private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

継続中、もしくは終わりのない繰り返し(パン屋と服屋のあいだで1)

2024-06-18 07:45:04 | 連続小説

「ホント、可愛いよな、カノジョ」
 アタルがそう言った先には、半月前から向かえのブランドショップに勤めはじめた女性がいた。
 女性物を取り扱うファッションショップなだけに、着こなしも、着ている服装も様になっている。カラダを動かす度に明るい髪がサラっと、なんの抵抗もなく流れてそよいでいる。
 毎日、準備万端で10時の開店にそなえるために、こんな時間から店のまわりの掃除をしている。そのあとはシャッターを半分開けて、店内の清掃からショーウィンドのマネキンの服の取り換え、配置を調整したり、服の入れ替えや、新入荷された服を開封して確認して、ショーケースに並べたりとテキパキ働いている。
 ケンシンはいつもその様子を見ていた。アタルとは大違いの働きぶりである。
 顔立ちは、女優の誰かに似ているようで、それでいて、その誰にも似ていない。そんな印象がかえって、直ぐに人目を引く美しさとなっている。
 レジを担当しているケンシンも、アタルとは別の理由で彼女のことを気にかけていた。
 アタルはそう言ったきり、焼き上がったパンを配膳する手を止めて彼女に見とれている。
「オマエさ、いつまでそうしてるんだよ。早くそのパン並べないと、焼き立てのうたい文句が偽りになっちまうだろ。次のパンもチーフの前で大渋滞で、そうだな、これは確実にドヤされるぞ」
 ケンシンが呆れてそう言うと、アタルはまだ開店前だからいいだろとボヤキながら、渋々と配膳をはじめる。それでも目線は彼女に釘付けのままだ。
 白い薄手のセーターは首の部分が緩やかになっており、花が開いた様な感じに見える。黒のパンツとのバランスも良く、一層長く見える脚を引き締めており、自分のストロングポイントをおしみなく強調するコーディネートだ。
「あのさあ、、」アタルが未練がましく口を開く。
 ケンシンは、つり銭用に準備してあるパッキンされた小銭を、バラしては所定の場所に入れる作業をしており、視線を上げられない。
「セーターいいよなあ、カノジョの大きいオッパイが、さらに1.5割り増しって感じで」
 そこはケンシンも気になっていた。丸々とした胸部と、キュッとしまった胴回りまでのピッタリとしたラインに、嫌がおうにも目線が吸い込まれていく。
 道路の清掃をするとどうしても前かがみになり、ホウキでゴミを掃くことになる。その態勢で重力にあらがうこともせず、丸いふくらみはユラユラと揺れて、アタルのような好き者にとってはたまらない光景だろう。
「先週はさあ、ガバッと開いたVネックで前かがみになったときは最高だったけどさ、この時期にセーターっていうのもいよなあ。オレ、あんとき5回はイケたけど、今回もそれぐらいイケそう。想像力をかき立てられるって言うか、その方が盛り上がったりするんだよなあ」
 そう言ってケンシンに同意を求める目線を送る。それを感じてケンシンは顔を上げる。だらしない顔をしたアタルがパンを配膳しながら、もう一度彼女を見つめはじめる。
「オマエの盛り上がりはどうでもいいからさ、想像したくもないし、見たくもない。ほら、次の取りに行けって」
 それは食品を扱う店には適さない顔で、ケンシンが客だったら絶対に入店しないだろう。アゴでシャクって次のパンを取りに行くように促す。
 アタルの顔つきを見るだけで、アタマの中で何を考えているのかケンシンには想像がつく。白くふんわりと焼けたパンでも見ようものなら、彼女の素肌の胸と置き換えているに違いない。
 しぶしぶ次のパンを取りに戻るアタル。今日もチーフの焼くパンは完璧な焼き上がりを見せている。アタルの変な妄想がまとわりついていようが、香ばしい風味が負けじと店内に広がっていった。
「あんなコ、彼女になったらいいのになあ」戻って来たアタルがぼそりとつぶやいた。
「声かけてみれば?」ようやくレジの準備も終わって、ケンシンはしかたくアタルの相手をした。
 首を振るアタル「オレなんか無理だって。彼女と釣り合わない。アピールできるとこ何ひとつ思い当たらない」
 自分も含めてケンシンもそんなことはわかっていた。せいぜい端から見てワイワイと冷やかしている立場の人間だ。そうでなければ半月たったいまでも同じことを続けていない。
「そう言う、ケンシンはどうなんだよ? キライじゃないだろ。いやむしろ好みだろ。いつも関心ないみたいなフリしてさ」
