private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over18.31

2019-10-26 17:56:49 | 連続小説

「30分ぐらいのリハだけど、エリナちゃんのステージを楽しんでってちょうだい」
 マリイさんに言われるまでもなく、おれはもういろんな意味でステージ上の朝比奈に目が釘付けになっていた。持ってきたマイクをスタンドに取り付けて、、、 自分専用のマイクだろうか、、、 そうしておいて一度下を向いてから顔をあげる。
 髪の毛が左右にわかれ、その中からあらわれた表情は、眼つき、顔つきが変わっていて、ゾッとするぐらい恐ろしいほどのプロの目になっていた。
 おれは果たして陸上競技をしていたとき、トラックの上であれだけの集中力を高められたことがあっただろうかと、今更ながらに自分の甘さを思い起こさせられる。まわりにとってはリハーサルにすぎないだろうけど、朝比奈は真剣勝負に臨んでいるのがヒシヒシとつたわってくる、、、 おれは次第に鳥肌がたってきた。
https://youtu.be/mKevYssVS5s
 朝比奈の合図をキッカケに、ドラムがリズムを刻み始める。かぶさるようにウッドベースが調子を取る。ピアノが甘く、切なく奏でる。ふだんジャズなんか聞かないおれでも聞き覚えがある曲なので、いわゆるスタンダードってやつなんだろう。
 この国の人間であるおれでさえ素晴らしい曲と演奏ならば、からだ中に鳴動していき自然とリズムに乗ってしまうものなんだ。だったら特別な人たちの魂にだけ通じるわけではないってことで、そうであれば演歌も、民謡も、都々逸だって、聴けば彼の国の人たちの心に沁みたりするのかな、、、 って歌聴けよ。
 ドラムのシンバルの音が心地よく耳に届き、ピアノも静かに歌の後を追うと、朝比奈は満足気な顔立ちになり、演奏者全員に目を配る余裕が出てきた、、、 と言うより、なんだか朝比奈がこのバンドを仕切っているようにもみえる、、、 
 マリイさんはおれの耳元で、いつもよりノッてるわとささやいた、、、 耳元で小声で言われて、おれもバンドマンの一員になったみたいに思えた、、、
 それから朝比奈は、正面を向いて目を閉じて歌い続ける。普段から大人っぽい声ではあるが、それに輪をかけて、人生の侘び寂をも知り尽くした歌い手の声と思えるほどの深く枯れた歌声に、おれは聴き入り、そしてすぐに次の声を追いかけていた。
 間奏に入ると、それぞれの楽器がソロをはじめた。今日の調子やら、楽器や音の出かたなんかを確認しているんだと、ふたたびマリイさんが小声で教えてくれる。マイクスタンドに両手をあずける朝比奈はそれにあわせて首を上下させる。
 まずは“ばんます”さんのベースが低いリズムを細かく刻んだり、ゆっくりと余韻を残したり。ベースの音って地味なのになぜかカラダが揺さぶられる。心臓の鼓動とつながっているようだ。
 次はケイさんがギターを鳴らす。歌番組で観るようなギターの鳴らし方ではなく、キュッキュッと弦のうえを指が動き、多彩で複雑な音がそのあとに続いて、本当に一本のギターで弾いているのが信じられないぐらいの、ハリのある高い音がおれのアタマの上に落ちてくる。
 ピアノもコロコロと軽快なリズムを刻み、ドラムがシンバルをジャンジャン鳴らしてそれぞれのパートが終了した。そうすると朝比奈が歌を再開させる。その歌に合わせてみんなが次々と自分の楽器の音を絡ませてくる。それはなんだか大勢の男たちに朝比奈が蹂躙されているようで、それに負けずに立ち向かっているから、あの強い朝比奈が出来上がってきたんだと変に納得してしまう。
 一曲、歌い終わると、おれは感激、感動のあまり立ち上がって手を叩いていた。まわりに座っていたひとたちは嘲笑とともにコッチを見て、朝比奈も苦笑いをしている。おれは行き場を失った両手を広げ、昂揚した顔を仰いで慌てて座り、とってつけたようにコーラを口にした、、、 それっぽく飲むことも忘れて、、、
 マリイさんも自慢気たっぷりっの笑顔でゆっくりとうなずいている。千人にひとりの天才を発掘したのはわたしだといったところか。いやこれはホントにすごいよ。公園で聴いた時もあれはあれでよかったけど、声を絞っていたあの時の歌声が、楽器とともにステージで力強く放出された姿はまた別格だ。
 もし本当に朝比奈がスターにでもなったら、マリイさんは恩師として脚光を浴びたりするのだろうかなんて、下衆な考えがすぐに思い浮かぶおれの気持ちを見透かすマリイさんは、こんどは首を横に振った。
