玉川上水の木漏れ日の下

 ワヤン・トゥンジュク梅田一座のメンバー katakura のブログ  since 2013

「年の瀬」浅草

2018-12-29 | わたくしごと

「正月飾り」
浅草の裏通りには正月飾りの店がチラホラ出ていました。
裸電球の下、粋な格好の鳶さんたちが明日の段取りをしていた。
年の瀬を感じるなかなかいい光景です。
大晦日に門松や松飾りを急いで飾る「一夜飾り」は良く無いと言われています、
今日明日がこの商売の山ですね。

友人たちとの忘年会に浅草に出かけた。
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忘年会の前に、地下鉄田原町駅で降り、
東本願寺の塔頭(たっちゅう)にある妻の実家のお墓をお参りした。
・・・・・・
忘年会の後みなさんと別れ、妻と浅草の裏通りを歩いて帰った。
外国からの観光客のいない裏通りはとても静かだった。ときどき靴音が聞こえる。
浅草寺の裏手から境内に入り仲見世を抜け雷門に出る、普段歩く逆のコース。
浅草寺のライトアップはとても綺麗だった。
スカイツリーが良く見えていた。
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地下鉄銀座線の浅草駅に潜る階段脇に「神谷バー」がある。
「ちょっと寄りますか?寒いから」と話はすぐにまとまりお店に入り、
「電気ブラン」と揚げたての「カニクリームコロッケ」をいただいた、とても結構でした。
帰りに「電気ブラン」の小さなボトルをお土産に買った。
お土産といっても自分たちで飲むのですが。
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絵に描いたような浅草での「年の瀬」でした。
でも昨夜は寒かったナ。


浅草寺の境内からはスカイツリーが綺麗に見えました。


スペイン旅 25「美人薄命」ティッセン=ボルネミッサ美術館

2018-12-26 | スペイン旅

ドメニコ・ギルランダイオ作「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」(1489年頃)
ティッセン=ボルネミッサ美術館
本当に美しい人です、見とれてしまいます。

 この美しい女性はフィレンツェの高貴な生まれの「ジョヴァンナ」さん。フィレンツェの超名門ロレンツォに嫁いだのですが1488年に出産が原因で亡くなってしまいます。
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 この絵は彼女の死の翌年に描かれています。
 背景に描かれた紙片にはラテン語で「1488」と彼女の亡くなった年が記され、赤いネックレス(ロザリオ)や祈祷書が描かれています。「生前の美しい姿」と「死と祈りに関するもの」が同時に描かれている鎮魂の肖像画。とても悲しい絵です。
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 「美人薄命」と昔から言われています。
 美しい人ほど病弱で悲運で短命であったりする。この美しい横顔を見つめていると、「本当にそうなんだな〜、美しい人は薄命なんだ〜」とつくずく思いました。
 私の周りにも「美人薄命」を心配しなくてはいけない方々がたくさんおられます。みなさん「体だけは大事にしてください」・・美人なんですから。
 でも皆さんとても元気だし、よく食べてよく笑いよく寝ている、・・あまり短命な感じはしないので私は安心しています。


全体はこんな姿。
美しい人です。


スペイン旅 24「デューラーの手」ティッセン=ボルネミッサ美術館

2018-12-25 | スペイン旅

デューラーの名作「博士たちと議論するキリスト」(1506年頃)
ティッセン=ボルネミッサ美術館

 アルブレヒト・デューラーは「手」を描くととても上手い。もちろんデューラーだから何を描いても上手いのだが、特に「手」が上手い。
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 この「博士たちと議論するキリスト」は「手」が絵の中心に描かれている。若きキリストの手とユダヤの老博士の手。とても面白い構図だ。
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 この絵の物語は聖書からのエピソード。まだ若いキリストがユダヤの老博士たちと神学に関する高度な議論を交わしている様子、キリストの神の子としての知恵を示すエピソード。キリスト教史上とても重要な出来事であるらしい。
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 それまでの宗教画は「神」が絵の「中心」に描かれるのが普通だった、でもこの絵の中心にはキリストではなく「手」が描かれている、若きキリストは少しハニカミながら他のユダヤの老博士たちと同様に絵の縁に描かれている。
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 この頃から宗教画を描きながらも画家たちの描くテーマが変化していく時代になる。
 キリストを描きながらも「神」は絵の「中心」には存在しない、それまでの神の賛美のための宗教画から絵画の新しい表現が自立していく時代の面白い構図です。


