正さん日記

世の中思いにつれて

上方落語の第一人者、三代目桂米朝さんが死去

2015-03-22 16:44:50 | 社会

 

 3月19日、上方落語の第一人者、三代目桂米朝さんが肺炎のため89歳で死去した。芸風と同じく、旅立つ姿もまた、端正だったという。眠るような最期を見守った弟子の桂ざこばさん(67)は、記者会見で「亡くなるとは、こんなきれいなもんか」と号泣した。

 三代目桂米朝さん(本名、中川清)は、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われている。1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。

 米朝さんは、旧関東州(満州)大連市生まれ、旧制姫路中学(現在の兵庫県立姫路西高等学校)卒業後、1943年、大東文化学院(現大東文化大学)進学のため上京。在学中、作家であり落語・寄席研究家でもある正岡容(蓉)(まさおか いるる)主催の珍しい落語会を見たことを機に正岡に入門。正岡一門の一番弟子となった。正岡を通じ5代目笑福亭松鶴や、大阪の映画館主の息子であった矢倉悦夫と知り合いとなり人脈を広げた。

 一方、多くの弟子を育て、長男の5代目桂米團治もその一人だが、特に初期の弟子には月亭可朝、2代目桂枝雀、2代目桂ざこばなど異能派の人気落語家を育てた。これらの落語家は自身とはかけ離れた芸風だったが、かつては芸に厳しく怒鳴ったり、鉄拳なども出ることがあった。しかし、近年は大きな包容力で一門を育て上げたとのことだ。

 89歳の死は大往生と言っても差支えないとは思うが、その人柄、多彩で品格ある噺をもっと長く聞いてみたかったファンは上方に限らず日本中に数限りなくいるに相違ない。

 25日に行われる告別式には、関西芸能界では最大級規模となる数千人の参列が見込まれているとのことだ。

 

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