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 玉川上水の木漏れ日の下

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のメンバー katakura のブログ  since 2013

あけましたおめでとう

2015-07-12 | 山の国から

「梅雨の空、雲が重かった」(2015.7.1撮影)
この写真の雲の下端はおよそ「海抜2,200m」である。周辺の山々との関係で私には分かる。
23年間、ここからの景色を見ていると分かるようになる。
この景色、富士山がどこかに見えています、どこでしょう?

 先日、半年ぶりに信州の山小屋の様子を見に出かけた。
 今年はずいぶんと遅い時期になってしまった。
 到着後、車から降ろした荷物を担いで道路から小屋まで上がり、小屋の周囲にある凍結対策の水抜栓をいろいろと締めて廻る。ウォシュレットを再セットし、全ての水道関係の箇所を「指差し確認」後、また道路まで下りて、道路際の「水道元栓」を半年ぶりに開いた。
 目の前の「水道メーター」がくるくると回り始める。
 上にある小屋の方から「だいじょ~ぶ!ちゃんと出てま~す!」と妻の大声がかすかに聞こえてくる。「このやり取り」は、なぜか今でも携帯を使わない。大声を出すのが昔からの習わしのようだ。
 昔は、妻の声と一緒に「だいじょぶ~!」「おみず出てる~!」と子供達の元気な大声も聞こえてきたのが、今は懐かしい。・・また思い出話。
 今はただエースの遠吠えが寂しく聞こえる。・・もちろんこれはウソ。名犬エースは遠吠えなんかしないシ、だいたいが吠えない。ワン。
 これでまた半年、ここで過ごせる訳だ。毎回、年の初めはいろいろとめんどうだ。
 水道元栓「あけましたおめでとう」(か)


富士山はこんな感じで見えていた。富士山周辺は晴れ。
珍しく鮮明に見えていた、これからの季節はたいていモヤってしまう。


僕は「遠吠えなんかしません」「吠えません」ワン。

フジモリ建築-4「高過庵」

2014-11-28 | 山の国から

茶室「高過庵(たかすぎあん)」2004年
いつもは格納されている可動式の「竹の濡れ縁」が出され、窓が開けられた。
この窓の正面はもちろん!「八ヶ岳」である。
近くの「柿」がとてもきれいだった。

 ハシゴをかけ、窓を開け、風を通し、虫を掃き出し。茶室に人を迎えるための一連のお仕事は藤森さん自らテキパキテキパキとしてくださった。しばらくして「はい!いいですよ~!」と高~~いところから、見上げている人たちに声がかかった。
 この日参加した人たちが四人ずつ一組になって順番にハシゴを登って行く。この茶室、客は四人ぐらいがちょうど良いらしい。理由は上の写真を見ればお分かりだと思う。
 ハシゴを登りきり、高過庵の「床」に設けられた「にじり口」から、「おじゃまいたします。」と頭を出すと、「どうぞ。」と藤森さんが笑顔で迎えてくださった。
 高過庵は藤森さんご自身の茶室。「ほかの人の茶室をいくつか作ってみたら。自分の茶室も欲しくなったので作った。」とのお話だった。
 高過庵はいつもゆっくりと揺れていた。風が吹くと揺れ、人が動くと揺れる。お茶をたてるとその身体の微妙な振動が伝わって揺れるそうである。すごい!
 「揺れる」とか「倒れる」とか、そんなフキツな話題でみんなで楽しく盛り上がっていたら、「まあ、倒れるとしても、そのときはたぶんゆっくりと倒れるから大丈夫でしょう。」と笑っていた。・・楽しいね。(か)


室内は白を基調とした、とてもシンプルな素敵な空間だった。
写真左隅、壁から出ている「木の幹」にご注目!この茶室を支えているクリの木である。
この幹の景色をそのまま活かした「茶の心」。お見事。ハハ。


笑いの絶えないとても楽しい時間でした。
たくさんの楽しいお話をありがとうございました。


この日、柿がとてもきれいだった。
帰りに「登美」で大好きなお蕎麦を食べて帰った。
楽しい一日だったナ。

フジモリ建築-3「空飛ぶ泥舟」

2014-11-27 | 山の国から

茶室「空飛ぶ泥舟」2011年
今、まさにハシゴが外された。・・中に残された人はもうここから出る事が出来ないのである。
お茶をして暮らすしかない。凄い茶室だ。

 茶室「空飛ぶ泥舟」は、茅野市美術館でのワークショップで、一般のみなさんも参加して制作した手作り感満載の素晴しい作品。子供達も大勢参加してみんなで楽しく作ったそうだ。
 茅野市美術館の敷地にしばらく展示した後、ここに移築された。「移築の時にトラックの荷台に載せてみるとなんだかとてもなじんでしまって、それが動き出すととても面白かった。」との藤森さんのお話。楽しそうである。石焼き芋の軽トラよりは、はるかに迫力があって楽しそうだ。(か)
 