「ボク。わたしはね… 」
 マリイさんの口調が変わった。ふだんからさして物事を深く考えずに、気のまま思いのまま感じていることを口にしているので、そういったことはままある。おれ自身に悪意があろうとなかろうと、感じた側が不快に思えば、それは正と成るわけで。おれはまたやっちまったのかと、こわごわマリイさんの顔を見る。
「 …つねづねこう思ってるの。 …天才なんて人間はどこにもいないって」
 最初の言葉とうらはらに、マリイさんの顔はおだやかで、発する声も元に戻っていた。それでおれは胸をなでおろし、マリイさんの言葉に耳を傾けた。
「あえて言うなら、生まれ出でた人間は、全員が天才の質があるってことぐらいかしらねえ。ボクちゃんも含めてね。わたしたちはふいに、抜きに出た者を天才と軽んじて言葉にするけど、その陰でどれほどの努力と苦労があり、得た対価の代わりに多くの大切なものを失くしていったのかわかっていない。エリナちゃんは自分の判断で能力をみがいた。そしてなにを手放していったか、ボクも知ってるでしょ」
 ホッとしたのもつかのま、マリイさんの言葉は怒られることより辛かった。自分がバカなのは先刻承知。ただこの場合、そういった自己分析するのもおこがましく、これまで自分が努力することもなく、真剣に取り組まないまま安穏と生きてきたかをまざまざと宣告された。
 誰にだってひとより秀でるチャンスはなんどもあるはずで、もうひとつの忍耐、もうひとつの汗を拒んだために、手に入れられなかったこともあったし、それより平凡な毎日が大切だと判断したのかもしれない。有能を得るにはそれより多くの平凡を断ち切る必要があって、どちらを選ぶかは自分にまかされている。
 おれが走れなくなったのは自分がどこかでそれを望んでいたからで、だからケガを呼び込んで事故を招いたんだ。ぶつかったアイツのせいでも、治療した医者のせいでもない。かえっておれなんかに関わりあって迷惑かけてしまっただなんて、今はそうあらためて言えるけど、そんなことマリイさんは知るよしもなく、これはたんなる偶発的な認知の回顧でしかない。
 ひとの成功をうらやむのは簡単だ。それを安易に持って生まれたものとして決めつけるのは、自分の弱さであったり、想像力の欠如でしかない。ただ、平凡なおれにとって、ごく平凡な言いかたしかできずに、これは努力の賜物だというのも立場がちがうわけで、だったら黙ってそのすばらしい能力を堪能してればいい。
 朝比奈はその後は、曲の途中で音を確認しながら止めたり、再びそこから歌い始めたりして合計3曲を唄い、もう一度、ベースのひとと声を掛け合ってからステージを降りた。降り立って、コッチ向かってくる、、、 これで終わりか。
「どうだった? 本番じゃないから、通しで唄ってないけど。でも、それなりに楽しめたでしょ? バンマスの鮎川さんに今日は彼氏が見に来てるからいつもより声に艶があるんじゃないかって言ってくるから、そうよって言ってやったら、やけに素直だなっておどろかれた。わたしはいつだって素直なんだけど」
 朝比奈はおれの向かいの椅子を引き、座ったかと思えば、何事もないようにコーラを、、、 おれの飲みさしを、、、 口に含んだ。そんなことしたら、ますます彼氏だと思われてしまうじゃないか、、、 いやあ、困ったなあ、、、 と全然困った顔にならないから、よけいに困ってしまった。
 ところでベースのひとはバンドウマスオとかいう名前なのかと思ったけど、鮎川さんだということで、じゃあ、バンドウマスオは誰なんだろう。
「なに? 誰のこと言ってんの? バンドウマスオなんて名前の人はいないけど」
 コーラの炭酸が効いたらしく、顔をシュワっとさせてから目を見開いた。やっぱり朝比奈はしわしわのおばあちゃんになっても可愛いことがわかった。ピンと来たらしいマリイさんが大笑いした。
「やっだー、名前を略して呼んでる訳じゃないわよ、バンマスっていったら、バンドマスターの略で、バンドの責任者のことよ」
 おっ、略してるのは正解だったな。なんて低次元で悦にはいっていると、ツボだったのか朝比奈はおなかをおさえ、息を殺して笑った。それでなにかにすがりつきたかったらしく、おれの右腕を握りしめたんだけど、ツメが喰い込んで、、、 ああ、きもちよい、、、
「ホシノ、おもしろすぎ、なにそのビギナーっぽさ。はーっ、ひさしぶりに大笑いした。バンドウマスオだって。聞いた? マリイさん」
 涙を指先で押さえながらそう言った。期せずして大ウケを取れたのはなによりだ、、、 何よりどうなんだろう?


