「のぼり路」
昭和十四年 十月以後
天孫(すめみま)の神のみまへにひれふして豊酒(とよき)を飲みぬあはれ甘酒(あまき)を
裏山の徑(みち)をのぼりて木犀の香を嗅ぐころぞ秋はれわたる
おしなべて國分煙草(こくぶたばこ)の名に負へる米葉(べいは)ぐるまにあまた逢うひつも
栂樅(つがもみ)の密林すぎてあな愛(かな)し四照花(やまばうし)の實共にし食へば
大隅(おほすみ)の串良(くしら)の川に樂しみし鰻を食ひてわれは立ち行く
しぐれ降る頃となりつつ植うるもの茄子(なすび)の苗に顔ちかづけぬ
この町に近づきくれば魚の香ははや旅人の心に沁みつ
幾萬を超えたる鰹(かつを)港より陸にあがるを表象とする
こもりづのしづかさ保つさもさらばあれ海のうろくづ此處につどへる
萬里紅(まりこう)の鯉を食はむとわれ餓鬼は石の階(かい)三百三十忽ちくだる
萬里紅の鯉は珍(とも)しもをとめだちかはるがはるに笑みかたまけて
海龜の卵をひさぎ賣るといふこの町なかを歩き見まほし
芋の葉は油ぎりたるさにてこの秋庭(あきには)に我を立たしむ
くれなゐの木の實といふもかすかなる斑(ふ)のあるものと吾は知りにき
ゆくりなく霧島山にあひ見つる四照花(やまばうし)の實をいくつか食ひぬ
むらがりて生(な)れるこの實を小禽(ことり)らが時に樂しむその嘴(はし)のあと
霧島の山のなかなる四照花その實の紅(あけ)をひとり戀(こほ)しむ
けふ一日(ひとひ)砂糖商人と同車して砂糖の話題にも感傷しゐる
昭和十五年
日本産狐は肉を食ひをはり平安の顔をしたる時の間
飲食(のみくひ)の儉約をすといひたてて朝々を一時間餘多くねむる
一つ鉢にこもりつつある蕗の薹いづれを見ても春のさきがけ
十以上かたまりてゐる蕗の薹を冬の寒きに誰か守らむ
十あまり一つ鉢なる蕗の薹おくれ先だつ一様(ひとさま)ならず
五寸あまり六寸あまりに伸びたちて蕗の薹し鉢の眞中(まなか)に
あをあをと冬を越したる蕗の薹彼岸を過ぎて外にもち出す
わが部屋のすみに置きたる蕗の薹をぐらきにかく伸びにつらむか
ひらきたる苞の眞中に蕗の花ふふみそめつつ十日を經しか
蕗の薹の苞のきがそよぐときあまつ光を吸はむとぞする
かたまりて冬を越えたる蕗の薹五寸餘(ごすんよ)のびて部屋中にあり
タイマイといふはタイ國(こく)の米にして心もしぬに其國(そのくに)おもほゆ
六十(むそぢ)なる齡(よはひ)いたりて朝宵(あさよひ)の食物(をしもの)のべに君はしづけく
東北辯の夫婦まうでて憩ひ居り納豆のこと話してゐるも
朝々(あさあさ)に立つ市(いち)ありて紫ににほへる木通(あけび)の實さへつらなむ
しめぢ茸(たけ)栗茸(くりたけ)むらさきしめぢ茸木の葉のつきしままに並(な)めたる
朝市の山のきのこの(かたはら)に小さき蝮(まむし)も賣られて居たり
この市に野老(ところ)を買へりいにしへの人さびて食(は)む苦き野老を
この市は海の魚のいろいろを朝のさやけきままに賣りゐる
この園に鳥海山のいぬ鷲は魚を押(おさ)へてしばしかが鳴く
五つばかり西洋梨をカバンに入れ越後まはりの汽車にまたゐつ
朝飯(あさいひ)をすます傍(かたは)らにわが次男も参拝をへてはや歸りゐる
夕飯(ゆふはん)に會合(くわいがふ)のことも少(すくな)くてわが五十九の歳ゆかむとす
(原本 齋藤茂吉全集第三巻(昭和四九年))