private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来15

2023-11-26 17:00:30 | 連続小説

「わたしの下の名前はケンジと言い、子どもの頃は当時人気のテレビ番組の題名にも有って、誰もがケンちゃんと呼んでいました」
 キジタさんが話題を変えて話しはじめた。小難しい話しはもう終わったようだ。子どもの頃の思い出話しならいいかとスミレはホッとするも疑問が生じる。キジタさんは最初に自己紹介した時と名前が違っていた。
 スミレがカズさんを見ると、カズさんは首を振った。過去とか、記憶とか、もはやそんな環境で生きていないスミレにとって、今だけに目を向けろと言っているかのように。
 いまはキジタさんのターンなのだとスミレも肯く。
「子供の頃はそれで良かったんですが、いつまで経っても、久しぶりに親戚の人や、当時の友人に逢う度に、ケンちゃんと呼ばれるんです。ケンちゃんなんて歳じゃないですからって、やんわりとそう呼ばないで欲しい想いを含めても伝わらないのか、そう呼ばれてしまうんです。そう呼ばれるたびに、わたしはこれまで築き上げてきた、成長して大人になった過程まで否定されたようで、わたしは子どもの頃に引き戻されてしまうんです」
 寂しい顔をしてキジタさんは、そこで一旦言葉を止めた。キジタさんのカラダは話しながらもどんどん小さくなっていく。自分の想いを伝えようとするほどに、ケンちゃんと呼ばれてもしかたないサイズになってしまうのだろうか。
 厨房の方から流れてくるラジオは、歌番組から社会派教養番組に変わっていた。あれから次の新規客も来ないので、おかあさんはカウンターに座って、いままで歌番組を楽しんでいた。番組が変わっても選局を変えないのは、常にこの局に固定されているからなのだろうか、この局以外は入らないからだろうか。
『 、、、今回は、予測推論による過ちと、診断推論による複雑性についての講義です。』
 それはおおよそ、大衆食堂に流れるラジオ番組として、似つかわないと言えば失礼だろうか。先ほどまで流れていた歌謡番組とか、大相撲や野球のスポーツ中継とか、そういったイメージが強い。通いなれているキジタさんも特に気にしていないのを見ると、それが普段通りなのか。今は子どもだからそんな話題に興味はないのか。
『 、、、後世に名を残すほどの識者は数少なく、その者を媒体として自らの叡智を捧げた多くの者がいることを万人は知りません。まず名のない者達は、自分ではその仮説を広める手段を持たないため、編み出した業を識者にいいように使われてしまうのです。面白い発想を手元におかれても、その成果を自分のものにすることは一生ない。いつのまにか識者の一部に組み込まれていくのです。それは体のいい搾取と言えましょう。逆に識者を利用して自分の仮説を実証しようとする強者もいます、、、』
 キジタさんの話に満腹になっている時に、それ以上の小難しい話を聞いても、まったくアタマの中に入ってこない。そもそも小学生のスミレには、何のことを言っているのかわかるはずもなく、これからはこんなことも勉強するのかと不安になる。
『さらに優秀な識者と、そうでない者は、権力者の使い勝手がいいか、悪いかだけで振り分けられてしまいます。本人にとってみれば、自分が持ちうる知能は唯一無二で、そこに価値を見出しているのですが、そこに陽を当てるか否かは自分では決められません。見出された者が、権力者の依頼にこたえ次々と仕事をこなせるならば、そうでないものはそこで見限られ、何者になることもできないのです。』
 大きくかぶりを振るキジタさん。自分のことを言われているように聞こえたのか。
「じゃあ、相手もどう呼べばいいか戸惑うでしょうね。自然とケンちゃんに落ち着いてしまうんです。そう思うとわたしは、なんとかケンちゃんから抜け出そうと、これまでずっと、もがいて生きてきて、いつまでも達成できないんです」
