提婆達多は、過去世に於いて「阿私仙人」であり、釈尊は王位を捨て、阿私仙人に千年給仕をしておりました。
しかし、三千年前の釈尊がインドに在世当時、提婆達多は高慢であり、五逆罪のうち、出仏身血・破和合僧・殺阿羅漢の三逆罪をおかしています。そのため、生きながらにして地獄に堕ちました。
その極悪非道な提婆達多でも成仏が許されるのです。如何に『法華経』が勝れているか証明するところであります。その文証が「提婆達多品第十二」に、
「提婆達多。却後過無量劫。当得成仏。号曰天王如来。(提婆達多、却って後、無量劫を過ぎて、当に成仏することを得べし。号を天王如来)」(法華経360)
と説かれています。これが「悪人成仏」の証明になります。
「提婆達多品第十二」(法華経356)には、「悪人成仏」の他に「女人成仏」が説かれます。提婆達多が天王如来という記鱧を受けたことで悪人成仏を示します。
更に、畜生の身でありながら、女性である竜女が即身成仏する様子が説かれ、これが女人成仏を意味します。「悪人成仏」と「女人成仏」は、『法華経』だけにしか説かれない法門です。爾前権教には一切ありません。
『御義口伝』には、
「第一 提婆達多(だいばだった)の事、
文句の八に云はく『本地は清涼(しょうりょう)にして迹に天熱を示す』と。
御義口伝に云はく、提婆とは本地は文殊なり、本地清涼と云ふなり。迹には提婆と云ふなり。迹に天熱を示す是なり。清涼は水なり、此は生死即涅槃なり。天熱は火なり、是は煩悩即菩提なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉るは煩悩即菩提・生死即涅槃なり。提婆は妙法蓮華経の別名なり。過去の時に阿私仙人(あしせんにん)なり。阿私仙人とは妙法の異名なり、阿とは無の義なり、無私の法とは妙法なり。文句の八に云はく『無私の法を以て衆生に灑(そそ)ぐ』と云へり。阿私仙人とは法界三千の別名なり。故に私無きなり。一念三千之(これ)を思ふべし云云。」(御書1757)
と御指南であります。釈尊が阿私仙人に仕えていた頃、阿私仙人は妙法を持っており、その当時の釈尊は、仏道修行に精進し、成仏したのであります。
『御義口伝』には「提婆品八箇の大事」(御書1757)が説かれています。「第一 提婆達多の事」「第二 若不違我当為宣説の事」「第三 採菓汲水拾薪設食の事」「第四 情存妙法故身心無懈倦の事」「第五 我於海中唯常宣説妙法華経の事」「第六 年始八歳の事」「第七 言論未訖の事」「第八 有一宝珠の事」という八つの大事です。
末法濁悪の現代、悪人が横行する世の中です。御本尊様を受持し勤行唱題に精進しなければ、悪人の性分は治りません。その動かぬ証拠が、信心をしないため現在の世相を作り上げています。悪人の性分は、貪瞋癡の三毒が強盛であり、三毒に翻弄されて生きているのが、悪人の実態でしょう。つまり、心が汚れていることを意味しています。心の汚れは、三大秘法の御本尊様に御題目を唱えなければ落とすことが出来ません。