それにしてもデューラーは「手」がとても上手い。
この絵のための手だけの素描も残っている。
私は学生の頃、写真を見ながら模写をしてみましたが上手く描けなかった。
「なかなかこうはいきません」

骨と向き合う今日このごろ

2018-12-20 | わたくしごと

「骨格の部位」(Anatomyより)

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 私ごとですが、ここのところちょいと腰が痛かった。
 ギックリ腰とまではいきませんが、普通ではない感じが数日続いた。大事をとって、時々お世話になっている近くの鍼灸整骨院で2時間ほどの治療を受けた。
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 施術開始の前に、全身が映る(中心に垂直の赤線が描いてある)鏡の前に立たされた。「ほら肩の高さが不揃いでしょ」「骨盤の角度が違うでしょ」「体がまがってるのわかります?」などと私の骨格はボロクソに評価される。
 その後横になり、身体はグニャグニャにされ、ポキポキカックンとはめ直され整えられていく。首の調整の時に「顎もちゃんと入ってないですね」とグイグイと押したり引いたりされ直される、顎の骨は意外と柔らかい感じがする、骨の形が目に浮かぶ、ブリ大根のカマを思い出した・・あれ?
 仕上げは「鍼灸」。私はうつ伏せなので一体何本なのわからないが相当数の鍼をうたれ、赤いランプで照らされて、その状態で「待て」。・・これは気持ちがよくて寝てしまった。
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これでおしまい。
時々「唸り声」と「悲鳴」の出る・・楽しい(?)ひと時でした。
おかげで今は快調です。




スペイン旅 23「カルパッチョの謎」ティッセン=ボルネミッサ美術館

2018-12-16 | スペイン旅

カルバッチオ作 「風景の中の若い騎士」(1510年頃) ティッセン=ボルネミッサ美術館
この鎧の中に写り込んでいるものはいったい何か?
室内のようにも見えます、レースのカーテンをつけた背の高い窓が並んでいる?
・・不思議な絵です。でも「カルパッチョの謎」とはこのことではありません。

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 イタリアの画家の名前「カルバッチオ」とイタリアの料理の名前「カルパッチョ」はとても似ているが別物だと長いこと思っていた(私だけかも)。これが同じ「Carpaccio」だということを今回やっと知りました。最後の「cio」をどうカタカナ表記にするのか、その差のようです。
 もう一人、イタリアの画家で「カラヴァッジョ」もいるのでこれまたややこしい。
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 読みは「カルパッチョ」と納得しても、料理名を画家名と同じにするのが紛らわしい。
 でも今の日本では「カルパッチョ」と聞いてイタリアの画家を連想する人の方が希少だとも思う。試しに「カルパッチョ」で検索するとレシピが出てきた。こう言う私も、居酒屋のメニューを見て「カルパッチョ」とあれば、魚介類のオリーヴオイル料理を連想して、イタリアの画家のことなど全く思わない。
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「料理カルパッチョの由来」
 近年、イタリアの料理人が「画家カルパッチョの赤」を再現したという生牛肉料理を創作したのが始まりだそうだ。私たちがよく食べる新鮮な魚介類をオリーヴオイルとハーブで和えた料理は、ごく最近の「和製カルパッチョ」。・・これで長年の「カルパッチョの謎」がとけた気がする。
 画家も料理も「Carpaccio」


銀鮭のカルパッチョ (レシピ大百科より)
白ワインがこわくなる。
「カルパッチョの謎」



スペイン旅 22「スペインにはレンガ色がよく似合う」ティッセン=ボルネミッサ美術館

2018-12-15 | スペイン旅

ティッセン=ボルネミッサ美術館
正面にはカルバッチオの名作「風景の中の若い騎士」(1510年頃)
(注:カルバッチオはイタリア・ヴェネツィア派の画家の名前。ところでカルパッチョは牛生肉や鮮魚を使った料理の名前。・・あれ、これはもしかして同じ名前?)

