private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来20

2024-02-04 14:47:34 | 連続小説

「わたしにはね、小学校の頃に、仲のいい親友といえる友達がいてね、、 」
 キジタさんの残していった種の芽も出ない中で、おやじさんはのんきにそんな話しをしはじめた。おやじさんにとっては言わなくてはいけない事かもしれなくとも、少なくとも今のスミレには軽い話しに聞こえた。
 キジタさんに続いて子供の頃の話しであることを考えれば、この昔話もつながっているのだろう。キジタさんの時と違うのは、今回はおやじさんは大人のままだった。
 スミレは目をシバたかせてもう一度見直しても変わらない。カズさんが目を合わそうとせず微笑んでいる。思い起こせばカズさんの時も小さくはならなかった。
 スミレの前に現れた人たちは、自分の心に溜まったわだかまりを吐き出して、自分を浄化させていき、そしてスミレにそれをつなげようとしている。
「、、 小さいころは飛行機が大好きで、学校に持ってく文房具の筆箱や、下敷きは、飛行機のイラストや写真がついてたんだ。そうするとどうしても同じ趣味を持つ者が近づいてくるんだな。自らを主張をすれば、同時に自らを開示することにもなり、人はそれを見て近づくべきか、遠ざけるのかを判断していくみたいだな。子どもの頃はとくにそんな嗅覚が冴えているようだ」
 子供の頃の話ではあるが、言いたいことは今にあるようで、大人のままのおやじさんを見てスミレは、そんな理由付けをしてしまう。確固たる理由がないと落ち着かないのがスミレの癖で、そんな不安な状態の自分がイヤになる。
 カズさんは興味がなさそうにしながらも、かと言っておやじさんの話を制すこともない。スミレの自信のなさげな姿と合わせてこの状況を楽しんでいる。
「それで、ひとりの飛行機好きと出会ったんだ」
 おやじさんの話しぶりからすれば、スミレではなくカズさんに話しているようにみえる。結婚して何十年と経った夫婦がお酒でも飲みながら、自分の子どもの頃の思い出話をしている。スミレにはそんな状況が浮かんでくる。
 カズさんを見ればお腹は平たくなり、おやじさんに合わせるように、また少し年を取ってきたようだ。キジタさんはどこに行ってしまったのかと、スミレはカズさんを探るが目を合わせてもらえない。
「わたしたちは、たがいに自分の好きな飛行機のイラストを描いては見せあったり、オリジナルの飛行機を描いてみたりして楽しんでいた。そうしていつしか自分達で設計図を起こすようにまでなってね。相手のアイデアに感心したり、自分のデザインを自慢したり。そうするとだんだんと妬みや、軋轢も生まれてくる。ケンカもしょっ中したんだ。自分の好きなことで他人より劣ることを認めたくないんだな。子供だからね。いや大人より直接的にそういった感情が出るんじゃないかな、子どもの方が、、 」
 哲学的な話しになってきた。先ほどのラジオ放送は、このおやじさんの趣味だったようだ。スミレにはつぎなる疑問が浮かんだ。飛行機好きが昂じて設計者になったとか、パイロットになったとかではなく。どうして料理人になったのかだ。
「、、 そんな悔しい想いもしたし、楽しいこともあったけど、今にして思えば彼がいなければ、きっと淋しい子供時代だったはずだ。あれほど我を張って、意見をぶつけ合ったのは、その時が最後だったな。もちろんそのレベルは低いものではあったけどね」
 おやじさんは寂しそうな表情だ。いい友達と巡り会えて切磋琢磨した。仲が良ければ良いほど、お互いを認め合うことも、お互いを越えようとすることも自然な成り行きだ。
「ただ、残念なことに、、」おやじさんは目頭を押さえる動きをした。
「、、 彼とは最後にケンカ別れしてしまってね。それっきりになってしまったんだ。お互いにイジを張ってしまい、絶対に自分から近寄っていくことはしなかった。わたしは親のあとを継いで料理人になった。彼はこの国初の小型旅客機の開発にたずさわってね、、」
 そういうことだった。スミレの疑問は氷解した。ただおやじさんの話を聞いてきた立場とすれば、この結末はハッピーエンドではない。
 人生に勝利も敗北もないとしても、結果として彼に敗れたというおやじさんの無念が伝わってくる。
「その経験が大人に成ってから活きているのか、正直わからないんだ。それ以来、ひとと本心をぶつけ合うのを躊躇するようになってしまってね。だからもっと違った接し方もあったのではないかなんて、思い直すことも多々あるんだ。その経験を元にもう一度彼と対峙できれば、また違った大人になっていたのかなと、、」
 誰もがみな、後悔を持って生きている。完璧な人生などありえない。やり直したいことはきっと山ほどある。それなのに、例えやり直したところでまた別の後悔が生まれることはわかりきっている。
 今が子どものスミレにも、あとになって言い過ぎたと思い悩むことがある。その時は言い負けたくないだけで、必要以上に、そして非論理的な言葉を生み出していくだけだった。
 自分の正義だけを振りかざしていく自己欺瞞が、どれ程無意味であるかわかっていても、同じことを繰り返してしまう。そうして大人になった時に、おやじさんと同じような気持ちになるのだろう。それをどう回避するかなど考えも及ばない。
 大人のおやじさんでさえ、未だに正解が見つかっていないのならば、スミレにそれを求めるのは酷であろう。それどころか世の中のほとんどの人が同じ過ちを繰り返し続けている。
「その1割でも改善されれば、世の中はもっと平和で、住みやすくなるかもしれないわね」
 カズさんは冷ややかにそう言った。そんなことはありえないという含みがあった。
「後悔したらやり直せる。そんなキジタさんみたいなことが誰でもできるわけじゃないし、あっ、キジタさんもやり直せるって決まったわけじゃないけど。でもさ、後悔してやり直したからって、また別の問題で失敗することもあるから、これもアタリが出るまで続けるなんてムリなんじゃないの? だから人は自分の一生を悔いなく生きようって努力するんでしょ?」
「スミレの言うことは正しいわ。ほとんどのひとがこれまでそうやって一生をまっとうしてきた。だからね、それでは満足できないひとと、その不満を解決できる人が出てくるのよ。自然にあらがって生きていきたい、ほかのひとと同じような人生は嫌だと言うへそまがりはいるものよね。どこかの独裁者が言った言葉があるわ。傍観者であり続けるな。劇の主役になれと。主役じゃなくてもいいのにね。傍観者より劇に参加する意欲は必要なんだけど、それなのに誰もが主役になるなんてありえないし馬鹿げてる」
「愛というのは、有る意味において歪な感情なんですよ」
 おやじさんの口から意外な言葉が出た。スミレに対して今度は愛まで説こうというのか。愛情と憎悪は同義であるとキジタさんを見ていてもわかる。
「歪な感情、、」
 愛は真っ直ぐで、誠実で、人が最後に拠り所とする神聖なものだとスミレは信じていた。そうでなければ人々はこれまで愛の名の下に、自己犠牲を施してはこなかったはずだ。そこはカズさんに種族維持の話しを聞いてかなり揺らいでいる。
「そうなんですよ。そうして人の心を妄信的にしてしまうことが、愛という言葉の怖いところで、愛という感情の制御を難しくしてるんでしょうね。何かを愛すれば、同時にそれ以外を嫌悪することになってしまう」
 それではまるで詐欺商法ではないか。何かを好きになっても、それ以外を否定するわけではないはずだ。
「スミレちゃんが話した。野球チームのこと、好きなアイドルのこと。自分の愛するものを優先させれば、それ以外を疎ましく考えてしまうものでしょう? 家族を愛せば、まわりよりいい生活がしたいと欲する。地元を愛せば、他の地方より便利がいいことを望む。国を愛せば、隣国より豊かで平和であることを思う。その衝動が悪い方に作用していくと、一度起きた争いは、お互いの正義の名の下に終わることなく繰り返され、受けた憎しみは冷めることなく、世代を重ねるほどに憎悪が増すこともある。それがわたしたちであり、繁殖を抑制するために遺伝子に組み込まれていると穿ちたくもなるでしょう」
 繁殖を促進するのも、抑制するのも遺伝子次第ということで、スミレは再びその前提条件に気落ちしてしまう。人生が枯れてから知ることならばよいだろうが、まだまだこれから多くの経験を積もうとして行くところで、身もふたもない結論を知らされても嬉しくない。
「誰かを好きになろうとすれば、いくらだでも好きになれるように、誰かを嫌いになろうとすれば、いくらでも嫌いになれるんだよ。時に嫌いになる方を選んだ方が楽になることもある。好きでいることが辛すぎるからね」
 おやじさんはそう言った。辛そうな顔をしている。子どものときの親友を思い出しているのだろうか。
「誰かをキズつけずに生きていこうとすれば、自分をキズつけてしまうことだってある。誰からも愛されようとすれば、誰からもキズを受け続けることになるのね」
 カズさんはおやじさんの言葉を言い換えてスミレに伝えた。
「だったらさ、世界が豊かで平和であれば、どの国もひがんだり妬んだりしなくて済むし、そうすれば自分達が住んでいるところも安心だし、誰もまわりをうらやましく思うこともないじゃないの」
 そんな子どもでもわかる論理を、未だにこの星の住人は実践できないでいる。
 カズさんとおやじさんは顔を見合わせて驚く。スミレが成長を感じさせるような意見をした。ふたりの表情とは裏腹にスミレは楽しそうではない。成長は必ずしも楽しいことではないのだ。


