昨日(2015.0822)酒田市の前市長本間正巳様の葬儀に参列しました。
本間市長とは、副市長時代、新しく作る市役所のあり方検討委員会でご一緒させていただきました。あり方検討委員会には黒田東北公益文科大学学長(当時)に声をかけていただき参加しました。ちょうど文化的景観の議論が始まり、酒田の町の空間構成の面白さに引き込まれ始めていたころだったので、私にとっては酒田というまちを別の視点から考えるるよい機会でした。
本間正巳様とは公の場での議論が終わった後も、もう少し意見を聞きたいということで、別室で模型をはさんでいろいろお話させていただいたことを思い出します。ご自分の意見をお持ちでしたが、まずはいろんな意見を聞いてみようというお考えでした。お話をする中で、葬儀の中でも皆さんがおっしゃっていたように酒田のことをさらに元気で住みよい町にしたいとの強い思いを私も感じました。
市長になられてからは企業誘致などでも成果を着実に上げておられましたが、実は私が印象に残っているのは副市長時代の次のようなお言葉でした。「自分は誘致企業で100人の雇用が生まれるよりも、今の酒田の100の企業が一人ずつ従業員を増やせるようにしたい」。私はJ.Jacobsが『都市の原理』や『発展する地域、衰退する地域』などで主張するように地域での産業創造が持続的発展のためには必要だと思っていることもあり、本間正巳様のその発言に心の中で強く共感したことを思い出します。
昨日の葬儀の後、フリーの時間ができたので、前から行ってみたかった「鰊王」青山留吉の本邸を遊佐町青塚に訪ねました。その後、昼ごはんを遊佐町「道の駅鳥海」でたべたのですが、食堂に入ったとたん、その食堂が本間市長と最後にお会いした場所であることに気づきました。
以前事務所のものと2人で食事をしていたら、横をきちんとした身なりをされたかたがたの集団が通り抜けていきます。その中に本間市長がおられました。私がご挨拶をしようと、食べていた丼をあわてておいて立ち上がると市長が近づいてこられ「よろしく頼みますよ」と私の手を強く握られました。その翌日かよく翌日です。市長が検査入院をされたということを知りました。
そのときと同じ、「うにいくら丼」を食べながら、今日この道の駅に来たことにも不思議な因縁を感じざるを得ませんでした。本間市長が愛してやまなかった酒田のために、何かほんの少しでもお役に立てることができればよいなと改めて思う次第です。合掌。
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