private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over00.0

2018-09-30 08:26:10 | 連続小説

「ホシノが望む答えになるかどうかわからないけど、わたしたちは、漠然と時の流れのなかに乗っかっているだけの個体でしかない。人が生を受けているのは遺伝子を過去から未来へ届けるためだけにあるように、だったら時の概念など何の意味もないし、自分の意識がどこの世界にあっても、ものごとの本質においては何ら問題ない」
 そう言う物事の仮定のしかたは朝比奈らしく、これまでにも耳にしてきた。それなのにもうおれはそういう物言いも含めてどうでもよくなっていた。そりゃおとこの性欲が自分の子孫を残そうとするところから始まっていれば、自分の欲望を越えたところでうごめくモノに対してどうにもなんないってハナシで、愛だの恋だの見てくれだけ良くしたって、結局のところはその遺伝の配列に操られているなんて、色気もなにもないのが現実だ。
 
美しいオンナと、力強いオトコを互いに求めていくのは、自分の意識とは別のバイアスが働いているだけなんだ。だったら自分の存在がどうであろうと、どこに意識があろうと、生きていようと、死んでいようと遺伝子の系統の引き継ぎになんの影響もないじゃないか。
「自分の意識、自分の記憶、まわりの状況、まわりの人たち。自分たちの関係する環境だけが昨日と今日を結びつけている。自分の見えていない場所で、いったいなにが起きていたって不思議じゃない。ホシノがね、ホシノだけじゃなく、多くの子供の頃に感じていたことは、あながち間違いじゃない。ひとによってはね、そんな、感じ方を、ときにする。人間の生とは離れて快楽を求めていく人間の生き方と欲望が、いつかそういった系統を破壊していく」
 最後の部分はよくわかんないけど、おれなんかは自分の記憶があいまいで、あとから戸惑うことも多いし、だけどきっとそんな人間がほとんどなはずだ。かといってみんながみんな、そんなわけじゃない。現に朝比奈だったらおれみたいなバカやんないから、見たもの、言ったこと、書いたものを明確に覚えているはずだろ。
「だからね、そんなのも、全部、自分の身の回りの範疇で起きているだけで、自分の記憶がひとつの世界の中で、脈々とつながっている証拠にはならない。なによりも、ホシノ。自分自身がそれを断言できるほど、この世界のことをわかっちゃいないのよ。多重世界。そのなかで、このひとこんな性格だったかしらとか、この建物や駐車場になる前はなんだのかとか、あの有名人このごろ見なくなったなとか、なんか大切なひとの名前が思い出せないとか、ふと気になればそんなのいくらでもある。だけどそんなことをいちいち気にして生きているわけじゃない。ほとんどがどうだっていいことに分類されていく。生きているあいだはパラレルワールドを彷徨っているのかも知れないし、単純に向こうとこちらを行き来しているのかもしれない。そんなことは問題じゃないわ。ホシノの現世は終わっていて、肉体と意識はもう切り離されている。あと、その意識がたどり着く先はただひとつだけ」
 おれは自分の手と足を見てみた。見なれた手足がそこにある。その手で顔をなでてみた。髪の毛は伸びたけどいつもと同じ顔だ、、、 のはずだ、、、 だけど朝比奈が言うにはもうこの肉体はおれのものじゃない。
 つまりはそういうことを含めて、おれは人生をあきらめさせられる、、、 自分の生への欲望、ひととしてのありかた、人類の存在理由、そんなものが、すべてなんの価値もないものへと変換されていく、、、 
 
おれはしあわせなんだろうか。仮にも、人生で遣り残した、、、 と思われる、いくつかの出来事を、カタチを変えモノだとしても、なんとか消化することができたんだから、、、 それをこの夏休みの中で。
 
それは夏休みの終わりが近づいて、残っているやらなきゃならないことを、あわててやってるときと重なり合って、さらに物悲しい気にさせる。
「夏休みって。ひとが死を迎え入れるための準備、なれてくための練習なのかもしれない。確実にやってくる最後の日を迎える心構えを知ることになる」
 そうか夏休みってヤツは人生の縮図なんだ。
 