昨日、今日、未来19

2024-01-21 14:40:26 | 連続小説

 そこに「やはり」という言葉が付くのが正しいのか、スミレには疑問だった。確率論で言えばそうなるのかもしれないし、本人がそう思っているならば、スミレが否定できることではない。心のスミにわだかまりができて、スッキリしないのは当事者ではないからなのか。
 生きる権利はすべての人にあるとか、どんな命でもそこに差は存在しないとか、いくらでも言いようはある。生まれてくる命はいったい誰のモノなのか、スミレには明確にそれを断言することはできなかった。
「生まれる前の子どもの状態を把握することができるようになり、選択することが可能であれば、親としてそこは逃れられない道になりますよね」キジタさんが続けた。
 それはいったい、いつの医学を言っているのか。スミレには答えがない。スミレの時代では聞いたことがない。自分が知らないだけかもしれない。
「医師は尋ねるのです。あなたのお子さんには欠損が有ります。今ならまだ、生まないという選択もできますがどうしますかと。わたしはこの時、ついに悟ったのです。わたしがここまで生きてきたのは、この時を向かえるためだったのだと」
 スミレはいやな言葉に耳を塞ぎたくなった。今また、キジタさんのキャラクターが塗り替えられた。そんなゲームでもしているかのような口ぶりで話すことではないはずだ。
 カズさんにたしなめて欲しいところだ。それなのにカズさんは黙っている。キジタさんは構わず話を続ける。スミレはあたまが痛くなり、気分も悪くなってきた。これは最悪だ。
「わたしも、わたしの親と同じように、自分の子どもに判断をくだせる時がやって来たのです。もしかして、あの時、わたしの親が何を言ったのかがわかるのではないかと、、 」
 先ほど、どうしても思い出せないと、絶望し、そして達観してみせた、キジタさんが失念してしまった親の一言。それが巡りめぐって、自分にも降りかかり、同じような境遇になったことで、その意図を共有しようとしている。
 輪廻である。その答えに到達するために生きてきたという信念に、なんの共感も持てず、そのための道具のように使われる赤ちゃんが不憫すぎるではないか。
「スミレ、キジタさんにはキジタさんだけが見えている世界があるの、それはキジタさんの生を満たすためだけにあり、わたしたちとの共用ではないのよ」
 カズさんが改めてそう言った。この境遇になってから、繰り返される言葉だ。人は皆、自分が望んだ世界に生きていると。
 だからと言って、そんなキジタさんの世界を見聞きするのは不愉快極まりない。耳障りの良い話ではないのだから。
「もちろん妻とも相談しました。どうすれば家族にとってベストな選択なるのか。妻は悩みました。授かった子を自分達の判断でどうするか決めてしまう権利があるのかと。わたしはひとつの意見として言いました。自然に委ねれば、生きていけないこの子を、医学の力で、次の世代に引き継がせて良いものかと。答えなど出るはずはありません」
 キジタさんの胎児の欠損とは、そのままにしておいては生命が続かない類らしい。
「それにねえ、出たとしても、その時に妥協した着地点というだけであり、あとから後悔することも、それを最善と信じられるように、辻褄を合わせるために精神のバランスを崩すこともあるからね。人の判断なんてそんなものであり、それぐらいしかできないでしょ」
 カズさんがそう言った。スミレはおやつを買う時も、チョコがいいかクッキーがいいか悩むことがある。ひとつであれば悩まないのに、選択肢があるから悩まなければいけない。
 今日の気分はチョコだと選んで買ったあとに、クッキーにすればよかったかもしれないと、自分の判断に疑問を持つ。
 食べているときはやっぱりチョコで正解だったと満足しても、食べ終わったあとクッキーが物欲しくなる。命と比較する話ではないが同じことだ。
「そんなわたし意見に、妻は何だかガッカリしたような顔を見せました。ただ考えを伝えただけなんです。説得したわけではありません。その時の妻は、自分の意見を見失っていたんだと思います。つまり自分がどうしたいと言うことよりも、そんな意見を持つわたしに反発することにこだわっていた。妻はわたしが手術で助かったことを知っています。だから我が子もと言う気持ちにならないことが不思議なようでした。わたしのその後の苦悩までは知らないので、それは仕方のないことです。おかしなもんです。第三者でいれば、いくらでも命は何物にも変えがたいと言えるのに、当人であれば、そんな尊い言葉よりも、打算のほうが勝るんです。運よく上手く生き延びたとしても、まわりの子たちと同じような生活が送れるのか。その事により何度も辛い思いをするのではないか。妻にしても、一時の感情で生んだ我が子の生涯を、この先も同じ気持ちで向き合っていけるのか。何よりもわたし自身が、自分がどちらを選択しても、それが正しいという根拠が何も見いだせないんです。いっそ誰かに決めて貰ったほうが、信じられる気がするほどです」
 カズさんの言う、選択肢ができて、人の判断能力を超えた弊害がここにもある。
 スミレも母親におやつを用意しておいてもらった方が気楽に食べられる。プリンの方が良かったなと、減らず口を叩いても本心ではない。今日のおやつはもう決まっているのだから。
「一概には同じとは言えませんが、わたしの時は、生まれてからその欠損が発覚しました。確率が低いなりに選択肢があり、そうでなければ助かったことによる、付属的な特性の押し付けに悩むことも有りませんでした。今後はもっと選択肢は増えるでしょう。多くの人の命が救われると同時に、それを受け入れることに苦慮する人も増えるのです。そして、、」
 そんな決めつけたように言わなくてもとスミレ首を振る。そしてこれまでの総括として、キジタさんの口からどんな言葉が発せられるのか気が気でもない。
「それは同時に、生まれる前に何らかの欠損を感知し、その時点で取捨選択がはじめられ、選別されて産まれた子だけが、生きることを許されることになるのです、、 」
 いったい誰に? スミレは考えが追いついていかない。
 親ガチャなる言葉をスミレも聞いたことがある。家でうっかりと口にした時はひどく母親に叱られた。やがて生まれいずる子どもの優劣を選別するなどすれば、それこそ今度は子ガチャとも言え、アタリが出るまで繰り返すつもりなのか。
 カズさんは否定をするように首を振った。
「スミレ、そんな甘いもんじゃないわ。そうなると次に考えるのは、その選別が子どもができてからでは効率が悪いという思想ね」
 カズさんまで、とんでもないことを言い出した。子どもに恵まれるという神の采配を、人為的に、作為的に、恣意的に行なえるというのか。
「だってお腹に子どもが出来てからじゃ効率が悪いでしょ。最初から優秀な子を望むのなら、その確率の高い父親と、母親を準備しなくちゃねえ」
 人類の選別。自分はいったいどう選別されるのだろうか。自分にその資格がなければ、人を好きになっても子どもを作ることもできなくなる。
 スミレの不安な気持ちは高まるばかりだ。不安な気持ちはスミレだけではなかった。キジタさんも同じように愕然としている。
「姉さん、貴方はやはり、、」何が、やはりなのか。
「ケンちゃん、あなたは生まれ変わるんだから。もう思い悩むことはないのよ」
 生まれ変わる? キジタさんが? スミレはカズさんの言葉の続きを待った。
「スミレ、ひとは出来るとわかったことをしないという選択肢はとらないのよ。そして誰もが言う、自分がやらなくても誰かがやる。ならば自分がやった方がいいと。そうしてなんの欠損もない人々が集めれらて、最適なパートナーを選んで次の世代を創作していく。そうするとね、、」
「かあさん、もうやめてください。わたしはもうそんな話しは聞きたくないんですよ。自分がなんのために生まれてきたのかは自分が決めたいんです」
 キジタさんはもう赤ちゃんのサイズになっていた。カズさんはお姉さんからお母さんに変わっていた。そうなる理由があるからスミレの目に映っているのだ。
「世の中がうまく回るにはそれではダメなの。働かないアリがいるから効率よく仕事が回っていく。ひとが作為的にそれを止めようとすると、そうならないバイアスが働く。ひとの感知できないホルモンバランスの変化が起こる。キジタさんは次の世代を創らなければならない。あの子は人類の存続のために生かさなければならなかったの」
 キジタさんの姿はもうそこにはなかった。カズさんのおなかが大きく膨らんでいる。妊娠している女性のように。カズさんは本当にキジタさんのお母さんになってしまった。
 キジタさんは選択すべき側であるとともに、選択される側でもあった。
 自分の言葉に耳をふさぎ、記憶から消していた。そしてもう一度繰り返される。
「だからね、種族の維持継続のために遺伝子が存在してるならば、そこに愛だの、相性だの、ひとの感情が介在することはないの。すべては数値の羅列でしかない。結びつくための理由を各自が勝手に作って盛り上がっているだけなの。それを人為的に操作しようとしても、いつかは自然界が瓦解してしまう。悲しいものね、どちらが人類にとっての正道なのか、誰にもわからなくなっていくんだから」
 この年にして夢も希望も無くなるようなことを言われ、スミレはこの先に明かりが見えない。
 自分がアイドルをスキなのも、この先、好きになる人ができても、それはすべて遺伝子からの指令であり、自らの意思ではないらしい。
 それなのに人は、好きだ嫌いだと言い合い、時に嫉妬や妬み、憎悪を持って人と接している。自分で判断していると勘違いしているのか、それとも自らが主体だと信じていなければ、生き続けることができないのか。


