「つきかげ」
昭和二十三年
にひ米を搗きたる餅(もちひ)あひともに食(を)せとしいへば力とぞなる
雪のうへに立てる朝市去年より豊かになりてわれ釘を買ふ
上ノ山の山べの泉夏のころむすびたりしがわかれか行かむ
充ち足らふ食(しよく)にあらねど食(く)ひてのち心を据ゑむ年あらたにて
日本の漁船活動のもとゐなる石油すらも湧きいでて來ず
さはしたる柿のとどけばひとつ食ひにけり東田川(ひがしたがは)のをとめおもひて
肉厚き鰻もて來し友の顔しげしげと見むいとまもあらず
豚(とん)の肉うづたかけれど「食はざればその旨(うま)きを知らず」噫
米粒(べいりふ)は玉のごとしといへる句も陳腐といはばわれは默(もく)せむ
現實(げんじつ)は孫うまれ來て乳(ちち)を呑む直接にして最上の春
いぶくごときしづけさなるかこの河の二百萬の放魚(はうぎよ)はてたるときに
東京の春ゆかむとしてあらがねのせまきところに麥そよぎけり
かみつけの山べの●(たら)はみつみつし吾にも食(を)せともてぞ來(きた)れる
(●は常用漢字に無し)
納豆は君が手づからつくりしを試みよちふことのゆたけさ
ほそほそし伊豆の蕨も樂しかりわが胃の中に入りをはりけり
やまがたの最上こほりの金山(かなやま)の高野蕨(たかのわらび)もこよなかりけり
羽前より羽後へ越えむとする山の蕨をつみてわれさへや食(は)む
おそらくは東北縣(とうほくけん)の米ならむ縁にかがみて籾(もみ)選りゐるは
供米をかたじけなしと言ひにけり粗(あら)を選りつつ粗を噛みつつ
味噌の香を味ふなべにみちのくの大石田なる友しおもほゆ
かしの實のひとり心(ごころ)をはぐくみてせまき二階に老いつつぞゐる
カストリといふ酒を飲む處女子(しよぢよし)らの息づかひをも心にとめず
ありさまは淡々(たんたん)として目のまへの水のなぎさに鶴(つる)卵をあたたむ
鰻の子さかのぼるらむ大き川われは渡りてこころ樂しも
黄になりて梅おつるころ遠方にアラブ軍師團ヨルダンわたる
紅梅の實の小さきを愛せむとおり立ち來たりわれのさ庭に
くれなゐににほひし梅に生(な)れる實は乏しけれどもそのかなしさを
人に醉(ゑ)ふといふことあれば銀座より日比谷にかけてわれ醉ひにけり
大石田に飯(いひ)くひに來よと君いへば行かむ術(すべ)もが晝の汽車にて
しらたまの飯(いひ)をみか腹満つるまで食ひての後にものを言ふべし
カブタレの餅(もちひ)もことをわれ書きぬ縁(えにし)ありたることをよろこぶ
三椀(さんわん)の白飯(しらいひ)をしもこひねがひこの短夜(みじかよ)の明けむとすらし
ある時の將軍提督の如くにも四椀(よんわん)といはばこの世のことならず
人の世の鰻供養(うなぎくやう)といふものにかつても吾は行きしことなし
隣人のさ庭にこごる朱(しゆ)のあけの柘榴(ざくろ)のはなも咲くべくなりて
汗垂れてわれ鰻くふしかすがに吾よりさきに食ふ人のあり
今ごろになればおもほゆ高原(たかはら)の葡萄のそのに秋たつらむか
山の家に次男ともなひ吾は來ぬ干饂飩(ほしうどん)をも少しく持ちて
早川のにあぎとへる鰻をもかくのごとくに消化せむとす
栗のいがまだ小さきが見えて居りそれに接して直ぐ葛(くず)の花
銀杏がおびただしくも落ちてゐるみ苑(その)をゆけば心たひらぐ
