そこに「やはり」という言葉が付くのが正しいのか、スミレには疑問だった。確率論で言えばそうなるのかもしれないし、本人がそう思っているならば、スミレが否定できることではない。心のスミにわだかまりができて、スッキリしないのは当事者ではないからなのか。
生きる権利はすべての人にあるとか、どんな命でもそこに差は存在しないとか、いくらでも言いようはある。生まれてくる命はいったい誰のモノなのか、スミレには明確にそれを断言することはできなかった。
「生まれる前の子どもの状態を把握することができるようになり、選択することが可能であれば、親としてそこは逃れられない道になりますよね」キジタさんが続けた。
それはいったい、いつの医学を言っているのか。スミレには答えがない。スミレの時代では聞いたことがない。自分が知らないだけかもしれない。
「医師は尋ねるのです。あなたのお子さんには欠損が有ります。今ならまだ、生まないという選択もできますがどうしますかと。わたしはこの時、ついに悟ったのです。わたしがここまで生きてきたのは、この時を向かえるためだったのだと」
スミレはいやな言葉に耳を塞ぎたくなった。今また、キジタさんのキャラクターが塗り替えられた。そんなゲームでもしているかのような口ぶりで話すことではないはずだ。
カズさんにたしなめて欲しいところだ。それなのにカズさんは黙っている。キジタさんは構わず話を続ける。スミレはあたまが痛くなり、気分も悪くなってきた。これは最悪だ。
「わたしも、わたしの親と同じように、自分の子どもに判断をくだせる時がやって来たのです。もしかして、あの時、わたしの親が何を言ったのかがわかるのではないかと、、 」
先ほど、どうしても思い出せないと、絶望し、そして達観してみせた、キジタさんが失念してしまった親の一言。それが巡りめぐって、自分にも降りかかり、同じような境遇になったことで、その意図を共有しようとしている。
輪廻である。その答えに到達するために生きてきたという信念に、なんの共感も持てず、そのための道具のように使われる赤ちゃんが不憫すぎるではないか。
「スミレ、キジタさんにはキジタさんだけが見えている世界があるの、それはキジタさんの生を満たすためだけにあり、わたしたちとの共用ではないのよ」
カズさんが改めてそう言った。この境遇になってから、繰り返される言葉だ。人は皆、自分が望んだ世界に生きていると。
だからと言って、そんなキジタさんの世界を見聞きするのは不愉快極まりない。耳障りの良い話ではないのだから。
「もちろん妻とも相談しました。どうすれば家族にとってベストな選択なるのか。妻は悩みました。授かった子を自分達の判断でどうするか決めてしまう権利があるのかと。わたしはひとつの意見として言いました。自然に委ねれば、生きていけないこの子を、医学の力で、次の世代に引き継がせて良いものかと。答えなど出るはずはありません」
キジタさんの胎児の欠損とは、そのままにしておいては生命が続かない類らしい。
「それにねえ、出たとしても、その時に妥協した着地点というだけであり、あとから後悔することも、それを最善と信じられるように、辻褄を合わせるために精神のバランスを崩すこともあるからね。人の判断なんてそんなものであり、それぐらいしかできないでしょ」
カズさんがそう言った。スミレはおやつを買う時も、チョコがいいかクッキーがいいか悩むことがある。ひとつであれば悩まないのに、選択肢があるから悩まなければいけない。
今日の気分はチョコだと選んで買ったあとに、クッキーにすればよかったかもしれないと、自分の判断に疑問を持つ。
食べているときはやっぱりチョコで正解だったと満足しても、食べ終わったあとクッキーが物欲しくなる。命と比較する話ではないが同じことだ。
「そんなわたし意見に、妻は何だかガッカリしたような顔を見せました。ただ考えを伝えただけなんです。説得したわけではありません。その時の妻は、自分の意見を見失っていたんだと思います。つまり自分がどうしたいと言うことよりも、そんな意見を持つわたしに反発することにこだわっていた。妻はわたしが手術で助かったことを知っています。だから我が子もと言う気持ちにならないことが不思議なようでした。わたしのその後の苦悩までは知らないので、それは仕方のないことです。おかしなもんです。第三者でいれば、いくらでも命は何物にも変えがたいと言えるのに、当人であれば、そんな尊い言葉よりも、打算のほうが勝るんです。運よく上手く生き延びたとしても、まわりの子たちと同じような生活が送れるのか。その事により何度も辛い思いをするのではないか。妻にしても、一時の感情で生んだ我が子の生涯を、この先も同じ気持ちで向き合っていけるのか。何よりもわたし自身が、自分がどちらを選択しても、それが正しいという根拠が何も見いだせないんです。いっそ誰かに決めて貰ったほうが、信じられる気がするほどです」