Starting over18.22

2019-10-19 22:49:48 | 連続小説

さて、おれはどうしたものかと、とりあえずチンクからおりた。マリイさんはおれのほうをちらりと流し見てアゴ先で指示した、、、 ついて来いって感じ、、、 アゴのあたりのありあまる脂肪がゆれて、朝比奈とは正反対の曲線美だ。
 魅入られるおれは、すごすごとついていくしかなく、裏地や事務所に連れ込まれてもしかたないかと、半ばあきらめ気分でマリイさんに後を歩く。正面にまわって扉を開けて待っているマリイさんは、店の用心棒と言っても納得できるぐらいの威圧感だ。
 店内に入り無事に席まで案内されてとりあえずホッとした。マリイさんはとって食わないから安心しなさいとニヤリと笑って奥に引っこんでいった、、、 ホントだろうか、、、 おれのアタマから飲み込めるぐらいの口の大きさをしている。
 薄暗い店内は、酒とタバコの臭いが染み付いていて、これがおとなの世界ってやつなのかと解釈して、それだけであたまがクラクラしてくるおれは、まだまだこどもで、やっぱり朝比奈はこういう店で働いているから、普段からの行動やしぐさに、おれらとは違う落ち着きがにじみ出てくるんだろうな。
 さあて、いつまでたっても大人びれないボクだから、お酒飲めないし、なにか頼もうにもいくらかかるかわからず、ボクが払えるような金額なのかも心配だし、そもそもボクが入って良いようなお店じゃない、、、 さて、どうしたものか、、、
「なにブツブツ言ってるの、ボクちゃん。ほら、コーラ出しとくから、それっぽく飲んで座ってなさい」
 戻ってきたマリイさんが、そう言ってテーブルにコーラを置いた。コーラってそれっぽく飲まなきゃいけないのか、、、 それっぽいって、つまりお酒を飲むみたいに、ってことだろうな、、、 チビチビと飲むコーラは、どれほど大人の味がするのだろう。
 店内は時間帯もあってなのか客はまばらなんだけど、それともそんなに流行ってない店ならば、そんなとこに朝比奈が働いているのもなんだか物悲しさも漂ってくる。朝比奈はジャズバーとか言ってたけど、おれの見る限りいわゆる場末のキャバレーとかで、、、 行ったことないけど、、、 テレビで観たぐらいで、、、 刑事モノね。
 準備に向かった朝比奈が、いったいなにをしているのかと、ゆがんだ妄想が脹らんでいく、、、 まさか、一日の仕事に疲れた人たちをなぐさめるために、あんなことや、こんなことを、、、 男子が喜ぶ衣装をまとってあのバンドをバックに淫猥で、なめまかしい踊りを踊りつつ、一枚、また一枚と、、、
「なに変な妄想してるの。まだお店が始まる時間じゃないからね。今からバンドの音合わせがはじまるから、席に座ってるのはホールスタッフで、座ってる場所でそれぞれ音のチェックしてるのよ。だいたいね、高校生にこんな場所で働かせられないでしょ。まあ2年後はわからないけどね」
 とマリイさんは意味深げに口角をあげた。手塩にかけて育てて、見事に花開けばそこからあとの身入りに期待して、稼げるうちに稼いでやろうとか考えているのだろうかとか、下世話な勘繰りをしてしまう。
「だからねえ、そうじゃなくて、本番のステージの前に楽器とかの音合わせするのよ。歌い手さんは時間にならないと来ないから、エリナちゃんに唄ってもらって、その日に演奏する曲を確認しながらリハーサルするのよ。それがね、このごろじゃステージ歌手より良い声出すからバンマスはどっちがリハかわからないって、冗談交じりに言ってたわ。これは本人に聞かせられないけど。いまじゃバンマスもエリナちゃんが成人するのを心待ちにしてるし、ホールスタッフもこのごろじゃエリナちゃんの唄を聴くのが楽しみみたいでね。遅刻するどころか早出して準備万端にして待ってるぐらいで、オーナーも感謝してるぐらいなんだから」
 マリイさんの言葉にある“ばんます”って、何なんだろう。人を指す言葉なんだとは理解できたけど、どのような状態を表しているのか意味不明。ボイトレは教えてもらったばかりで、これまで生きてきて聞いたことがない言葉を矢継ぎ早に耳にすることとなり、大人の世界はまだまだ広いなあと、ただでさえ、よくわかっていない状況に置かれているのに、ますます混迷に陥る。
