さて、名残を断ち切り、次に向かったのはお隣の中宮寺。
ここには、有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」があります。
二十年ほど前、一人でここに来たとき、この像に惚れたことがあります。
そのときは、シーズンオフの朝一番ということもあり、参観者は僕一人。
それをいいことに、一時間近くこの像の前にいました。
眺める眼は、尊い仏や美術品を見る目ではなく、間違いなく「惚れた女」を見つめるものだったと思います。
あの感覚をも一度味わいたい。そう思って足を運んだのですが。
像は(当然ですが)何の変わりも無くそこにおわしました。
が、妙な違和感がありました。
こんなに、像と隔てられていただろうか?
手を伸ばせば触れられそうな距離だった記憶があるのですが、仕切りや様々な供え物によって、なんだかとても遠いものに見えました。
係のおばさんが、説明のテープを流してくれるのも、正直わずらわしかった。
像の履歴(昔は違うところにこの寺はあったとか、半跏思惟のポーズは衆生を救うため悩む御仏の姿だとか)なんか、この不信心者にはどうでもいいんです。
この女、じゃなかった像の美しさに再び会うためだけに、僕はここに来たのだから。
それでも、やはり美しいものは美しい。
かなう限り近づき、いろいろな角度から像を眺めました。
本当ならずっと居たかったのですが、他の参拝者に迷惑です。
五分ほどでその場を退きました。
またシーズンオフの朝一番に来れば、あの親しさを味わうことが出来るでしょうか。
みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の あさ の ひかり の ともしきろ かも
会津八一