private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来14

2023-11-12 18:37:16 | 連続小説

 まずはスミレはおひたしを口に運び、ごはんで追っかけた。濃いほうれんそうの香りがあたたかいごはんで口の中に広がり、お米と相まみあって何とも言えない味が醸し出される。
 ごはんだけでも、かみしめるほどにコメの甘みがにじみ出る。いつもなら2~3回噛むとすぐに飲み込んでしまうのに、飲み込むのがもったいなく思えるほど噛み締めていたい。
「ほうれんそうって、こんな味なの? なんだか普段たべてるのの3倍くらいの味がする。ダシじょうゆも少しかかってるけど、ほうれんそうだけで食べられるっ!」
 スミレにとっては渾身の食レポだった。キジタさんは相変わらずおかずを摘まんではご飯をかき込み、カズさんは一口食べては箸を置き、ゆっくりと咀嚼している。
 ふたりにとってはこの味は食べなれているのか、何に比べて3倍の濃さなのかもピンと来ない。あじつけも普段どおりで感動を覚えるものでもないらしく、スミレの興奮具合が空回りして滑稽にみえるだけだった。
 カズさんの箸づかいはキレイだ。箸の先端だけでサカナをさばき、適度な大きさになった身を口に入れる。お米もまるで箸の先に固定されたように捕まえては運んでいく。箸と手が一体となって食べ物と口を行き来する動きは華麗なるハーモニーを奏でているようだ。
 それに比べてキジタさんは意地汚い食べ方だ。魚を箸で取り上げて食いちぎる。ご飯は茶碗を口にあてて掻きこむ。箸の存在感ゼロ。手で食べているのと変わらない。これでは、あっという間にご飯をたいらげそうだ。
 断然、カズさんの食べ方をまねようと、スミレは注視してその動きを観察する。見よう見まねで自分もやってみるが、箸のうえを持つスマートな箸使いは、箸先を思い通りに動かすことはできない。さかなの身もポロポロとこぼれてしまうし、ごはんをつかんでも少なすぎたり、多すぎたりでバランスが悪い。
 スミレが箸からこぼすと「行儀悪いなあ」と、キジタさんは自分のことなどお構いなしに言ってくる。当のキジタと言えば、口の中にいっぱい入っているのに、箸を茶碗に固定したままごはんをかき込む準備を整え、頃合いを見て上を向くとごはんを流し込む。つねに口の中にごはんがある状態にしておきたいようで、行儀が悪いことこのうえない。
「自分だって」スミレが頬を膨らませると「これぐらいの勢いで食べないと、食った気しないだろ」口を大きく動かしながら、そう言い返す。そしてすぐに「おかあさん。ごはんおかわりー」と声をかけた。
 食べるか、しゃべるかどっちかにしなさいと、スミレの母なら言うだろう。それでスミレがしゃべりだせば、無駄口たたいてないで早く食べなさいと言われる。
 カズさんはこの件に関しては無関心のようで、ひたすら自分の食事に没頭している。食べ終わったお皿もきれいだ。煮つけのタレもほぐした身で絡め取っているのでお皿はなにひとつ残っていない。タレやさかなの細かい身が散乱しているキジタさんのお皿とは雲泥の差だ。
 さかなの煮つけも、お味噌汁もこれまで口にしたことがないほどおいしかった。塩とかしょう油とか、そういった味でこれまでご飯を食べていたことを思い知らされた。さかなも野菜もすべての味がしっかりとしていて、その味だけでご飯が食べられる。
 スミレはどちらかと言えばさかなや、野菜を好んでたべるほうではなかった。最初はどうしようかと思い悩んだ結果、この中では好きな部類のホウレンソウから食べたのだが、そのおいしさを実感して、もうそこから先は箸が止まらなくなってしまい、キジタさんを批判できる立場でなくなっていた。
 全員がお腹を満たし、満足している。その幸福感に誰もなにも口を開かなかった。おかあさんはカウンターの椅子に座っており、スミレたちの様子に特に関心もなさそうだ。
「こんなにおいしいご飯を食べたのは久しぶりだわ」。そう最初に口を開いたのはカズさんだった。
「カズさんの子供時代は、食糧難でろくなもの食べられなかったでしょ」。キジタさんは爪楊枝を咥えて言う。
 戦後の子供時代はそうであっただろうが、それからは食糧状況も良くなり、今日ぐらいの食事はできたのではないかとスミレは尋ねる。
「それはね、」。なぜかキジタさんが説明しはじめる。「食糧の量が増えて、国民の腹は満たされたものの、食糧の質は落ちて、栄養もうま味も低下してしまったからだよ。こういうお店がどこにでもあるわけではないし、一般の家庭ならほとんど自炊だからね。流通で買える安価な食品は、大量に生産する必要があるから、痩せた土地に化学肥料をまいて、虫が喰わないように農薬をかけて、安価な労働力で生産するために遠方で作るから、腐らないように防腐剤が使われるからね」
 細かいことはわからなくても、カラダに悪そうないモノがいっぱい使われていることは理解できた。スミレが疑問を持ったのは、大量にモノを作って多くの人に行きわたることは、人類の進歩の象徴だと授業で言っていたはずだ。
 特にこの国は資源が乏しいので、他国から輸入して大量に加工して安価なモノを作り、輸出することで成り立っていると社会の先生は自慢げに話していた。