「だって、エリナちゃんたらホントに唄が上手なの。アタシの知り合いが講師をしているボイトレの教室に通ってたところを、すごいコがいるって紹介してもらったのね。最初は大げさなって思ったんだけど歌声聞いてビックリ。スーっと引き込まれっちゃって、ぜひウチで唄って欲しくってね。バンマスにも聴いてもらったの。まさかねえ、まさか彼女が高校生だと、本人から聞くまではまったく思わなかった」
 おれも同級生だけど同い年には見えないとかねがね思ってました。マリイさんも同じ思いでなんだか安心してしまった。ホントは何年かダブっているとか、帰国子女で高校からあらためてやりなおしてるとか、そう言ってくれたほうがよっぽど納得できる。
「ほおら、来たわ」
 マリイさんの顔がパッと輝いて、それと同時にステージの裾から朝比奈がマイクを持って登場した。服装もTシャツとキュロットスカートじゃステージ映えしないからなのか、それっぽいドレスを着ている。照明の明るさとか見栄えを確認する必要もあるのだろうか。そうぞうしていたよりおとなしめの衣装だけど、それでもなんか十分色っぽくて、、、 イイな、、、 やっぱり年齢査証か、、、
「素敵でしょう。あの衣装、わたしのおさがりなんだけど、リハの時間だけだし、わざわざ用意してもらうのもなんだからねえ、エリナちゃんも気にいって着てくれてるからよかった。それにしてもこうして見てると、わたしの若いころを思い出すわあ」
 マリイさんは自慢げな顔でおれを飲み込もうとする、、、 例えだよ、、、 とりあえず、わたしのおさがりのくだりで、コーラを吹きそうになり、あのドレスを着たマリイさんの若いころは想像もつかなし、じゃあ朝比奈もウン十年すると、マリイさんみたいになってしまうのかと、、、 どちらにしろマリイさんには失礼な話しだから、うなずくだけにとどめておいた。
 朝比奈はピアノの音あわせをしている男の元へ近づき耳元に話し掛ける。そうするとピアノの男は、軽快にリズムを取りながらも朝比奈との会話を続ける。まるでショウビジネスのワンシーンを見ているようで、、、 見たことないくせに、、、 
 店に入ったときは暗いし、目が慣れなくてわからなかったけど、朝比奈が出てきて、ライトが当たり、奥でギターを持っている男がケイ、、、 さん、、、 だと気づいて、心がチクリとした。
 それはふたりにとって普通の行為なんだと、こんどは朝比奈の耳元でケイさんが何かをつぶやくと、朝比奈はうなずいて笑顔で返す。それはふたりだけではなくバンドのひとたちは何かを話すときその耳元に近づく。それが彼ら仲間内の証みたいなものだと知り、おれは疎外感につつまれる。
 ケイさんがギターを鳴らす。朝比奈が声を合わす。しろうとのおれが見てても息があって、いい感じに見える。それにマリイさんのドレスは、やはりすこし大きめなのか、前かおれのスケベエさは嫉妬心を凌駕して自分でも感心してしまう。点在しているホールスタッフなる人たちもなんだか、ニヤニヤしていて、おれと同じこと考えているとしても共感より、目をふさいでやりたくなる。
 ステージ設備も照明器具も、学校の体育館で見るようなモノとは違うし、テーブルの上の小物類から、床の陶器、壁に掛けられた絵画も、普段目にするような安っぽいモノではない、、、 はずだ、、、 そんな雰囲気に呑まれておれは、たぶん実際よりも自分の感情が創り出した映像の中で増幅させているんだ。
 朝比奈は、こんどはドラムのひとの肩に手をやって、リズムをとりはじめる。その姿がまたカッコ良過ぎるおれの知らない朝比奈、、、 知らないことだらけだけど、、、 なんだかそれを見せつけられるたびに、おれは確実に吸い込まれていた、、、 誰に、、、 マリイさんではないのは確かだ。 ドラムのひとは朝比奈を見て、笑いながらスティックを回し、ドンドンと深い打撃音を続けながらリズミカルな音をはさみ、シンバルを唐突に鳴らす。そうすると朝比奈はびっくりして、最後にはドラムのひとに叩くまねをする。
 そんな光景を目にすると、場末と感じたこの店もなんだか華やかな場所にみえてくるからおかしなもので、貧困なおれなんかがイメージするのは、やっぱりテレビの刑事モノなんかで出てくるお店の域を抜けなくて、やっぱり世の中はもっと奥深く、おれの浅はかな知識なんかでは追い付いていけない、、、 それは学校では、けして見ることのない朝比奈で、ウチの教室が暗いのはそのせいなのかとうがってしまう。