昨日、今日、未来18

2024-01-07 17:31:39 | 連続小説

 こういう過去があるから、こうあるべきだとか、どうしても考えがちになってしまうし、まわりからも求められる。どんな過去があろうと、どうあるべきかは自分で決めればいいはずなのに。そうでなければ普通でないとか、それが過ぎると異常であると見られることさえある。
 スミレもキジタさんを初めて見たとき、そんな過去を背負っているとは思いもしなかったし、話を聞いた後では、それならこうすればいいと、自分の理想を勝手にあてはめている。それはスミレが勝手にキジタさんに与えた履歴でしかない。
 皆誰しも、さまざまな過去を経て生きている。同じような経験も、その人の捉え方により、その後の影響はどうにでも変わってくる。キジタさんは自分の経験が辛いのではなく、経験がもたらした周囲りからの反応と、それに相対したことによる受け止めが、今の状況を作り出してしまったのだ。
 どんな物事であっても、考えようによっては薬にも、毒にもなるように、何が間違った行為か、何が正しい行為か、すべてのひとに当てはまるはずもなく、決められるものでもない。
 キジタさんが、いま生きていることがすべてであり、なぜ生を与えられたか悩んで生きていこうと結論付けているならば、それに対して第三者が口を挟むことはできない。
 そしてもし、生きていなければ、何の悩みも、葛藤もなく、誰の影響下にもおかれていない。
「そう、ただそれだけのハズ、、 」キジタさんは続きが出てこない。
 スミレは、いち推しのアイドルグループが、所属プロダクションから、不遇の待遇を受けていることに憤ったり、リーダーの幼い頃の厳しかった家庭環境のエピソードを涙して聞き、ますます好意を募らせていった。
 もっと応援して、もっと彼らが有名になって、幸せになって欲しいと、なけなしのお小遣いをはたいている。今はそんな自分を愛しく想っている自分を客観視できた。これもすべて、無からスミレが勝手に作り上げただけの現象だったのだ。
 感情はすべて精緻に創られた戯言なのだ。どうすれば人の心情に訴えかけられるか。どうすれば自分が望む行動に引き寄せられるか。自らが選んだように見えて、それらは巧妙に人々を誘導し、気づいた時にはそうせざるを得なくなっている。
 そして今は、実際に死の淵に瀕した人を目にしても、もはやそれほどの実感はなかった、なんだか物語を聞かされているようで、一歩引いて眺めているスミレだった。
「物語だって、現実だって、結局はその時の自分の心身の状況より、ホルモンバランスの増減で感情が左右されていると脳が認識するだけだからね。スミレの場合、これは現実であり、物語であるように、それを理解するのに丁度よかったのかもね」
 理解するとは、いったいなんのために理解する必要があるのか。
「キジタさんはお父さんと、お母さんの言葉をそう解釈しようとしているってことなの?」
 キジタさんは答えの方向性は確定しているのではないかと、スミレは問うてみた。
「人間は欲張りだからね。選択なんて出来ない時代の方がある意味、幸せだったのかもね」代わりにカズさんが答えた。
 食堂の丸椅子に足をブラブラとさせて座っていたキジタさんは、リクライニングのシートに収まっていた。身体は前よりも小さくなっている。宇宙服のような特殊なスーツを着ていて、足を投げ出すこともできずにそこに埋もれていた。
「それに、なにを持って欠損があるとは言い切れないし、ある意味欠損がない者など皆無なんじゃないかな」おやじさんが言った。おやじさんは調理服から医師か研究員のような恰好になっている。
 それはそうだが、そんなことを言い出せばキリがない。人の優劣をどこかで線引きするなど出来はしないのだから「だけど、、 」スミレはそこから先を言いたくはなかった。
「線引きはできなくとも、最も優れたモノと、最も劣ったモノを見比べれば、歴然とした差がそこには存在している」スミレの代わりにキジタさんがそれを言ってくれた。
「そうよね、それを判断するのは本人じゃないし、親とか、医師とか、回りの意見とか、その時に権力を持っているひとが判断してしまうから」
 カズさんは白衣を着ていた。おやじさんがと揃いのユニフォームだ。胸のポケットには二本のペンが刺してあった。
 カズさんの言葉にスミレはひっかかった。親はわかるけれども、医師にまでその権限があるのだろうか。
「権限と言うよりね、治せる、治せないの判断をするでしょ。治せたはずなのに無理だと判断するとか、容易に治せるものも、失敗することもある」
 ならば周囲の目とは何だろう。
「回りの目を気にして判断をしてしまうことはよくあることだ。これでは本人もたまったもんじゃない。それは時に判断を見誤まれば、自分の命を天秤にかけられているのと同じだ。キジタさんが、ヒーローと違うのはそこなんだから」もう、オヤジではない年齢のおやじさんがそう言った。
「そうなんです。わたしはまだ、自我が目覚めてませんでしたから、死ぬ寸前で助かったと言う感覚も、記憶もないんです。それが決定的に違うところなんでしょうけど。事実として死の淵から生還した。それとの差が良くわからないんです」
 事実ならばそれでいいのではないだろうか。それを強味にできるかどうかは自分次第なのだから。スミレは高校生が着るようなブレザーを着ていた。中学時代の想い出も何もないのに、もう高校生では悲しすぎる。
「つまりねそういうことなんです。そう言った自分の特性であったり、誇れる部分を強味にできるかどうかで、ひとの人生は変わってくるんですよ」
 自分の強みとは何だろう。スミレは自問した。何を拠り所にして自分は生きていけるのだろうか。さしあたっては、このような異空間に取り込まれても、動ずることなく対処できていることか。
「そうかもしれないわね。うまくできてるかどうかは別として」と、カズさんは嫌みっぽく言う。中学生をスキップして高校生になってしまい、悔やんでいるのを知っているように。
「対応できていると言うより、まわりの状況に流されているだけってこと?」
「うーん、そうでもないんだけどね。これからが本番だから、これぐらいで満足しないで欲しいの」
 恐ろしいことを平然と言われて、スミレもたじろぐ。
「スミレはまだわからないだろうけど、親にされたことは自分の子に影響を及ぼすのよ。それは顕在下でも、潜在下であっても。親にいつも叱られて育てば、同じように自分の子にも厳しく当たるとか、子供にはそんな思いをさせたくないとするか」
 カズさんはそんな話を切り出した。話がコロコロと変わり、スミレはすぐにはついていけない。当のキジタさんは茫然としている。2歳児の茫然とした顔をはじめてみた。
「あんた、、」おやじさんが驚いたようにカズさんを見る。
 キジタさんは、おやじさんの方を向いて首を振る。わかっていないのはスミレだけだ。
 スミレの母親は、特に厳しいわけでも、甘やかすわけでもなかった。母親はどんな影響を受けているのだろうか。スミレにはこれと言った具体例は思い浮かばない。
「そうねえ、スミレの母親は自分が望む以上に親にかまわれたから、その反動で、必要以上に構わないように距離をおいているのかもね。もしくは、子に構うより熱中できるものが他にあるとか」カズさんは嫌な目をした。
「大丈夫よ。昔は、放っておいても子は育つって言ったもんだから、それぐらいでちょうどいいのに、比較する情報が多くなりすぎれば、誰もが処理できずに混乱してるのよ」
 フォローのつもりかカズさんがそう言うと、キジタさんは先の話しに取り戻そうと口をはさむ。
「放って置いてもと言うのは、放っておいて育つ子だけが生きてきたと、取ることもできますよね」
 大衆食堂の店内は薄っすらとカゲってきた。急に陽が沈んだように。明かりはついていない。いろんな食べ物が入り混じった匂いがしていたはずなのに、いまは消毒用のアルコールの臭いがする。病院の中にでもいるように。 
「そうねえ、子どもが親に甘えて、愛情を求めるのは、生存本能が作動しているだけで、愛だのなんだのって、甘い話しじゃない。そういった意味では、大人よりあざといとも言える。そうなれば相対して母親は、母性本能が起動され、子を育てる連鎖を保つことができる。母親をこなそうとする妻を見て、父親は次の子孫を残す本能を抑制してしまうし、そのはけ口を外に求めることもあるが、そんなことを公然とすれば、周囲の目を気にしたり、それに見合ったリターンが得られないことで抑止されている。ところがあれだけ親を頼りにしていた子供は、自分にできることがわかれば、親を必要としなくなり、やがて親をないがしろにするようになる。それが子離れだと諭される。それを知れば母親は、次は自分の資源を子どもに掛ける労力を自分に投資するようになる。これまで、ホルモンバランスの変化によって構築されてきた、出産から子育てのサイクルが回らなくなっていく」
 なんだろう、カズさんは少子化の話しをしたいのだろうか。
「そうじゃないんです。スミレさん。人の遺伝子が子孫を残すように組織されているならば、現代の、つまりスミレさんの時代で、外的要因により、子孫を残すホルモンの分泌が低下する状況が続いた場合、それを元に戻そうと、配列に変化が起きる可能性をさぐっているですよ」おやじさんが言った。
 カズさんは話題を変えたわけではなく、キジタさんの話の核心へと迫っているのだ。ぼんやりと店内が明るくなってきた。目が慣れてきたのか、明かりが点いたのか自覚することはなかった。ただそこはもう、食べ物屋の店内ではなくなっていた。研究所の一室のような、何の飾り気もない、無機質な空間になっていた。 
「これまでの自然界にない環境に人々が生存するようになり、子孫を残そうとしないバグが発生するようになった。少数のモノなら以前からもあった。これほどの大量のバグが出てくれば、もはやバグとは言えず、それが正道となってしまう。そうして出生率が低下すれば、国家はありとあらゆる命が必要となる。子どもを作らない選択をするひとが増加する中で、作りたいひとに原資をかけるのは間違いじゃないからね。それは強い者だけが生き残ってきた、これまでの自然の摂理から外れていくことになる、、 」
 自然の中では、どんな動物も植物も、強いモノか、もしくは強いモノと共存できるモノだけが生き残ってきた。『環境に適応するモノ』などと、やんわり伝えられることもあるが結果は同じことだ。環境に適応できなかった弱きモノは滅びていくだけだ。
「これまでにはなかった選択肢を選べるようになってしまった。本来なら生まれなかった人間、生まれても育たなかった人間、育てることが困難な人間。これからはそんな子どもたちも、すべてに生を与うることができるようになっていくの」
 いったいいつの時代のことを言っているのかスミレは困惑した。キジタさんもそのひとりになるなら、随分以前からそういった医療が進んでいたことになる。
「生きてきた者だけが、生き残る資格を持っていた。そう遠くない過去はそれが普通だった。選択も、選別もなく、自然を受け入れるしかなかったんだから。自然に抗い、作為的な選択肢ができたことで、人はこれまでになかった判断をしなくてはならなくなった。その決断は容易ではなく、いつしかひとの心を蝕んでいく。選択できる権利が芽生えれば、最良の選択をしたいと思うのが人の心。そしてそれは大概にして悪い方を選んだと思い込んでしまう。仮に相対的に見て、良い選択だったとしても、もう一方がもっと良かったんではないかと、疑心暗鬼になっていく。そんな懐疑心が容赦なくひとの心を蝕んでいくんでしょうね」
「姉さん、あなたはいったい、、 どこまで、知ってるんですか?」
 知られるはずのない事実を語られようとしている。キジタさんは悲しそうな表情になっていく。
「そうです、因果応報なんでしょうかね。わたしたち夫婦のあいだに出来た子は、やはり欠損のある子だったんです」