誰だって有意義な一生を暮らそうと人生設計に余念が無く、他人より先んじることだけを優先してきた。そして当然のように、取ってつけられる言い訳を用意して、楽をすることを覚えていく。それはまだ先が見えずに余裕がある時期だからできるのであって、しかも先走った分だけ時間が増えたように思っているから、余裕ができた錯覚をしてしまいさらに楽をしようとしてしまう。
 
そこでは確実に砂時計の砂が減っているのに、見えないフリをしてしまう。わかっているからこそ不安な自分を認めたくないために気づかないように。カラ元気な行動を取る度にそのあとの虚空が怖かった。ひとりになるのが怖かったんだ。あとはもうただ時間を食いつぶしていくだけ、何もできない、何もしない。やりのこした多くのすべきことは、もう二度と取りかかることはない。
「ホシノ、お別れのようね」
 夏休みは何度もやってくる、ダメな自分をあざ気笑うかのように。去年の反省を踏まえて今年こそはと意気込んで、そして同じような1ヵ月半を過ごしている自分を知るところとなり、いつのまにかもうどうでもよくなっていく自分を許していた。
「もう、ふんぎりがついたはず」
 たしかにこのところ自分につごうのいい展開が多かった。すべてじゃないけど、なにかやり残していたことを、やらなきゃいけないことをひとつひとつ消化しているようでもあった。それは本当に自分が望んでいたものではなくても、そんなことは問題じゃない、おれがなにを望んでいたかではなく、おれがなにをやらなきゃいけないかが唯一の理由なんだから。
「さよなら。ホシノ」
 
おれたちは時を越え未来に先回りしてしまったのだろうか、、、 それともそれを手に入れることができたのか、、、
「できれば、ホシノと… 」
 そんなことどうでもいい、もう、どうだっていいんだ。
 おれは、おれは、
「もっと、生きていたかった」

「ホシノ。おまえ夏休みどうするつもりだったんだ?」


Starting over23.3

2018-09-23 17:45:30 | 連続小説

 朝比奈っ!?
 冗談だろ。おれは急ブレーキを踏んでクルマを横向きにして、なんとか朝比奈を轢かずに済んだ。当の朝比奈はそうなるのが当然の顔で、少しもよける気配を感じさせない。きっとチキンレースをやることになっても、涼しい顔で相手の自滅を呼び込むだろう、、、 って、そんな例え話をしてる状況じゃない、、、 なんでここに朝比奈がいるかって問うほうが先だ。
 呆然としているおれの背後から猛烈な衝撃が襲ってきた。おれは遠のいていく意識の中で男の声を耳にした、、、 それはミカサドではない、、、
「このひとが突然、止まったから… 」
 ずいぶん前に聞いたこの言葉。
 
そうだ、あのときの記憶。おれが突然止まったから、うしろから来たカレがぶつかっても文句は言えない。申し訳なさそうに言うカレには気の毒なことをしたはずだ。それがなんでまたここで再現される、、、
 それからどれだけの時間が流れたのか。
 
おれは意識が戻っているみたいだけど、そのわりにはどこに居るのかわからない。クルマの中でもないし、病院のベッドでもない。悪い夢を見ているときに、夢のなかで目覚める夢をみている。そんな感じだ。
「ホシノ。ホシノももうわかってるでしょ。ホシノがなぜこんなことしてるのか。だいたいわたし、クルマに詳しくないし、運転だってできないわよ」
 そんなカミングアウトをいまさらされたって、、、 
 
そりゃ、朝比奈がレーサーのようなアドバイスができるはずはない。少し斜めに生きているだけの女子高生なだけで、クルマを手足のように扱えるわけはない。もちろんそれはおれにだって当てはまる。
 