「ベースを弾いている人がバンマス。最初はね、ガキの遊び場じゃなねえなんてしぶってたんだけど、まあ実際に声を聞いたら、すぐにお気に入りになったわ。わたしにはわかってたけどね」
 ベースを持っているひとは、朝比奈がつぎつぎとバンドマンと交流をしているなか、ひとり黙々と音合わせをしていた。その雰囲気が和気あいあいでありながらも、必要以上になれ合いにならないように、バンドの雰囲気をグッと締めている、、、 ように思う。
 バンマスなる人は、大人のおとこって感じで、オールバックにかためた髪に、不精ではない不精ヒゲ。ニヤリと笑うと顔にシワがあらわれ、その一本一本にこれまでの経験がきざみこまれているようで、おとこのおれが見てもいぶし銀のイカしたオトコに見えるから困ったもんだ。
 おれがなにひとつ持っていないモノに、朝比奈がうばわれていくようで、ひととの比較が無意味なことだっていわれても、共通の対象物がある限り、それをなしにしては戦えないんだからしかたないじゃないか。


Starting over18.12

2019-10-12 22:05:34 | 連続小説

 割り込もうとするクルマが半分ほどチンクの前に入ってきた。ドライバーのおっさんはますますニヤついた顔で、この娘おれに気があるんじゃないかとか、きれいな女性にそうされれば誰だってする勘違いに陥って、お礼の右手をあげて気取ってやがる、、、 当然おれの存在など目に入っていない、、、 朝比奈といるとただでさえ薄いおれの存在がまさに消えてしまうようで、、、
「月が明るすぎて見えない、あくたの星も、その単体としては月以上に輝いているのに。自分では誰だって気づかないとかね。ホシノって言うぐらいだし」
 なんて言いながら、男の目をうっとうしそうに遮り、そんなあしらいは慣れているしぐさで、真ん中のレバーを後ろに引き、シートの肩ごしから後ろを確認すると、ハンドルを右に切ってチンクをバックさせた、、、 えっ!! ここで!? トロトロと進んでいた後ろのクルマは突然の出来事に急ブレーキをかける、、、 おれの心臓も急ブレーキがかかりそう、、、
「コッチの方が近いから」
 すかさずハンドルを左にめいっぱい切って、こんどは割り込みするクルマに向かっていく。一瞬のできごとにおれは呆然として、、、 それ以上に前のクルマのおっさんも目をひん剥き、驚愕の顔、、、 そりゃそうだ、クルマの横っ腹にぶつかるぐらいの勢いで突っ込んでくるんだから。
 これは朝比奈に色目を使ったことへの痛烈なご返礼か、ことのなりゆきを見守るしかなかった、、、 おれたちに手が出せるわけない、、、 見切ったギリギリのところでチンクは前のクルマをかわしていく。結果的にかわせたけど、おれには当たったってかまわないぐらいに見えた。
「ぶつけないよ。アッチのクルマがどうってことより、そんなことしたらケイに笑われるから」
 そうして側道に入って行った。つまりは、渋滞を回避するために、邪魔なクルマを先に行かせて、そこにチンクをねじ込んだってわけだ。それが例え一方通行の逆走だとしても。だからおれは不安げに朝比奈の顔を見る。平然とした顔がそこにあるだけだ。
 不安なのは逆走していることだけでなく、ケイという人名も関係していた。それはきっとこのクルマの、チンクの持ち主で、ヤツに関わる言葉が朝比奈の口から出るたびに、繊細なおれは身が切られるとか、思いのほかやわなハートだったりするのは新しい発見だ。
「かといってね。腫れ物にさわるように扱ったと知れたら、それはそれでハンパ者とバカにされる。だからこれでもけっこう気をつかってる」
 小刻みにレバーを動かしてスピードをあげていく。おれはただ、前からクルマがこないことを祈るばかりで、そこがやっぱり人間の大きさの差なんだろうかとか、甘いこと考えてた矢先に、朝比奈のアゴ先がおれに警告を発した。
 アゴの動きで朝比奈の要求がわかるなんて、おれも大したモノ、、、 状況判断で、それぐらい誰にだってわかる、、、 なんにしろきれいなアゴのラインだと、そんな悠長なこと言ってる場合じゃない、、、 対向車が現れたんだ。