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 美術館のインテリアの印象は「淡〜いレンガ色」。人口塗料の発色ではない自然素材の落ち着いた質感なので素材はレンガかな(?)。
 この色がインテリア全体の壁面に使われています、天井と床が白系なのでコントラストがとても美しい空間でした。スペインのような日差しの強い風土にとても良く似合う色彩だと思いました。
 「スペインにはレンガ色がよく似合う」
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 話はとびますが、スペインのテニスコートは「クレーコート(アンツーカーコート)」が多い。これは高温で焼いたレンガを粉にした赤褐色の土のコートです。スペインの強い日差し、真っ青な空と赤いレンガ色のコートはとてもよく似合う。(・・そう言えばナダルは元気かな?)
 「スペインにはレンガ色がよく似合う」
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ティッセン美術館とプラド美術館はすぐ近くにあります。でも私たちは日を変えて訪ねました、同じ日に二つの美術館めぐりは疲れ切ってしまうから。
 ここのコレクションも凄い!
 デューラー、ホルバイン、ティツィアーノ、ルーベンス、レンブラント、ギルランダイオ、カルバッチオ。近代はモネ、ルノワール、ドガ、ゴッホ。20世紀はピカソ、ダリ、モンドリアン。とにかく凄い作品数です!ゆっくり鑑賞するのには ティッセン美術館だけでも三日はかかりそうです。
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 この美術館のコレクション。ドイツの大財閥ティッセン=ボルネミッサ家の個人コレクションが元になっています。この大財閥に1985年に嫁いだのが元ミス・スペインの絶世の美女(見たことないけど多分そう)カルメンさんでした。(まるで映画のようなお話です)
 その縁からこの素晴らしいコレクション全てがスペインに来ることになります。1992年にこの美術館がマドリードで開館しました。・・カルメンは凄い!!
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 現在の美術館はカルメンさんの個人コレクションもさらに加わり、ますます充実しています。素晴らしい!


エントランスホールの肖像画
ティッセン=ボルネミッサ男爵と妻カルメン(とワンちゃん)


エントランスホール
「スペインにはレンガ色がよく似合う」


古い建物を生かした素敵な外観でした。
「スペインにはレンガ色がよく似合う」



スペイン旅 21「ハイ!これありました〜見ました〜」プラド美術館

2018-12-12 | スペイン旅

プラド美術館:足場の光景
この光景、なかなか気に入ってます。
左下のシルエットの彫像は「椅子に座ったベラスケス」。
よく見ると・・中央下に「散歩の犬」・・シッポの角度が可愛い。


 プラド美術館はスペインで最大の美術館。とにかくものすごく大きくて広い。作品の数もものすごく多い、それも超名作ばかりです。ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ブリューゲル、ボッシュ、デューラー、ティツィアーノ、ティントレット、ルーベンス・・などなど。
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 プラド美術館には4時間ほどいました。
 目星を付けた作品の前を通過しながら、「ハイ!これありました〜見ました〜」「ハイ!これありました〜見ました〜」と指差し確認をしながら足早に移動していきましたが、それでも全館はとてもまわれません。この美術館をゆっくりと鑑賞するのには一週間はかかりそうです。
 仮に、ここにあるゴヤが数点だけでも「上野の森」に来ると、「・・こちらが最後尾となっております・・入場までおよそ3時間ほどお待ちいただいております・・」とハンドマイクでのご案内状態になるでしょうから、プラドのコレクションは凄い!!
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 私たちは館内を早足でまわった最後に、プラドにレンブラントが一点だけあるのを思い出し「記念に一目見たい!」と、手元のパンフレットにある地点まで行きましたが見当たらない。近くにいたスタッフに尋ねました。「レンブラントはどこですか?」
 すると「先週移設しました、今は新館にあります。ここを真っ直ぐ行ってティツィアーノを通り過ぎ、ゴヤの手前を右に曲がり、次にグレコを左、エレベーターで地下に行き新館へ、ルーベンスを抜けて、突き当たりの階段を上がると、レンブラントがあります。」
 この説明はデタラメですが(よく覚えていないので)、でもだいたいこんな感じのことを教えてくれました。「ゴヤの手前を右に」とか「ルーベンスを抜けて」とか・・凄い道順だな〜と感心しました。
 そして私たちは「レンブラント」にたどり着くことができました。その絵は新館のとても奥まったところにポツンとありました、周囲には誰もいません。レンブラント貸切です。
 「ハイ!これありました〜見ました〜」とても良かった!



プラドのエントランスロビー
現代的な綺麗な空間でした。

スペイン旅 20「一階にも出口があったの?」アトーチャ駅

2018-12-09 | スペイン旅

アトーチャ駅(マドリード)待合ホール

まるで植物園のような大空間。
大きな熱帯系植物で溢れていました。
屋根架構はそのままに残し、プラットホームだった床部分を改修しています。
ディズニーランドのジャングルクルーズのような楽しげな空間でした。
この空間と連続して現在のプラットホームと新駅舎があります。
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「日本だと新駅舎を作るときは旧駅舎は取り壊してしまう、土地がないからネ。スペインは古いものを保存できて良いね」とスペイン人に言った。
「そうですネ、スペインは広い。良いでしょ。」との返事。羨ましいことです。
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 この駅で、コンチ(兄嫁)達と合流する予定だったがうまく会えない。どうやら待ち合わせ場所が違うようだ。
 申し合わせでは「列車から降りて真っ直ぐ進むと出口があるからネ。そこで待ってるネ。」これだけの情報である。まことにスペイン人らしいおおらかな表現である。言われた通り「真っ直ぐ進んだ出口」で待っていたのだがいくら待っても来ない。こんな巨大な駅である、「真っ直ぐ進んだ出口」が沢山ありそうだ。
 連絡を取りたくても海外対応の携帯電話を持っていない。仕方がないので公衆電話を探す、次に使い方がわからない、お金を入れるタイミングがわからない、頭の番号がわからない、近くのお店の人に使い方を聞いてやっと連絡がつく。
 彼女達は「真っ直ぐ進んだ『二階』の出口」で待っていたのでした。「え〜!一階にも出口があったの?ハハハ」と大笑いのコンチさん。・・あなたはスペイン人です。


旧駅舎。(1892年完成)
終着駅の雰囲気がありました。


コーヒーラウンジもあって楽しそう。
植物があると気持ちが良い。



映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」

2018-12-06 | 映画と美術と音楽と

エリック・クラプトン 12小節の人生(Eric Clapton: Life in 12 Bars)

映画「エリック・クラプトン 12小節の人生」を観に吉祥寺に出かけた。
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平日の午後1時半の回、220席の劇場に40〜50人ぐらいのお客さん?・・そこそこかな?
みなさんシニア割引「のような者」?・・もちろん私もそうです。
劇場には「12月20日までの上映となります。」との掲示があった、
封切りから一ヶ月弱の上映期間なので、ちょいと寂しい。
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映画は良かった。
でももっと盛り上がる音楽映画を期待していたのだが、
真面目な音楽ドキュメンタリー映画で少し物足りなかった。
ーー
映画はクラプトンの半生を真面目に追いかけていた。
母との辛い関係、親友の妻への愛、幼い子の死、薬物とアルコール依存の日々、
これらの葛藤がクラプトン自らの声で語られていく。
どうしても暗くなってしまう内容だ。
ーー
私はクラプトンの人生の細かなイキサツよりも、
もっと彼の音楽シーンを見たかったな。
これは映画に何を求めるかによりますね。
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はじめのシーンは、亡くなった「BBキング」へのクラプトンの哀悼の言葉から始まります。
(すッごく「中略」)
最後のシーンでは、BBキングの「クラプトン」への愛に溢れたスピーチで終わります。
「BBキングで始まりBBキングで終わる」・・まさにクラプトンです。
ーー
BBキングのスピーチ。
「私は永遠です!!!・・でも彼(クラプトン)にはこの私の永遠よりも一日長く生きて欲しい・・だって彼のいない世界を私は考えられないから」(だいたいそんな内容)。
このスピーチをステージの横からクラプトンは微笑んで見ています・・素敵なシーンでした。

