「橙黄」
乾燥野菜木屑のごとくちりぼひぬ嚴かならむ冬に入るとて
徑五寸の胡桃がき樹液ふきたふれしときに動きし嗜虐よ
炭、栗、鹽、蟻のごとくに運びきてわが體力をひそかに養ふ
南瓜の種煎りて與ふる夜長なりさびしきいくさのことは銘せよ
室(むろ)の戸をわづかにずらし温(うん)氣あがる馬鈴薯(いも)よたしかに生きてあるなり
かけ梯子下りてしばらく眺めをり幾千の藷の呼吸(いき)をするかほ
凍みキャベツころがる土間に踏み入りしこの山男まなこするどき
たまさかにわが手に入れしけだものの肉割きて焙るその赤き肉を
わがまぶたうるみてあらめこの男の子十二の食のすでにたくまし
わが少年水汲みにゆく谷の隅樺(かんば)は骨(こつ)のごとくに立てり
凍みし菜に熱湯(にえゆ)をかけるむざんさもゆるされてあり生きを欲る日は
菜の花の染(し)むがに黄なる色を戀ふ飲食(おんじき)もとむる切なさに似て
寒冷にこころひしがれ坐るとき賜ひし茨(うばら)の蜂蜜(みつ)の瀞(とろ)みよ
三月の凍みややゆるむ泥濘に鍋釜負ひて山を下れる
(獻納)
あけびの蔓手探り點(つ)くる竈(かま)のうち直(すぐ)立つ尺の焔鮮し
齒朶の芽の足(あ)うらにぬくむ沼(ぬ)の邊(へ)ゆき身ぬちに兆すけものの飢ゑあり
ばぜりといふはかなき芹を摘める沼(ぬ)よガラスのごとく早春(はる)はひかりて
室(むろ)明けて萎(しな)びし馬鈴薯(いも)を陽に曝す幾月もたさむ打算をもちて
茶の葉はりはりと噛みてビタミンの飢ゑを充たすと思ひし日ありや
雨ふれば硫氣を含む水ながら愛(を)しみて飲めりひと息にして
山麓の痩せ地はトマトも酸漿(ほほづき)も色づかぬまま秋に入るべし
杉菜さへ食さむと勢(きほ)ひし季(とき)過ぎぬ硬ばりてゆく山草の莖
敗戰が實感となるにはまだ遠し先は考へむ飲食(おんじき)のこと
訪ねきし農家のひとら皆ねむるみのり遲き南瓜の黄なる花群(むれ)
時計一つ米と替へたり粉ぬか臭き八貫の米が肩に喰ひ入る
干魚商人(ひをあきんど)桶職人など次々に山越えて入るの秋に
凛々(りり)として赤花(ばな)ひらく豆のあり輕石混りの山の畑の背
糧(かて)負ひて三里の道を歩むときまがなしく襲ふこころの餓ゑは
追分を西に越ゆれば實りひろきあたたかき田のたむろせるみゆ
わが棲める礫土に穫(と)れぬさつまいも香ぐはしみ食ふ知れる農家に
早成りの小豆二升を包み呉れし日灼け額(ぬか)をわするべからず
一晩に何畝の甘藷(いも)を流せりと燈(とう)なき車内にひしめく人ら
萎(しわ)びたる木の實も地(つち)に落つべしと一夜の霜の山禽(どり)のこゑ
禁斷の木の實をもぎしをとめありしらしら神の世の記憶にて
夜の葡萄唇(くち)にふれつつ思ふことおほかたは世に秘すべくあるらし
秋の虻うなりかすかにをさめたり季(とき)すぎしぶだうのき房の上
ソ聯参戰の二日ののちに夫が呉れしスコポラミン10C.・C掌にあり
致死量の目盛りを示し夫の瞳瞋(いか)りのごとくはげしかりにし
アムプルは石に砕けてやがて乾(ひ)む冬近む草の冽(きよ)き日のなか
十月の地軸しづかに枝撓(たわ)む露の柘榴の實を牽きてあり
秋の蜂柘榴をめぐり鋼鐵のひを含むけさの空なり
禮(ゐや)をつくし相語らばや放膽(ほうたん)にはぜし柘榴は陶(すえ)に置かれつ
ひややかにざくろの傳ふる透徹を掌(たな)そこに惜しめこころゆくまで
とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ
電車淡く燈(とう)を點して高架ゆくわれも饑(ひも)じきそのひとりにて
アムプルをけふもしづかに截(き)る夫よ干反る落葉の吹き寄りし窓
敗戰のけだるき記憶に繋がらむりんごの歌をうたふラヂオよ
吹きとほしに燒たる隣接(となり)の町にはやバラック建てしは飲食店のたぐひ
亂醉(らんすい)のこゑしづまりし低き屋根に月のぼるなり光するどく
南氷洋の鯨を食(を)しし口臭のしみじみと顯(た)ちしぐれする夜をあり
わが脾胃よ饑(ひも)じくなりぬ智惠をあさるさびしき書(ふみ)を累々と積み
熱ばみしたなうらに觸れしひと房のぶだうをむさぼりやがてふかぶかとねむる
彫(ほ)り淺き街に沁み入るしぐれ明(あか)ししらしらとして貝をひさげり
昆蟲の蜜吸ふごとくをとめたち更けし茶房にストローを吸ふ
すがれ菊しくしくふ燈の消えし廚の隅にもの煮るゆふべ
早春のレモンに深くナイフ立つるをとめよ素晴らしき人生を得よ
すの立ちし津輕の林檎齒に立てて智惠なき顔もときに曝さむ
會直前にビタミンを打つ老女史の顔を凝視(みつ)めをり息ふかく呑みて
