日本人は江戸時代とそれ以前では性格が大きく変わっています。江戸以前ではもっとおおらかだったんですね。その一つの証拠が歌舞伎座。動作がスローでゆったりしています。二つ目が笑いですね。江戸以前ではオープンに笑っていた。江戸以降、周りを気にしながら笑うようになった。
従って、日本人や日本社会のDNAベースは多くが江戸時代に形成された。一方、現代日本社会に影響を及ぼした歴史的起点は真珠湾攻撃であった。
さて、真珠湾攻撃は日本にとって一瞬の輝かしい打ち上げ花火であったことがこの年になって理解されるのであるが、相手国のアメリカにとって、日本が自らスイッチを入れるこの瞬間に自国を唯一の超大国に導く着実なレールが敷かれた。それは恐ろしくも目もくらむような多面戦略だったのだ。
山本五十六はアメリカとの開戦には反対していたが(アメリカだけではなくイギリスなども敵に回す事になる)、避けられないのであれば真珠湾攻撃すると判断したようだ。しかし、真珠湾攻撃のプランは随分前から存在し、お喋りな複数の関係者の口から機密が漏えいし、アメリカ側には知られていた。
アメリカは日本が通告も無く一方的に攻めて来ることが分かっていたので、①日本と戦いたくなかったアメリカ国民を奮い立たせ、②日本を叩き、③ヨーロッパ戦線に参加して勝利を収め、④イギリスを振り落とし、⑤超大国の道を進む・・というスイッチとして真珠湾攻撃の環境作りを作った。
開戦当初に日本に核を投下する計画は無かったかもしれない。しかし、ヒットラーが早々と自殺したがために、日本は有力な投下先になった。罪もない一般市民の頭上に炸裂させることで、核の威力を試し、超大国への道筋を得た。
つまり、アメリカのロジックは超大国発展への循環形成となる。一方で、日本からすると、ポンコツ船を沈めただけで最重要攻撃力である航空母艦、および新鋭戦艦には何の支障もなく、アメリカのエネルギー資源や強大な生産力は健在、自らを破滅に導かれる選択をしていまった。発展へのロジックは全く循環しない。
循環論理は生命体に等価的に存在し、この循環論理の評価システムが進化の駆動力となったと発表した(2003年電気学会)仮説である。読者は、評価システムが生命体や社会にとって最も重要なコアであると聞いてもピンと来ないであろう。
しかし、苦労に苦労を重ねて課題解決し、あるいは成功して来た人なら十分理解できる。課題解決は美しくカッコ良く掴めるものではない。一見そう見えても、それを支える多くの泥臭い地道な努力が隠されているのだ。その、最も重要なところは何が事実であり何が正しいかの判断だ。
生命体は集められた情報を蓄積し、正しく合理的に判断し、果敢に実行してきたから進化したのだ。
世の中には評価方法がたくさん実行され、あるいは提案されている。しかし、目的や状況などにより、評価方法が異なり、結果も異なる。ところが、循環論理はあらゆる場面と状況で正しい判断を下せるのである。
生物の進化は合理的で適正な判断により、何のためらいもなく選択がなされ、自己保存に有利なものを残してきた。そこに評価システムが機能してきたのだ。
さて、最初の日本軍の真珠湾攻撃の問題に戻すと、日本軍にとって致命的であったのはまず、①対象となるアメリカをほとんど知らなかった事であり、実は②自国の事も十分理解できていなかった・・事があげられる。
もっと言えば、自国の事が分かっていないような状況だから敵国の事なんか知り得ない。これでは正しい判断も出来ない。《子供の頃からまず自分を見つめ自分が何なのかを考え考えて結論を出してから社会に加わらないと、他人や社会が分からない》
僕が日本軍のリーダーの一人だったら、戦争をおっぱじめる前にどんどんアメリカに乗り込むだろうね。当然向こうのリーダとも会い率直な意見交換をするが、一般市民をはじめ幅広く様々な人に会って話を聞く。正々堂々とやれば良い。恐らく様々な、いや山のような相互の誤解、行き違いに気付いたことだろう。
戦争はやむを得ない場合が有る。しかし、何のため戦うのか、何を持って良しとするのかは明確にしておく必要が有る。日本の戦争の歴史は終わりの無い戦場拡大でしか無かった。昭和天皇の命を懸けた決断が無かったら日本は国土の殆で罪なき国民の無残な死体の山を気付いた事だろう。
