へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

「泣く」ということ

2010-08-08 08:53:06 | 日々雑感
 自分が泣きたい時に泣いてますか?思いっきり・・・

 よく、笑いの効用は耳にしますが、「泣き」の効用を耳にすることは、ほとんど無いと思います。でも、泣くのをガマンすることによって、ストレスやウツを引き起こすことにもなるので、泣くことをガマンしてはいけない。なんてことを最近何かの記事で読んだ。

 私は結構、泣きたい時に思い切り泣く方だ。小さい時、音に敏感だった私は、当時のバスのブザーの「ブー」という品のない音が大嫌いで、次の停留所をアナウンスした後に聞かれるあのブザーが鳴るたびに大声で泣いていた。それくらいキライな音だったのである。

 大人になってからは、大事な試験で失敗した時、自分では120パーセントの力で望んだのに合格できなかった時、ココロをぶるける場所がなく、大声出して思い切り泣いた。

 最近では、レーシック手術の直前の検査で、医師が下した最終判断「手術にはリスクが伴い困難」との結果に、それまで手術後の裸眼でモノを見れる喜び、メガネやコンタクト無しで水陸両用自由に飛び回れることを思い描いていただけに、ショックは大きかった。空中から思い切り地上にたたきつけられたカンジだった。必然的に涙がこぼれ、待合室で人前はばからず大声出して泣いた。トイレに入って押し殺すようにして泣いたが、結局おさまらず、熊本の町を人目をはばからず泣きながら歩いた。このことをブログに書いたら、長崎のランニング仲間が心配して夜中に電話してきた。つい最近の話である・・・(その後は、メガネの生活にも慣れ、フィットネスは勿論、スイムランの大会でも、海から上がったトランジットエリアにランニングシューズと一緒にメガネを置いて、度付きゴーグルと交換している。わずか0.何秒のロスタイムである。)

 思うに、自身の力ではどうしようもできない、そうとわかっていても何とかしたい、でもするすべが無い・・・と悟った瞬間、泣きたくなって涙が出るのだと思う。涙は流した方がいい。ココロの潤滑油である。私の場合、流すだけでは気がすまず、大声を辺りにまき散らすが、おそらくこれは自分が困っているんだ、ということをアピールしたいのかもしれない。

 そうだ、アピールだ。ものごころついた頃、外で一人で遊んでいて、コンクリートの物体の上から飛び降りたとたん、地面に釘のささった板があり、不幸にして私の右ヒザにささった。(今でもこの傷はあるが・・・)あまりの痛さに、というよりむしろ、早く母親に助けに来て欲しいという一心でありったけの声を上げて泣いたのを覚えている。結局、裏の家のオバサンが気づいて母親に連絡してくれたのだが・・・

 大阪の虐待事件で死亡した二児も「いつかこの状況から自分たちを解放しにお母さんが来てくれる・・・」そんな思いでありったけの力を振り絞って泣いたのだろう。残念ながら、泣き声は届いても助けに来てくれる人はいない世の中になってしまったが・・・

 豊富なボキャブラリーを持たない乳幼児にとって「泣く」ということは「笑う」のと同様、重要なコミュニケーション・スキルである、ということを忘れてはいけない。 
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