練習オタクの日々

3日ぼうずにはしたくありません!この日記とピアノのお稽古。練習記録とその他読書などの記録をつけておきます。

『1984年』 ジョージ・オーウェル

2009-12-28 | 読書
私はヘソ曲がりなので、村上春樹の1Q84を読む前にこのジョージ・オーウェルの『1984年』を読み返してみました。
タイトルからして村上氏も必ず読んでいたと思われるこの小説、「読み返して」という言い方のココロは、学生時代、現代アメリカ文学とかいう講義でテキストとして読まされたからです。

学生時代は文学的視点から読んでいたような記憶もありますが、今読み直すと、社会学的視点からも読み解くポイントが多々あります。

出版当時は大きな社会現象となったであろうことは明らかであり、英会話のイディオムを学習する教材に"big brother"という単語が載っていたことは少なからず驚きでした。
(big brother=完全なる管理社会を描いたこの小説に出てくる、とはいっても存在を知るものは限られている、全知全能の支配者。転じて、監視されている状態を暗示する言葉)

印象的だったシーンは、自由な意思、表現、過去すら管理者の都合により書き換えられ、人間の脳内の意識すら統制されてしまう社会で、少しでも疑問を持つ「まともな」人間は犯罪者として拘束され、そんな中、書物を規制に合致するように書き変える仕事をしていた主人公の友人が、自分が逮捕されたと思われる節を語るシーン。
キプリングの詩集を書き変えていたとき、杖(ロッド)と韻を踏む言葉として”神”(ゴッド)という言葉をそのまま残してしまったのが落ち度だったのかも、と語る彼。しかし、彼が恍惚として語ったのは、ロッドと韻を踏む言葉は英語にはたったの12個しかなく、何日も頭をひねったあげく、どうしても”神(ゴッド)”という言葉を残すしかなかったのだ、ということ!

それを告白した直後、彼は「101号室」に送られてしまう・・・。
その部屋に入れられた者は・・・。

この極限まで抑制、管理された状態でこんな文学的な美意識を失わない精神状態、それこそが人間の人間たるゆえんであるはずでしょう。しかし、そのような人間の存在を許さない管理社会・・・恐ろしいです。
そんな1984年の未来を風刺・批判的に1949年に描いたのが、この作品でした。

さて、春樹のも読むとするか。