四本の柱とワイヤーで吊られている。
「茶室を何故吊ったの?」との質問は誰からもなかった。
「ただ吊ってみたかったから。」と笑顔で答えが返ってくるのが、
みんな分かっているようだった。


茶室に乗込む(?)人物と比較すると大きさがわかる。


意外と揺れない。風がなかったから?
大きなテーブルを囲むようにベンチがある、とても居心地が良い。
茶室というよりも、カツカレーとか食べたくなるような気楽な空間。


窓からの景色。雲がなければ八ヶ岳が見えているはず。
楽しかった。

フジモリ建築-2「神長官守矢史料館:内部」

2014-11-24 | 山の国から

「神長官守矢(じんちょうかんもりや)史料館」内部
床・壁・天井、空間全体が「土壁」のような質感で一体に仕上げられている。

 史料館の入口を入ると、いきなりドカン!とこの大きな空間がある。「あれ?この建物、ほとんどこの部屋だけですか?」みたいな大きな空間。ここはどうやらロビーらしい。この空間の奥に小さな小さな展示室があり守矢家に伝わる古文書などの貴重な資料が展示されている。・・内部はこれだけ、あとはトイレと事務室がある。まことに「おおらか」な空間構成である。
 壁面の展示物は守矢家に伝わる「御頭祭(おんとうさい)」という神事の供え物が復元されている。江戸時代中期の旅行家により記録されたスケッチをもとに復元されたそうだ。この由来もまた面白い。
 鹿や猪の頭、兎の串刺し、詳しくはなんだかよく分からないのだが、いろいろ並んでいて、剥製であってもなかなかの迫力である!
 昔、ここを訪れたとき、同行した小さな子供たちは、なんだか分からなくても「凄いね!」「面白いね!」とこの展示を見上げていた。獣の「頭」が何十と並んでいる光景は迫力がある。ファミコンゲームでは体験できない迫力だったと思う。・・面白い。(か)


「御頭祭供物」。江戸時代のスケッチをもとに復元展示してあるそうだ。

フジモリ建築-1「神長官守矢史料館」

2014-11-23 | 山の国から

「神長官守矢(じんちょうかんもりや)史料館」1991年
屋根に葺かれた鉄平石と外壁のサワラの割り板が時間の経過とともに「いい感じ」になっていた。
撮影しているこの場所からあと10mほど背伸びをして左を見ると「諏訪湖」が大きく見えている!はず。

 「藤森さんの建築を楽しむ会(正確な名称は忘れました)」があった。「神長官守矢史料館」「茶室:空飛ぶ泥舟」「茶室:高過庵(たかすぎあん)」を、設計者の藤森さんに案内していただく、とても贅沢な会だった。とても楽しかった。
 神長官守矢史料館は、この地で生まれ育った建築家「藤森照信」さんのデビュー作。古代から諏訪大社上社の神官だった守矢家の由緒ある敷地の一角、とてものどかな気持ちのいい場所に建っている。
 ここは、昔、小さな子供たちと一緒に何度も訪れた思い出の場所でもある。史料館へは22年前に初めて訪れた、確か竣工の翌年だった。それからこの建物が気に入って何度も足を運んだ、友人が私の山小屋に遊びに来ると、決まって「面白い所へ案内してあげるね。」と言って、ここに連れて来てはみんなで盛り上がっていた。
 フジモリ建築の何がそんなに気に入ったかと言うと、現代の設計の常識を超越した「おおらかさ」と「楽しさ」にある。誰も思いもつかない柔軟な発想で建築を考え、自由自在に材料を使いこなし、ドカンと見事に納めてしまう。すごい人である。(か)


建物の足元は「おかめ笹」がびっしり。
計画当初は「ネギ」をびっしりと植えたかったそうだ。この発想も凄い!と思った。
でも、それだと農地扱いになってしまい敷地の地目変更がどうのこうのと・・結局断念したそうだ。
その思いが、後に住宅の屋根に「ニラ」を植える衝動につながったのか?・・・は、聞かなかった。
「ネギ、柿、稲、ニラ、なんでもその気になって見てみるとみんな美しいですよ。」とのお話。
その通りだと思った。