「そりゃ、未来を担う子どもたちにはそう教えるだろうね。わたしだってそう習ったよ。スミレちゃんには難しいだろうけど、民主主義は資本主義を正当化するために有るようなものさ」
 なんだか同じようなフレーズを近ごろ聞いていた。SDGsは経済成長を続けるために創られた、権力者にとって都合のいい言葉だと。
「そんな誰かが作り出した耳障りのいい言葉の上に成り立って、わたしたちは行動を決められているのに、自由を謳歌していると勘違いしているんだよね」
 今が自由だと認識しているのは、巧妙に仕掛けられた仕組みに何の疑いも持たず、仕方ないよねという、冷めきった言葉に誰もが依っていると言いたげだ。
「時の政権は叩かれる運命にある。過去の政権の一部分を改めて評価したりするのも、それもすべてその時の民衆が造り出した熱狂にすぎず、自分達の心のうねりなり、その時の感情がさも正論であるかのように、喚き、騒ぎ立て、同調意見を指示し、反論を淘汰し、造り出したモノは、何の価値もない場当たり的な政策でしかないんだよ」
 酔っているのはキジタさんではないだろうか。取り留めもない持論は続いていく。
「熱が引いたあとは、一体何に熱狂していたのかさえ説明できずに、面と向かってオモテには出せない程の恥部にまで成り下がっている。匿名性の名の下に、口を閉ざし、そしてまた新たな時代の波とともに、そんな過去を糾弾する。自分達が造り上げた事実を棚上げして、別の仮面を被り、過去の自分を今の仮想敵に置き換えていることに気づきもせずにね」
 キジタさんの言葉はスミレにとっては難解でも、言いたいことは理解できた。大した信念もなく、風見鶏のようにマジョリティになびき、時として、反骨心を持ってマイノリティに意義を見いだす。そんな大人たちを何度もみていた。
「古来、戦中から戦後にかけて何度も繰り返されてきた、蜂起と分断、同調と批判の繰り返し。ほとんどの人が他人事として、それらを眺めていると客観視しても、別の声をあげない限り、その奔流に乗せられていることを認知すべきなんだ。今の世論をくみ取り、即実行する推進力があり、判断できぬものは取り残されていくだけで、
選挙と言う目眩ましに、党派という選択に、今や誰も必要性を感じていない。必要とされる政策をどの人選で行えば最適なのか。はたしてそれが政治家である必要はあるのか、どの政策が最速課題なのか、すべて可視化できる状況で、国民に選択させればいいのに。都合の悪いときだけ政治家の所為にして、自分達ではなにも考えない、もしくは考えがあっても、それを意思として伝える機会が、数年に一度の選挙だけなら、意欲もわかないというところか」
 今はキジタさんの言葉に、スミレもカズさんもお腹がいっぱいになっていた。


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