どこからか夢の世界に切り替わっているのかと、一番やっちゃいけないオチを想像していたら、さらに朝比奈が追い討ちをたたみかける。
「悪い夢なら覚めることができるけど、残念ね、この夢は覚めない。夢とかではなく、ホシノはもう現実を生きていないんだから」
 それを言われるのはツラかった。うすうすは気づいていた。だけど、誰も何も教えてはくれない。自分でも、認めるほど自信はなかった。それにあまりにも自分につごうのいい世界を否定できるほど、おれは強い人間ではないのだ。
 つまり、おれはもう、生きていない、、、 どおりで、おれの言葉が誰にも届いていないはずだ、、、
「死の定義は難しいわ。”生きていない”というのは意味で正しくて、実のところ正しくはない」
 この世に正しいことはない、、、 それがあの世でもおなじか、、、 不思議な気持ちだ。おれの意識はいったいどこで切り替わってしまったのか。そして、どうして、おれにはこの世界で好き勝手できる権限が与えられているのか。
 それとも
おれだけじゃないのか。これまでに死んでいったヤツラだって、それぞれの世界をそれぞれ彷徨っているんだろうか。ナガシマさんだって、ツヨシだって、もしかしたらあの子ネコの母親もそれぞれの世界の交錯の中で、ただ意識だけを疎通できたのかもしれない。
「意識だけの疎通、いい言葉ね。とても的を得ている」
 だってそうだろ。
未練の大きさや強さだけじゃなく。すべての死者に平等に与えられた権限だとしたら、良い人生を送った人だって、悪い人生を送った人だって、人に迷惑をかけてこようが、人に感謝されてこようが、そんなことは関係なく、どっちにしろ、そいつらなりの彷徨える場所があるならば、おれにうかがい知ることなんかできやしない。
 
もしかしたら、あの世ってところで、めいめいがこの世界のことを話し合い、自慢するヤツもいれば、さらに後悔を深めるヤツもいるんだろうか。それももうすぐわかるはずだ、おれがあの世に行ってしまえば、、、 あればのハナシだけど、、、 行ければのハナシだけど、、、
「誰もがね、ホシノもね。現実の世界に別れを告げる準備をしている。突然その時がくれば戸惑い、納得できず、やり直したくなったり、できなかったことをやり遂げたいと後悔する。それをね、それを、解消できる世界にいまは意識がある。ホシノが現世と思っていた場所と、死後の世界をつなぐ場所。後悔を消化して、踏ん切りがついた時がくれば次の場所へ連れて行ってくれる」
 おれはもう一度自分の置かれている状況を考えてみた。はたしてこれは、おれが現世で思い残してきたことなのか、もっと他にしたいことがあったんじゃないか、、、 あんなこととか、こんなこととか、、、 だいたいひとの欲求がどこかで区切りがつくとも思えない。自分の思い通りになるんなら、この『あいだの世界』にしがみついてることだってあり得るんじゃないか。
「不思議なものでね、本当に成し遂げたいものなんて自分ではわからない。仮にそうだとしても、また別の欲求を求める。それで、なんでも思いどおりになってしまうと、そこになんの感慨も生まれなくなっていく。そこでジ・エンド。こころのどこかにもういいやって気持が芽生えれば、ついに意識は別のところに行ってしまう」
 おれはずいぶん遠くまで行ってしまったみたいだ。生まれたところからどこまで遠くで生きていけるかってことが、人間の価値みたいな風潮もあった。ボヘミアンな暮らしにあこがれるヤツラもいた。現世で実現できなくても、いつかはこんなに遠くまで来てしまうんだから、それならなにもあわてることはない、、、 そういうのって、気づいたときにいろいろ遅いんだけど、これはホントに遅すぎだ。
 
今になって思えば、あの朝比奈との不可解なファーストインプレッション、、、 ホシノが選んだからしょうがない、、、 おれは、その旅先案内人として、朝比奈の人格を妄想の中で創り出したってことか。
「誰だった他人の人格を創り出すわ。それに応えるかどうかは別として。わたしはホシノの期待に応えた。それはわたしの意志であるんだけど、またこれまでの世界に意識が戻れば、そんなこと忘れてしまっている。それともわたしもまた別の世界に行くことだって考えられる。どこの世界のわたしが死んでいるのかもしれず、わたしもまたホシノ言う『あいだの世界』で意識を交錯させただけなのかもしれないんだから。ホシノ的に言わせてもらえば、だけど」
 誰だって、子供のときに死を身近に感じた時期があるはずだ。テレビニュースや新聞を賑わす話題は、いつだって他人の不幸な死だ。
 