「普通、柱は屋根から突き出たりはしないんだけどね。」と藤森さん。
とても楽しく丁寧な説明をしてくださいました。
ありがとうございました。

初冠雪「健さん」

2014-11-19 | 山の国から

「冠雪」八ヶ岳連峰赤岳付近。(2014.11.16撮影)
北八ヶ岳は10月26日に初冠雪を迎えたそうだ。
冠雪を迎えたばかりの初冬の山を眺めていると。「健さん」を思った。
健さんは雪景色と長靴がよく似合う人だったな~と思った。・・大好きな俳優だった。・・悲しいな。

 八ヶ岳連峰、標高1500mから上部は薄らと白くなっていた。「冠雪」である。この時期から半年、山は雪を冠ることになる、だから「冠雪」と言う。今の頃、山肌をよ~く見るとまだ樹々の柔らかな質感を確認することができる。ちょうどシュークリームの上に振りかけた粉砂糖みたいで可愛らしい感じだ。これから厳しい冬が訪れ雪がだんだん積もってくると、カチっとした堅く鋭い山肌になっていく。
 「健さん」逝く。晩年の健さんはまるで初冠雪を迎えた山のように凛としていた。穏やかで、やさしくて、素敵な俳優だった。・・寂しいな。合掌。
(か)

この日、八ヶ岳連峰は、薄らとした冠雪が穏やかで、とても美しかった。

ぶらり奥蓼科の旅-5「御射鹿池」

2014-11-17 | 山の国から

「御射鹿池(みしゃかいけ)」(10月29日撮影)
想像以上の美しい景色に圧倒されて呆然としてしまった。
ここは東山魁夷が、かの名作「緑響く」のモチーフとして描いた池である。
「絵に描いたような美しい景色」とはまさにこの様である、と思った。
紅葉も盛りを過ぎていたのだが、池の景色はとても美しかった。

 御射鹿池(みしゃかいけ)は、標高1,100m、長野県茅野市にある小さな小さな小さな「ため池」。
 かつてこの地域の水田は奥蓼科の冷泉と高地の影響とで冷害に苦しんできたそうだ。1933年に「ため池」として御射鹿池が完成した。この池に流れ込む冷たい水を一旦留め、天日で温めることによって農業用水として使用できるようにしたそうである。すばらしい発想だと感心した。
 「御射鹿池」の名は、諏訪大社に伝わる「神に捧げるための鹿を射る神事」に由来があるそうだ。すごく格調高く素敵な名前だな~と思いながらこの景色を眺めていると、「もののけ姫」が現れそうな気がしてくる。もののけ姫とお友達の「トトロ」は、ここより標高がもっともっとズ~ッと下がった「里山」で昼寝をしているはずだ。(か)
 

東山魁夷作「緑響く」。御射鹿池がモデルとされる魁夷の名作。
(出: www.tokyoartbeat.com)

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テニス・ワールドツアーファイナルズ決勝「ジョコビッチ対フェデラー」戦は、
フェデラーの棄権でジョコビッチが優勝した。残念な幕切れだった。

ぶらり奥蓼科の旅-4「落葉松」

2014-11-15 | 山の国から

「落葉松(カラマツ)」(10月29日撮影)
ハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハラハララハラ
と、黄葉したカラマツの小さな葉が落ちてくる。
(ここで問題です。「ハラハラ」はいくつでしょう?)

 横谷渓谷から229号「メルヘン街道」を麦草峠方面に上り途中から南に奥蓼科温泉郷を抜け「御射鹿池(みしゃかいけ)」に向かう。この説明では固有名詞がものすごくローカルすぎて何のことだか分かりませんね。・・まあ簡単に言うと、次は山道を走り温泉郷を抜け「美しい池」に向かった訳です。
 街道から外れて横道を走る途中にとても綺麗な「カラマツの森」の中を抜けて行った、「落葉松(カラマツ)」の樹々は文字通り「落葉」の真っ盛りであった。観光ルートから外れているので誰もいない、車も通らない、「シーン」とした静かな森、車から降りて外へ出てみた。辺り一面はカラマツの葉がハラハラハラハラと落ちている、とても不思議な光景であった。
 カサカサに乾いた長さ3 センチほどの針状の小さな葉が、この空間全体に均一に充満してゆっくりと下に落ちている。その中に立っていると自分がゆっくりと浮上して行く様な不思議な気持ちになってくる。・・静かに降る粉雪の中に立っている感じに似ているかもしれない。・・いい気持ちだった。(か)