『誰もその他の大勢が、ひとりひとりなにをしたかなんて覚えていられない。資金を供給してもらえるのは名がある者だけなのです。名のない者たちは小判鮫のごとく、そんな名の売れた者に群がるしかありません。そこで自分の知識をどれだけアピールしても、その者を通して世に広がっていくだけで、すべての手柄を手中にするようにできているのです。それが後世までに名を残すこの世の識者の実態です。そうであれば当人が生み出した発想が少なくとも、まわりから回収したアイデアを取りまとめて、凡人にわかる言葉で世に伝えれたりされていると推察でき、そうしたプロデュース能力が高い者が識者として名を残したとして、本人自体にどれほどの才能があったのか、才能よりも統率力の差なのかもしれません、、、』
 ケンちゃんになってしまったキジタさんは大きくうなだれた。
「どんなに自分が変わったとしても、変わったことをアピールしても、やはりワタシはケンちゃんのままなのです。もちろん私自身がそんな自分の自信の無さから、相手に対して勝手にそう思い込んでいることも否めません。その最も顕著な例は4歳年上の姉でした。彼女はワタシと会うたびに、子供の頃に面倒を見てたときと同じように、ケンちゃんはこうだった、ケンちゃんはこんなことをした、と失敗談を面白おかしく話し出すのです。ワタシはその度に、ここまでの自己成長の礎が脆く崩れ落ちていき、子供の時から何ひとつ成長していない自分を思い知らされるのです」
 幼くなって少年になってしまい、椅子の上でしょんぼりと頭を垂れる姿は、お姉さんに叱られている当時を思い起こさせる。カズさんは、まさにそんなお姉さんに成り代わりキジタさんを叱咤する。
「無理して大人に成ってしまったのね、キミは。カラダや知識は成長しても、それ以外にも乗り越えなければならない壁があった。この年だかこうあるべきという幻想に囚われて、必死にそう在ろうと自分を偽ってきた。年齢なんかに関係なく、その時にしたいこと、やればよかったことを置き去りにして大人になってしまった。その歪みが今のキミをそうさせている」
 あらためてやり直すために、カズさんの意見をもとに追体験できるよう、キジタさんは幼くなってしまったのだろうか。それでもう一度、人生をやり直せばいまの苦しみから解き放たれるのだろうか。
 カズさんがお姉さんになった理由もそうであるなら、カズさんも何らかの後悔を改めようとしているのか。
 ではスミレはどうなのか。誰だって、都合のいいときは大人になりたがり、都合が悪ければ子供のままでいたがる。そんなことがまかり通れば誰も後悔のない人生を過ごせるだろう、、、 か?
「スミレ。そんなわけないでしょ。この世界は、そんな欲望を叶えさせてくれるようには出来ていないの。スミレに見えてる風景、聴こえてる言葉は、いまのアナタが感じてるママなだけ。アナタが望んだと言っても、好き勝手にできるとはき違えないで」
 自分が見たり聴いたりしていることは、自分以外にはわからない。他人のそれもまた同じことなのだ。他の人と共有しているつもりでも、完全に一致しているなんてことはない。カズは今回のことをそれに重ねてスミレに言い解いた。
『、、、どうして名のある識者を持て囃したくなるのか、それは楽だから。どうして優劣をつけたくなるのか、それも楽だから。何人もの関係する者がひとりひとり何をしたか覚えてられない、権力者の命によって行われたとしか個人レベルでは記憶できない。優劣もそう、判断材料が単純で、大勢で共通認識しやすい。キレイでも醜くても、賢くても鈍くても、それらは単なる固有属性であるだけなのに、あたかも世の中の指標であるように語られている。楽をするがゆえ本質を見逃して苦労し、誰かの思い通りに動かされ、より楽でない生活を送る羽目になるのです、、、』
 この世界は戦いをやめようとせず、小さな争いは自分たちのまわりでいつも起きている。持つ者と、持たざる者の差は開くばかりで、未来になんの希望も持てないのは、目に見えているだけでなく、すべて自分が望んだ結果だと言われれば、スミレは、なんともやるせなくなってくる。
『果たして敗戦国の独裁者はなぜ生まれたか。何もすべての施策を独りで立案し、施行したわけではないのに、後生では一人の悪行のように語られる。これもまた、多くの人々の安楽な行動の弊害なのです。何人もの側近や、行政がそれらを立案し、施行したにもかかわらず、大きくまとめられるのは、独裁者の命により行われたと、人々はそう覚えているだけなのです。独裁者の名を利用して、自らの思いを成し遂げた者もいるでしょうが、それによって意識を植え付けられ、誰もが苦渋を味わって生活していくことになってしまったのです』