昨日、今日、未来 17

2023-12-23 14:02:14 | 連続小説

 キジタさんの言葉が投げやりに聞こえたスミレだった。2度目の命を与えられたことを望んでも、喜んでもおらず、むしろ厄介ごとをかかえたかのような言いようだ。
 自分の子どもなら、その確率が低かろうが助けたいと思うのが親ではないだろうか。それが医者に言われた言葉に反発したかもしれないと仮説をたてること事態、スミレには随分歪んだモノの考え方に聞こえる。
 命拾いして負い目を感じるとか、決断力に乏しいことを嘆くより、その穿ったモノの見方を考え直さない限り、この苦しみは続くのではないかと心配になる。
「それは単なる正論ね」カズさんがスミレを見る。正論のなにが悪いのだろうか「当事者にしか、わからない想いは、どうしたってあるのよ」と、当事者ではないカズさんがそう言った。
 おやじさんは子どもをなぐさめるように、椅子に座るキジタさんの小さな足に手を添えてさすった。その膝から先は床に着かず、所在なさげにブラブラとしている。
「何かあるごとに親も、姉も、あんたは死にかかっていた。死んでもおかしくなかった。そのつもりで生きろと叱咤しました。そこに悪気はないとは承知しています。どちらかと言えば弱気で、臆病なわたしを勇気づけるためなんでしょう。それなのにわたしはどうしても、それを力量として生きていくことができませんでした。漫画の主人公も、テレビアニメのヒーローも、生死の境目から蘇り、さらにパワーアップして活躍しているのに、どうして自分はそういった境地になれないのか、そう打ちひしがれるたびに、ますます弱気になっていくのです」
 子どものキジタさんが、大人になってからの苦しみを吐露している。それがこの言葉に妙な真実味を上乗せしている。子どもなのに、理想通りの自分を思い描けていない、自分の未来図が見えていればそれは致し方ない。
 マンガやアニメのヒーロー、ヒロインのようになりたいと、想いを重ねていたのはスミレだって変わりない。つらい境遇や、過去の悲運な出来事を乗り越えて、勇ましく立ち向かう姿に憧れていたのはキジタさんと同じだ。
 自分はどうしたってそのような環境には育っておらず、人並みに生活が送れ、不自由ない暮らしができている。それだから在り来たりな行動しかできないのか。かと言って厳しい状況に自ら身を置いて、実際にそこか這い上がれるか試してみる勇気もない。
「それが果たして、勇気であるかは捉え方によるわよねえ」そうカズさんは言って微苦笑した。
 勇気でなければ、愚行なのだろうか。バカにされたようなスミレはキジタさんを見た。最初からその恵まれた立場にあれば、勇気ある行動も、やらずもかの愚行になり。厳しい立場でこそ勇気を持った決断と称えられるならば、勇気と愚行とは紙一重であり、その価値もまた当人だけのものだ。
「そうですよね。いやまったくその通りです。スミレさん。わたしにとっては勇気と言われるのが重荷なんです。手術に成功したから、わたしは今こうして生きているので、この話に残酷なオチはありません。ただわたし自身は、残酷なオチを背負って生きているのです。まわりに言われなくとも、わたしに判断力が乏しいとか、決断力に欠けるとか、大きな勝負を仕掛けられないとか。そんなことは自分が一番わかってるんです」
 せっかく助かった命が、そのひとを苦しめているなんて因果なものだ。さらには多くの助からなかった人たちにしてみれば、贅沢な話しだと怒りをかうだろう。
「必要な出来事が、必要としている人に届かない。それはひとの力だけではどうにもならないよね」カズさんが言った。
「お金持ちは、いくらお金があっても、もっとお金を増やす方法を考えるのに明け暮れ、お金の使おうとしない。同じように、命がいつまでもあると思って、ほとんどの人は日々を怠惰に暮らしている」
 その例え話が同じなのか、スミレにはわからない。
「お金が必要なひとには、必要とする分だけのお金が回ってこない。命をつなぎとめたいひとに、命が回ってくるかどうか、それは多分に運が左右する。運よく命拾いしたとしても、その命を有効に使えるかどうかは本人次第。せっかく助かった命は、運がなければ無くなっていた命の対比ではないんだよ」
 おやじさんが、カズさんの言葉を受けてそう言った。スミレ以外は共通認識できているらしく、またまたアタマがこんがらがってきた。それはもう、お金持ちになるのも、長生きできるのも運次第ということで、身もふたもなくなってしまう。
 スミレの短い経験則ではそうなってしまうのも無理はなく、大人たちは、子どもになった大人も含めて、多くの経験からその類似事例を抜き出すことで言ているのだ。それらの関係性の中からでこそ生まれる意識もある。カズさんはこの状況を楽しんでいる。
「そうね、誰もが正当な理由を求めてるんだから。それはなるべく自分の意に沿ったモノが好ましい。そうでなければ納得出来ない。と同時にそうでない場合の想定をあらかじめ準備しておき、なるべく衝撃度を緩和するように備えておきたいものなのよ」カズさんが言う。
「そうなのかもしれません。わたしもそうでない想定をしました、、」すぐにキジタさんが受ける。
「そうねえ、例えば医者に反発したからとか?」カズさんはスミレを見てそう言った。ここでつながってくるとは。スミレは口をへの字に曲げた。
 キジタさんが予定してるそうでない場合は、本当にそういうことだったのだろうか。子どものスミレにもそれはあまりに子どもじみていると、子どもの姿のキジタさんに言うのも変だった。
「、、わたしはそもそも生まれるべきではなかったと。そうすれば、両親に心配もかけることなく、自分自身の存在に思い悩むこともなかったのです」
 はやり、それだけの話しでは終わらない。医者への反発に置き換えたのも、キジタさんがその思考に陥ってしまいたくないからで、どうにもその根は奥深そうだ。
「わたしは一度だけ親に訊いたことがあります。医者に助かる確率は低いと言われたのに、手術したのはどうしてかと、それに、お金だって、、、」
 確かにそこは気になるところであった。お金の心配もあり、言い出しづらい。無理を承知でも、万にひとつの可能性があればと願ったからだと、親からは言って欲しいところだ。
「それで、親御さんは何て?」カズさんが声をかけた。
 キジタさんが、それを言葉にするのが厳しいように見えたのだ。実際キジタさんはこうべを垂れて口を閉ざしたままだ。
 おやじさんがキジタさんの肩を優しく撫でる。その動きに流し出されるように、腹の奥にしまってあった言葉が喉元までこみ上げてきた。ふたりはキジタさんの奥底に溜まったモノを吐き出させて、楽にしてあげたかったのだ。
「、、 それが、覚えてないんです。教えてくれなかったのではなく、何か言われたのは間違いないんですが、それなのに記憶がないんです。こんなに大事な言葉なのに、なにひとつ、、 ただ、ふたりの穏やかそうな顔は印象に残っています。およそ子どもに、どんな気持ちで命を救おうとしたかを話すような、そんな表情とは、かけ離れた表情だったんです」
 キジタさんは、余りにも想定外の言葉を受け入れることができずに、そのまま記憶から消してしまったのだろうか。奥に置いてあったのは、それを思い出さないように閉じ込めているように。
「訊いたのはそのとき限りです。二度と訊くことはできませんでした。自分が助かった本当の理由を、遠ざけて生きてきたんだと思います」
「だからなのね、」カズさんは柔らかな口調で肯定する。
「あなたがケンちゃんを脱却したいのも、姉に昔のことをからかわれるのが嫌なのも、その話題になることに怯えていた。そうなんでしょうね。本当の理由を、もはやそんなカタチで訊きたくはないとしているのだから、、」
 キジタさんは、コクリとうなずいた。
「どんな理由であったにしろ、わたしはこうして生きています。それ以上に何を望むことがあるでしょう。でも、、」
 その言葉に続けて何を言い出すのか、スミレは息を飲んだ。
「、、こんな思いをするために生き延びたのは、いったい何故なんでしょうね」
 キジタさんは大きく首を振った。清々しい表情も、なにか無理をしているようだ。キジタさんはその理由を探して生きている。そのためにあえぎ、傷つき、自分の弱さを表に出している。
 生き延びた理由は、何かこの世にできることがあるからのはずだ。スミレにだってわかる。しかし、誰も安易な慰めの言葉など口にしなかった。
 子どものためにありとあらゆる手を講じて、命をつなぎ止めることがモチーフになるドラマはよく目にする。それが万人が望む見たいストーリーだから。命を救われた人たちが共通して望んだ結果ではないこともあるのだ。
 産まれてきて良かったとか、生きて恩返しをすればいいとか、耳障りのいい言葉は直ぐにでも口にできるだろう。そんな言葉をキジタさんは望んでいない。それはもう、自分のなかで何十回も唱えていた。人それぞれに解毒の方法は異なる。
 時に慰めよりも、その判断を尊重することが必用だと、カズさんもおやじさんも知っている。
 言葉が通じることを前提として、この世の中の仕組みが成り立っていても、本当は誰もが口に出せるものでもないし、目に見えて他人との差に気づくものでもない。
 それでも誰かとは違っている。みんな一緒ではなく、誰もが自分だけの解を持っている。それを本人から宣言するのは野暮だと誰もがわかっている。
 スミレもようやくそのことに気づきはじめていた。自分にも自分だけにしかない解を幾つかある。母には理解してもらえたことは、父には理解してもらえない。友だちには理解してもらえても、両親にはダメだった。
 みんながみんなスミレと同意見ではない。その人から見ればスミレは異端者で、何かかけている欠損者なのだ。手術の必要はないけれど、直ることもない


