地域風景をデザインする
2020.02.11
東北公益文科大学大学院
高谷時彦
1.はじめに
2.瀬戸内時代:四国高松のこと
3.大学・修業時代
(1)都市工学科
(2)槇総合計画事務所
(3)二人の先生から学んだこと
①都市空間は人々の小さな営みの集成であること
②設計とは思考すること、設計を通して都市を学ぶ
③歴史の審判に耐える一貫した姿勢:設計者の倫理
4.独立・試行時代
(1)大学つながりでの駆け出し
(2)自分の設計のスタート
(3)再び大学とのかかわり
5.庄内との出会い
(1)木造建築との出会い :構築することを通して空間を構想する
(2)歴史的建築との出会い:時の中に自分の設計活動を位置付ける
(3)職人との出会い:確かな実在感の獲得
(4)庄内の持つ可能性
6.終わりに:地域風景をデザインする
(1)地域風景とは
(2)人の手がより加わった地域風景:まち並み
(3)地域風景をデザインする
(continued)
6.終わりに:地域風景をデザインする
(1)地域風景とは
さて私のレクチャーも最後の章になりました。
先ほどから、庄内という地域という言葉を何度も使っています。私は庄内に来るようになって、初めて地域性やその土地独自の風土という言葉、その意味を実感するようになりました。こんなにも厳しい気候、こんなにも崇高な山の姿、人々の歴史意識、戦争というと戊辰戦争を浮かべるという歴史意識を私は初めて経験しました。また文学というと高山樗牛。渋いですね。滝口入道を読みましたが、いわゆる漢文の美文調。難しいですね。こういうものに親しんでいる人々が暮らしているコミュニティがあるということは大変驚きです。
自然や気候条件のもとで、土地に根差した人々の営みが、長く積み重ねられることで、地域性や風土ができていきます。地域というのは物的な環境でもあり、社会経済的な環境でもあり、人々の暮らし方そのものでもあるといえます。その地域らしさのあらわれたものが地域風景だと思います。
言い換えてみます。人の顔というものは、基本的には共通性が多いのですが、それでも少しずつ異なる目鼻立ちと、表情があります。同じように地域にも目鼻立ちと表情があります。景観という言葉がありますがそれはどちらかといえば目鼻立ちのことだと思います。目鼻立ちはそれぞれに違いますが、表情を伴ってこそその人の個性が表現されます。都市や地域に当てはめると、目鼻立ちに表情が加わったもの、それが風景だと思います。時間とともにその地域らしい個性やらしさが出てきます。それが地域風景です。このスライドのように庄内平野には独特の風格と崇高な雰囲気を持つ個性的な風景があります。一枚は私の生まれ育った地域の写真ですが、明らかに違う風景、風土を感じます。
(2)人の手が丹精を込めて作った地域風景:まちなみ
人の手が丹精を込めてつくり出した風景の一つがまち並みです。庄内には忘れられないまち並がたくさんありますが、一例として、みなさんのお手元に羽黒手向のドキュメントがあります。表に現在のまち並みのこと、裏側に今地元の皆さんと取り組んでいるまち並み修景の内容が書いてあります。
最近京都の大学のH先生からのもとめに応じて、このまち並みを紹介させていただきました。引用いたします。
出羽三山信仰の宗教集落、手向(とうげ)の雪は深い。修験者/山伏の住居であることを示す立派な抜き通し門が半分以上雪に埋まっている。温暖な瀬戸内で生まれ育った私には、想像もできない厳しい暮らしである。
手向集落でも里からくる修行者である道者を迎えいれる宿坊を営む人は少数となった。多くの人がサラリーマンとなっている。しかし雪の少ない平地に降りずここに暮らす意味は何か。それは、羽黒山と共にあるという拭うことのできない自然に身についた感覚であり、山伏としての修行、祭りや集落の行事を通して修験道を千数百年守ってきた誇りである。
誇り高い山伏のまち・・・まち並みはその営みの集団的な記憶を表現している。
庄内に関わるようになり、私の中には手向のまち並みのような大事な守るべき地域固有の風景が、どんどん蓄積されていきました。これまたお恥ずかしい話ですが、正直なところ、なくしてはいけない地域風景があるということは庄内に来て初めて心から思うようになりました。
そういう思いがあったので私は今日の最終講義のタイトルをどうしますかと大学院事務室の方に聞かれた時に「地域風景をデザインする」でお願いしますと言ってしまいました。
(3)地域風景をデザインすること
しかし、多くの人々が自然風土の中で作り上げた地域風景を「デザイン」できるわけはありません。ちょっと大それたタイトルをつけてしまいました。私が今の時点で分かっているのは、つくるのは大変だし、方法も確立していない、しかし「壊すのは意外と簡単だ」ということです。怖いのは私たちの、まちづくり活動や設計活動が結果として「壊す」側に加担してしまうことです。
大谷先生の言葉が聞こえてきます。全体像やすべての原理がわからないのなら、介入してはならない、少しでも「より確かなもの」に向かって、設計案をつくり、その場所からの応答に耳を傾けなさいという声です。
そういう自戒を込めて、最近ある学術団体の機関誌に次の文章を書きました。
静かなたたずまいと地域社会に根差した人々の暮らしが、途切れることなく続くこの地で建築を作るということは、歴史や 風土との連続性の中で今あるものを尊重しながら、これからの暮らしに必要なものを豊かな構想力と繊細なディテールで丹念につくり込んでいくことに尽きます。それは地域固有の風景にさらなる深みと「らしさ」を与えることにつながるはずです。
私たち人間は環境や風景との応答の中で自己形成を行う生物であり、環境や風景が安定した姿を保てないときに、よりどころを失ってしまいます。しかしその安定は不断の代謝、更新から成り立っていることも忘れてはなりません。環境を構成する一つ一つの建築が、地域の文化や風景にしっかりアンカーされることを心掛けながら、時代の新しい課題に答える自由な構想力を表現したいというのが私のかわらぬ思いです。
要するに、地域風景を「デザインする」方法を見つけるまでは、地域風景に十分な敬意を払いながら丁寧に思慮深く関わっていこうということです。これが今の私の到達点です。まだまだ低いところにいます。今日の話は決して遺言ではありませんで、私への課題を整理したようなものです。まだまだ頑張ります。
最後になりますが、ここまでこられたのは本当に皆さんのおかげです。会場にお越しの皆さん、こういう場を用意いただいた東北公益文科大学、大学院の皆様、ともに活動した高谷研究室の仲間たち、多くの修了生の皆さん、クライアントの皆様、モノづくりの真剣さを見せてくれた現場の皆さん、地域で支えてくれた多くの皆様、本当にありがとうございました。
ご清聴ありがとうございました。
(あとがき)
上記の文章は、最終講義(2020.02.11)の原稿から、個人名や下手な冗談などを削除して作成したものです(2020.02.16)。今読み返してみると、「公益」についてひとことも触れていないことに気付きました。言い訳になりますが、地域の自然、歴史や文化に学び、それらをレスペクトしながらまちづくりを研究し、実践すること・・・そのこと自体が公益的な活動だったのかなと思っています。皆様の御高見を賜りたいと存じます。
高谷時彦 建築・都市デザイン
Tokihiko Takatani architect/professor
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