 朝比奈はスピードを緩めない。手首を返してクラクションを鳴らす。返した手首のラインも美しい、、、 おれは恐怖を打ち消すための一瞬の逃避をしている、、、 おれだって、たぶん誰だって、こんなふうに一方的に攻撃されたら、自分が間違えたんじゃないかって勘違いしてしまう。
「勘違い? 正解とか、誰かが勝手に決めただけでしょ」
 と、朝比奈は持論を曲げないなか、対向車はそうするのが当然としてスピードをゆるめ、クルマを脇に寄せる。ドライバーは周りをキョロキョロと、自分の行為が正しいのかどうかの判断を誰かにゆだねている、、、 そりゃそうだ、そうなるよな、わかるよ。小市民のひとりとして。
 さっきもそうだけど、朝比奈のドライビング、、、 というか生き方そのもの、、、 と、チンクのサイズが幸いして、どちらにもキズ一つつけることなく危機を乗り切った。チンクはもはや自分のカラダの一部として取り扱われている。神経がチンクのすみずみにまで拡張しているんだ、、、 それがケイなるひとと重なっていた。
 その後は対向車もなく、ようやく一方通行を通り抜け反対側の大通りに出た。そこを左折してしばらく行くとスピードをおとし、小ぶりな駐車場にチンクを入れた。すでに3台のクルマが止まっていて、そこには従業員用の駐車場を記した看板が立っている。
 おれはもう5年ぐらい寿命が縮まっていた。5年になんの根拠もなく、なんとなく5年を選んだだけだから、3年でも7年でもいいんだけど、つい5年って言ってしまう。そして着いた場所で、さらに2年ほど寿命が縮まることになる。この2年に、、、 もういいか。
「あー、よかった、間に合って。マリイさん、ああ見えても時間には厳しいんだから」
 ああ見えるというマリイさんなる人がどう見えるのか、まだお目見えしていない段階ではなんともいえないけど、つまりは時間に間に合わせるため、速度と、信号と、ルートを計算に入れて運転していたのかとわかれば、そら恐ろしくなる。
 ところでココって。おれはあらためて建物を見渡した、、、 見渡すほど大きくはない、、、 描写がいいかげんだと、いろいろと混乱する、、、 おれのあたまも混乱しているからしかたない。派手な電飾が添えられ、日が暮れればスプレーで塗られたものではない赤、青、黄色のあざやかな色が灯るんだろう、、、 おれは緑が好きだ、、、
 ここはつまりは大人のオトコが日頃の憂さ晴らしに、お金を払ってオンナのヒトと楽しくお酒を飲む場所のはずだ、、、 つまりキャバレーみたいな、、、 
「なに言ってんの、キャバレーじゃないよ、さすがにわたしもそこではバイトできない。ここはジャズバーって言うの。どっちにしろ高校生がバイトするような場所じゃないのは変わらないか」
 そうさらっと言われても、そいつは朝比奈的には笑うポイントだったのに、おれは呆気にとられてそれどころじゃなかった。そこへたぶんマリイさんなる人が目の前に現れた。
 どうして、おれがこの女性をマリイさんだと思ったかというと、ああ見えてもって言われて、いかにもああ見えてしまったからで、それが某有名SF映画に出てくる、カエルの化け物のような体型だからって訳じゃない、、、
「もうーっ、エリナちゃんっ。遅っいわよ! 間に合わないかと思って、ヒヤヒヤしたんだから」
 エリナって誰だよと思いながら、朝比奈のファーストネームだったことを思い出した。もしかしたらここでの源氏名かもしれない、、、 ケイって人もそう呼んでたし、、、 そこに深入りする勇気はない、、、 朝比奈エリナちゃんか。いいじゃないか本名かどうかなんて、と首をタテに振り納得してたら、ロクなこと考えてないでしょ。といった鋭い目つきで朝比奈に睨まれた。
「あら、ヤダ、エリナちゃん。今日は同伴出勤? ちゃんとお花代もらった? なあんてそんなわけないか。ボクはエリナちゃんの彼氏なの? 心配で付いてきたのかしら。いいわねえ、入って、入って。ほら、エリナちゃんは早く準備して。バンマスがお待ちかねよ、機嫌損ねないようにね」
 ボク? ボクですか、ボクですよね、ジャバから見れば、、、 あっジャバって言っちゃった、、、 瞬間冷却されないかな、、、 今回は、存在をムシされなくてよかった。
 エリナちゃんは殊勝にハーイっと返事してチンクを降り、軽やかに走り出し、裏口を開けて店内に入って行った。