ぶらり奥蓼科の旅-3「紅葉」

2014-11-09 | 山の国から

「紅葉の山」ありました!(10月29日撮影)
盛りは少し過ぎていたけど、空はピーカン!紅葉がきれいだった。

 紅葉を求めて「ぶらり奥蓼科の旅」。
 「乙女滝」から渓谷沿いの遊歩道を少し上がってみることにした、途中にはいろいろな滝がある、この道は良く知っている。昔、小さな子供達と「しりとり!・・りす!・・すいか!・・かっぱ!・・パンツ!・・」と大声を出しながら歩いた気持ちの良い道である。
 久しぶりの道、この日は夫婦と犬一匹であった。遊歩道には他に人はほとんどいなく、とても静かだった。小さなころの子供達との楽しい思い出の場所に来ると、懐かしさとともに少し寂しい気持ちにもなる。でも、今では見上げるように大きくなった無精ヒゲの元子供達と今ここに来ても、それはそれで困るとも思った。
 「紅葉」ありました!渓谷沿いの遊歩道から見上げた山肌は、快晴の空の下、紅葉がきれいだった。
 遊歩道を20分ほどプラプラ歩いて「霧降の滝」まで来たところでこの日は引き返すことにした。帰路、乙女滝を過ぎ、車を停めておいた横谷渓谷入口の駐車場にさしかかった頃、大きな観光バスからワイワイガヤガヤと沢山の人が降りてきて私たちとすれ違った。乙女滝に向かう様だった。
 この人たちと現場で遭遇しなくて良かった、と思った。(か)


「霧降の滝」
この滝周辺も「マイナス・イオン20000」だそうだ。
でもあまり爽やかな感じはしなかった。日陰だったからかな?

ぶらり奥蓼科の旅-2「乙女滝」

2014-11-07 | 山の国から

「乙女滝」
ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
落差15m!もの凄い水量である!迫力満点!凄い!

 木戸口神社から5分ほど渓谷側に下りたところに「乙女滝」がある。神社からすでに「ドドドドド」と地響きのような滝の轟音が聞こえている。何故こんなに力強く迫力のある滝の名が「乙女」なのか?・・と思う。「乙女」とはこのようなものなのか?・・とも思った。
 快晴の真っ青な空。風向きによってはときどき飛んでくる水しぶきが細かく顔に当たり、冷たくて心地よかった。この滝周辺は「マイナス・イオン20000」だそうだ。それだからどうしたのかよくわからないのだが、そんな表示板が立っていた。その効能なのかもしれない、迫力の滝を眺めながら大きく深呼吸をしていると、とても気持ちが良かった。・・久しぶりにとても清々しい気持ちになれて嬉しかった。・・いつまでもここにいたかった。・・快晴の空の下。・・実際の話が。(か)


ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
 ピーカンの空!滝と紅葉のコントラストが素晴しく、きれいだった。
(10月29日撮影)



ぶらり奥蓼科の旅-1「木戸口神社」

2014-11-04 | 山の国から

木漏れ日の心地よい石段をトコトコと上がり「木戸口神社」にお参り。

 紅葉を求めて「ぶらり奥蓼科の旅」。
 横谷渓谷入口の駐車場に車を止めて「乙女滝」に向かう途中、なんとなくお参りをしをたくなるいい感じの小さなお宮「木戸口神社」がある。信玄公ゆかりの神社であるらしい。
 甲信州は「信玄公ゆかり」のところだらけである。・・ここの水でお茶を飲んだ、この湯につかった、この景色を愛でた、ここを歩いた、ここに座った、ここで立った・・信玄公も忙しい。
 このお宮も諏訪大社の小宮の一社で、七年ごとの諏訪大社の御柱(おんばしら)祭と同じ年にここでも御柱祭が行われるとのこと。小規模だがお宮の神域「結界」を表す四本の御柱がきちんとあった。この茅野から諏訪一体の地域では、どんなに小さなお宮にも必ず御柱がある。いたるところで御柱と出会う。ここの人たちは御柱祭が大好きなのだ。
 このお宮を包んでいる紅葉と木漏れ日が気持ちよかった。(か)


撮影班のカメラに気を使い、
振り向いてポーズをつくる名犬エース。
・・ワン。

冬の水抜き

2014-11-03 | 山の国から

(10月28日撮影)
標高1,450m、山小屋からのカシガリ山風景。左後方にはるか遠く中央アルプス。
紅葉はすっかり終わりかけていた、それでも綺麗な景色だった。
ここからの紅葉の眺めは半月前だともっともっと良かったと思われるが、
その頃はいつも台風だったから来れなかった、実際の話が。

