まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

メディアコスモス 伊東豊雄さん

2017-10-08 19:33:20 | 建築まち巡礼中部 Chubu

都市環境デザイン会議岐阜大会。

すばらしい運営でした。企画も大変よかったと思います。地元の若い人たちの話は自分の世代との違いが浮かび上がって大変きょうみあるものでした。

皆さん自然体です。地方の町や都市ではデザイン的な発想のできる人はまだまだ求められています。大いに期待をしたいと思いました。

さて岐阜での大会ということで、今いろんな意味で話題のメディアコスモスへ。まずは閲覧室へ。

屋根or天井の柔らかな局面が広がり感を出しています。

人の居場所をつくるデザインです。決して本の配置でできた場所ではありません。

ほんの配置が分かりにくいという声が利用者から出ているとのことでしたが、一応サインもあるので、少し慣れれば問題ないと思います。

 

カウンターも気楽に相談できそうな雰囲気です。

 

 

自然に外を眺める人の居場所もあります。

外のテラスにも出られるんですね。

アルコーブ状で屋根付です。

1階の外部にも図書館の延長のような人の居場所。

1階に降りてみます。高校生のたまり場は食事もOKのようです。

 

流行のスタバもありました。

雨漏りなど負の面もあるようですが、全体としてゆったりと人の居場所をつくることに徹底していることに共感します。

 高谷時彦 記

After attending the annual meeting of JUDI, Japan Urban design Institute,

I walked to see "Media Cosmos", a public library designed by architect Toyo Ito.

I was very much interested in nice "place making" for the people, not for the bookshelves.

Tokihiko Takatani

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

 

 


各務原瞑想の森斎場 伊東豊雄さん

2017-10-08 18:58:06 | 建築まち巡礼中部 Chubu

都市環境デザイン会議の岐阜大会のついでに各務原へ。岐阜から名鉄電車。

名鉄の各務原市役所前駅から苦労して到着。

 苦労してたどり着いた甲斐があります。

蓮池の前の斎場ですね。水面に屋根が映ります。ここなら静かに死者を送り出せそうです。

別れの場や休憩室を見たかったのですが、見学禁止とかで、中に入れてくれません。トイレを借りるためにようやく中に入りました。撮影はできません。

高谷時彦 記

Kakamigahara City Crematorium was designed by Toyo Ito.

It was surrounded with beautiful and quiet woods.

The curved white surfice of the elevated roof looks so tender as to heal the deep grief for the death of a family member.

Tokihiko Takatani

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

 

 

 

 


人生フルーツ 高蔵寺ニュータウンと建築家の人生

2017-10-08 16:58:58 | 建築・都市・あれこれ  Essay

都市環境デザイン会議の岐阜大会で映画「人生フルーツ」を見ました。高蔵寺NT(ニュータウン)を作った旧住宅公団(現UR)の建築家津幡修一さんと奥様英子さんの物語です。

お二人はこの映画の時点で90歳と87歳。仲むつまじく高蔵寺NTの300坪の宅地にお住まいです。60年近く前、津端さんは地形を生かした、それまでにない自然と共存する都市としての高蔵寺NTを提案されましたが、少し早すぎたのでしょう。残念ながら時代が追いつけませんでした。提案は文字通り画餅に終わり、結果として山は削られ谷はうめられ、そして「普通の団地」が建設されました。その後、夫妻は分譲宅地を買い取り、そこを自然溢れる里山に少しでも近づけようという思いで、豊かな楽園のような場所をつくり、自然とともに生きるくらしは多くの人々の共感を呼んでいるようです。本もたくさん出ています。

すばらしい生き方です。穏やかな毎日です。しかし、私は同じ建築デザインに携わるものとして、津端さんの当初の計画案にかける今も変わらぬ思いというものをこの映画から強く感じました。津端さんは自然に囲まれ仙人のように穏やかに生きているように見えるけど、決して「幻の案」から自由になってはいないのだなあ・・・・・・。

本箱から高山英華編『高蔵寺ニュータウン計画』鹿島出版会1967を引っ張り出してきました。私たち学生があこがれた計画案です。計画は1961年に始まっています。目標戸数を達成するだけでも大変な時代に、東大高山研究室や公団の若手設計者たちは、従来の団地とは違う「新しい都市の建設、これからの都市イメージ」をこの計画に賭けたのです。

