまう。見てみたかったとさえ思った。
 マオは口を閉ざして首を振ってみせた。今の言葉を否定するように。
 なにか自分たちは、自分に無いものを、欠けているものを、常に探して追い求めているようだった。何が備わっているかではなく、何が足りていないか。
 そして、その実、足りないものを正しく捉えられていなかった。永遠に見つけられない宝の在り処を探し続けているだけのようだった。ケンシンは勝手にそう決めつけていた。
「エマは、ほとんどしゃべらないんだけど、あの時は、ひとつだけわたしに忠告してくれた」
――すべてを制御するな。
 エマはいつも通り、表情に感情をあらわすことなく、オトコたちと立ち回りをして追い払ったあとだというのに、息ひとつきらすことなく、そう言った。
「その時はなんのことか全然わからなかった。混乱してたし、エマさんが支えてくれてたから、身に詰まっていたコトを吐き出してしまったから」そう言ってマオは少し笑った。
「なんだか変ですよね。エマさんもそうだけど、カワカミさんも、なんだか安心していろんなことがしゃべれちゃう。こんなこと言ったら迷惑かもしれないけど、、」
 今度はケンシンはクビを振った。自分に何ができるかわからないが、少しは役に立てているならば心も楽になる。エマのようにマオの心に響く言葉は出てこない。
 ”すべてを制御するな”とは、捉え方によれば肯定的であり、否定的であり、どちらでも引用できる言葉だ。
「それをどう解釈したの?」ケンシンはマオの眼を見た。マオは今度は目を逸らさなかった。
「うまく言えないんですけど、自分がどれだけ抗いても、身に降る全てを排除することはできないんだから、自分ができることだけに専念するしかないのかなって。それを後ろ向きに捉えなくてもいいんだから」
「掃除当番も制御できる案件ではないしね」
 マオは驚いた様に目を見開いてから手で口を押さえて笑った。まわりの雰囲気を変えられるような素敵な笑顔だった。
 一体エマは何をマオに伝えようとしてその言葉をで選んだのか。
 過去の世界では、情報は無料で誰にでも開かれたものであったはずなのに、それが高度化するとコストを持つようになる。
 そしてそれはいつしかビジネスとなり、費用をかけることですでに知識を得たと錯覚してしまったり、逆に意図した結果が得られないと、費用として放棄してしまったり。本来の情報の伝達とは別の使われ方が本流となってしまっている。
 ケンシンはエマのパンチモドキで尻もちをつき、マオはエマの言葉で倒れた心を立ち上がらせた。
「これまで本を買ったり、学校で勉強したりしたけど、本質的にわたしを救うものはなかった。エマの言葉で落ち着けたのは、カノジョ自身が持つエネルギーが説得力を孕んでいたんだと思う」
 ケンシンもその風圧で吹き飛ばされたのかもしれない。
 マオはケンシンに自分と近い感覚を見出していた。彼もまた異なる周波数の中でチューングに苦しんでいるのだと。
 自分達には不要なものが、この世の中には多く存在している。それを取り除こうとすればするほど、接点が増えていく。先の見えない道を歩き続けるのは限界があるのだ。
 お互いに思うことはあっても、初対面でそこまで気持ちを開示することは憚られた。
 ケンシンは、もはや恥の上塗りでもいいと腹を決めた。空回りでも、的が外れていようとも、それを今しなければ、ここまでの時間がすべて無駄になってしまいそうだった。
「あのう、実は、、」「はい?」マオは首をかしげた。
 なんの抵抗も感じさせずに、髪の毛が一本づつ肩に移動していく。
「実は思い出したことがあって、オレ、明日の講義が昼からで、そのう、つまり、、」
 マオはケンシンの辿々しい、いかにも言い訳じみた説明を、優しい眼差しで聞いていた。これでは多くの男たちが勘違いしてしまうのも無理はないと、双方に同情していた。
「あした、掃除出るから。オレもわかんないことばっかりだけど、ひとりよりマシだと思う、、んだけど、」
「ホントですか!うれしい! すっごく不安だったんです」マオは満面の笑みに変わっていた。
 ケンシンはその笑顔を凝視することはできなかった。下心があるわけでなくとも、他の男たちと対して代わりはしない。きっかけのあるなしで対応が変わるだけだと、自分に言い聞かせていた。そうでも思わなければ調子に乗って誇大妄想しそうになる。
「アナタはいつも朝から掃除してるから、そんな心配いらないでしょ。あっ、別に覗き見してたわけじゃなくて、その、、」
「ふふっ、カミカワさん気をつかい過ぎですよ、お店正面だから、見えますよね。わたしも何時も見てますよ。男のひと、ふたりで楽しそうだなって。今日は年配の方に優しくされていて」
「カワカミです」「エッ?」「名字、カワカミなんです」マオは目をクルッとまわしてから、合点がいったらしくうなずいた。
「そのまま、ムラサワです」そう言って笑った。ケンシンもつられて笑った。
 それほど力を入れる必要はない。ふたりは肩の荷を下ろしていた。


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