「だったらこれからは、ひとりの人間に叡智が集約されることなく、長けた特性がある人が多く集まれば、全員でそれを共有し活用すればいい。それは搾取ではなく各個体の脳の共有化で、それがひとつの修練の場となり、多くの人々に利益をもたらせるような活用がきるようになれば、この世の中は良い方向へ変わっていくだろう」
 誰に言うわけでもなく、ラジオに向かってそうつぶやく人がいた。その姿から察すれば、厨房からいつのまにやら出てきた、この店の調理人か。それと代わるように、カウンター席に座っていたおかあさんの姿がなくなっていた。


昨日、今日、未来14

2023-11-12 18:37:16 | 連続小説

 まずはスミレはおひたしを口に運び、ごはんで追っかけた。濃いほうれんそうの香りがあたたかいごはんで口の中に広がり、お米と相まみあって何とも言えない味が醸し出される。
 ごはんだけでも、かみしめるほどにコメの甘みがにじみ出る。いつもなら2~3回噛むとすぐに飲み込んでしまうのに、飲み込むのがもったいなく思えるほど噛み締めていたい。
「ほうれんそうって、こんな味なの? なんだか普段たべてるのの3倍くらいの味がする。ダシじょうゆも少しかかってるけど、ほうれんそうだけで食べられるっ!」
 スミレにとっては渾身の食レポだった。キジタさんは相変わらずおかずを摘まんではご飯をかき込み、カズさんは一口食べては箸を置き、ゆっくりと咀嚼している。
 ふたりにとってはこの味は食べなれているのか、何に比べて3倍の濃さなのかもピンと来ない。あじつけも普段どおりで感動を覚えるものでもないらしく、スミレの興奮具合が空回りして滑稽にみえるだけだった。
 カズさんの箸づかいはキレイだ。箸の先端だけでサカナをさばき、適度な大きさになった身を口に入れる。お米もまるで箸の先に固定されたように捕まえては運んでいく。箸と手が一体となって食べ物と口を行き来する動きは華麗なるハーモニーを奏でているようだ。
 それに比べてキジタさんは意地汚い食べ方だ。魚を箸で取り上げて食いちぎる。ご飯は茶碗を口にあてて掻きこむ。箸の存在感ゼロ。手で食べているのと変わらない。これでは、あっという間にご飯をたいらげそうだ。
 断然、カズさんの食べ方をまねようと、スミレは注視してその動きを観察する。見よう見まねで自分もやってみるが、箸のうえを持つスマートな箸使いは、箸先を思い通りに動かすことはできない。さかなの身もポロポロとこぼれてしまうし、ごはんをつかんでも少なすぎたり、多すぎたりでバランスが悪い。
 スミレが箸からこぼすと「行儀悪いなあ」と、キジタさんは自分のことなどお構いなしに言ってくる。当のキジタと言えば、口の中にいっぱい入っているのに、箸を茶碗に固定したままごはんをかき込む準備を整え、頃合いを見て上を向くとごはんを流し込む。つねに口の中にごはんがある状態にしておきたいようで、行儀が悪いことこのうえない。
「自分だって」スミレが頬を膨らませると「これぐらいの勢いで食べないと、食った気しないだろ」口を大きく動かしながら、そう言い返す。そしてすぐに「おかあさん。ごはんおかわりー」と声をかけた。
 食べるか、しゃべるかどっちかにしなさいと、スミレの母なら言うだろう。それでスミレがしゃべりだせば、無駄口たたいてないで早く食べなさいと言われる。
 カズさんはこの件に関しては無関心のようで、ひたすら自分の食事に没頭している。食べ終わったお皿もきれいだ。煮つけのタレもほぐした身で絡め取っているのでお皿はなにひとつ残っていない。タレやさかなの細かい身が散乱しているキジタさんのお皿とは雲泥の差だ。
 さかなの煮つけも、お味噌汁もこれまで口にしたことがないほどおいしかった。塩とかしょう油とか、そういった味でこれまでご飯を食べていたことを思い知らされた。さかなも野菜もすべての味がしっかりとしていて、その味だけでご飯が食べられる。
 スミレはどちらかと言えばさかなや、野菜を好んでたべるほうではなかった。最初はどうしようかと思い悩んだ結果、この中では好きな部類のホウレンソウから食べたのだが、そのおいしさを実感して、もうそこから先は箸が止まらなくなってしまい、キジタさんを批判できる立場でなくなっていた。