大人になればなるほどマヒしていく。自分にも降りかかるんじゃないかという不安は、子供心だからこそ有効だったのかのように、今にも自分の心臓が止まってしまうんじゃないかと、心配で寝付かれないこともあるし、朝目覚めずにそのまま死んでしまうんじゃないかと思ったこともあった。そして、実際に目覚めても、本当は自分は死んでしまっていて、ここはこれまでにいた自分の世界じゃないのではないかと思うことも、、、 だからいまの朝比奈の話は腹に落ちた、、、
 
実際にこうなってしまえば、いつの段階から死の世界に足を踏み入れていたかなんて、もうわかりもしない。おれなんかは昨日の記憶もあいまいで、モノをどこに置いたか忘れておきながら思いもしないところで見つかるし、知らないことで誰かの不評を買い、たまに感謝されたり。確かに自分が生きた軌跡なんて誰も正確に答えられるわけはない。
 特に古い記憶になれば、自分のことなのか他人のことなのか、他人に言われた自分のことなのか、テレビや映画で見た記憶なのか、ハッキリしないことが多すぎるんだから。
 すべては、自分の曖昧な記憶と、他人の不確かな記憶の関係の中で、営まれていた歴史が事実として積み重ねられていく。
「そうだね、ホシノ。今日が、今日が昨日の、そう、続きだなんて、誰もわかっちゃいない。そう錯覚しているだけ」
 そんな、それが事実だとしたら、、、 事実なんだろうけど、、、 おれたちはいったいなんのために生きているっていうんだ。


Starting over23.2

2018-09-16 21:49:00 | 連続小説

 800mがこれほど長いとは思わなかった。自分の足で走っていた頃が、たかだか100mだったからってわけじゃない。クルマのスピードならそれだって数秒もあれば終わってしまうはずなのに。
 100mは一瞬だった、スタートの合図があってからだが反応するともうなにも考えられない、ひたすら足を動かしているとあっという間にゴールを駆け抜けていた。それなのにクルマのスピードって、速度があがるほど時間の流れがゆっくりになっていくなんて。
 
ツヨシの言葉が思い出されてきた、、、 こんなときに、、、 こんなときだからか。
「ボクが、クルマがすきなのは… 」
 
なんだか本のタイトルになりそうな言葉で説明しはじめたのは、いま思えばおおよそ子供らしくない内容だった。そのときは子供らしくて単純でいいなあくらいの印象だったのに、それがとっても深く入り込んできた、、、 ツヨシがそこまで考えてなくとも、、、 単純で気楽なのはおれのほうだ。
 
それがおれの勝手な思い込みなんだとしても、子供の方が大人より浅いとか経験が足りないとか、あたまから見くだして相手にしてるうちは、なにも得ることはできないんだ、、、 なんて、自分が中途半端に年をとったと認めている、、、 
 
自分だって子供の頃、あたまの固い大人達にあきれて、バカにさえしてたはずなのに、手にした知識と引き換えに、得られなくなったアイデアの多さを理解できずに、つまらない大人になってしまったわけだ、、、 
「はやく走るとさあ、走ったぶんだけ、ミライにいけるからだよ」
 いいじゃないか。じつに子供らしい理由だ。おれが走っていたとき、はたして100m先の未来を意識していただろうか。もし、ツヨシの言葉をもっと前に聞いていれば、いやおれ自身にその感性があったならばもっと充実した部活の時間が過ごせたはずだ。
 
ましてやいまのおれには未来なんて言葉になんの感慨もなくなっていた。つまらない大人になりかけのおれには、それぐらいの状態だったのに、それがいま、この勝負をしている最中に、800m先の未来にいったいなにが待っているのか知りたくてしかたなくなった。
 
