private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来6

2023-07-23 14:10:01 | 連続小説

「でもさ支配者ってさ、だいたい、ほぼ、絶対に不幸な最後を迎えるよね。あれはやっぱり、いろんなひとたちにうらまれたからそうなるんじゃないの?」
 部長や、PTA会長も、いまのスミレにしてみれば、世を風靡した支配者と大差はない。家に帰ったひとたちが、スミレのことをあーだこーだと文句をつけていると思うといやになるし、不幸な死も迎えたくない。自分にその資質があるかどうかは、いまは考慮されていない。
 カズさんは、だいたいなのか、ほぼなのか、絶対なのかどこに照準を合わせるべきなのかわからず、その場の雰囲気で答えるなんて芸当はできない。なのでそれは聞かなかったことにして自分の意見を語る。
「歴史なんてものは正確な史実が今に伝わっているわけじゃないだろ。それこそ、だいたい、ほぼってなもんさ。絶対なんてことはない」
 自分に当てこすられているとは思いもしないスミレは、フーンと他人事として聞き流す。どっちもどっちだ。
「そんなものは、ほら、民衆の共感を呼ぶ物語が支持されて、支持される物語に、つまり歴史に変わっていくんだ。赤穂浪士とか、新撰組とかな。ここはこうしたほうが盛り上がるなとか、ここでこのセリフを言えば感動するだろ、ここでコイツが死ねば涙が止まらない。云々かんぬん」
 アコーローシも、シンセングミもスミレにはピンとこない。高級スイーツやお菓子の商品名のようだがそうではなく歴史的グループのはずだ。ウンヌン・カンヌンってなに? お笑いコンビとか?
 スミレが言う支配者は、ナポレオンとか、ヒトラーとか、トージョーとかのあたりだった。歴史的人物としても、信長、秀吉、ぐらいメジャーな人ならどうにかわかる。
 人が好む物語は、そこに因果性を彷彿させることができ、ひとはその状況で何を成し遂げ、何を成し遂げられないのかを読みとくカタルシスを味わう。時にそれは、個性的であり、大衆迎合である。それは芸能ゴシップを見ていれば一目瞭然だ。真実よりも興味が優るのは今にはじまったことではない。
 コータがいつも、話を大げさにするのは、そうやってみんなの関心を引こうとするからかとスミレは合点がいった。コータの話しは極端すぎるのですぐに嘘だとばれて、近ごろでは誰も信じなくなってきた。歴史書も話半分と思って読めば、感心するどころかいつかは誰も信じなくなのか。それでは勉強にならないし、テストにも出せない。
「テストに出るからみんな覚える。憂国の都合のいい史実を。それがプロパガンダだと皆にわかるように教育するのと、そうでないだけの差だ」
 またまた、スミレには理解できな言葉が羅列されていく。U国って、USAってことでいいのだろうか。ぷろぱがんだ。ロボットアニメの敵の名前しか想像できない。身体が大きくなっても、知識がついてきていない。こんなときスマホがあればすぐに検索できるのにと口惜しい。
 検索した意味が子供向けに説明されているかまではイメージできていない。そう思えば、例え大人であっても、検索した内容がすべて理解できるとは言い難く、理解した気になっているのか、間違えて理解してしまっているのかさえ定かではない。なんとなく、検索したことで分かった風になっているだけに誰もきづかず、知識がその場限りになっていたところで誰も困りはしない。分岐点がそこで切り替わっていくだけだ。
「そうするとな、大衆の関心を引くには、それを同時進行ですればいいと気づくようになるだろ。大衆に迎合しながら英雄になれば、得た支持がそのまま実入りするからな。あとから人気が出ても、本人にはなんの得にもならん。だったら、生きとるうちに、活躍しとるうちに人気を博すように仕掛けるほうが手っ取り早い。なにもそれは英雄だけではない。いや、時の権力者こそ、その恩恵を大いに授かろうとする。一歩引いて見てみれば、自画自賛する姿がどれほど滑稽かわかるはずなのに、集団と熱狂はそれをも高揚の着火とするようだ」
 スミレは思いを巡らせる。つまりそれは、英雄とはアイドルのことを言っているのだと。あとからあのアイドルはこんなに良い人で、ファンにやさしく、ボランティア活動にも熱心だったと聞かされても、フーンそうなんだで終わってしまう。すでにファンでなくなっているかもしれないし、共感を得て応援しようにもそのアイドルがいなければ何にもならない。
 自分の気になるアイドルに、いまその情報があれば、まわりにも教えられるし、自分もますます応援する気になるだろう。どちらにせよ、アイドル自らそれを言ってもドン引きするだけで、それはやはり誰か別の人から耳にしたほうが真実味があり、信頼できる。
「別の誰かが、どれほど信頼できるかわからんのにな」
 カズさんは昔を思い出すような言いかたでボソッと言う。スミレはイヤな感情がわきでてきた。自分は誰の言葉を信用しているのか。その言葉が自分の好きなアイドルのことを言っているだけで盲進的に信用している。ならば逆に悪口を言われれば、そんな言葉は信じないし、その人のことも信用できない悪人のように思える。
「であれば、人の倫理観の根底にあるものは、いったいなんなのだ。正義が自分の基準ではなく、敬愛する者の言うことであり、敬愛する者と同調する発言をする者の言うことを優先とするなら、権力者に踊らされる群集と何ら変わらん」
 自分という存在は何によって成り立っているのか。まだ正確な自我が確立していない中で、そんな言葉を突きつけられても、何も答えることはできない。
 であれば、カズさんはスミレに何をしようとしているのか。コピーを頼むのは単なる方便で、スミレに多く関わり、影響を与え、この先の未来にまで影響を与えようとしていのか。

