ピアノがそこに置かれていた。
ショッピングモールと、入り口にサイネージされていた場所だった。どうひいき目にみても商店街とのハイブリッドにしか見えない通りの、その中央付近にそれはあった。
ピアノのまわりには幾つかのベンチが設置されており、日中ならば多くの人が休憩をしたり、食事を取ったり、思い思いにくつろぐ場所になるのだろう。
ベンチから前方に向かって中央に、誰もが自由に弾くことのできるストリートピアノが置いてあった。9時を回った時間では人影は見当たらず、静まりかえった空間にカバーが開いたままのピアノは、誰かを待っているようにも見えた。
いいじゃないか、ダイキは嬉し気にベンチに向かった。
ダイキは呑みすぎたアルコールを抜くために、あてもなくこのモールをブラついていた。そして意図せずにここにたどりついた。
ロールプレイングゲームでダンジョンを徘徊したあげくに行きついた、秘密の大広間に出た気分になった。足も疲れてきて、ちょうど腰をおろしたいと適当な場所を探していたところだ。
この状態で家に帰ることは避けたいダイキは、それにしても長く歩き続けて、携えていたペットボトルの水もずいぶん前に空になっていた。
ベンチの奥におあつらえ向きに自販機があった。ポケットの小銭を探り、緑茶を買った。
ベンチに腰をおろして空を見上げた。薄い雲が張り出しておぼろ月夜になっていた。何度目かのため息をつく。誰か気の利いた楽曲でも引いてくれないかと、ありえない状況に笑ってしまい首を横に振る。
今回も結果が出なかった。自信を持って望んだレースであったのに、最後は自滅のように失速していった。30キロを過ぎた時点で足が止まってしまった。息が上がったわけでもないのに、突然に脚に力が入らなくなった。誰かに栓を抜かれたように力が失われていった。こんな経験は初めてだった。
30キロからキツくなるのはめずらしことではない。そこからどれだけ粘れるかがマラソンの戦い方だ。それなのに今回は粘ろうと気持ちを入れても、地面に力を伝えられない。骨盤から下が自分のカラダではないような感触だった。
レース後の失意の中で、身体は飲み屋に向かっていた。悔しさを紛らわすために量が進んで、気づけばこんな時間まで飲んでいた。酔ったまま家路を辿るダイキは、自分の弱さを再確認するだけだった。
年を重ねるにつれ酒量も増えていき、妻には何度も釘を刺されていた。自分でもタイムが伸びない原因はそこにあるかもしれないと、今回に備えて好きなビールを控えるために半年前から禁酒を続けていた。それであるのにこのザマだ。
妻には合宿所で今後の身の振り方を相談してから帰るので遅くなると伝えてある。それでこの酔いで帰れば言い訳ができない。できれば先に寝ていてくれればと願うばかりだ。
購入したペットボトルのキャップを外して、ひと口含む。爽やかな緑茶の香りが口に広がった。最初のひと口は、そのまま口をゆすぎ後ろの草むらに吐き出した。
コーチにも太鼓判を捺され、当日までのピーキングの持って行き方も万全で、あとはレースに集中するだけだった。自分でもいけるという感触があった。5年前のベストタイム出したあの時の流れをトレースしているようだと思えた。
それは自分を奮い立たせるための方便でしかなかった。
5年後の自分は、5年前の自分とは同じでなかった。言い訳はいくらでも出てくる。あの時の感触も、時の流れも、成功体験にしがみつこうとする自分の弱さの現れに過ぎなかった。
自分でもわかっていたはずなのに。だがそう考えなければ、次の一歩を踏み出せなかった。所詮自分にはもうあの時の力は失われているのだ。
レースペースで伴走してくれた仲間内での練習で、付いていくことができた。まわりも良い仕上がりだと何度も声をかけてくれた。過去の栄光に傷をつけないように気を遣っていただけだ。
本番では、ペースを上げ下げするライバルと闘いながら、30キロオーバーになってからが本当の真価が問われる。そこで、まざまざと自分の今の実力の地点を思い知らされていた。
ダイキはおもむろに立ち上がり、アップライトのピアノに備え付けてあるイスを引いて腰かけた。白と黒の鍵盤や、黒塗りの本体にライトが映えた夜のモールの風景が映し込んでいる。
人差し指でアイボリーのキーを押し込んでみる。軽やかな音が鳴った。静寂に包まれているモールに音が吸い込まれていく。