普通ならたどり着けない時間で800m先にたどり着こうとしているのに。歩いたら5分かかる距離を、たかだか20秒くらいで行き着いてしまうのに。それを未来と言い切るのは子供っぽい話なのかもしれないけど、それを日常としかとらえられないのは、情けない人生をすごしてきた証なんだ。
 ツヨシは未来に行きたがっていた。早く大人に成りたがっていた。誰だって子供の頃に一度くらいそんな気持ちを持つことってあると思う、、、 おれだって、そんなときがあった、、、 ツヨシがいま、たまたまその時期なのかもしれないし、本当にそう願っているのかもしれない、、、 おれにその判断するには重すぎだ。
「クルマってっさ、タイムマシンとおんなじなんだよ。ヒコーキだって、デン車だって、はしるものはみんなそうかもしれないけどさ、クルマはじぶんで、じぶんの力で時間をちぢめられるだろ。それがいいんだ」
 そう、時間は自分で決めるものだ。おれはツヨシにいろいろと教えてもらい、そしていま自分で実感している。0.1秒の中で廻るめく想いは意外にも豊富だ。クルマのスピードを上げれば上げるほどおれは未来へと近づきながら、実際より多く思考する時間を手に入れている。
 
相手を巻き込みながら。そしてそれはもしかして、スタート地点に置き去りにしてきた朝比奈たちをも含んでいるのかもしれない。人が時を支配しようとすれば、なんらかの痛みをともない、時に大切な時間もなくしてしまう。おれはいま800m先の未来を見るために、時間の流れを飛び越え続けている。
 そんなツヨシとの思い出を引き裂くように衝撃が走った。
 勝負にキレイだの、汚いなどはない。勝てば正義であり、力を得ることもできる。ましてや、目の先に敵がいるならば、尻尾にかじりついてでも、喰らいつき、そして引き摺り下ろさなきゃならない。そいつが戦うってことだ。そりゃ、道徳的にどうなんだって言われても反論できないけど、それとは別で気概の問題なんだ。
 
正々堂々とか、潔いとか、スポーツマンシップとか、それで競技者の勝利への飢えが癒されるわけではない。どんなことをしたって勝とうとする、それぐらいの気持ちで挑んでくる姿にこそ真実があり、相手として認められ、そして二度と戦おうなんて思わないほどに叩き潰されるか、相手をそうすることができる。
 車体に振動が伝わってきた。サイドミラーにヤツの車体が映る。ヤツはブツかってもしかたがないと思って走っているわけじゃない、、、 ぶつけるつもりで走っているんだ、、、
 
だからって接近する車体にビビッてる場合じゃない。コッチだってぶつけてもかまわないぐらいの気概を持っていなきゃ、それだけで勝負が決することになりかねない。
 
ぶつけられたおれのクルマも体勢をくずした。それでもぶつけてきたヤツよりはまだましだ。車体やハンドルに安定感があるのもたすかった。車体をもう一度真っ直ぐにして本流に戻す。ふらつくミカサドはもう一度ぶつけてくるだろう。
 
おれの呼吸が、心拍が、思考が、ミカサドと同調しはじめた。
 
ありえないはずなのに、そのときおれは不思議に思えなかった。離れているのに、そもそも違うクルマに乗っているのに、こんなことが起こるなんて。いまはそんなことを疑問に思っているヒマはない。クルマの想いもおれにつたわったんなら、ミカサドの考えもつたわったっておかしくはない。いまはただヤツの呼吸に合わせて心拍数を重ね、思考を読み取ることに全神経を集中させればいい。
 
ヤツは来る。気づかないぐらいハンドルを右に切って、それから思いっきり左に、、、 いまだ、、、 おれはその瞬間にハンドルを少しだけ左に切った。ミカサドは最後の力をおれにぶつけてくる。その力量の行き先もなく、カラぶればその後の結果は火を見るより明らかだ。大きくバランスをくずしたミカサドのクルマは立て直すこともできず空転していく。
 
歩道橋を通り過ぎた。おれは勝ったんだ、、、 つーか相手の自滅だけど、、、 
 
勝負は決したはずなのに、それなのに、おれはスピードを緩めることはできなかった。戦いは終わったのに、誰もその結論を出してはくれない。ふたりだけが戦っているんだから、お互いがそれを認めない限り誰も何も言えない。
 