 スミレのカラダが一足飛びに成長しようとも、知識もさることながら、心まで一緒についてくるわけではない。そこを補うためにカズさんが必要であったのか。ならば、カズさんが若返り、世の中が過去に戻っていくのはどのような意味があるのか。
「そんなもの、なんの意味もない。いちいち、物事に意味を見出さないと納得できないのは人間の悪いクセだ。いまのあるがままの現実を受け止めて、その中で暮らしていくしかないんだ。これまでだって、分岐点はあの時代だったなんてことは多くあり、それがわかるのはその地点が過ぎてからだ。今現在で判断したことがすべて分岐点であり、正しかったか、間違ってたかなんてのはあとからわかるだけだ。もちろんわかっても何ともならんがな。ハッハッハッ」
 高笑いされてもスミレにはバカにされているとしか思えない。人間の悪いクセとか、常に他人事のように言うカズさんは自分が人間でないとでも言いたいのだろうか。そうであってもおかしくはない。スミレの目には人間に見えていても、本当は異星人であってもおかしくはないのだから。
「ようやくわかってきたようだな。おまえさんも随分と成長したもんだ。それはわしのおかげでもあり、自分自身の努力の賜物でもある。ひとは独りでは成長できんのだ。誰かに教えてもらい、誰かと比べることで成長を実感できる。だかな… 」
 そういって、カズさんは含むようにほくそ笑む。流れ的にそれだけではすまされない的な発言をするのだろう。だいたい連続小説ってこうしてつぎに期待を膨らませようとしながら、あっさり展開を変えたりすることもある。この物語はスミレとカズさんがほぼメインなので、展開を変えるには無理がある。