初めてアコースティックのピアノを鳴らした。耳に心地よい中音が伝わって、その余韻はいつまでも続いていた。
ピアノの余韻に浸りながら、自分はもう一度、あの場所に戻れるのかと問いかける。いや戻らなければならなければならないと叱咤する。いやもう無理だ。これ以上何度やっても同じことだ。それですべてを打ち消してしまう。
それほどに決心して挑んだあげくに、言い訳できないほどに打ちのめされてしまったのだから。
ダイキは高校の時に陸上部の仲間とバンドを組んで文化祭に出た。TVでバンドブームが取りざたされており、誰も彼も楽器を演奏して目立とうという流れに、日頃地味な練習ばかりの日々に変化を求めていた陸上部仲間が乗っかった。
そして当時深夜に放送されていたMTVで見た、アメリカのロックバンドの楽曲をやろうということになった。
ダイキは兄から譲り受けたギターを持っていて、そこそこ弾けたのでギターを担当すると手を上げた。それなのに、部長がヨソからギタリストを連れて来た。
陸上部でバンドを組むことに意味があったはずなのに、その暗黙のルールはいとも容易く放棄された。たしかにヤツは断然に上手く、とても片手間でやっているダイキには太刀打ちできる相手ではなかった。
所詮高校生が目立ちたいがためにやっているバンドだ。更に言えば女子にモテるために文化祭に出るといっても過言ではなく、誰だってうまいヤツと一緒にやりたい。それで自分もバンドの一員として喝采をあびたい。そんな下心が誰にでもあった。
ダイキは代わりにキーボードを勧められた。音に厚みが出るとかなんとか言いくるめられて、部長が自分の姉が持っていた持ち運びできるキーボードを持ってきた。
ピアノのコード位置をいちから覚えなければならす、アタマに入っているギターのコード進行を、指の動きに置き換えられるように、ひたすら何度も繰り返し練習しかなかった。
そんな中でも、音がつながってくると面白くなってきて練習にも身が入った。四連打だけではつまらなくなって、少しづつオカズを入れられるようにまでなっていった。
メンバーで集まって音合わせの練習でも様になっていた。当時のバンドと言えば、ボーカルにリードギター、ベースにドラムが標準仕様で、あってもサイドギターがつくぐらいだ。
ダイキの男子校ではキーボードがいるバンドは他になく、それだけで差別化ができた。これで他のバンドよりアピールできて、よそから来た女子への売りになると盛り上がった。
それなのにそのギターのヤツは、上手いだけあってあちらこちらのバンドと掛け持ちしていたらしく、文化祭の直前にダイキ達よりレベルの高いバンドに鞍替えしてしまった。
ヤツにとってはその方が費用対効果が高いのでしかたない。名前も、顔も今は思い出せない。
ダイキは結局、元のギターを担当することになった。やはりギターがいなくてはバンドの体をなさないのでしかたない。
キーボードに愛着も湧いてきており、アレンジもできるようになっていたのに、部長の一存で振り回されることになったことにはわだかまりが残った。
付け焼刃のギターではヤツとの差は歴然で、ストロークで弾くことはできても、リードのリフを覚えるのは一苦労で、ましてやテクニックを駆使して聴く者を引き付ける演奏など、数日でどうこうなるものではない。
前日からひとりで練習を重ね、ほとんど睡眠もとらず、出演の直前までそれを繰り返した。指先が痛くて感覚がなくなっていった。
出演順はヤツのバンドの次になっており、派手なソロギターのパフォーマンスで大盛り上がりになったあとでは、途切れ、途切れで、なんとか音が出ているというダイキのギターでは、座席から失笑が聞こえ、途中で席を立つ者が次々と出た。
女子にモテるどころか、苦い思いでしか残らなかった。
そう思えば自分はいまだに何も変わっていない。なにをするにしても人任せで、中途半端でしかない。付け焼刃でなんとかしようとして、勝負所に弱い。そしてどこかにできないことの言い訳を用意していた。
ダイキは当時を思い出しながら、コード進行を押さえてみた。ダイキたちがコピーした曲は、アメリカのハイスクールの若者群像を描いたテレビドラマの主題歌であり、テンポのいいサウンドで大ヒットして誰もが一度は耳にしていた曲だった。
久しぶりであるのに指先は覚えているもので、自然と次のコードに指が動いていく。ただ、ロックだと言うのにバラードのようなリズムになってしまうのはお愛嬌だ。