ひと老いて何のいのりぞ鰻すらあぶら濃過(こす)ぐと言はむとぞする
春さむくわが買ひて來し唐辛子ここに殘りて年くれむとす
香の物噛ゐることも煩(わづら)はしかかる境界(きやうがい)も人あやしむな
西方の基督國の人々も新年めでたと葡萄の酒を飲む
味噌汁は尊かりけりうつせみのこの世の限り飲まむとおもへば
おそらくはこの心境も空しからむわが食む飯(いひ)も少なくなりて
もろびとのふかき心にわが食みし鰻のかずをおもふことあり
新年にあたたかき餅(もち)を呑むこともあと幾たびか覺めておもへる
たかむらの中ににほへる一木(ひとき)あり柿なるやといへば「應(おう)」とこそいへ
勝浦に君ゐしときのことおもふその朝飯(あさいひ)もその夕飯(ゆふいひ)も
食日記(しよくにつき)君の記せるをわれは見て仰臥漫録おもひてゐたり
日をつぎてうまらに君の食(を)すきけば君の癒えむ日こころ待ちどほし
朝な朝なわれの樂しむ汁の味噌を大石田なる君がおくりぬ
最上川に住むうろくづもしろじろと雪ふるときはいかにかもあらむ
しも河原に薔薇の實あかくなるころを幾たび吾はもとほりけむか
きさらぎにならば蕗の薹も店頭に出づらむといふ心たのしも
昭和二十四年
新年といへば何がなく豊かならずや銀杏(ぎんなん)などをあぶり食(は)みつつ
けふ一日(ひとひ)心おちゐて居りにけりヴイタミンの液も注射せざるに
温泉のうしろの山に毬(いが)ごもり赤き栗の實おちたるも好し
藥物(やくぶつ)のためならなくに或宵は不思議に心しづかになりぬ
あらたまる年のはじめに平和(たひらぎ)の心きはまりて飯(いひ)はむわれは
いく藥(ぐすり)つぎつぎに世にあらはれて老(おい)の稚(をさな)のいのち樂しも
あひともに人勵むとき最上川にひそめる魚もさをどるらむか
わきいづるきながれに茂りたる芹をぞたびし食(を)したまへとて
牛(ぎう)の肉豚(とん)の肉をも少し食ふ人に贈らるるかたじけなさに
をとめ等が匂ひさかえてとどまらぬ銀座を行けど吾ははなひる
わが生(せい)はかくのごとけむおのがため納豆買ひて歸るゆふぐれ
山形のあがたよりくる人のあり三年味噌を手にたづさへて
どくだみのこまかきが庭に生えそめぬ人に嫌はるる草なりながら
老殘を退屈ならずおもへども春川(はるかは)の鯉みむよしもがも
山もとに生ふる蕨をもらひければはやはや食はむわれひとりにて
われの住む代田(だいだ)の家の二階より白糖(はくたう)のごとき富士山が見ゆ
よもすがら君安寐(やすい)すといふゑにうまらにか食(を)す朝の麥飯(むぎいひ)
梅の實の落ちゐたる下陰にいくたびか行きし疎開の時は
朝々に納豆を買ひて食(は)むこともやうやくに世の回復のさま
秋田あがた山形あがたの納豆をおくり來(きた)りぬ時には汁にもせよと
けぶりたつ淺間の山の麓にてをだまきの花見つつか居(を)らむ
麥の秋に近づくらむか麥飯(むぎいひ)をくはずしばらく我は過ぐれど
櫻桃の花白く咲く頃ほひを哀草果らはいかにしてゐる
この家の雨の沁まざる軒(のき)したに殘りてにほふ檜あふぎの花
山家(やまが)なる庭に穴ほり玉葱の皮など棄ててわれ住みはじむ
わが次男に飯を焚かしめやうやくに心さだまるを待ちつつぞ居る
トマト賣りに來(こ)し媼(おうな)あり今朝あけがた村を出でぬと笑みかたまけて