昨日、今日、未来5

2023-07-09 16:42:48 | 連続小説

「ちょっと、スミレなにしてんのよ?」
 呼びかけられて驚く。振り向くと待ち合わせの約束をしていたアキちゃんがいた。
「アキちゃん… だよね」
 スミレが驚くのも無理はない。そこにいるアキちゃんは小学生ではなく、中学生ぐらいに見えたからだ。
「だよね、じゃなくて、アンタが約束した日に来なかったから、あの雑誌読めなかったよ。もういいけどね、アーカイブに入っているから、見ようと思えばいつでも見えるし。それにもう、あのグループに興味なくなっちゃったから。じゃあね」
 自分の言いたいことだけ言って、アキちゃんは行ってしまった。訊きたいことはいっぱいあったのに、なにひとつ訊くことができず、いったいアキちゃんには自分はどう映っていたのか。そのことになにも触れなかったのは、つまりはそういうことなのであろう。
 アキちゃんは自分の時代を生きている。その目に映る風景やスミレは、スミレが見ているモノとは違うのだ。
「ねえ、カズさん、どうしちゃったんだろう。やっぱりスマホ見てるコは、ひとより早く時間が過ぎちゃうの?」
 とはいえ、自分はスマホを持っていないのに、なんだか急に成長してしまって、これでは不公平だ。
「スミレは、動物を飼ったことはある?」
 なぜここで動物の話し? 成長の件は? そもそも、コピー取らなきゃいけないのはどうなった?
 通りの向こうのコンビニは園芸店になっている。以前は園芸店で家庭園芸をするときの肥料とかを母親が買っていた。いまはクルマでホームセンターまで買いに行かなければならなくなり、園芸にも身が入いっていない。これでふたたびやるきを取り戻すのだろうか。スミレの母親が、まだ母親であればの話しだが。
 訊きたい事は、もはやカズさんに訊くしかない。そんなスミレを放置して、カズさんはスタスタと軽快に歩いていく。あれほど頻繁に走っていたクルマもいまは時折通るだけだ。これだったらカズさんでも十分に横断できただろう。
 スミレは動物を買ったことも、飼ったこともなかった。幼少の頃、ハムスターのアニメが流行っていて、まわりのコが一斉にハムスターを飼いはじめた。
 スミレもご多分にもれず、母親にねだったがウチはムリとあっさりと却下された。なんとかマン・ショックとかで、どこかのヒーローがショックを受けるとフケーキになるのだろうかと、当時はよくわからなかった。とにかく何かにつけてお金が絡む話になると、なにかにつけて言われていた時期だった。
「動物を飼ったら、なんか毎日が楽しくなるような気がして、エサやったり、一緒にあそんだり、成長して大きくなっていけば… 」
 カズさんはつまらなそうな顔をしている。訊いといて興味ないんかーいと、突っ込みたくなる。カズさんに興味を持たれなくても、スミレは自己解決していた。思い描いた未来。学校も、勉強も、塾も、習い事も、頑張れる明るい未来は、毎日仕事を頑張ってスミレの成長を楽しみにしている父親と同じなのか。
 父親にされたくなくて、拒否している自分と同じことをペットにしようとしている。それを前向きに生きるための糧として。そんな言い訳のような理由もスミレ自身をガッカリさせていた。
「そうだねえ、先の未来に希望が持てれば、ひとはそれに向かってやる気が起きる。見えなければ今の生活に何の意味も見いだせない。自分で生み出せるのか、何か別のモノに頼るのか、随分違ってくるだろう。ハムスターが、父親にとってのスミレであれば、スミレの行為は父親を踏襲していることとなる」
 なんだか言いくるめられたみたいでスミレは面白くない。自分が思う所と別の観点から、非を指摘されてしまったのもそれに輪をかける。親から見れて子供は、子どもが動物を飼うことに等しいと肯定することもはばかられる。本質的には違っている論理であるのに、そう言われてしまうと反論できない。
 知らずの内に、親が子にする行為を動物に置き換えて、満足することで親との距離を保ってバランスをとっているという仮説は、スミレには反論できる余地がなかった。
「その感情や、考え方自体に差異はない。日々の生活が前向きになったところで、すべてが成し遂げられるわけじゃない。壁にぶつかり、できないことがあり、それこそ自分の成長が見えなくなるのは変わらない。人から与えられたものはなんにせよ、その場凌ぎでしかないんだから。まやかしであり、ごまかしで、そうなると勘違いするだけだ。スミレの母親や父親がそこまで考えてそうしたのか知らないけど、子どもの成長の過程のために飼われるならば動物には災難だね」
 カズさんはいいこと言ったみたいになっている。少し若返って物言いも闊達になったけど、考え方はアタマの固い年寄然している。
「おとなだって、ペット飼うし..」
 言われっぱなしではおさまらないスミレも言い返す。大人に成りきれない大人がいるからだとでも言うのだろうか。
「おとなになればなったで、親以外にも支配してくる者が出てくるからな。どうしたってなんらかの代替え品は必要になるんじゃないかな? わたしみたいな年寄りになれば今度は、支配者側に立つために欲しくなるとかな」
 父親が”部長がいつもああだから”とか、母親が”PTA会長がどうの”とか言っているのは、その人たちがふたりの前に現れた新しい支配者で、そのバランスをはかるためであり、お年寄りがペットを飼うのは、子が離れたあと再び疑似体験をするためなのか。
 カズさんはそんなふうに凝り固まった偏論を説いていく。みんながみんな、そうではなくても、そういう傾向が見られればすべてがそうだと決めてかかって、他を寄せ付けない。
 スミレには実感がない言葉でも年長者からそう言われれば、世の中はそういうものなのだと納得してしまう。そんな大人の中で暮らしていけば、同様のいくつものバイアスが積み重なって人格が形成されていき、同じような人間ができあがる。
 自分の立場ではままならないことがある限り、普段の生活のなかで調整をはかるのはしかたないことで、ほとんどのひとは死ぬまでそこから逃れられることはない。
 歩が進むにつれ、カズさんはどんどん若くなっていた。スミレの母親ほどの年に見える。そしてスミレも成人を迎えるほどに成長している。
 自分たちはどこに向かっていくのか。そんな街並みは雑多だった。時代劇のような茶店もあれば、スミレが住んでいた時のケーキ屋さんもある。古い駄菓子屋もあれば、見たこともない近未来的なレストランもある。
 歩いているひとたちも様々で、いろんな時代の映画を撮影しているキャストが一堂に会したようだ。それなのに誰もがそれを当然として受け止めている。
 彼らの目にこの世界がどう映っているかはわからない。スミレの目だけがそのように見えているのかもしれない。
 もう、そんなことはどうでも良くなっていた。これまでも、ひとつひとつの風景や、物を、まわりにいる人と確かめ合いながら生きてきたわけではない。勝手に、そうである前提で共通認識していただけだ。そう思えば、話がかみ合わない時とか、自分だけが勘違いしているように思われることはよくある話だ。
 つまり、わたしたちは、同じ世界で、同じ時間の流れで、同じ景色を見ていると信じているだけだ。そこにあるモノと、目に映るモノが同じだなんて誰も証明できないのだから。