 アタルにそう言われるのも無理はない。必要以上にアタルが推しまくっているのも、ケンシンが一向に乗ってこないからという理由もある。
「あーっ、オレ? そうだな、必要じゃないんだ」ケンシンはそう言った。
 ケンシンにしてみればアタルの異常ともいえる高揚振りに、食傷気味であるのもいなめない。どんなに焼き上がりの香りが最高のチーフのパンも、毎日食べていれば感動も薄れ、今日はもういいかなとなることと近いのかと、変な例えに首をひねる。
「はっ? ナニ? おかしいぞ、オマエ。誰が見たって可愛いだろ。必要とかそう言うの抜きにしても、お近づきになりたいだろ?」
 自分以外の考えを一切考慮しない無茶苦茶なアタルの言い分だ。ケンシンはそう言われると踏んでいた。そうなれば次は、どういうコならいいんだとか、やれもう彼女がいるのかとか、あげくにはオンナに興味がないのかとかと下衆な詮索をしてくる。
「オレさ、あのコが不憫でしかないんだ」というわけで、口を開こうとしたアタルの先を押えた。
「どうゆうことだよ、フビンって。あんなカワいかったら人生バラ色でしょ。何だってできるし、どんな男にも好きになってもらえる。そいつが大金持ちなら、好きなことだって放題じゃないか。そう考えれば増々オレなんか選ばれるわけない、、 」
 最初は景気よくまくし立てていたアタルは、自分の立場を再認識するとともに声がしぼんでいった。
「オマエの言い分はよくわかるけど、それで地球が回っていれば、世の中は美しい女性と金持ちだけが生き残ることになる。そうじゃないから、オレがいてオマエがいる」
 ドアが開いて今日最初の客が来店した。ケンシンが時計を見上げれば8時を回っている。年配の女性の客はトレーとトングを取ってパンを選びはじめる。よく開店とともにやってくるなじみの客だった。
「やけに哲学的じゃないか。そんなの授業でならったか?」
 客が来た手前、一応声をひそめてアタルは続ける。
「そうだな、オマエみたいに考えている男たちが1000人ぐらいいて、そして彼女を見ているだけで諦めている。もしかしたらその中に、彼女の好きなタイプがいるかもしれないのに、誰にも声を掛けられず、一歩引いて遠くから眺めているだけで終わってしまう」
 ケンシンはそう言うと、トングとトレーの準備が少ないのを見て、補充をしようとストック置き場に向かってしまった。本来はアタルの仕事だ。
「だから、フビンなのか?」アタルは手伝うでもなくケンシンの後についてくる。ふたりが調理場に入ってきたので、チーフがチラリと目をやるが、すぐにパン生地に目を落とす。
「オマエがさ、本気なら声かければいいだろ。ただ、見た目だけで、すぐヤリたいとかだけなら、やめといた方がいいんじゃないの」
 調理場の右手にあるバックヤードに入っても、チーフの耳に入らないようにケンシンは声を潜める。
「ケンシンはさ、そういう気にならないのかよ、、」その続きに、おかしいんじゃないのかと言われるのを遮るために言葉をかぶせてくる。
「どうかな。彼女はとびきりに可愛いのは間違いないよ。きっと、何人もの男にこれまでも言い寄られてるだろ。その度にしなくてもいい謝罪をしている。何のためだろうな、、 」
 レジに戻ってくると、最初の客が店の奥を覗き込んでいた。会計をするために声をかけようかとしていたところだったらしい。
 ケンシンは失礼しましたとアタマを下げ、トレーに載せられたパンを見てキーを打つ。横でアタルがパンを袋に入れる。会計を済ませるとふたりで揃って、いつもありがとうございますと礼を言って、あたまを下げる。
「オマエってさ、とにかく超悲観的な未来を想像するタイプなわけ。いやー、知らんかった。今日の今日まで、ひとってわからんもんだな」
 出会ってまだ半年しか経っていないのに、バイトの時間だけの付き合いなのに、長い付き合いがあったみたいな言いかたをされて、苦笑するケンシンだった。
 次に女性のふたり連れの客がきた。ここのパンおいしいのよと、もうひとりに伝える。自分の目利きを知って欲しく連れて来たようだ。そう言われて大した味じゃないと言う友人はいないだろう。
「そうなんだよ。なんか楽しみがあっても、もしこうなったらどうしようって考えるタイプなんだ。だからいままで自分からなにか言い出したことはない。だいたい人に頼まれて、仕方なくやるって言うか、それを理由にようやく決断できたことばかりだ」
 自傷気味にケンシンはそう言った。
「バイトも?」「バイトも」「大学も?」「大学も」あと、数十回にわたるアタルの問いを答えたケンシンだった。
