はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

心に残った言葉

2010年03月07日 13時49分59秒 | インターミッション(論文等)

  岡井隆の言葉

《一体定型が定型として生きている場合には、定型が、単に、限定する枠として、重苦しい錆びたタガとして在るのではないのは言うまでもない。詩型は単なる器ではない。内から外へ向う詩精神-ポエジーの遠心力と、外から内へ向って濃縮してくる詩型の求心力とが、一瞬バランスを保つ、この白熱する力学的平衛を定型が可能にする》
(「伴奏楽譜」、『韻律とモチーフ』所収)

《歌人は、表現を、五、七、五、七、七、三十一音の定型の水際まで追い込んでいく努力を、少なくとも一度はしてみた上でなければ、字余りその他の例外を許すべきではないのです》
(「定型の水際まで」、「短歌」昭36・7より引用。後に『現代短歌入門』所収)

《定型は定型をもたぬ場合よりも、作者に自在感を与える場合にのみ生きています》
(同上)

《定型詩型は、つねに、その型へと、あらゆる内容を還元せねばならぬ、集約せねばならぬという意味では、日常語の自然なリズムと闘い、それを断ち切り、また強引に接続するというエネルギッシュな作業を、詩人に要求するものではありませんか。定型は、その意味では、かたちの上から、外から、非日常的な詩の世界を支えるバネ仕掛のワクとも言えましょう》
(「韻と律」、「短歌」昭36・8より引用。『現代短歌入門』所収)

《短歌定型の特徴の一つは、外形上の「約束性」が弱いということである。あるにはあるが、厳然たる規範として臨む、というほどの規制力をもってはいない。発生期において短歌がもっていた、字余り、字足らず等の拍数規約の寛容さ(中略)、また、現代短歌の破調横行の現況をみれば、そのことは明らかである》
(『短詩型文学論』)

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『佐々木幸綱の世界7 評論編2』(河出書房新社)より孫引き。
〈定型〉に関する岡井語録の数々。

定型、って、なんだろう?