その結論を出してくれるはずのミカサドの姿は見えない。だからおれは走り続けるしかないんだ。おれはただ漠然と800m先の歩道橋を目指して、そしてゴールと呼ばれる場所を通り過ぎただけで、それに意味を持たせるのは過去の自分だけで、未来を目にしたおれにはもうその先しか見えていなかった。そして、その先には、その先にいたのは。


Starting over23.1

2018-09-09 16:13:20 | 連続小説

 現実と入れ替わって意識の中に朝比奈が浮かびあがってきた。
――いい? まずはスタートが肝心カナメ。ここで勝負の80%が決るっていっても過言じゃない
 
練習のときも、ここにくるまでも言われたことだ。モノ覚えの悪いおれが、きのうの夕食も思い出せないこのおれが、このタイミングで記憶がよみがえってくるなんて。
 
最初が肝心だ、、、 そりゃそうだ、自分だけが良ければそれでいいってもんじゃない。お互いの気持ちが高ぶったところではじめなきゃ。
――手順どおりにやればなんてことないけど、それが一定してできないってのが人間のねえ、そう、おろかなところ
 あいかわらずのシニカルな物言いだ。それだけに、ここまでハッキリ言われれば逆に落ち着いてくる。手順どおりに、ひとつひとつ。だいじょうぶ、おれの手が、指が、足からも、触感としてつたわってくる情報が、おれのからだのなかでうずまいて、やがてひとつまじわっていく。
――パワーが最も出るところ。そこにアタリをつけてつなげる。なれることも大事だけど、イッパツ勝負の感性も、ときには必要
 そうだ、だけどつなぐ意識はもう少し高めあったところで合わせたい。連動性ってやつが瞬時に反応するのは昨夜も気づいたことだ。
 
前部がグンと持ち上がると同時に上体をドンっと押された、、、 やっぱりおれは手なずけられるほうなんだ、、、
――もっとも効率よくスピードアップするには、重なりあわさる力を無駄なく伝える。だけどねえ、あわてちゃダメ。力をかけ過ぎず、弱すぎず。フィットしなければなにもはじまらないし意味を持たない
 自分の足で走っていたときもそうだった。体重のすべてを地面に伝え、その反発で前へ進む。それができればいいはずなのに、足だけが前に出ればブレーキをかけながら走っているのと同じだし、身体が先走れば足が空回りで、いずれも労力に満たないスピードしか得られない。
 
ただしい感覚をつかむために、何度も何度もトラックを走ったのは伊達じゃない。勘は鈍っちゃいない、、、 はずだ、、、
――それだけで終わったと思ったら大間違いよ。相手だって、強い欲望があってここまできているんだから。これは何もこの行為を一緒におこなうってだけのことじゃないんだから
 その言葉の意味を知るのはもう少し先のはなしだ。
 ギアシフトをひとつあげるたびに、嬉しそうにさらに鋭い加速で応えてくれる。グンっと背中を押され、そしてまた次への加速へのエネルギーを溜めはじめている。早く、もっと早く、次の領域に連れて行けとおれを圧し続ける。それは相手の想いも一緒になっているんだ。
 いまはまだミカサドは横にいた。大丈夫、離されていない。おれにとっては喜ばしい事実だけど、ミカサドにとっては想定外の出来事だろう。余裕で勝つつもりでいた余裕の表情がいまは曇っている。
 
戸惑い、迷い、なんとでも言いようがあるだろうけど、ヤツは明らかに狼狽していた。こんなはずじゃなかった、その思いは簡単に切り替えられない。そこがおれの勝利への一縷の望みなんだ。
 それなのに何にでも最後はあるもんで、シフトノブには4の次にOの文字が刻まれている。オーバートップの頭文字を取ってオーらしいけど、、、 頂点以上、、、 イキきってしまえばもうこれ以上はないんだ。
 