私は映画を観ながらT先生のことを何度も思い出していました。高山研の学生時代に高蔵寺NT計画に携わり、上記の本も執筆しているからです。残念ながら今T先生は体調を崩されてお会いしていませんが、この映画を見るとなんておっしゃるだろうか・・・などとついつい考えてしまいます。

津端さんが建築家としての夢を捨てていないということは、90になってから再び自然と共存する福祉施設の絵(計画図)を描き始めたことからも十分伝わってきます。・・・が、それ以上に私には、津端さんが「自分の案」が実現できなかったことに対してまだこだわりがあるように映画の一シーンから感じ取りました。

モダニズムの建築家は社会のミッションに答えることを倫理観として持っていました。津端さんがレーモンドの事務所をやめて、公団に入ったのも勤労者住宅を安く大量に今日供するという当時のミッションにデザイン面から貢献しようと思ったのだと思います。

ただ、モダニズムの建築にはもう一つの特徴があります。それは建築を建築家の作品にしたということです。おそらく優れた建築家であった津端さんは公団の中では傑出した存在であったと思います。高山研の若い人たちは経験少ない学生ですから、前掲のすばらしい案の多くは津端さんの手によるものだったと推測します。高蔵寺は津端さんにとって自分の作品だったのではないでしょうか。

会心作が実現できない悔しさ・・・・・・・宅地を里山に近づけるというのも、ある意味では実施された案への叛旗です。土を耕すたびに違う人の手によってつくられた構築物が形をなくしていくのです・・・・・。

楽しい人生を描いた映画から、少々レベルの低い邪推に近い思いを抱いてしまいました。

本の中であこがれていた幻の高蔵寺の姿を求めて、一度現地見学に行く必要がありそうです。

高谷時彦記

I watched a movie named "Life is fruity", a documentary film on an old architect and his wife.  Mr. Shuichi Tsubata, an architect in charge of the Kozoji New Town Project, and his wife Hideko are living in quiet retirement and enjoying work in the garden located in the Kozoji New Town. Calm and quiet days.....

Tokihiko Takatani

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大垣城と防火帯建築

2017-10-08 13:06:06 | 建築まち巡礼中部 Chubu

都市環境デザイン会議の大会で岐阜を始めて訪れました。宿泊はお隣の大垣にしました。

私たちの世代には、大垣は繊維産業で栄えたまちという印象があります。もちろん今は違うでしょうが、駅前から続く商店街を訪れると、工員さんたちでさぞかしにぎわった時代が髣髴されます。

もちろん今も元気です。

日曜日の路上市場です。ご年配の方々のお店です。

このまちを歩いていて気付いたのが、防火帯建築です。たくさんあります。

なかなかの迫力です。コーナーの階段室などに工夫があります。

他にも懐かしい昭和の建築があります。これはお城近くの大垣城ホール。名前から、公会堂のようなものかと思ったら、中は体育館です。

階段のデザインに目が留まります。踊り場の出し方がいいですね。

市のHPをみると、昭和28年に飛行機の格納庫を移築転用したとのことです。

すぐ近くにお城があります。

石田光成が東軍と戦った城です。全体の再現図を見るとずいぶん堅牢な構えです。

周りのお堀の一部が残っています。

実は大垣は水資源の豊富なところです。水力発電所の建設が、後の繊維産業の発展にもつながっているようです。旧城下は駅の南ですが、田園やおそらく工場跡地のショッピングセンターの目立つ駅北にも水路が張り巡らされています。

鯉も居ます。この水路が、妹島和世さん設計のマルチメディア工房につながっています。

揖斐川の伏流水で酒を作り続けてきた酒蔵もあります。

高谷時彦記

I visited Ogaki city for the first time. I found some RC buildings of fire resistive structure along the main street. THose buildings were constructed to provide a fire-blocking zone in this city. After the world war Ⅱ, fire proofing of cities has been one of the main issue of Japanese city planning. 

After enjoying a walk around the down town, I visited the factory of multi-media, designed by architect Kazuyo Sejima.

Tokihiko Takatani

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata