アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

山小屋回顧録

2023-12-12 06:47:00 | Weblog
 長男が生まれて三か月のとき、田中邦衛さんが大好きな敏美さんが、絶対に見たいからと言ったドラマが「北の国から」でした。晩10時から始まるこのドラマを、長男を寝かしつけながら、オッパイをあげながら、欠かさず見て、引き込まれたのは私の方でした。
 妻に裏切られ、子どもの純と蛍と共に故郷富良野に舞い戻ってきた五郎(田中邦衛さん)。
 かつて住んでいた家は廃屋同然。電気も水道もない。その家を親子3人で建て直していく。初め、そのやり方に批判的だった純も、壊れた壁を直し、沢から水を引き、日雇い仕事に出ていく五郎を少しずつ理解していく。
 蛍は五郎が母と別れた原因を知っていて、五郎に常に寄り添うのだが、母を慕う気持ちを抑えている健気さが、可哀想でたまらなかった。
 「北の国から」は半年で終わりましたが、その後もスペシャル版が放送されて、純も蛍も成長していきました。


 その4年後、次男が生まれたとき、新聞に「丸太小屋を建てませんか」というタイトルの記事が出ました。そこには、モデルハウスを万博の自然文化園内で組み立てます、とも紹介されていました。
 自宅からすぐの万博公園だったので、興味半分で見に行くと、丸太が数段積まれた小屋作りの途中作業状態があり、のみでコツコツと太鼓びきの丸太を削っている人がいました。
 その人から、「和歌山県九度山中小沢」に山の田んぼ跡があり、そこの土地を分譲して、ログハウス村をつくる計画がある」ことを聞きました。

 のみの作業を見てると、私にもできそうな気がしました(実際にはそう簡単にはいかない😂)。

 「北の国から」の世界が現実になるような気がして、もうやりたい衝動を抑えることができなくなりました。

 その後、現地に行くと、かなりの山奥でしたが、突然、田んぼ跡が現れ、その一番上に一軒だけログハウスが建ってました。


 ログハウス村の分譲計画は、田んぼ跡と山が合わせて約5000坪あり、田んぼ跡を35区画に分け、同じく山の土地も35区分し、セットにして分譲するというものでした。つまり小屋は田んぼ跡にしか建てられないのですが、敷地は山も含めてあるので、そこに建てるには山の土地も買うことになるというものでした。

 その後、購入希望者が集まっての説明会があり、田んぼ跡の35区画は抽選でした。
 購入金額は坪1万円。かなりぶっちゃけな計算ですね。結局、私は12坪の田んぼ跡と100坪を購入することとなり、112万円で田んぼ跡と山のオーナーになりました。


 いよいよ小屋作り。使うのは太鼓びき丸太。杉の間伐材の丸太の上面と下面をカットして平らにして、厚さを揃えたものです。丸太の長さの規格は、3m、4m、6mの3種類です。小屋の多くは縦が4m、横が6mの丸太で作られていて、私の小屋もその大きさです。

 時間がある休日に通いましたが、結局、屋根がかかるまで足掛け8年近くかかりました。バイクで吹田から通い続けました。
 基礎工事から丸太の削り方、積み方を教わりながら、一人でやりました。
 小屋を建てた仲間たちで自治会をつくり、共同の炊事場とトイレも作りました。村への道路の整備など、村の維持はこの自治会で行っています。


 目指したのは「北の国から」の黒板五郎さんでした。この目標があったから頑張れました。






 今は30年も経った小屋のメンテナンスが中心です。屋根の葺き替えを考えていますが、いつになるやら。もう屋根に上れなくなる年齢が来ているかも知れません😅



 でも、仲間がいます。
 笑え合える、一緒に頑張った仲間がいます。仲間と山小屋が私の財産です。

 

 

 
 
 
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