昨日、今日、未来16

2023-12-10 18:05:08 | 連続小説

「おやじさん。めずらしいですね。フロアに出てくるなんて。今日もおいしかったですよ。こんな食材出してたら、店が儲からないでしょう」
 キジタさんがおどろいて声を掛ける。今はもう少年ではなく、元のおじさんに戻っている。おやじさんと呼ばれたひとは、所どころに調味料のシミを残した調理服を着ている。キジタさんの言葉を聞く限り、どうやらこの店の料理長兼オーナーらしい。
 腕まくりをした腕は細く、血管が浮き上がるほどだった。油のはねた痕が所どころにシミになっているのが、おやじさんの年季を物語っている。
 ゴムのスリッパをつっかけたまま、おやじさんはスミレたちのテーブルまで寄ってきた。となりのテーブルから丸椅子をひとつ引き寄せ、テーブルのすみに陣取った。いわゆるお誕生日席だ。
「おやじさん、すいませんがもう少しわたしに話しをさせてください」
 キジタさんはそう断ると、おやじさんは目を閉じてコクりと首をうなだれた。その肯定を合図として、再びキジタさんはスルスルと子どもになっていく。そして恨めしそうな顔をカズさんに向けた。
「姉さん、違うんですよ、、」やはりカズさんは仮想姉だった。
 キジタさんは小さくなっても話し方は元のままだ。子どもが大人びた話し方をするのは違和感しかなかった。この状況でなければ絶対に目にすることはない風景を、当たり前のように見ているスミレがいた。
 スミレはカラダが成長しても知識や思考は元のままなので、この不釣り合いな状態にバランスを崩してしまいそうであったのに。
 大人のように賢ぶって話す子どもがいれば、普通ならなにも知らない小僧が生意気を言ってと、冷ややかに見られるだろう。そんな先入観さえバカらしく思える。その人がどんな想いで話しているのかを、もっと自然に聞くことができれば、その人との接し方もまったく別のモノになるはずだ。
「そう、同じことなんだよ、スミレちゃん。わたしだってそうなんだ。カラダや脳の成長とともに、知識が取り込めれるわけでも、与えられる情報が最適化されているわけでもないんだ。だから誰もがその不釣り合いな状況を埋め合わそうと苦慮している」
 同じではないとスミレは否定したかった。いまの自分の状況はあまりにも実態よりかけ離れすぎていて、経過した時間も少なすぎる。キジタさんが重ねてきた年数とは比べものにならない。
 カズさんは失笑している。
「そうでしょうね。スミレの状況は特殊だけど、それはしかし、わかりやすい環境であり、ある意味、対応しやすいんじゃないの? キジタさんはが言いたいのは、そうではなく、今の状態が正なのかどうかもわからないまま、いろいろな情報を詰め込まれていき、それを正確に処理することが成長の証として、可視化されてしまうことが、どれほど精神に歪を与えているかということよ」
 じゃないの?と、軽く言われてもスミレは困惑してしまう。確かに、情報量が多すぎて、処理も追っついていない中で、誰かと比較されることもなく、どの程度理解できているかの基準は自分次第であることは気は楽に違いない。それ以外はすみれの方が負荷が多い。周囲の目や、誰かとの比較が、どれ程プレッシャーになるのか知らしめている。
「そこなんですよ。スミレさん」
 スミレちゃんから、スミレさんに変わった。見た目とは関係なくスミレのレベルがアップしたのだ。それをスミレはまだ身に感じていない。
「わたしはね、生まれながらにカラダに欠損があったんです」
「ケッソン?」
 その正確な意味はわからないながらもスミレは、なにかが欠けており、他の多くのひとと違いがあることを示したいのだとアタリをつけた。
「なあにスミレさん、安心してください。わたしだって、その言葉が正確かなんて、わかって使っているわけじゃないですから。なるべく配慮した言葉を選んでいるだけです。自分にも他人にも、、 ましてや害があるわけじゃないのに、そんな言われかたしたらどれほど傷つくか。言葉や漢字の振り方と言われればそれまでですが、自分ではそう言わないと、なんだか出来損ないに思えてね、、」
 言う方はそこまで深く考えて言っているわけではなくとも、言われる方の感じ方は様々なのだ。スミレだって何気ない一言で、友達から反撃を受けたことは幾度もある。
 そんなつもりじゃないと言っても、傷ついたと言われれば返す言葉もなく、これでは一体どれほど気を遣って話せばいいのか、しばらくは咄嗟に言葉が出てこなくなったことがあった。
「通常あるものが、なければ欠損していることになる。それがなくてはならないかどうかは別なのにね。あるかどうかの価値は、人それぞれに委ねられてしかるべきなのに。それが人が平等を享受できる前提でしょ。すべてが同じであることがスタートラインになっていては、そうでない人はスタートラインにすら立てないんだから」
 カズさんは、そう持論を展開した。キジタさんはうなずいているので、自分の意図を汲み取ってもらえたのだ。
「わたしのカラダの欠損は、生命に関わる重大なものだったんです。そのせいで、母乳は飲めずにやせ細っていき、両親は当然のように心配になり医者に相談したんです。そこで発覚したんです。そしてそれは手術をしないと治らない欠損だった。当時の医療では成功する確率は低く、医師からは諦めた方がいいと両親に伝えたんです。それに手術代も決して安くはないと」
 人情的には受け入れがたいものがある。そうであっても人の死と言えども、確率論は成立するし、値の上下により、手が出るか出ないかも判断される。それも助けられるかどうかの選択肢があるから選べるわけであり、その選択肢がなければ確率はゼロであり、手の出しようもない。
「わたしの両親は、手術をする選択をしてくれました。その理由が親としての責任としてなのか、わたしのことを思ってなのか、医者にそこまで言われて逆に発奮したのか。発奮したという言いかたは言葉が悪いかもしれませんが、人の深層心理というものは決してロジカルではありません。その言葉がトリガーとなって手術を決断したとしても、わたしにはどうでもいいことです。いまここに命があることがすべてなんですから」
 難しい話が重い話になってきた。スミレはその重さを取り除こうと、これは自分が望んだ空想の話なので、気に病むことはないといい聞かせた。
 マンガやドラマも、作り話とわかっていても感情移入すれば、喜怒哀楽があらわれる。ましてや目の前にいる人が、演じている訳でもなく、自分史を語ればどうしたって、相手を慮ってしまい、スミレはいたたまれない。
 そして残念ながら、この先はもっと話しが重くなっていく。
「生後間もないわたしは、自分の生死が秤に掛けられているとも知らず、自分の人生の選択を親に委ねるしかないのです。その時にわたしは、人生で一度目の重大な決断を、自分以外に託したのです。もちろん、自分では何も出来ない赤ん坊は、生のすべてを育成する者に委ねなければならないのは承知してます。それとは別の負い目、そう負い目と言っていいでしょう。負い目を持って、2度目の命を与えられたのです」


昨日、今日、未来15

2023-11-26 17:00:30 | 連続小説

「わたしの下の名前はケンジと言い、子どもの頃は当時人気のテレビ番組の題名にも有って、誰もがケンちゃんと呼んでいました」
 キジタさんが話題を変えて話しはじめた。小難しい話しはもう終わったようだ。子どもの頃の思い出話しならいいかとスミレはホッとするも疑問が生じる。キジタさんは最初に自己紹介した時と名前が違っていた。
 スミレがカズさんを見ると、カズさんは首を振った。過去とか、記憶とか、もはやそんな環境で生きていないスミレにとって、今だけに目を向けろと言っているかのように。
 いまはキジタさんのターンなのだとスミレも肯く。
「子供の頃はそれで良かったんですが、いつまで経っても、久しぶりに親戚の人や、当時の友人に逢う度に、ケンちゃんと呼ばれるんです。ケンちゃんなんて歳じゃないですからって、やんわりとそう呼ばないで欲しい想いを含めても伝わらないのか、そう呼ばれてしまうんです。そう呼ばれるたびに、わたしはこれまで築き上げてきた、成長して大人になった過程まで否定されたようで、わたしは子どもの頃に引き戻されてしまうんです」
 寂しい顔をしてキジタさんは、そこで一旦言葉を止めた。キジタさんのカラダは話しながらもどんどん小さくなっていく。自分の想いを伝えようとするほどに、ケンちゃんと呼ばれてもしかたないサイズになってしまうのだろうか。
 厨房の方から流れてくるラジオは、歌番組から社会派教養番組に変わっていた。あれから次の新規客も来ないので、おかあさんはカウンターに座って、いままで歌番組を楽しんでいた。番組が変わっても選局を変えないのは、常にこの局に固定されているからなのだろうか、この局以外は入らないからだろうか。
『 、、、今回は、予測推論による過ちと、診断推論による複雑性についての講義です。』
 それはおおよそ、大衆食堂に流れるラジオ番組として、似つかわないと言えば失礼だろうか。先ほどまで流れていた歌謡番組とか、大相撲や野球のスポーツ中継とか、そういったイメージが強い。通いなれているキジタさんも特に気にしていないのを見ると、それが普段通りなのか。今は子どもだからそんな話題に興味はないのか。
『 、、、後世に名を残すほどの識者は数少なく、その者を媒体として自らの叡智を捧げた多くの者がいることを万人は知りません。まず名のない者達は、自分ではその仮説を広める手段を持たないため、編み出した業を識者にいいように使われてしまうのです。面白い発想を手元におかれても、その成果を自分のものにすることは一生ない。いつのまにか識者の一部に組み込まれていくのです。それは体のいい搾取と言えましょう。逆に識者を利用して自分の仮説を実証しようとする強者もいます、、、』
 キジタさんの話に満腹になっている時に、それ以上の小難しい話を聞いても、まったくアタマの中に入ってこない。そもそも小学生のスミレには、何のことを言っているのかわかるはずもなく、これからはこんなことも勉強するのかと不安になる。
『さらに優秀な識者と、そうでない者は、権力者の使い勝手がいいか、悪いかだけで振り分けられてしまいます。本人にとってみれば、自分が持ちうる知能は唯一無二で、そこに価値を見出しているのですが、そこに陽を当てるか否かは自分では決められません。見出された者が、権力者の依頼にこたえ次々と仕事をこなせるならば、そうでないものはそこで見限られ、何者になることもできないのです。』
 大きくかぶりを振るキジタさん。自分のことを言われているように聞こえたのか。
「じゃあ、相手もどう呼べばいいか戸惑うでしょうね。自然とケンちゃんに落ち着いてしまうんです。そう思うとわたしは、なんとかケンちゃんから抜け出そうと、これまでずっと、もがいて生きてきて、いつまでも達成できないんです」
『誰もその他の大勢が、ひとりひとりなにをしたかなんて覚えていられない。資金を供給してもらえるのは名がある者だけなのです。名のない者たちは小判鮫のごとく、そんな名の売れた者に群がるしかありません。そこで自分の知識をどれだけアピールしても、その者を通して世に広がっていくだけで、すべての手柄を手中にするようにできているのです。それが後世までに名を残すこの世の識者の実態です。そうであれば当人が生み出した発想が少なくとも、まわりから回収したアイデアを取りまとめて、凡人にわかる言葉で世に伝えれたりされていると推察でき、そうしたプロデュース能力が高い者が識者として名を残したとして、本人自体にどれほどの才能があったのか、才能よりも統率力の差なのかもしれません、、、』
 ケンちゃんになってしまったキジタさんは大きくうなだれた。
「どんなに自分が変わったとしても、変わったことをアピールしても、やはりワタシはケンちゃんのままなのです。もちろん私自身がそんな自分の自信の無さから、相手に対して勝手にそう思い込んでいることも否めません。その最も顕著な例は4歳年上の姉でした。彼女はワタシと会うたびに、子供の頃に面倒を見てたときと同じように、ケンちゃんはこうだった、ケンちゃんはこんなことをした、と失敗談を面白おかしく話し出すのです。ワタシはその度に、ここまでの自己成長の礎が脆く崩れ落ちていき、子供の時から何ひとつ成長していない自分を思い知らされるのです」
 幼くなって少年になってしまい、椅子の上でしょんぼりと頭を垂れる姿は、お姉さんに叱られている当時を思い起こさせる。カズさんは、まさにそんなお姉さんに成り代わりキジタさんを叱咤する。
「無理して大人に成ってしまったのね、キミは。カラダや知識は成長しても、それ以外にも乗り越えなければならない壁があった。この年だかこうあるべきという幻想に囚われて、必死にそう在ろうと自分を偽ってきた。年齢なんかに関係なく、その時にしたいこと、やればよかったことを置き去りにして大人になってしまった。その歪みが今のキミをそうさせている」
 あらためてやり直すために、カズさんの意見をもとに追体験できるよう、キジタさんは幼くなってしまったのだろうか。それでもう一度、人生をやり直せばいまの苦しみから解き放たれるのだろうか。
 カズさんがお姉さんになった理由もそうであるなら、カズさんも何らかの後悔を改めようとしているのか。
 ではスミレはどうなのか。誰だって、都合のいいときは大人になりたがり、都合が悪ければ子供のままでいたがる。そんなことがまかり通れば誰も後悔のない人生を過ごせるだろう、、、 か?
「スミレ。そんなわけないでしょ。この世界は、そんな欲望を叶えさせてくれるようには出来ていないの。スミレに見えてる風景、聴こえてる言葉は、いまのアナタが感じてるママなだけ。アナタが望んだと言っても、好き勝手にできるとはき違えないで」
 自分が見たり聴いたりしていることは、自分以外にはわからない。他人のそれもまた同じことなのだ。他の人と共有しているつもりでも、完全に一致しているなんてことはない。カズは今回のことをそれに重ねてスミレに言い解いた。
『、、、どうして名のある識者を持て囃したくなるのか、それは楽だから。どうして優劣をつけたくなるのか、それも楽だから。何人もの関係する者がひとりひとり何をしたか覚えてられない、権力者の命によって行われたとしか個人レベルでは記憶できない。優劣もそう、判断材料が単純で、大勢で共通認識しやすい。キレイでも醜くても、賢くても鈍くても、それらは単なる固有属性であるだけなのに、あたかも世の中の指標であるように語られている。楽をするがゆえ本質を見逃して苦労し、誰かの思い通りに動かされ、より楽でない生活を送る羽目になるのです、、、』
 この世界は戦いをやめようとせず、小さな争いは自分たちのまわりでいつも起きている。持つ者と、持たざる者の差は開くばかりで、未来になんの希望も持てないのは、目に見えているだけでなく、すべて自分が望んだ結果だと言われれば、スミレは、なんともやるせなくなってくる。
『果たして敗戦国の独裁者はなぜ生まれたか。何もすべての施策を独りで立案し、施行したわけではないのに、後生では一人の悪行のように語られる。これもまた、多くの人々の安楽な行動の弊害なのです。何人もの側近や、行政がそれらを立案し、施行したにもかかわらず、大きくまとめられるのは、独裁者の命により行われたと、人々はそう覚えているだけなのです。独裁者の名を利用して、自らの思いを成し遂げた者もいるでしょうが、それによって意識を植え付けられ、誰もが苦渋を味わって生活していくことになってしまったのです』
「だったらこれからは、ひとりの人間に叡智が集約されることなく、長けた特性がある人が多く集まれば、全員でそれを共有し活用すればいい。それは搾取ではなく各個体の脳の共有化で、それがひとつの修練の場となり、多くの人々に利益をもたらせるような活用がきるようになれば、この世の中は良い方向へ変わっていくだろう」
 誰に言うわけでもなく、ラジオに向かってそうつぶやく人がいた。その姿から察すれば、厨房からいつのまにやら出てきた、この店の調理人か。それと代わるように、カウンター席に座っていたおかあさんの姿がなくなっていた。


