静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

『選択的夫婦別姓導入を』 に反対する人は 困っている当事者の声を聞いて  ~田村琢実・埼玉県議会議長~    【イエ意識】と国家第一主義の危険な結びつきを阻止しよう!

2021-03-23 13:13:39 | 時評
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20210322/pol/00m/010/003000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20210323
◆ <1月末、自宅に1通の手紙が届いた。封筒の差出人は高市早苗衆院議員。
 選択的夫婦別姓に賛成する意見書が県議会で採択されないようご高配を、というのが手紙の内容で自民党国会議員50人の連名だった。
 まず、たいへん失礼な手紙だと感じた。地方議会が国会に対して意見書を送ることができるのは、地方自治法99条で定められた権利だ。意見書を出さないようにと、国会議員が口出しするのは
 おかしい。地方議会への圧力になりかねない。>
  ← 先日、島根県知事が五輪聖火ランナー通過を再検討と述べたら、島根選出の自民党幹部が「注意する!」と越権意識そのものの発言をした。これと似た構図の地方自治はき違え&傲慢だ。
     国会議員は≪中央が地方の上に立つのは当たり前≫とでも勘違いしているのだろう。 明治以来の極端な中央集権の弊害は無くなるどころか 強まっている! 危険である。

田村見解議長の別姓導入反対者への主反駁は、他の様々な論者も述べている通りの論旨なので、記事をお読み戴きたい。 
▼ ポイントは<家族の一体感は名字で生まれるのではない>及び<海外では通用しない通称>の2つに尽きる。

・ 選択的夫婦別姓は、同姓にするか別姓にするかを選べる「選択制」だ。この制度で損をする人はいないはずだ。現在の制度に不便を感じ、訴えている方がいらっしゃるのだから、その人に寄り添う
  必要があると思う。
    まず、名字を変えれば、仕事やキャリアの継続性に問題が出る。仕事で結婚前の名字を使う「通称」使用の拡大を進めていけばいいという人もいるが、国内でどんなに通称を使える範囲が
  広がっても、海外では認められない。海外で「通称」と「戸籍上の姓」のダブルネームがトラブルになることだってある。

日本は自由主義と民主主義を標榜(ひょうぼう)する国だ。一人っ子政策を推し進めた中国のように、国家が家庭に介入するような国ではないはずだ。
「家族の名字は一緒でなければならない」という押しつけをしている自由主義国家など、ほかにないと思う。選択肢は広い方がいい。← これの否定は、全体主義/ファシズムだ。
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≪ 現代日本政治の謎 ≫     論理を研ぎ澄ませて言葉で闘う社会になるのを、日本人は結局逃げてきた

2021-03-23 12:48:04 | 時評
現代日本政治の謎=山田孝男  https://mainichi.jp/articles/20210322/ddm/002/070/128000c?cx_fm=mailyu&cx_ml=column&cx_mdate=20210322

★ リチャード・ロイド・パリー(英紙タイムズ東京支局長兼アジア編集長。滞日26年、52歳。児童74人らが津波で亡くなった宮城県石巻市立大川小の悲劇を追った
  ノンフィクション「津波の霊たち」で英国の文学賞「ラスボーンズ・フォリオ賞」。19年度日本記者クラブ賞特別賞を得た)
 「津波の霊たち」の邦訳を文庫版(早川書房、1月刊)で読み返し、(B)「政治に対する日本人の無関心、嫌悪、あきらめ」というくだりが頭に残った。

* 被災地で2014年末の衆院選を観察した著者の回想の一節である。
 < 「殺し合いも略奪もない、被災者たちの礼儀正しさ、広大無辺な慈悲の心」を絶賛する一方「政治の不毛も自然災害のようなもので、我慢するしかない」と考えがちな日本人の履き違えを問う。
 
★ 「明確な成文憲法、独立した司法、報道の自由、複数政党制、強制力にも腐敗にも汚染されない選挙。民主主義に必要なパーツは(表面上)すべてそろっているのに、
  日本の政治は、なぜ停滞ばかり目立つのか?」  

   ← そう、核心はここだ!  ” 現代日本政治の謎”・・・・我が同胞、日本人よ。  こういう眼で自分のクニの在り方を観てきたかい?

「北米と欧州にも無能な指導者は山ほどいるが、(A)政治的市場(=競争的な政党政治)には“創造的な衝突や発展”という感覚が必ず存在する。この感覚がなぜないのか? 
 現代日本の謎といっていい」 ← 随分、遠慮がちで日本への敬意に溢れ、抑制が効いている。

★ パリ―氏の投げた問への答えは余りにも明らかだ。・・・(A)政治的市場(=競争的な政党政治)には“創造的な衝突や発展”という感覚が必ず存在・・日本では、存在しないのだ。
  何故、存在しないかって??  論理を研ぎ澄ませて言葉で闘う社会になるのを、日本人は結局逃げてきたからだ。  貴方も、そうでしょ??

 その結果が(B)「政治に対する日本人の無関心、嫌悪、あきらめ」になっているね?  パリ―さん、図星だよ 

 人間が他の動物の優位に立てたのは、言葉=論理で切り拓いてきたから。 それを放棄した日本人よ。。。 サル以下だぞ!!!
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