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スペイン旅 19「自由なんです」ミロ美術館

2018-12-03 | スペイン旅

ミロ美術館 バルセロナ

 ミロ美術館はバルセロナ市街を一望するモンジュイックの丘に建つ現代美術館。
 絵画・彫刻・タペストリー・版画・ポスターなど大きなものから小さなものまで、カラフルなものから素朴なものまで、自由奔放なミロの作品が館内に溢れていました。およそ10,000点はあるらしい、凄い数です。
 どこを見てもミロ。いくら見てもミロ。もっとよくミロ。強い子のミロ。
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 ジョアン・ミロはバルセロナ生まれの芸術家、詩人ブルトンやピカソとも交流があったそうです。
 この美術館はミロ自身が構想し、ミロの友人たちも協力して1975年に設立。現在はミロの構想に従い若い実験芸術家たちの活動のセンターともなっています。
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 美術館併設の図書館にも自由に入れます、係の人も親切で楽しかった。
 この建物がとても素敵だったので、図書館のカウンターの人に設計者を尋ねました。すると「この美術館の設計はね、ミロの友人のセルトが無償で担当したのよ、カタルーニャ人の建築家。この建物は近代建築の名作なのよ〜・・アラ〜知らなかったの?・・常識よ〜」と多分こんなことを係の女性がカタルーニャ訛りの英語(たぶん)で教えてくれました。


何も知らない東洋人の私たちを哀れに思い「この本をミロ!」
と、建築家セルトの本を出してくれました。
(販売もしていましたが、本は荷物が重くなるので買いませんでした)
勉強になりました。グラシアス。

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よくミロ。
「絵を描く技術なんて必要ないのサ、バケツがあれば充分サ」
ミロの声が聞こえてくるようです。
自由なんです。


自由なんです。


この屋上のアチらコチらに置いてあるカラフルなものは全てミロの作品。
(屋上用の掃除道具ではありません)
「どんなものでも作品になるのサ」
自由なんです。


ミロ美術館エントランス。
右端に可愛い彫刻がありました。


この子は男の子でした・・Why?
自由なんです。

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「強い子のミロ」
(このCMを知っている人はかなり古いですね)

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スペイン旅「バルセロナ」もやっと終わりです(たぶん?)。
次は「マドリード」に向かいます。
のらりくらりと、とても時間のかかるスペイン旅です。
ノラリ・クラリ・フニクリ・フニクラ・クラ

スペイン旅 18「海を見ていた午後」モンジュイックの丘

2018-12-01 | スペイン旅

モンジュイック城からはバルセロナ港がとてもよく見える。
遠くに地中海の水平線。
海の色が「モ〜素敵!」

 バルセロナは港街である。
 やれガウディだ、ピカソだ、なんだかんだ、と忙しく街中を駆け回っていると、港街であることを忘れてしまう。でも街の広場にはコロンブスの銅像があるし、考えてみるとバルセロナは地中海に面する港湾都市として発展した。
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 地下鉄パラレル駅からフニクラという登山電車に乗ってバルセロナを見渡せるモンジュイックの丘に登った。(フニクラは懐かしの名曲「 ♪フニクリフニクラ〜!」のあれである。この曲はイタリアの歌だが、スペイン語でも登山電車のことは同じくフニクラと呼ぶらしい)
 急勾配を登って来たフニクラの駅を出る。目的地は丘の中腹にあるミロ美術館だったが、ここで突然「青い海を見てみたい!」などとまるでユーミンの歌のようなノリになってしまった、私たち。
 そこで予定を変更。今度はゴンドラ(ロープウェイ)に乗り換え、標高184mの丘の頂上にあるモンジュイック城に向かった。頂上まで行けば「海が見えるはず!」と地図を睨んで強くうなづく。
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 そして頂上。青い地中海が見事に見えました!
 この午後の海を眺めながら、気だるそうなユーミンの歌が流れるはずだったのですが、うまく曲が思い出せない。頭の中では津軽海峡系演歌が流れたりして困った。後から考えるとユーミンの名曲「 ♪ 海を見ていた午後」を思い出したかった、私たち。


フニクラ(登山電車)「 ♪フニクリフニクラ〜!」
サイズが可愛い、デザインも綺麗。
地下鉄との連絡なので地下ホームからの出発です。
(地下鉄の切符のまま乗り継げて便利)


フニクラからゴンドラに乗り換えて頂上を目指す。
ゴンドラは丘をどんどんと登って行きます、楽しい!


そして地中海が見えて来るではありませんか!
「ホラ!思ってたとおりだ!」
と、とても盛り上がるゴンドラ内の東洋人夫婦。


バルセロナの海と街に睨みをきかせるモンジュイック城。
「カタルーニャの旗」がはためいていました。
バルセロナはカタルーニャなのです。


ま〜素敵!
こんな巨大な客船が何隻も停泊しているではありませんか。
地中海クルーズでしょうね、どんな人が乗るのかしら?
イイわね〜。
・・・「 ♪ 海を見ていた午後