private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

昨日、今日、未来11

2023-10-01 16:46:48 | 連続小説

「そうですね。言葉が大げさすぎました。戦中を生きた人の言葉は重いですね。でも、わたしもまた別の戦いで苦しんでいたのです。ビジネスもまた、殺った、殺られたの繰り返し。生き馬の目を抜くような戦いの日々、自分の仕事に会社の運命がかかっており、社員とその家族の生活もかかっている。そう信じていたからこそ、今日まで戦うことができた」
 キジタさんは、自分の気持ちを吐露していくたびに少し若返っていくように見える。言えないことを心に留めておくことでヒトは年を取っていくのだろうか。
 スミレの目にはカズさんも言えないことを言葉にすることで、今の状態にまでなったと確信しているようには見えない。スミレがそう認識しているだけなのかもしれない。
「勝者があれば、敗者があるからね。負けた会社の社員とその家族が不幸になるのも事実でしょうし、それをまのあたりにすれば、喜んでばかりもいられないのはしかたないからね」
 キジタさんは茫然とカズさんをみて、そしてガックリと首をかしげた。戦いは非情であり、自分の一面だけでは語れない部分がある。カズさんには他人の言葉を通して、多くの映像が見えているようだ。
 スミレは自分の好きなプロ野球チームが大勝して嬉しいはずなのに、ボロボロになりながら投げる相手チームのピッチャーに感情移入したり、遠くから応援に来ている相手ファンの辛さを勝手に汲み取ってしまうことがある。
 これは、偽善とか、善悪とかではなく、また、相手からすればそんな同情などお節介であり、そんな気の持ち方こそ慢心でしかないはずなのに、自分の信念に関係なく、そういった感情が出てきてしまう。
 そのくせ、贔屓のチームが大敗すれば悔しいし、あたまにきて怒り狂うし、敵に悪態をついている。競い合って勝つときが一番気持ちも盛り上がり、ヤッターと感情の赴くまま声を張り上げる。そうであれば、いったい自分の好きなチームへの愛とはなんなのだろう。
 これでは自分が一番心地よい感情を生み出すことが、最も引き出される状況が重要であり、好きなチームはそのキッカケでしかない。自分の情緒を作為的に高揚させるために何かに依存している。
 それをすべての戦いにあてはめれば、感情的に左右される状況下でそれは最も力を発揮し、それ以外の場合は、かたや自らを戒め、かたや相手に同情してと、その結果と感情は、かけ離れた場所に置かれるようになる。
 スポーツと仕事での勝ち負けのプロセスは同じではないけれど、例えば他の会社より不利な状況下でも、努力とかアイデアで成果を出せば、その興奮度は最強レベルだろうし、圧倒的な資金力にモノを言わせて、格下の会社のなけなしの仕事を奪ってしまえばは心から喜べないだろう。
「スミレちゃん。キミ、面白いことを考えるね」
 確かに考えただけだ。スミレは口にしたわけじゃない。それでもキジタはそれに反応し、カズさんもスミレに目を配す。
「そういうのはワタシにも思い当たるところがあるよ。アマチュアスポーツなんかは、半官贔屓なんて言葉もあって、立場が弱い方に感情移入して、勝たせることにより自らのカタルシスを高めている。夏の高校野球なんてその最たるものだ。この国の国民の弱きを助け、強きを挫くというアイデンティティを表面化してくれる。それで自らの正義を思い起こさせ、安心させてくれている。強豪チームにしてみれば同じように一生懸命練習して同じ場に立っているのに、いつのまにか弱者に対して悪者になって、捌け口になってしまっているのは納得いかないだろうけどね」
 キジタさんは目を閉じて首を振る。カズさんは目線を先に留めたまま簡潔に言い切った。
「必ず勝負がつくことに対して、人間の感情は本質的にそうできているのよ」
 スミレにはカズさんの言っている言葉の意味がわからない。続きを求めるようにカズさんの顔を見て。そしてキジタさんに助け舟を要求するために目線を動かす。カズさんがしかたなく説明をした。
「敗者がいるから勝者がいる。誰もが勝者になることを望んでいる。しかし、それはありえない。最後に勝ちを取る者はそのメンタリティを持っており、まわりをも巻き込める者ね。それは運だとか、風とか、空気とかと柔らかく例えられるけど、そんな甘っちょろいものじゃない。細部まで緻密に考え抜かれた経緯を完遂できた者だけが手にすることができ、それを目の当たりにした者達を仲間にしていくのね。負けたけどよく戦ったと言ってもらえるのはスポーツだけ。それも本人にしてみれば本意ではないだろうけどね」
 つまり、スミレの言うことは甘っちょろく、勝負は勝たなきゃ意味がないということなのだ。しかしカズさんも敗者がいるからと認めている。誰も敗者にはなりたくない。それにキジタさんのように勝者になっても、喜べなければ何のために勝ったのかわからない。
「そうだね、ワタシも何のために仕事をしてきたのか。会社のため、仲間のため、家族のためと、そのときは思っていたけど、いまのカズさんの話であれば、ワタシは相手に飲み込まれてしまったんだ。正直に喜べない今の状況ではそう言わざるを得ない」
 究極の自己満足。それが人の活力になっていくのも真実だ。だとすれば時の権力者は、わざと一喜一憂させて勝つか、大勝ちしても相手にハナを持たせるようにすればいい、そうすれば国民感情を利用して、権力を揺るぎないものにできる。
 そんなもっともらしいことを口にすると、たいがいカズさんが辛辣な自論を述べてくる。スミレはカズさんに目を向ける。意気揚々と真実はこれとばかりに語りはじめるかと思いきや、なにか寂しそうな表情だ。これまでもカズさんは時折そんな顔をする。そしてそんなことは微塵もなかったかのように、したり顔に豹変も時もある。
「そういう国民感情が利用されて、いつのまにか日常になってしまった。個人の心理的な発動からくる行為も、それは平時であれば定められたとおりに遂行していくかもしれない。異様な状況下で多くの人が同じ方向を向きだしたとき、それに抗えることは大変な勇気と労力が必要で、自分の親しい人達に迷惑をかけることにもなる。人は時代のうねりを作り出し、作り出したうねりには逆らえないんだよ。否定すればそれは自分自身を否定してしまうことと同じだからね」
 多くの時を経てきたカズさんの言葉には重みがあった。それは具体的に語られたわけではなく、優しさに包まれた言葉であり、そのこと自体を否定するわけでもなく、淡々と事実を述べている。そういう物言いしか許されなかった名残であるように。
 辛い時代を生きてきた故の言葉と、言いようであるとスミレに伝わっていた。戦いはカタチを変えて、いつの時代でも存在している。そこに逃げ場があればまだ何とかできる。
 キジタさんも無理なら仕事を辞める決断もでた。スミレの立場ならテレビを消すだけで済む。どこに行こうと逃げ場がなかったカズさんが背負った時代は、スミレには想像もつかない。それなのにカズさんは首を振る。


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