なんにでも最初があれば最後はある。最後という物悲しさが、その言葉をさらに際立てているのかもしれない。
 
夏ならば、最後の花火だったり、最後のプールだったり、いつかはやってくる夏休み最後の日。そしてついに来てしまった最後の夏休み、、、 いつかくるであろう人生最後の日、、、 イッちまったあとは、これまでの欲望も泡になって消えている。終わってしまえばそれがどうしてか面倒な存在になっている、、、 そんなもんだ、、、
 おれは申し訳ない気持ちを持ちながら最後のギアに入れた。待ちわびたように伸びやかに加速を足していった。だけどもうこれ以上は加速しない。それなのにそんなこと知らないかのように次への準備を続けている気がする。いまはその健気さを感じられるみたいだ。
 そこで潮目が変わった。ミカサドの顔がおれの鼻先から消えていった、、、 それも、後ろに、、、 おれの、ナガシマさんのクルマはまだ、加速をあきらめていなかった。最後のギアに入れたのに、マフラーから発する高らかな咆哮とともにヤツのクルマを嘲笑うようにしてこのクルマは、、、 加速した、、、
――いい、ハンドルは絶対に動かさない。1ミリでも動けばそれでスピードが1キロ落ちると思って。特にトップに入れた後はもう加速しないんだから。一度落ちたスピードを取り戻すほどの時間はない
 おれは必死でその言いつけを守った。両腕でハンドルを抑えつけて路面からの反動に対抗する。ギアチェンジするために左手を離すときも、右腕で受け止めてすばやく左手を返す。そんな地道な行為がここにきて効いてきた、、、 のかもしれない、、、
 ナガシマさんのクルマは見るからに重心が低く、重いハンドルも今回の勝負に向いていたようだ。もしたくさんのコーナーを曲がるような戦いだったら、、、 例えばサーキットを走るような、、、 とても腕が持たなかっただろう。
 実際には伸びきった回転数に達しているんだから加速はしない。ナガシマさんのクルマの特性と、ハンドリングを抑えることで、クルマに負荷をかけずムダな減速をしないことがヤツとの差となっているんだ。
 もうすぐゴールだ。勝てる、、、 かもしれない、、、 おれの血流の中にそんな淡い期待が膨らみ始めていた。


Starting over22.3

2018-09-02 15:53:42 | 連続小説

「いい? わたしたちはそれぞれ仲間のクルマの前に立つ。3・2・1で手を離してクルマの前から飛び退く。前が開けたらスタート。これでフライングは出来ない。仲間を轢いてもかまわないならフライングしてもいいけど、轢いてちゃあスピード出ないでしょうし、貴方がスタートの合図より先に動けば、やっぱり貴方は腰抜けのチンカス野郎だって証明するようなものだし」
 
こうして朝比奈の揺さぶりはまだ終わらない。なんとも男の見栄と虚勢を見透いたようにスタート方法を提示した。
 
そこで反応したのはミカサドではなく、ヤザワのほうだ。
「ふざけんなっ。オンナより先に、よけるわけないだろ。コケにするのもいいかげんにしやがれっ!」
 そうヤザワは吠えた。ミカサドも当然だとうなずいている。これまた朝比奈の目論見に勝手にはまっていってくれる。ここで勝負したかったヤザワにあえてその役を任せる。自分がすこしでも関われることで、なにかひと仕事してやろうといきり立つ心理をみごとについている。
 
これでヤザワは朝比奈より早く離れるわけにいかなくなった。ミカサドもスタートのタイミングが取りづらいだろう。コンマ何秒でもいい、ヤツより時間が稼げれば。それが最後に効いてくることだってある。
 
勝負って勘違いしがちなところが、ゴールの間際、タイムアップ寸前、最後の一球で結果が出るんだけど、試合開始からの積み重ねがそこに至るわけで、なにも最後の瞬間だけで勝敗が決するわけじゃない。むしろそこに照準を合わせて、余力を持って望めるぐらいのスタンスがちょうどいいんだ。
 