昨日、今日、未来14

2023-11-12 18:37:16 | 連続小説

 まずはスミレはおひたしを口に運び、ごはんで追っかけた。濃いほうれんそうの香りがあたたかいごはんで口の中に広がり、お米と相まみあって何とも言えない味が醸し出される。
 ごはんだけでも、かみしめるほどにコメの甘みがにじみ出る。いつもなら2~3回噛むとすぐに飲み込んでしまうのに、飲み込むのがもったいなく思えるほど噛み締めていたい。
「ほうれんそうって、こんな味なの? なんだか普段たべてるのの3倍くらいの味がする。ダシじょうゆも少しかかってるけど、ほうれんそうだけで食べられるっ!」
 スミレにとっては渾身の食レポだった。キジタさんは相変わらずおかずを摘まんではご飯をかき込み、カズさんは一口食べては箸を置き、ゆっくりと咀嚼している。
 ふたりにとってはこの味は食べなれているのか、何に比べて3倍の濃さなのかもピンと来ない。あじつけも普段どおりで感動を覚えるものでもないらしく、スミレの興奮具合が空回りして滑稽にみえるだけだった。
 カズさんの箸づかいはキレイだ。箸の先端だけでサカナをさばき、適度な大きさになった身を口に入れる。お米もまるで箸の先に固定されたように捕まえては運んでいく。箸と手が一体となって食べ物と口を行き来する動きは華麗なるハーモニーを奏でているようだ。
 それに比べてキジタさんは意地汚い食べ方だ。魚を箸で取り上げて食いちぎる。ご飯は茶碗を口にあてて掻きこむ。箸の存在感ゼロ。手で食べているのと変わらない。これでは、あっという間にご飯をたいらげそうだ。
 断然、カズさんの食べ方をまねようと、スミレは注視してその動きを観察する。見よう見まねで自分もやってみるが、箸のうえを持つスマートな箸使いは、箸先を思い通りに動かすことはできない。さかなの身もポロポロとこぼれてしまうし、ごはんをつかんでも少なすぎたり、多すぎたりでバランスが悪い。
 スミレが箸からこぼすと「行儀悪いなあ」と、キジタさんは自分のことなどお構いなしに言ってくる。当のキジタと言えば、口の中にいっぱい入っているのに、箸を茶碗に固定したままごはんをかき込む準備を整え、頃合いを見て上を向くとごはんを流し込む。つねに口の中にごはんがある状態にしておきたいようで、行儀が悪いことこのうえない。
「自分だって」スミレが頬を膨らませると「これぐらいの勢いで食べないと、食った気しないだろ」口を大きく動かしながら、そう言い返す。そしてすぐに「おかあさん。ごはんおかわりー」と声をかけた。
 食べるか、しゃべるかどっちかにしなさいと、スミレの母なら言うだろう。それでスミレがしゃべりだせば、無駄口たたいてないで早く食べなさいと言われる。
 カズさんはこの件に関しては無関心のようで、ひたすら自分の食事に没頭している。食べ終わったお皿もきれいだ。煮つけのタレもほぐした身で絡め取っているのでお皿はなにひとつ残っていない。タレやさかなの細かい身が散乱しているキジタさんのお皿とは雲泥の差だ。
 さかなの煮つけも、お味噌汁もこれまで口にしたことがないほどおいしかった。塩とかしょう油とか、そういった味でこれまでご飯を食べていたことを思い知らされた。さかなも野菜もすべての味がしっかりとしていて、その味だけでご飯が食べられる。
 スミレはどちらかと言えばさかなや、野菜を好んでたべるほうではなかった。最初はどうしようかと思い悩んだ結果、この中では好きな部類のホウレンソウから食べたのだが、そのおいしさを実感して、もうそこから先は箸が止まらなくなってしまい、キジタさんを批判できる立場でなくなっていた。
 全員がお腹を満たし、満足している。その幸福感に誰もなにも口を開かなかった。おかあさんはカウンターの椅子に座っており、スミレたちの様子に特に関心もなさそうだ。
「こんなにおいしいご飯を食べたのは久しぶりだわ」。そう最初に口を開いたのはカズさんだった。
「カズさんの子供時代は、食糧難でろくなもの食べられなかったでしょ」。キジタさんは爪楊枝を咥えて言う。
 戦後の子供時代はそうであっただろうが、それからは食糧状況も良くなり、今日ぐらいの食事はできたのではないかとスミレは尋ねる。
「それはね、」。なぜかキジタさんが説明しはじめる。「食糧の量が増えて、国民の腹は満たされたものの、食糧の質は落ちて、栄養もうま味も低下してしまったからだよ。こういうお店がどこにでもあるわけではないし、一般の家庭ならほとんど自炊だからね。流通で買える安価な食品は、大量に生産する必要があるから、痩せた土地に化学肥料をまいて、虫が喰わないように農薬をかけて、安価な労働力で生産するために遠方で作るから、腐らないように防腐剤が使われるからね」
 細かいことはわからなくても、カラダに悪そうないモノがいっぱい使われていることは理解できた。スミレが疑問を持ったのは、大量にモノを作って多くの人に行きわたることは、人類の進歩の象徴だと授業で言っていたはずだ。
 特にこの国は資源が乏しいので、他国から輸入して大量に加工して安価なモノを作り、輸出することで成り立っていると社会の先生は自慢げに話していた。

「そりゃ、未来を担う子どもたちにはそう教えるだろうね。わたしだってそう習ったよ。スミレちゃんには難しいだろうけど、民主主義は資本主義を正当化するために有るようなものさ」
 なんだか同じようなフレーズを近ごろ聞いていた。SDGsは経済成長を続けるために創られた、権力者にとって都合のいい言葉だと。
「そんな誰かが作り出した耳障りのいい言葉の上に成り立って、わたしたちは行動を決められているのに、自由を謳歌していると勘違いしているんだよね」
 今が自由だと認識しているのは、巧妙に仕掛けられた仕組みに何の疑いも持たず、仕方ないよねという、冷めきった言葉に誰もが依っていると言いたげだ。
「時の政権は叩かれる運命にある。過去の政権の一部分を改めて評価したりするのも、それもすべてその時の民衆が造り出した熱狂にすぎず、自分達の心のうねりなり、その時の感情がさも正論であるかのように、喚き、騒ぎ立て、同調意見を指示し、反論を淘汰し、造り出したモノは、何の価値もない場当たり的な政策でしかないんだよ」
 酔っているのはキジタさんではないだろうか。取り留めもない持論は続いていく。
「熱が引いたあとは、一体何に熱狂していたのかさえ説明できずに、面と向かってオモテには出せない程の恥部にまで成り下がっている。匿名性の名の下に、口を閉ざし、そしてまた新たな時代の波とともに、そんな過去を糾弾する。自分達が造り上げた事実を棚上げして、別の仮面を被り、過去の自分を今の仮想敵に置き換えていることに気づきもせずにね」
 キジタさんの言葉はスミレにとっては難解でも、言いたいことは理解できた。大した信念もなく、風見鶏のようにマジョリティになびき、時として、反骨心を持ってマイノリティに意義を見いだす。そんな大人たちを何度もみていた。
「古来、戦中から戦後にかけて何度も繰り返されてきた、蜂起と分断、同調と批判の繰り返し。ほとんどの人が他人事として、それらを眺めていると客観視しても、別の声をあげない限り、その奔流に乗せられていることを認知すべきなんだ。今の世論をくみ取り、即実行する推進力があり、判断できぬものは取り残されていくだけで、
選挙と言う目眩ましに、党派という選択に、今や誰も必要性を感じていない。必要とされる政策をどの人選で行えば最適なのか。はたしてそれが政治家である必要はあるのか、どの政策が最速課題なのか、すべて可視化できる状況で、国民に選択させればいいのに。都合の悪いときだけ政治家の所為にして、自分達ではなにも考えない、もしくは考えがあっても、それを意思として伝える機会が、数年に一度の選挙だけなら、意欲もわかないというところか」
 今はキジタさんの言葉に、スミレもカズさんもお腹がいっぱいになっていた。


