静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 『教育勅語』の存在 それ自体が違憲なのだ ≫  道徳律に触れていようが関係ない   官房長官談話の違憲性を追求せよ

2017-04-04 08:42:45 | 時評
★ 政府、教育勅語の活用を否定せず 「憲法に反しない限り」 http://www.nikkei.com/article/DGXLZO14872690U7A400C1PP8000/?n_cid=NMAIL001
・ <民進党の野田佳彦幹事長は3日の記者会見で「教育勅語は片言隻句を見ると共感する人もいるかもしれないが、トータルでは主権在君だ。その思想を教材と
  することが本当にいいのか慎重に検討しなければいけない」と述べ、政府の対応を疑問視した。国会決議で失効したのを踏まえ「従来の政府の答弁と
  齟齬(そご)が出ているのではないか」とも指摘した>。
・ <共産党の小池晃書記局長も会見で「異常な決定だ。そもそも教育勅語は憲法と教育基本法に反する。いまの安倍政権の危険な姿勢が表れている」と批判した。

 ⇒ 私は官房長官談話に接し、我が耳を疑った。 「憲法に反しない限り」という但し書きを付けること自体が、これまでの歴代保守政権が常套手段にしてきた
  <憲法解釈の変更>に道を用意する手口そのものだ。 騙されてはいけない。
  野田幹事長(民進党)が指摘する<従来の政府答弁との祖語>とは、敗戦後の新議会での決議を指す。 此の論理は、「時代が変化したから
  憲法解釈も変わって当然だ」という論理建ての前には弱い。 ゆえに、私はこんな甘い立ち位置で狡猾な右派国粋勢力の攻勢に抗することはできないと思う。
  小池書記局長(共産党)の言葉の方が正しいうえ、教育勅語を教育の場に持ち出させない目的を追求する為には遥かに有効である。
   私は共産党支持者ではないが、正しいことは正しいと言わねばならない。

天皇制を認めようが認めまいが、日本国という集団は「天皇の為に在る国家」ではない。 今を生きる我々日本国民は、国家や天皇の為に存在するのではない。
 だから「天皇の為に道徳や倫理を大事にする」のではいけない。 いくら何時の世でも普遍的に正しい内容が中に盛り込まれていようが、主権在民を認めない勅語の一部である限り、徳目の存在意義を勅語肯定(または絶滅に猶予を与える)根拠にしてはならない。
 
 <明治150年>をキャンペーンにしたい動きがもう出ているが、明治国家の罪過を赦してはダメ。 此の意味で、司馬遼太郎の残したマイナス面は実に大きい。
 明治国家の精神的支柱が、明治天皇の名前で創られた教育勅語だ。  ゆめゆめ忘れないように。。。
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