脳梗塞でブッ倒れた時は、近所のスーパーへ夕飯の食材を買い出しに行った帰りなので、
身に着けていたものは何がしらの現金と運転免許証の入ったサイフと家の鍵だけ。
これで運転免許証を持っていなければ、私は近所の住人(日本人)なのか不法滞在のアジア人なのか
区別がつかなっかただろう(なにせ会話が出来なかったから)。
人間のアイデンティティとはいったいなんなのか、私がわたしであることを証明することは
不可能なのか、という哲学的問題を考えさせられてしまった。
病院のベッドの上で意識が戻った時、知人友人に連絡しなければと思ったが、
スマホを持たずに家を出たので連絡のしようがない。
電話番号は全てスマホの電話帳の中、私の頭の中には無い。
この時私は何処とも知れない病院のベッドの上で着の身着のまま孤立無援であった。
今や人間のアイデンティティはスマホの中に有り。
メロンが届いた、これは誰が見てもメロンであるが、ベッドの上でもがいている私は誰なのか、
その時私はメロン以下の存在だった。