昨日、今日、未来13

2023-10-29 18:08:46 | 連続小説

 ふたりはキジタさんがる勧めるお店についた。店の外観を見たスミレの印象は、古くてあまり小ぎれいとは言えないお店だった。
 薄汚れた暖簾には大衆食堂と書かれていているだけで店の名前もないようだ。古き時代をなつかしむ映画で出てきたお店と似ている。
 建付けのよくないガラス戸をキジタさんは器用に開ける。それを見ると通いなれしていることがうかがい知れた。
 店内にはビニールクロスが敷かれたテーブルに丸椅子が四つ置いてある。それが6卓有り、カウンターは5人が座れるようになっていた。
 キジタさんに勧められるように3人はテーブルに座る。竹で作られた箸入れには、漆がはがれかかった箸がいくつか突っ込んである。
 赤い注ぎ口のしょう油。黄色い注ぎ口のソース。青いキャップの食塩ビンが置かれていた。いずれも注ぎ口には残滓がこべりついていて、日々手入れをしていないことは歴然だ。いまであればそれだけでも外食の選択肢から除外される。
 おかみさんとおぼしき女性がアルミのヤカンと湯呑を3っつ持ってきた。片手で運ばれる湯呑は、なんの迷いもなく飲み口に指が突っ込まれている。
「おかあさん。定食3つね」
 給仕をしてくれる女性を親し気におかあさんと呼び、キジタさんは迷うことなくそう注文した。
 おかあさんと呼ばれた人はそっけなく、注文の復唱もせずに、厨房に『テイサンっ』と伝えた。定食3っつのことをそう呼ぶようだ。
 定食3つを間違えることもないのだろうが、注文を間違えていたらそこで指摘すればいいと、変な納得のしかたをする。
 キジタさんがヤカンを持って湯呑に注ぎはじめる。麦茶がそこからは出てきた。スミレは恐る恐るそれを口にする。香ばしいお茶の香りがノドを潤してくれる。
 落ち着きたところでテーブルとまわりを見渡してみる。メニューらしきものは見当たらず、定食が何なのかもわからないことを知り再び不安がよぎる。
 定食と言う名のお任せ料理なのだろうか。それなら人数だけ確認すれば、注文を間違えることはないだろう。
「いやだな、スミレちゃん。そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ワタシがおかあさんて親しみをこめて呼ぶけど、ここに来る常連さんはみんなおかあさんって呼んでるんだ。あのひと不愛想だけど、お客さんが物足りないかなと思ってると、一品余分につけてくれたりとか、食欲がないときなんかは、酢のモノとか、ソーメンに小鉢を代えてくれたり、さりげなく気配りしてくれるんだ。そう言った意味では実家でご飯食べてるみたいだしね。食べ終われば大満足で心から御馳走さまって言葉になるんだ」
 スミレの時代であれば、そんな心遣いも余計なお節介と言われたり、お店の立場に立てば、不要な経費をつかう自分勝手な店員でしかない。
 バイト先に知り合いが来たので、余分にトッピングしてあげたり、お昼をありあわせの食材を使って作れば、店長に叱られるし、ひどい場合ならクビになることもある。
 以前は多めに見られていたことも、どんな些細なコトであっても横領に該当すれば、企業として厳しく対応しなければ、際限がなくなっていくためにしかたがないことであろう。そのカゲで大量の賞味期限切れが廃棄されていく。
 表面上は笑顔で接待してくれる店員も、バイト料以上の仕事をすることもなく、望まれてもいない。そんな時代を生きるスミレにしてみれば、キジタさんの時代のこの食堂は、家庭でご飯を食べるような、そんなあたたかみがすんなりと身に染みてくる。
 スミレはなにからなにまで初めて目にすることばかりで驚くばかりだ。入る前に何を食べたいとか、何かが目当てでお店を選ぶことが普通なのに、その一切の情報が何もないまま出される食事をスミレは待っている。
 のこのことキジタさんについてきてしまったのは、カズさんが乗り気でそれに反論する言葉がないからだ。
 スミレが馴染んている外食のありかたは、必要以上に人とのつながりがない。電子メニューで頼めば店員さんに気兼ねすることなく、オーダーのミスもない。
 店員も少なくて済めばその分安く食べられるし、自分の個の情報をとことん排除して、好きな食べ物にありつけられ、それが便利だと思い込んでいる。
 嫌いな食材や、アレルギーのある食材を抜いてもらって、ボリュームが少なくなっても、値段は変わらない。食べきれないほどのデカ盛りを注文して、フードロスしても、それがこの客層の嗜好とくくられるだけだ。
 そうして、その裏でデータ化された自分の情報がどんどんと蓄積されて、活用され、自分へのお勧めとして消費活動に組み込まれていても、直接的でなければなんの抵抗も感じない。
 目に見えるモノだけを非難の対象として、大切なモノを大量に放出していているシステムに気づかないようになっている。
 どちらがいいのかスミレには判断できない。それはその時代の人々が求めたもので、スミレの時代に残っていなければ、いまの人は求めていないからとかし言いようがない。苦手な食べ物が入ってないことを願う、スミレのいまの心配事はそこだった。
「いまじゃあ、こんないい店があるんだね」
 カズさんは、うれしそうにそう言った。カズさんの言う良いお店の価値観はスミレのモノとは、また別だ。
「わたしの時分には、外食と言えば露店で、どんぶりに汁物と麦飯が入ったのが精一杯だったわ」
 懐かしむように言うカズさん。カズさんの子供の頃と比べればそうかもしれないけど、それから大人になって、お年寄りになって、いまはまた若返っているけれど、その間に外食したことはないのだろうか。
 ガチャガチャとトレーにのせたお皿を盛大にぶつけながら、おかあさんがやってきた。どんぶりによそわれた白いご飯。その横にキュウリの漬物が添えてある。漆のお椀には野菜がたっぷり入ったお味噌汁。そしてお皿には煮付けた魚にほうれん草のおひたしときんぴらごぼうがのっていた。
 カズさんは目を輝かせてその料理を見渡す。みそ汁はこぼれてお椀をつたっているし、さかなもほうれん草もきんぴらも元の位置から随分ズレていて、三人それぞれの盛り付けがバラバラだであっても気にならないようだ。
 画像を撮って、誰かに見せようとは思わない料理が目の前に並んだ。逆にこんなひどい盛り付けを知らしめるために、画像を拡散して批判を焚きつけることはあるかもしれない。
 竹の筒に差し込んである年季の入った箸をカズさんは取り上げると、両手を合わせ親指の付け根に挟み込み、手を合わせて目を閉じた。食べ物に対して感謝を伝えている実感がわいてくる。
 スミレもいつもなら、右手に箸を持ち、左手にご飯茶碗を持って『いただきまーす』と言って食べはじめるところだが、見たことのないカズさんの所作を見てマネをしてやってみた。
 キジタさんは片手で手とうを切り、いただきますと言うが早いか、すぐさまさかなを切り分け口に入れると、ご飯をかき込みだした。待ちきれずに早く食べたかった心情を隠そうともしない。