 久ぶりに山に来た。10月末が山小屋の水道管の凍結防止のための「水抜き」の期限である。
 ここは標高が高いので10月を過ぎると外気温は深夜には氷点下になり、水道管の中の水は凍結してしまう。水は凍結すると膨張する、膨張すると水道管に亀裂が生じ昼間になるとそこから水が噴き出すことになる。そこで小屋を留守にする時には「水抜き」をして水道管を空にしておく。
 冬、この小屋に居る時は水道管に巻いた電熱コイルを作動させれば凍結はしないのだが、これは電気代がとてもかかるので留守の時はもったいない。だから「水抜き」をする。(これが山暮らしの習わしなのじゃヨ)
 「水抜き」のために久ぶりに山小屋に来てみると、あたりの紅葉はもうすっかり終わりかけていた。小屋の周囲に集まった落ち葉もカサカサしていてよそよそしかった。
 紅葉を探して明日はここより標高の低いところまで降りてみよう。里の紅葉はこれからだ。(か)

実際の話が

2014-10-31 | 山の国から

二ヶ月ぶりの八ヶ岳。久しぶりだったのでなんだかとても感動した、実際の話が。

 ここ数日、私たち夫婦の会話で「実際の話が」という言い回しがはやっている。なにか話をしていて話が一旦途切れる時になんでもいいから終わりに「・・実際の話が」と付けて終わる。ただそれだけなのだが、なんだか楽しい気持ちになってくる、実際の話が。
 これはお気付きの様にテレビの影響である。「ヨルタモリ」という番組が始まった。湯島あたりにある小さなバー、美人ママが和服姿の宮沢りえ、常連客に能町みね子、そこへ変な大阪弁の工務店社長タモリが訪れ毎回盛り上がる。「偽フラメンコ」「中国語ラップ」とかタモリ芸満載でとても面白い。ママとの会話の中でのタモリの口癖が「実際の話が」である。それだけであるが、しばらく我が家ではやりそうである、実際の話が。・・でもそろそろ飽きて来た。(か)

無藝荘3「五右衛門風呂」

2014-09-06 | 山の国から

無藝荘のお風呂「五右衛門風呂」
左の小さな釜は「上がり湯」。顔を洗ったり風呂から上がるときに使用する。
この風呂の造形にアントニオ・ガウディを思った。

 無藝荘のお風呂を覗いてみた。「五右衛門風呂」があった、とても懐かしかった。五右衛門風呂の名前の由来は、豊臣秀吉が石川五右衛門をかまゆでの刑にしたという俗説から生まれた、らしい?
 このお風呂は全体が鉄製で大きな釜になっている。焚き口は風呂場の外側にあって釜の下から薪を燃やす、釜の底にはスノコが敷いてあるので熱くないし、湯全体がゆっくりと対流しているので快適である。湯加減の調整はちょいと窓を開けて「すみませ~ん。もう少し薪くべてくださ~い。」とか言えば良い。だれか近くにいれば湯は加熱されるが、誰もいなければあきらめれば良い。
 この型式のお風呂に入った事のある私は相当に古い。(か〕


手洗い場も迫力があって面白かった。棚も洒落ていた。
山暮らしの実用としてこんな大きなシンクが役立ったのでしょうネ。

無藝荘2「屋外のリビング」

2014-09-02 | 山の国から

無藝荘のポーチ「屋外のリビング」。とて気持ちの良い爽やかな空間。
ここに座り蓼科の森を眺めながら飲む酒はさぞかし美味かったことでしょう。
この「屋外の空間」でゆっくりと過ごし、楽しむ感覚、いいですね。

 小津安二郎が蓼科の別荘として利用していた無藝荘(むげいそう)。とても洒落た佇まいである。
 建物の中のどこの場所に座ってみても、「あ~いい感じだな~、ここに座ると酒が一口欲しくなるな~」という空気が漂っていて、とても和む。・・少なくとも酒飲みには共通によく分かる気配である。
 この建物の南側にポーチ「屋根付きの屋外の空間」がある、とてもよい感じだった。外の環境と建物屋内を柔らかく繋ぐこの贅沢な空間。アメリカ映画の西部劇だと年老いたお婆さんがショットガンを持って揺り椅子にもたれていたり、青春ものだと年頃の子供達は天井から吊られたブランコに揺られながら愛を告白したるするような空間・・ちょっと違うかな?・・日本建築だと日向の「縁側」に腰掛ける心地よさ。
 まず、こんなモダンな空間が、当時の日本のこのスケールの住宅にある事が驚きであった。そしてこの空間がフローリング床ではなく「石畳」のところがとても良い!
 当時の日本ではあまりお目にかかれない、小津好みのこの空間を体験して、「小津はとてもお洒落でモダンな人だったんだな~素敵だな~」と、あらためて思った。
(か)


無藝荘(むげいそう)外観
茅葺き屋根なのにとても軽やかでモダンな印象でした。