オンナの手を借りて、セコイ方法かもしれないけど、何の役にも立たない見栄やプライドはおれには不用だ、、、 たぶんこの先も不用だ、、、 だからもう細かいことは考えずに、目前の朝比奈の動きだけを見た。
「ねえホシノ。聞こえてる? 人間のカラダの遣い方ってそれほど単純じゃなくて、経験や練習したことがそのまま力になるわけでもなく、見えなかった潜在能力がうまく発揮できることだってある。それも経験や練習が下地になっているのは間違いないけど。ホシノはさっきまでさんざん走り込んでいた。勝負が早まったのはある意味、情報が新鮮な中で勝負に臨めて良かったと思うべき。アイツは余裕で勝てるって気が緩んでいる。それはどれだけ気を引き締めようと思い直してもうまくいき難い。精神論ってバカにできないもんで、よほどお互いの力量に差がない限り、最後に効いてくるのは貪欲なまでの勝利への餓え… 想いが能力を超えたとき、カラダは限界値を最大限まで導いてくれる」
 ヤツとの力量がおれと差がないなんてことはないんだけど、だから挑戦者でいられる。それがおれにはメリットのひとつなんだって朝比奈はつたえている。
 
おれにも経験があるのは練習会でも大会でも、一緒に走る相手を値踏みしてしまうことだ。このグループなら勝てそうだなんて一回気を抜いてしまうともう元には戻れない。余計なことを考え、集中できないまま、脚は空回りするやら、力が伝わらないはで、自分が自分でないふやけた感覚のままレースは終わってしまう。
 
それなのに、前日に脚をまわす軌道を先生に注意されたときがあって、単純なるおれはスタートの前からその動きだけをあたまの中で繰り返していた。いつもなら、さっき言ったみたいに、まわりのメンツを気にしたり、コースの状況が気になったり、となりの女子ハイジャンパーの脚が長くて綺麗でオシリがプリッとして、、、 そっちの集中力は底なしだな、、、 とにかく雑念だらけなんだけど、脚の運びであたまがいっぱいのおれは結果的に集中できてたらしく、いつのまにか走ってて、なんだか独走でトップゴールして、タイムも自己ベストが出た。
 
先生は得意満面でおれの言った通りだろと声をかけてきた。おれはただ自分で速く走れた認識がないから、心中にとまどいがあったけど、先生の手前、感謝の気持ちを伝えた。
 
その後、このとき以上に速く走れたことはなく、足の運びというより、その動きだけに集中して走れたことが原因としかいえない。肉体を精神が越えたんだ。だから朝比奈のおだてにノッておけばいい。そこだけに集中していればきっと、知らない間にミカサドを後方に従えられる、、、 ればいいなあ、、、 それだけがおれがすがれる経験値だ。
 おれの表情に余裕が出て来たと見えて、朝比奈は安心したみたいでクルマの前に向かった。ヤザワとともにクルマの前に立ち、朝比奈が先に手を出すと、ヤザワはどう見ても居心地悪そうで、目をそむけてぶっきらぼうに手だけを伸ばした。ヤツラの仲間のひやかす声もヤザワの動きを硬直させる。
――わたしが勝たせてあげる。
 朝比奈は、そう言っていた。もはや今となっては何を言われるよりそう言ってもらったほうが力になるし、それで丁度いい。朝比奈に信じてもらえるだけでおれは能力以上の力が湧いてくる、、、 はずだ、、、 きっと。
 そこからおれはもう、朝比奈の顔しか目に入らない。おだやかな目がおれを見つめている。その顔が消えたときに走り出せばいい、、、 ずっと見てたかったけど、、、
 そうしておれは深層のなかへ没頭していった。深い、これまでにない集中。ハンドルのきしみが、アクセルの反応が、シフトの滑りが、シートの反発がこれまでより何倍もの情報を与えてくれる。
 何も考えていないし、何も成し遂げようと思わなかった。それなのに身体はやるべきことを行なうために、最大限の力を発揮しようとしていた。いいじゃないか、悪くない。こんな感覚は久しぶりだ。
 おれの耳から音が消え去っていき、目に見える映像はコマ送りみたいになった。
 
時間が、おれの時間がひろがり続けていった。
 そこで朝比奈の顔が視界から消えた。