昨日、今日、未来12

2023-10-15 18:09:14 | 連続小説

「スミレ。そうなんだけどね。わたしたちはいつだって現世を生きているようで、同時に誰かの疑似体験の中を生きているようなものなのよ。年数を積んでいけば、なんとなく世の中ってものがわかった気になって、自分の知らないことも誰かが知っていていて、その受け売りで自分も知った気になって、それでいて何もわかっちゃいない。それは時に強みにもなるけど、負の要素も多く含まれるのよね」
 スミレはカズの言葉を理解できるようになってきた。これまではガチガチに固まって、ほぐれそうもない糸がからまっていた言葉は、自分のこれまでの知識ではわかるはずもないのに、経験がなくとも言葉が勝手に解き放たれていく。
 学校の授業も、日々新し事を教えてもらうことを繰り返している。すぐに理解できることもあれば、そうではなくあとから復習したり、誰かに聞いたりして納得することもある。
 それらは覚えなくてはならない前提で行われているだけで、自分にとって必須かどうか別である。まわりと同じ知識を得なければ、自分の価値がないような気になり、テストでも点数が取れないという、一種の被害妄想的な抑圧感がそうさせてるだけだ。
 カズさんの言葉を理解しようとするのは、そういった雑念は一切なく、自ら意味を探ろうとして行き、それが段々と苦痛なく自分の身にまとわりついていく。そんな新しい感覚をスミレは得はじめていた。
「そんな上っ面らな知識をもとに、他人のすることには、あーすればいい、こーすればいいと勝手な意見を持つんだけど、自分では責任を持つのがイヤだからなにもしない。その立場でいることの心地よさを手放そうとしない。実体験をしているようで、カラダを張って何かしたこともない。それなら誰かが決めた世の中を、自分のモノのように錯覚して生きているのと同じなんだよね」
 そうカズさんは言って、チラリとキジタさんのほうを向いた。
「誰かが何かを知っているという集団的な知能を持って、これまで人類は進歩を続けてきたでしょ。それもいつしか飽和状態となって、知識の伝達だけでは進歩はおぼつかなくなってきた。もしくはそれ以上を人が要求するようになってしまったようね」
 多くのことが成りゆかなくなって、限界○○とか、○○離れととか、言われて久しい。スミレの両親もそんなことをよく嘆いては、誰かの所為にしている言葉をよく耳にした。
「知識の共有は、これまでの地域的で極地的で少数意見であったものから、電子機器を通して全世界的で多様性が求められ全体の総意が必要となっているでしょ。知識はひと伝えではなく電子機器に蓄えられ、正否を委ねられ、誰もが平等であることを強要されるようになり、利便性だけを追求してそんな電子機器を乱用すれば、今度はそれに支配されるようになるだけなのに」
 キジタさんは感心したように何度もうなずいていたと思えば、ポケットから手帳を取り出してなにやら書き留めだした。
 カズさんは電子機器と言うがそれはデバイスのことなのだ。どうやらキジタさんもスマートデバイスがない時代のひとのようだ。
 そう思えばキジタさんは、カズさんやスミレが何か言うと、これまでもなにやらメモを取っていた。
 カズさんはキジタさんが何をメモしているか気にならないのか、それについて言及することはない。キジタさんもふたりを気にすることなく書き込みを続けている。
 スミレもカズさんの意見に感心することはあっても、メモするには至らない。そもそも手ぶらで何も持っていない。
 こういうところに人としての差が出るのだろうかと、改めようとしたことも何度かあったが未だにそれには至らない。
 同じようにいいアイデアが浮かんだ時も、メモをすることなく家に帰るころには忘れてしまうことが多々あった。
 数々の有益な言葉や、アイデアをすべて書きおいておけば、どれほどの資料になったのかと、失くした物の大きさを悔やんでみる。
「そんなもの大した言葉でもなく、大したアイデアでもないよ」
 カズさんはそう切り捨てた。メモを取り終えたキジタさんは、なんだか自分のことを言われているかと、いそいそと手帳をポケットにしまう。
「スミレちゃん。そうだよ。余程の言葉や、アイデアはメモしなくたって忘れないさ。記憶に残らなかってことがそれを如実に物語っているよ。逆にそんなモノを残しておいても山積みされた言葉の羅列が残るだけで、余計にアタマが整理されず、必ずしも正しい方向へ導いてくれるとは限らない。ある意味、言葉というのは即時的に価値を持つものであり、同じ言葉であっても時がたてば重みを失ってしまう。思考なんてさらにその比じゃない」
 さっきまでメモを取っていた人が言う言葉ではないのではないかと、スミレは微妙な顔をする。キジタさんはそれについて気に留めることはない。自分がしたことはそれとは別であるかのようだ。
 確かにカズさんが何かを言ったあとにメモすれば、それについて書いていると判断しがちだが他に気になったことを書いた可能性もある。その時の人の行動や言動に惑わされることはありがちだ。
「それもまた、自分の意思で生きていない要因のひとつね。他者の動きに合わせて反射的に、反動的に自分の思考が生まれていく。自分の意思で考えたようで、引き金は他者が引いているに過ぎない。わたしたちの時代は、それが権力者からの強制が土台としてあった。大衆は敵対するものがなにかを知りながら、声を挙げることはできなかった。声を挙げるには大きすぎるし、遠すぎたから。それなのにスミレの時代ときたら、権力者にそれほど力がないのに、いえ、逆に下に見下しているぐらいなのに、そんな人たちにいいように扱われているなら、自分達を貶めているだけということに気づきもしない。何ひとつ自分の考えを膨らませることなく、他者の引いた既定路線に乗って正論を吐くだけで満足している。それが、この先の、、、」
 なんだか、メモひとつの話しが壮大になってきた。子どもがこの国を動かしているわけではない。そこまでわかっているならカズさんや、キジタさんがどうにかすればいいはずだ。
「そうですね。だからこうスミレさんと、コンタクトを取ったわけなんですけどね」
 キジタさんはそんな重要な言葉をさらりと発した。当然スミレは強く反応する。
「えっ! それってどうゆうこと?」
「そんなに、あわてないで。時間はまだあるんだから。他者から言われたことに反応するだけじゃなく、自分の意思で物事を組み立ててみなさいよ」
 カズさんが、焦るスミレを制する。うまいことこれまでの流れに丸め込まれてしまったスミレだ。どうであっても教えられる立場であればいたしかたない。
「まったく、物事をいちから覚え直さなければいけないのがこの人種の弱味ね。無から知識を吸収するよりも、すべてを知った子どもを迎える利点が上回るようになり、常識がひっくり返る時期がくるようになるかもね。そうすれば人を長生きさせるより、効率的になるんじゃないの?」
 そんな非現実的なことをカズさんは言った。まったく同じではないがいまのスミレはそのテストケースだとも言える状況下で、スミレは自分がそんな立場であるとは思いもしていない。


昨日、今日、未来11

2023-10-01 16:46:48 | 連続小説

「そうですね。言葉が大げさすぎました。戦中を生きた人の言葉は重いですね。でも、わたしもまた別の戦いで苦しんでいたのです。ビジネスもまた、殺った、殺られたの繰り返し。生き馬の目を抜くような戦いの日々、自分の仕事に会社の運命がかかっており、社員とその家族の生活もかかっている。そう信じていたからこそ、今日まで戦うことができた」
 キジタさんは、自分の気持ちを吐露していくたびに少し若返っていくように見える。言えないことを心に留めておくことでヒトは年を取っていくのだろうか。
 スミレの目にはカズさんも言えないことを言葉にすることで、今の状態にまでなったと確信しているようには見えない。スミレがそう認識しているだけなのかもしれない。
「勝者があれば、敗者があるからね。負けた会社の社員とその家族が不幸になるのも事実でしょうし、それをまのあたりにすれば、喜んでばかりもいられないのはしかたないからね」
 キジタさんは茫然とカズさんをみて、そしてガックリと首をかしげた。戦いは非情であり、自分の一面だけでは語れない部分がある。カズさんには他人の言葉を通して、多くの映像が見えているようだ。
 スミレは自分の好きなプロ野球チームが大勝して嬉しいはずなのに、ボロボロになりながら投げる相手チームのピッチャーに感情移入したり、遠くから応援に来ている相手ファンの辛さを勝手に汲み取ってしまうことがある。
 これは、偽善とか、善悪とかではなく、また、相手からすればそんな同情などお節介であり、そんな気の持ち方こそ慢心でしかないはずなのに、自分の信念に関係なく、そういった感情が出てきてしまう。
 そのくせ、贔屓のチームが大敗すれば悔しいし、あたまにきて怒り狂うし、敵に悪態をついている。競い合って勝つときが一番気持ちも盛り上がり、ヤッターと感情の赴くまま声を張り上げる。そうであれば、いったい自分の好きなチームへの愛とはなんなのだろう。
 これでは自分が一番心地よい感情を生み出すことが、最も引き出される状況が重要であり、好きなチームはそのキッカケでしかない。自分の情緒を作為的に高揚させるために何かに依存している。
 それをすべての戦いにあてはめれば、感情的に左右される状況下でそれは最も力を発揮し、それ以外の場合は、かたや自らを戒め、かたや相手に同情してと、その結果と感情は、かけ離れた場所に置かれるようになる。
 スポーツと仕事での勝ち負けのプロセスは同じではないけれど、例えば他の会社より不利な状況下でも、努力とかアイデアで成果を出せば、その興奮度は最強レベルだろうし、圧倒的な資金力にモノを言わせて、格下の会社のなけなしの仕事を奪ってしまえばは心から喜べないだろう。
「スミレちゃん。キミ、面白いことを考えるね」
 確かに考えただけだ。スミレは口にしたわけじゃない。それでもキジタはそれに反応し、カズさんもスミレに目を配す。
「そういうのはワタシにも思い当たるところがあるよ。アマチュアスポーツなんかは、半官贔屓なんて言葉もあって、立場が弱い方に感情移入して、勝たせることにより自らのカタルシスを高めている。夏の高校野球なんてその最たるものだ。この国の国民の弱きを助け、強きを挫くというアイデンティティを表面化してくれる。それで自らの正義を思い起こさせ、安心させてくれている。強豪チームにしてみれば同じように一生懸命練習して同じ場に立っているのに、いつのまにか弱者に対して悪者になって、捌け口になってしまっているのは納得いかないだろうけどね」
 キジタさんは目を閉じて首を振る。カズさんは目線を先に留めたまま簡潔に言い切った。
「必ず勝負がつくことに対して、人間の感情は本質的にそうできているのよ」
 スミレにはカズさんの言っている言葉の意味がわからない。続きを求めるようにカズさんの顔を見て。そしてキジタさんに助け舟を要求するために目線を動かす。カズさんがしかたなく説明をした。
「敗者がいるから勝者がいる。誰もが勝者になることを望んでいる。しかし、それはありえない。最後に勝ちを取る者はそのメンタリティを持っており、まわりをも巻き込める者ね。それは運だとか、風とか、空気とかと柔らかく例えられるけど、そんな甘っちょろいものじゃない。細部まで緻密に考え抜かれた経緯を完遂できた者だけが手にすることができ、それを目の当たりにした者達を仲間にしていくのね。負けたけどよく戦ったと言ってもらえるのはスポーツだけ。それも本人にしてみれば本意ではないだろうけどね」
 つまり、スミレの言うことは甘っちょろく、勝負は勝たなきゃ意味がないということなのだ。しかしカズさんも敗者がいるからと認めている。誰も敗者にはなりたくない。それにキジタさんのように勝者になっても、喜べなければ何のために勝ったのかわからない。
「そうだね、ワタシも何のために仕事をしてきたのか。会社のため、仲間のため、家族のためと、そのときは思っていたけど、いまのカズさんの話であれば、ワタシは相手に飲み込まれてしまったんだ。正直に喜べない今の状況ではそう言わざるを得ない」
 究極の自己満足。それが人の活力になっていくのも真実だ。だとすれば時の権力者は、わざと一喜一憂させて勝つか、大勝ちしても相手にハナを持たせるようにすればいい、そうすれば国民感情を利用して、権力を揺るぎないものにできる。
 そんなもっともらしいことを口にすると、たいがいカズさんが辛辣な自論を述べてくる。スミレはカズさんに目を向ける。意気揚々と真実はこれとばかりに語りはじめるかと思いきや、なにか寂しそうな表情だ。これまでもカズさんは時折そんな顔をする。そしてそんなことは微塵もなかったかのように、したり顔に豹変も時もある。
「そういう国民感情が利用されて、いつのまにか日常になってしまった。個人の心理的な発動からくる行為も、それは平時であれば定められたとおりに遂行していくかもしれない。異様な状況下で多くの人が同じ方向を向きだしたとき、それに抗えることは大変な勇気と労力が必要で、自分の親しい人達に迷惑をかけることにもなる。人は時代のうねりを作り出し、作り出したうねりには逆らえないんだよ。否定すればそれは自分自身を否定してしまうことと同じだからね」
 多くの時を経てきたカズさんの言葉には重みがあった。それは具体的に語られたわけではなく、優しさに包まれた言葉であり、そのこと自体を否定するわけでもなく、淡々と事実を述べている。そういう物言いしか許されなかった名残であるように。
 辛い時代を生きてきた故の言葉と、言いようであるとスミレに伝わっていた。戦いはカタチを変えて、いつの時代でも存在している。そこに逃げ場があればまだ何とかできる。
 キジタさんも無理なら仕事を辞める決断もでた。スミレの立場ならテレビを消すだけで済む。どこに行こうと逃げ場がなかったカズさんが背負った時代は、スミレには想像もつかない。それなのにカズさんは首を振る。