今ゆのちいくばく吾は生くらむと思ひつつ三島(みしま)の納豆買ひつ
十餘年たちし鰻の罐詰ををしみをしみてここに殘れる
大石田おもひすごせば幽かなる木天蓼(またたび)の花すぎにつらむか
朝飯(あさいひ)をすまししのちに臥處(ふしど)にてまた眠りけりものも言はずに
茄子うりに來し媼より茄子を買ひ心和ぎつとたまたまおもふ
竹行李(たけがうり)くふ昆蟲のひそめるをつひにとらへて保護しつつあり
桃郷(たうがう)の桃といひつつ君たびぬ紅(あけ)のとほりてきはまりけるを
野いちごを摘みつつ食ひぬ七十に近き齡にわれはなれども
少年の時せしごとくかがまりて路傍のいちごつみ取りて居る
たたかひのはげしきあひだ飼はれゐて生きのこりたる猿蠅を食ふ
さ霧だつころとなりける強羅にて氷(こほり)食はむと吾はおもひき
焜爐(こんろ)の上に藥缶ぽつねんとかかりたるわが住む家はあはれ小さし
烏賊賣りに人來れどもわれ買はず二十年間魚賣りに親しみなく
八月も今し盡(つ)きむと山家(さんか)なる雨のゆふぐれ次男炊事をする
豪雨ふる山の家にて炭火ふくわが口もとを次男見てゐる
豚(とん)の肉少し入れたる汁つくりうどん煮込みたり娘とともに
われひとり山形あがたの新米(にひごめ)を食ふよしあらば食はむと思ふ
戰後派の一首の歌に角砂糖の如き甘きもの少しありたり
秋の丘に整理されたる畑(はたけ)ありきにとなり大根の列(れつ)々(あをあを)
新しき時代たふとくけふの契りいよよたふとく咲けのみ祝がむ
昭和二十五年
われつひに六十九歳の翁にて機嫌よき日は納豆など食(は)む
苦蟲(にがむし)をつぶしし如き顔のもち主もゑみかたまけて餅(もちひ)をも食(は)む
みちのくより百合の根をわれに送り來ぬ大切にしまひ置きたるものか
場末をもわれは行き行く或る處滿足をしてにはとり水を飲む
この身一つさへもてあますことのありある時はわが胃ひもじくともな
朝食をすましたる後におもひいづ昨夜地震のありたることを
魚(うろくづ)は一つも居らずなりたりとわれひとりごつ廢園の池のみぎは
店頭に蜜柑うづたかく積みかさなり人に食はるる運命が見ゆ
孫ふたりわれにまつはりうるさけど蜜柑一つづつ吾は與(あた)ふる
三月の木(こ)の芽を見ればもろもろのいのちのはじめ見る心地して
身みづから飯(いひ)をかしぎて命(いのち)のぶる人あるものを何かかこたむ
園いでてかへりて來ればいちじゆくの熟せる果(このみ)の觸覺あはれ
かにかくに吾の齡(よはひ)も年ふりて萬年(おもと)の玉にしぐれ降りくる
春風がたえまなく吹き蕗の薹もえたつときに部屋に塵つもる
片づけぬくくり枕より蕎麦がらが疊のうへへ運命のこぼれ
臥處(ふしど)には時をり吾が身臥(ふ)せれども「食中鹽(しほ)なき」境界(きやうがい)ならず
をさな兒と家をいでつつ丘の上に爽(さわ)やぐ春の香をも欲する
わが生(せい)の途上にありて山岸の薔薇の朱實(あけみ)を記念したりき
一月の二十一日深谷葱(ふかやねぎ)みづから買ひて急ぎつつをり
肉體の衰ふるとき朝食後ひとりゐたるがものおもひなし
籠の中の蜜柑をひとり見つつをり孫せまり來(こ)む氣配もなきに
捕鯨船とほく南氷洋に行きたるが今や歸らむ時ちかづきぬ
下仁田の葱は樂しも朝がれひわが食ふ時に食み終るべし
蕗の薹味噌汁に入れて食はむとす春のはじまりとわが言ひながら