カズさんの言う、選択肢ができて、人の判断能力を超えた弊害がここにもある。
スミレも母親におやつを用意しておいてもらった方が気楽に食べられる。プリンの方が良かったなと、減らず口を叩いても本心ではない。今日のおやつはもう決まっているのだから。
「一概には同じとは言えませんが、わたしの時は、生まれてからその欠損が発覚しました。確率が低いなりに選択肢があり、そうでなければ助かったことによる、付属的な特性の押し付けに悩むことも有りませんでした。今後はもっと選択肢は増えるでしょう。多くの人の命が救われると同時に、それを受け入れることに苦慮する人も増えるのです。そして、、」
そんな決めつけたように言わなくてもとスミレ首を振る。そしてこれまでの総括として、キジタさんの口からどんな言葉が発せられるのか気が気でもない。
「それは同時に、生まれる前に何らかの欠損を感知し、その時点で取捨選択がはじめられ、選別されて産まれた子だけが、生きることを許されることになるのです、、 」
いったい誰に? スミレは考えが追いついていかない。
親ガチャなる言葉をスミレも聞いたことがある。家でうっかりと口にした時はひどく母親に叱られた。やがて生まれいずる子どもの優劣を選別するなどすれば、それこそ今度は子ガチャとも言え、アタリが出るまで繰り返すつもりなのか。
カズさんは否定をするように首を振った。
「スミレ、そんな甘いもんじゃないわ。そうなると次に考えるのは、その選別が子どもができてからでは効率が悪いという思想ね」
カズさんまで、とんでもないことを言い出した。子どもに恵まれるという神の采配を、人為的に、作為的に、恣意的に行なえるというのか。
「だってお腹に子どもが出来てからじゃ効率が悪いでしょ。最初から優秀な子を望むのなら、その確率の高い父親と、母親を準備しなくちゃねえ」
人類の選別。自分はいったいどう選別されるのだろうか。自分にその資格がなければ、人を好きになっても子どもを作ることもできなくなる。
スミレの不安な気持ちは高まるばかりだ。不安な気持ちはスミレだけではなかった。キジタさんも同じように愕然としている。
「姉さん、貴方はやはり、、」何が、やはりなのか。
「ケンちゃん、あなたは生まれ変わるんだから。もう思い悩むことはないのよ」
生まれ変わる? キジタさんが? スミレはカズさんの言葉の続きを待った。
「スミレ、ひとは出来るとわかったことをしないという選択肢はとらないのよ。そして誰もが言う、自分がやらなくても誰かがやる。ならば自分がやった方がいいと。そうしてなんの欠損もない人々が集めれらて、最適なパートナーを選んで次の世代を創作していく。そうするとね、、」
「かあさん、もうやめてください。わたしはもうそんな話しは聞きたくないんですよ。自分がなんのために生まれてきたのかは自分が決めたいんです」
キジタさんはもう赤ちゃんのサイズになっていた。カズさんはお姉さんからお母さんに変わっていた。そうなる理由があるからスミレの目に映っているのだ。
「世の中がうまく回るにはそれではダメなの。働かないアリがいるから効率よく仕事が回っていく。ひとが作為的にそれを止めようとすると、そうならないバイアスが働く。ひとの感知できないホルモンバランスの変化が起こる。キジタさんは次の世代を創らなければならない。あの子は人類の存続のために生かさなければならなかったの」
キジタさんの姿はもうそこにはなかった。カズさんのおなかが大きく膨らんでいる。妊娠している女性のように。カズさんは本当にキジタさんのお母さんになってしまった。
キジタさんは選択すべき側であるとともに、選択される側でもあった。
自分の言葉に耳をふさぎ、記憶から消していた。そしてもう一度繰り返される。
「だからね、種族の維持継続のために遺伝子が存在してるならば、そこに愛だの、相性だの、ひとの感情が介在することはないの。すべては数値の羅列でしかない。結びつくための理由を各自が勝手に作って盛り上がっているだけなの。それを人為的に操作しようとしても、いつかは自然界が瓦解してしまう。悲しいものね、どちらが人類にとっての正道なのか、誰にもわからなくなっていくんだから」
この年にして夢も希望も無くなるようなことを言われ、スミレはこの先に明かりが見えない。
自分がアイドルをスキなのも、この先、好きになる人ができても、それはすべて遺伝子からの指令であり、自らの意思ではないらしい。
それなのに人は、好きだ嫌いだと言い合い、時に嫉妬や妬み、憎悪を持って人と接している。自分で判断していると勘違いしているのか、それとも自らが主体だと信じていなければ、生き続けることができないのか。
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