 全員がお腹を満たし、満足している。その幸福感に誰もなにも口を開かなかった。おかあさんはカウンターの椅子に座っており、スミレたちの様子に特に関心もなさそうだ。
「こんなにおいしいご飯を食べたのは久しぶりだわ」。そう最初に口を開いたのはカズさんだった。
「カズさんの子供時代は、食糧難でろくなもの食べられなかったでしょ」。キジタさんは爪楊枝を咥えて言う。
 戦後の子供時代はそうであっただろうが、それからは食糧状況も良くなり、今日ぐらいの食事はできたのではないかとスミレは尋ねる。
「それはね、」。なぜかキジタさんが説明しはじめる。「食糧の量が増えて、国民の腹は満たされたものの、食糧の質は落ちて、栄養もうま味も低下してしまったからだよ。こういうお店がどこにでもあるわけではないし、一般の家庭ならほとんど自炊だからね。流通で買える安価な食品は、大量に生産する必要があるから、痩せた土地に化学肥料をまいて、虫が喰わないように農薬をかけて、安価な労働力で生産するために遠方で作るから、腐らないように防腐剤が使われるからね」
 細かいことはわからなくても、カラダに悪そうないモノがいっぱい使われていることは理解できた。スミレが疑問を持ったのは、大量にモノを作って多くの人に行きわたることは、人類の進歩の象徴だと授業で言っていたはずだ。
 特にこの国は資源が乏しいので、他国から輸入して大量に加工して安価なモノを作り、輸出することで成り立っていると社会の先生は自慢げに話していた。

「そりゃ、未来を担う子どもたちにはそう教えるだろうね。わたしだってそう習ったよ。スミレちゃんには難しいだろうけど、民主主義は資本主義を正当化するために有るようなものさ」
 なんだか同じようなフレーズを近ごろ聞いていた。SDGsは経済成長を続けるために創られた、権力者にとって都合のいい言葉だと。
「そんな誰かが作り出した耳障りのいい言葉の上に成り立って、わたしたちは行動を決められているのに、自由を謳歌していると勘違いしているんだよね」
 今が自由だと認識しているのは、巧妙に仕掛けられた仕組みに何の疑いも持たず、仕方ないよねという、冷めきった言葉に誰もが依っていると言いたげだ。
「時の政権は叩かれる運命にある。過去の政権の一部分を改めて評価したりするのも、それもすべてその時の民衆が造り出した熱狂にすぎず、自分達の心のうねりなり、その時の感情がさも正論であるかのように、喚き、騒ぎ立て、同調意見を指示し、反論を淘汰し、造り出したモノは、何の価値もない場当たり的な政策でしかないんだよ」
 酔っているのはキジタさんではないだろうか。取り留めもない持論は続いていく。
「熱が引いたあとは、一体何に熱狂していたのかさえ説明できずに、面と向かってオモテには出せない程の恥部にまで成り下がっている。匿名性の名の下に、口を閉ざし、そしてまた新たな時代の波とともに、そんな過去を糾弾する。自分達が造り上げた事実を棚上げして、別の仮面を被り、過去の自分を今の仮想敵に置き換えていることに気づきもせずにね」
 キジタさんの言葉はスミレにとっては難解でも、言いたいことは理解できた。大した信念もなく、風見鶏のようにマジョリティになびき、時として、反骨心を持ってマイノリティに意義を見いだす。そんな大人たちを何度もみていた。
「古来、戦中から戦後にかけて何度も繰り返されてきた、蜂起と分断、同調と批判の繰り返し。ほとんどの人が他人事として、それらを眺めていると客観視しても、別の声をあげない限り、その奔流に乗せられていることを認知すべきなんだ。今の世論をくみ取り、即実行する推進力があり、判断できぬものは取り残されていくだけで、
選挙と言う目眩ましに、党派という選択に、今や誰も必要性を感じていない。必要とされる政策をどの人選で行えば最適なのか。はたしてそれが政治家である必要はあるのか、どの政策が最速課題なのか、すべて可視化できる状況で、国民に選択させればいいのに。都合の悪いときだけ政治家の所為にして、自分達ではなにも考えない、もしくは考えがあっても、それを意思として伝える機会が、数年に一度の選挙だけなら、意欲もわかないというところか」
 今はキジタさんの言葉に、スミレもカズさんもお腹がいっぱいになっていた。