わが庭の梅の木に啼くうぐひすをはじめは籠の中とおもひき
梅の空しく落つるつかさには蟻のいとなむ穴十ばかり
櫻桃の花白妙に咲きみだれここのにわれは行きつく
左背部に二週このかた痛みあり藥のめどもなかなか癒えず
一顆(ひとつぶ)の栗柿にてもわが胃にてこなれぬれば紅(くれなゐ)の血しほになる
くれなゐの梅のふふまむ頃となりおのもおのもに心のべこそ
睡眠の藥を飲まず臥たりしがあかつきに夢を見ながらねむる
黄卵(わうらん)を味噌汁に入れし朝がれひあと幾とせかつづかむとする
冬粥を煮てゐたりけりくれなゐの鮭のはららご添へて食はむと
内苑の木立のなかにほほの木の若葉の色やしたたるがごと
わがために夜の汽車にてもて來たる秋田の山の蕨し好しも
夏に入るさきがけとして梅の實が黄いろになりて此處に竝びき
ほのぼのと香をかぐはしみみちのくの金瓶村より笹巻とどく
櫻桃の品(しな)よきものが選ばれて山形縣より送り來りぬ
ねむの花あかつきおきににほへるをこの山峽にひとり目守(まも)らむ
茄子の汁このゆふまぐれ作りしにものわすれせるごとくにおもふ
口中が専(もは)ら苦(にが)きもかへりみず晝の臥處(ふしど)にねむらむとする
戰中の鰻のかんづめ殘れるがさびて居りけり見つつ悲しき
くずの花にほひそめたる山峽を二たびわれは通らむとする
みちのくの藏王の山が一等に當選をして木通(あけび)霜さぶ
川原ぐみくれなゐの色あざやかになりてゆく時いのち長しも
いちじゆくの實を二つばかりもぎ來り明治の代のごとく食(は)みけり
あけびの實我がために君はもぎて後そのうすむらさきを食ひつつゐたり
柿の實の胡麻(ごま)ふきたるを貰ひたり如何なる柿の木になりたる實か
くれなゐの木(こ)の實かたまり冬ふかむみ園の中に入りて居りける
銀杏(ぎんなん)のむらがり落つる道のべにわれは佇ずむ驚きながら
枇杷の花白く咲きゐるみ園にて物いふこともなくて過ぎにき
冬の魚くひたるさまもあやしまず最上(もがみ)の川の夢を見たりける
大栗の實をひでて食(は)まむとこのゆふべ老いたるわが身起きいでにける
わが家の猫は小さなる鼠の子いづこよりか捕へ來(きた)りて食はむとす
みちのくのわが友ひとり山に入りきのこ狩りせし後の話す
わが家の猫が庭たづみを飲みに來て樂しきが如しくれなゐのした
若草のいぶきわたらふ頃ほひに大野を越えてわれ行かむとす
昭和二十六年
枇杷の花冬木(ふゆき)のなかににほへるをこの世のものと今こそは見め
うめのはな咲きのさかりを大君のみことのまにまよろこびかはす
松島のあがたに生くる牡蠣貝(かきがひ)を共にし食(く)ひて幸(さいはひ)とせむ
冬川の最上の川に赤き鯉見えゆくときぞこころ戀(こほ)しき
小田原の蜜柑をわれにたまはりぬたまはりし人われと同じとし
梅の花咲きみだりたるこの園にいで立つわれのおもかげぞこれ
梅の實の小さきつぶら朝々の眼に入り來(きた)る東京の夏
昭和二十七年
ゆづり葉の紅の新(にひ)ぐきにほへるを象徴として今朝新たなり
濱名湖の蓮根をわれにおくり來ぬその蓮根をあげものにする
梅の花うすくれなゐにひろがりしその中心(なかど)にてもの榮ゆるらし
原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年)