 こうして日々あししげく通っている先のナゾはとけ、そして更なるナゾが大きく膨らんだだけだった。きっと、朝比奈を知るのはこの調子で永遠にできそうにない、、、 やっぱり、おれにはエリナより朝比奈のほうがシックリくる。


Starting over17.32

2019-10-06 06:51:19 | 連続小説

 左折の列に並ぶ。コンピューターゲームで聴くような安っぽい音が一定の間隔で鳴り続ける。音楽の授業で聴いたメトロノームのあの音を思い出していた。早かったり遅かったりしたその音に、学級全体が操られていて嫌な感じしかしなかったなあと。
「ホシノの家ってさあ… 」
 自分が曲がろうとしているのか、この音が鳴っているから曲がるのか、なんだかそんな疑問にさいなまれていたところだった。
 唐突の質問にイメージの世界から現実に引き戻された。そういう言い方ってよくあるよな、だったらおれたちはいったいどの世界に生きているのだろうかと、現実というものがすべてが虚空であり、自分の記憶だけが唯一の頼りならこれほど脆いものはない。
 この時間だって、こんなに長く一緒にいる場合じゃないはずなのに、おれにとってはとても短く感じられる、、、 朝比奈はどうなんだろう、、、
「 …これまで、なにかカッタことあったの?」
 勝った? 誰に? おれの家が? おれ自身は誰かにまさった記憶はない。走っていた時だって、一位になったことはなく、そこそこの順位、それが伸びしろがあると言えるうちに走れなくなったのは好都合だったのかもしれない。どちらにしろ負け続けの時代、、、 この先もそれほど大差ないはずだ、、、
「ああ、そうじゃなくって、動物。いま子ネコ飼ってるでしょ。これまでになにか飼ったことあったのかなって?」
 ああ、動物。ないない。だいたいあの母親が生き物を飼うって考えられない、、、 はて、どうして今回は飼う気になったんだ。
 小学校のときハムスターを飼うのが流行った時期があった。おれも飼いたいって言ったら、ウチはウチ。ヨソはヨソと、一刀両断で、部活をはじめた時にジョギングのお伴に犬を飼いたいっていったら、町内会長が飼ってるジョンとでもいっしょに走って、ついでに散歩のバイト代貰ってなにか御馳走してちょうだいと言ってたかられた。
「そうなの、今回はイレイなのね」
 慰霊、仏壇に供えるアレ? 親ネコは死んだみたいだけど、ウチに慰霊を飾る予定はないはずだ。
「じゃなく、これまででは考えられないことだったのかって?」
 朝比奈のツッコミの言葉も短くなっていく。おれにはこうして引き続き、朝比奈の貴重な時間を浪費させるぐらいしかできない。
 でもさ、すべての言葉が相手との意思を疎通させるわけじゃないんだから。いやきっと、そうでない方が多いのに、おれたちはわかったように会話をして、裏切られ、期待を超え、そうして生きている。
 そこでおれは母親がネコを飼おうとした理由を考えてみた。そうだなあ、なんでだろ。考えられるのはあの時、朝比奈が居たということと、その前に庭先でネコが死んでいた。それぐらいの起因ぐらいしか思い浮かばない。
 さすがに子ネコを無下にするには寝覚めが悪いと思ったのか、朝比奈の手前、捨ててこいとは言えなかったのか。母親にだってさまざまな理由があり、それにともなう行動がついてくる。一緒にいればそれにつきあわされ、それがいやなら離れるしかない。それが誰だったおなじのはずだ。
「要因はいろいろとあるものね、それがあの子ネコの持っていた運なのかもしれないし。いいわね、そうゆうのって、動物だけじゃなく、人が生きていく過程にも、それなりのモチベーションや、エモーショナルがあるって思い知らされてるみたいで」
 なんだか小難しい横文字を並べられてもよくわからないままうなずいておき、おれにはマスターベーションかエロチシズムぐらいしか言えないけど使いどころはない。
 おれの理解力で言わせてもらえば、おれたちは単調に毎日過ごしているようで、すべてが偶然の積み重ねで成り立っているとしてもなんらおかしくないってことで、マンホールのフタが外れていれば、壁のブロックが倒壊すれば、ビルの窓が外れれば、いつ自分が死ぬかなんてわかったもんじゃないとか。そういう不幸なニュースは日々散見されているというのに、誰も次は自分だなんて思いもしないんだから。