(ある發會式に)
そらまめの花のふふめる街(まち)畑に口笛を吹くか十四のをとめ
「道標」の女主人公(ヒロイン)を嫉(そね)みひと日あり黄の忍冬(すひかづら)強烈にふ
夏柑の濃きひと群(むら)に陽のあたるしづかにするどき丘のなだりよ
牛乳と甘藍を積みしトラックが今動き出すエンジンの音
肝を病みていませる父をむづかしと一言ぽつりと夫が云ひし朝餉
(亡父遺愛の軸、横山大観氏作「暮色」に寄す)
き牛暮色のなかにあるいのちもの食みてをりあはあはとして
アカシヤの蜂蜜(みつ)を膚(はだへ)に塗りて寢る小さきおごりはこの山にあり
盛夏十五度けざむき朝を飲食(おんじき)のすすむと云はばはばかりあらめ
ガラス戸にフラッシュなせる稻づまのなかなる林檎と我れの片顔(へんがん)
樺の實はく垂れをり忘るべきことの一つはより鮮明に
毒ぜりの花撒形に霧の夜のダムを落ちゆく水の音あり
野葡萄に山の薄ら陽こぼれきぬ云ふべきことのいまは少し
熟れ切らぬ無花果の實のあまた落ち泥土は乾く惡氣を吐きて
きぶだう、きぶだうと重ね賣る濁水に洗はれし町角にして
水漬(づ)きたる甘藷(いも)を賣りいそぐ裸燈あり大き蛾ひとつ羽搏ききたる
カルキの香けさしるくたつ秋の水に一房の葡萄わがしづめたり
ヘルクレスの肉(しし)の隆起もつ林檎の肩燈に恍惚(みと)れありしばしのわれが
陶(すゑ)に落つるひとつ林檎のき影セザンヌ畫きし林檎にはあらで
卵黄を白飯(いひ)に落すならはしのまた復(か)へりきて冽き秋日(しうじつ)
一本の煙草に火を點けさて云はむことのしだいをひそかに整理す
みかんてのひらに乗せて去りし子よこの部屋の空気の重壓(じゅうあつ)は知るらし
みかん山みかん背負ひて人去りぬきるぎしを洗ふ波の音きこゆ
わが脈搏しづかにうてり柑橘をもぎをへし丘の斜陽あるなか
航空路といつかなりゐつ背(せな)丸く入海を抱くこの蜜柑山
酸性土壌きらひて育たぬ冬菜のむれひとたむろみゆわが廚より
ひとひらの冬梨(とうり)をむさぼる四十度の意識に兆し不敵の恣意あり
去年(こぞ)採りし銀杏(ぎんなん)の箱をとりいだすかそかに春と名のつかむ宵
をとめが煮る牛乳(ちち)の沸(たぎ)りの泡こまかゼラニュームはあかき蕾をほぐす
キューバの砂糖小瓶(をがめ)に充つるさきはひをいはばいからむ人もあるべし
いくひらかの赤い蕪(ビート)をサラダに置きわが忘れゐし誕生日を祝ふ
燒林檎の酸き香ただよふ地下食堂授乳を了へてやさしき母ら
原色の濃き雛菓子を燈にひさぐあはあはと遂にかなしきごとし
寸ばかりの蓬(よもぎ)を摘むとペンだこのぶざまに高くなりしおゆびが
菜畑のあひにトロッコを押してゆくをみなよ赤きししむらを持てり
春草に體(たい)を崩さずしばし坐る土壌の香なきわが肉體が
酵母のごとく膨るる雲あり原始なる土の露(あら)はにある丘の上
斑病に罹りし藷を少し腐らせゆとりありげのこの春のくりや
紡錘形のレモンが二つポケットにあり手觸(たふ)りつつゆくことのたのしさ
鮮黄のレモンを一つ皿に置きあさひとときの完き孤りよ
一顆のレモン滴るを受くる玻璃の皿てのひらにあるは薄ら氷(ひ)に似る
柑橘の鋭き香ひびける早春の稀薄の空気いのちを磨(と)がしむ
ことなかりし春日よ長く暮れ落ちず鮮しき蔬菜(そさい)は市(いち)にむらがれり
舅姑の世になかりし亂雜食事あとの皿を舐(ね)ぶれる猫をゆるして
夏柑の粗き膚(はだへ)に爪立つる刹那を兆すふたたびのいかりよ
怒りに乘ずるわが決斷のその素迅さ柑橘の黄のむらむらと濃し
ビタミンの足らざる肉(しし)に針を打つ葉翳(かげ)りつつ水の如き窓あり
わが好む魚を燒かせてゐるひ病めば常凡(じやうぼん)のやさしきうからら
貪婪にいのち惜しみてわがむさぼるあかきトマトと黄なる牛酪(ぎゅうらく)
贅肉のややつきそめし頤(おとがい)を撫でゐる時もみじかくはあらず
柔和なるわれの咫尺(ししゃく)の視野越えて柘榴燃えたつきのふもけふも
七月の空にいのち刻むもの寂々としてざくろは緋なる
緋のざくろ眞盛りとなりし一夜の闇こころ動悸うち思ふことあり
嬬戀農場の甘藍のトラックが峠越すしみみに露に濡れたる車輪
群馬よりもろこしを負ひてきし女ひとくさり語る子の多きこと
溶岩礫(ラババラス)打ちつつ落つるき胡桃火(ひ)山に近きわが夜の家
銅の小さき時計が時刻む怖れよ胡桃は濃き闇に垂れ
(原本 葛原妙子全歌集(二〇〇二年 砂子屋書房))
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