「あー、おいしそう、これも、これも、これも食べたい」
「ふたりでシェアすればいいから、気になるのは買っちゃいましょ」
 ふたりは楽しそうにパンを選んでいる。 
「オマエさ、そんなんで人生楽しいのか?」けげんな顔をして、アタルは最後の質問のように言う。
「どうだろ、オマエには楽しくは見えないだろうな。なんかさ、そもそも、人生を楽しめる人種はそれほど多くはないだろ」
 女性客は大盛り上がりで、ふたりでは食べきれそうにないパンをトレーに載せてレジに来た。食べきれなかったら冷凍庫で保存すればいいと話し合っている。
 ケンシンは、沢山お買い上げいただきありがとうございますと、営業トークをする。アタルは大きめの紙袋を擁してい包んだパンをひとつづつ入れていく。
「レベルの問題だろ。ああやって楽しんでればいいんじゃないの。オマエの考えって哲学的すぎて、わけわかんないけど」アタルは感心しているのか、呆れているのか。
「だろうな、オレも理解してもらえると思って話してないよ。じゃあ、何のために生きてるのかって言いたいんだろ? オレもよくわかんねえ。常に何かを心配して、なにも起こらないことだけを祈って、平凡な日々に感謝してるだけだからな」
 それからは、立て続けに数人の客がやって来た。ふたりは無駄口をたたくことなく接客をする。商品棚のパンがなくなると調理場に行って、次に焼き上がったパンを配膳する。チーフは今日の売れ筋を読みながら次に焼くパンを考えてく。
 この店の売れ残りが少ないのはチーフの読みの正確さからきており、アタルは売れ残りのパンが少ないことにいつも嘆いている。
 客足が途絶えたところでアタルが言った。
「あのさ、オレもホントはさ、ムリして楽しんでるフリしてるだけなんだ。ああやって、オンナの話しとか、若者っぽい話ししてないと、みんな相手してくれないだろ。ケンシンもそうだと思ってたし、、」
 彼女をキッカケに、野郎がふたりなら、そういう会話になるかと話しただけだった。アタルに合わせてそれっぽいことを言うこともできた。
「そうか、悪かったな、つまんない話して」
 ケンシンは今回はそれをしなかった。それは彼女を気遣ったことでもあり、自分に重ね合わせたことでもあった。
「ああ、ううん。ケンシン、オレさ、思うんだけど、それでもいいと思うんだ。それで小さな幸せを感じて、よかったなって。何かの比較じゃなくて、自分がそう感じれるだけで」
 ふと彼女を見ると、今も男に声をかけられていた。女性物のファッションショップに似つかわしくないヤロウがふたり、彼女にまとわりついていた。
「カノジョ、また声かけられるぜ」アタルも気づいてそう言う。
 客相手の商売ではあからさまにイヤな顔はできない。彼女は笑顔で対応しながら陳列されている服をセッティングし直したり、マネキンの服を整えたりしていた。あきらかに不要な仕事をしてはぐらかしている。
 今まで何度も目にしてきた光景だ。ガッカリする男、残念がる男、茫然とする男、悪態をついて去っていく最悪なのもいた。
 どうであろうと彼女は深々とアタマを下げて見送っている。服を買いに来た客でもないのに。
 無限の可能性を信じることは大切だ。特に若いうちは。やってみなければわからないとか、馬券も、宝くじも買わなきゃ当たらないとか。
 それで成功する確率は高くはなく、ほとんどの人はなにも起こらない人生に、何かを期待しつつ年だけ重ねていく。
 いつのまにかお年寄りの女性がトレーにパンを載せてレジに立っていた。遠くの彼女にはすぐ目がいくのに、近くの老婆に気づかない。ケンシンも自分に呆れるしかなかった。
 アタルとふたりで手早く会計を済ませ商品を渡す。
「ありがとうございます。こちら、商品になります」アタルが大げさに言う。
「ありがとね。アナタたちみたいな若いコから買うと、パンも倍おいしくなるわ」
 お年寄りの女性は嬉しそうにそう言った。ケンシンたちをおだてるわけでなく、自分の素直な気持ちで言っているのがわかった。
 ケンシンとアタルは顔を見合わせて笑顔を見せた。そしてお年寄りのために店のドアを開けて、普段ならしない見送りをした。向かいの店ではその光景を見た彼女が微笑んでいた。
 見栄えが特権になることもあれば、若さが特権になることもある。他人はうらやましがっても、本人はそうでないこともある。その価値を見出すのは自分ではなくまわりであることも。
 ケンシンはアタルの肩をたたいて店内に引き上げていった。


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