生物はやむを得ず戦うが無駄な戦いはしない。それは自己保存のための行為であり、循環する論理によって導かれている。
従って、日本人や日本社会のDNAベースは多くが江戸時代に形成された。一方、現代日本社会に影響を及ぼした歴史的起点は真珠湾攻撃であった。
さて、真珠湾攻撃は日本にとって一瞬の輝かしい打ち上げ花火であったことがこの年になって理解されるのであるが、相手国のアメリカにとって、日本が自らスイッチを入れるこの瞬間に自国を唯一の超大国に導く着実なレールが敷かれた。それは恐ろしくも目もくらむような多面戦略だったのだ。
山本五十六はアメリカとの開戦には反対していたが(アメリカだけではなくイギリスなども敵に回す事になる)、避けられないのであれば真珠湾攻撃すると判断したようだ。しかし、真珠湾攻撃のプランは随分前から存在し、お喋りな複数の関係者の口から機密が漏えいし、アメリカ側には知られていた。
アメリカは日本が通告も無く一方的に攻めて来ることが分かっていたので、①日本と戦いたくなかったアメリカ国民を奮い立たせ、②日本を叩き、③ヨーロッパ戦線に参加して勝利を収め、④イギリスを振り落とし、⑤超大国の道を進む・・というスイッチとして真珠湾攻撃の環境作りを作った。
開戦当初に日本に核を投下する計画は無かったかもしれない。しかし、ヒットラーが早々と自殺したがために、日本は有力な投下先になった。罪もない一般市民の頭上に炸裂させることで、核の威力を試し、超大国への道筋を得た。
つまり、アメリカのロジックは超大国発展への循環形成となる。一方で、日本からすると、ポンコツ船を沈めただけで最重要攻撃力である航空母艦、および新鋭戦艦には何の支障もなく、アメリカのエネルギー資源や強大な生産力は健在、自らを破滅に導かれる選択をしていまった。発展へのロジックは全く循環しない。
循環論理は生命体に等価的に存在し、この循環論理の評価システムが進化の駆動力となったと発表した(2003年電気学会)仮説である。読者は、評価システムが生命体や社会にとって最も重要なコアであると聞いてもピンと来ないであろう。
しかし、苦労に苦労を重ねて課題解決し、あるいは成功して来た人なら十分理解できる。課題解決は美しくカッコ良く掴めるものではない。一見そう見えても、それを支える多くの泥臭い地道な努力が隠されているのだ。その、最も重要なところは何が事実であり何が正しいかの判断だ。
生命体は集められた情報を蓄積し、正しく合理的に判断し、果敢に実行してきたから進化したのだ。
世の中には評価方法がたくさん実行され、あるいは提案されている。しかし、目的や状況などにより、評価方法が異なり、結果も異なる。ところが、循環論理はあらゆる場面と状況で正しい判断を下せるのである。
生物の進化は合理的で適正な判断により、何のためらいもなく選択がなされ、自己保存に有利なものを残してきた。そこに評価システムが機能してきたのだ。
さて、最初の日本軍の真珠湾攻撃の問題に戻すと、日本軍にとって致命的であったのはまず、①対象となるアメリカをほとんど知らなかった事であり、実は②自国の事も十分理解できていなかった・・事があげられる。
もっと言えば、自国の事が分かっていないような状況だから敵国の事なんか知り得ない。これでは正しい判断も出来ない。《子供の頃からまず自分を見つめ自分が何なのかを考え考えて結論を出してから社会に加わらないと、他人や社会が分からない》
僕が日本軍のリーダーの一人だったら、戦争をおっぱじめる前にどんどんアメリカに乗り込むだろうね。当然向こうのリーダとも会い率直な意見交換をするが、一般市民をはじめ幅広く様々な人に会って話を聞く。正々堂々とやれば良い。恐らく様々な、いや山のような相互の誤解、行き違いに気付いたことだろう。
戦争はやむを得ない場合が有る。しかし、何のため戦うのか、何を持って良しとするのかは明確にしておく必要が有る。日本の戦争の歴史は終わりの無い戦場拡大でしか無かった。昭和天皇の命を懸けた決断が無かったら日本は国土の殆で罪なき国民の無残な死体の山を気付いた事だろう。
生物はやむを得ず戦うが無駄な戦いはしない。それは自己保存のための行為であり、循環する論理によって導かれている。