「じゃあ、あの子ネコちゃんは、ホシノ家で初めて飼われた動物ってことか」
 うーん、どうだろうか、なんか小学校の時に、縁日で売られていたカラーヒヨコを買った記憶があるんだけど。これは前もって母親には相談しなかった。赤やら、緑やら、青のヒヨコがめずらしくて、ニワトリになったらどうなるんだろうと、お祭りの行くからって母親から貰ったなけなしの100円で緑のヒヨコを、、、 好きな色はみどりだ、、、 ひとつ買った。自慢げに家に持って帰ると、母親に呆れられた。
「そんなヒヨコすぐに死んじゃって、ニワトリになんかなるわけないでしょ。かき氷でも食べた方がよっぽど良かったのに」って、、、 友達はカラーヒヨコも買って、かき氷も食べて、おれは両方買えるお小遣いをくれなかった母親に文句は言えなかった。
「あったね、そうゆうの。わたしは遠巻きに見てたけど。とにかく怪しげで、あの口上とか、まわりの雰囲気で買わなきゃいけないような気になるのか、小学生としては。引いた位置で見てるとね、近過ぎて見えないモノが見えるから。 …それで、どうなった? ヒヨコ」
 次の日に、野良ネコが咥えて逃げていくのを見た。キャベツかレタスかと思ったんだろうか、、、 ああ、ネコだからふつうか、、、 
 夏休みが終わると、友達のだれもカラーヒヨコの話題にはならず、どこかで色のついたニワトリを見たなんて話しもなかった。
「あたりまえでしょ。スプレーで色付けただけなんだから。もしうまく成長したとしても、もとの白いニワトリに戻るから。そこまで成長するのはまれだろうけど。その時からの縁なのかもね。ネコ飼うのも」
 ああ、そうか。だから、今回のネコはその償いか、、、 そのわりには態度でかいな、、、 なんてふざけたこと考えてたら朝比奈は口を閉じてしまった。もういいかげん生産性のない会話を続けることに飽きてしまったんだろうか。
 そこで朝比奈はポケットから腕時計を出して目を向けた。サイズが大きく男がする時計で、高級なモノに見えた、、、 そんな小道具のひとつひとつにも、おれの知らない朝比奈の過去がある、、、 日焼け跡が残るのが嫌で手首に巻くのは敬遠したという想像はできる。
「思ったより混んでる。スクーターとは勝手が違うから」
 閉口していた朝比奈は時間が心配になったからだった。行く先で事故か、工事でもあったのか、左折のクルマはなかなか進まなかった。そりゃ、スクーターならクルマの合間を縫ってスイスイと進むことも可能だ、、、 それが交通違反であっても、、、
「そう。行ける選択肢があるのは良い。ホシノって見た目によらず、形式ばったとこあるから、なにかを始めるのにカタチから入る。文章の内容より誤字脱字を気にする。正しいおこないをすれば間違いは起きない。少なくともうしろ指は差されない。でもそんなものは生きていく上でなんの役にも立たない」
 いや、それほど強気に言われると返す言葉もない。それに、いまここで人格を全否定されるような言葉をあびたけど、それほど大それた発言をしたつもりもなく、ただあえて犯罪者のお仲間になりそうな方へ進むのは賛同できないだけで、なんだか聞いた方が悪者のような気にさえさせるほどの強権発令はさすがというしかない。
「矛盾だらけでしょ人生は。あれも食べたい、これも食べたいって毎日想像してるとね、実際にそれが実現したとき食傷になっていて食べれない。食傷、わかる? 簡単に言えば、胸やけして食が進まないってとこかしら。地球が30分ほど先に進んでいたのね、きっと」
 そうやって、朝比奈はおれをけむに巻く言葉を並べる、、、 ついていけないおれが悪いのか、、、
 左側に小道があった。この列に入ろうとするクルマがジリジリとあたまを突っ込んでくる。朝比奈はチンクを進めず、一台分が入れるスペースを確保してやるようだけど、時間を気にしているのにその行動は意外だった。
 そのクルマの男はイライラしていたが、朝比奈が、、、 美人で若い女の子が、、、 道を譲ってくれたことにすっかり口角をさげて何度もあたまをさげる。
 朝比奈も人の子だ、困った人に救いの手を差し伸べる。それが自分の不利益になろうとうも、、、 なんて、感心しているおれはなんにもまだ朝比奈のことをわかっていなかった、、、