つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

起こりうること

2010-06-29 | Weblog
平成24年12月22日
歴史的変換が起こる。それは未曾有の不安を伴うものである。
未知的恐怖は、絶望の二文字を突きつけ、12月24日クリスマス前夜祭も見えない。
何が起こったのか、ただ、ただならない事態であることだけは
気を持って伝わる。
未来は一寸先が闇である。何が起こるかは不定である。
不定はまた変えられるものである。
それが道理の慈悲である。

太陽の灼熱にさらされて生きる生命体がいる。
高度すぎる技術を持ち合わせ探査するも、
56億7千万年後、膨張収縮消滅の記録を確認するだけである。
彼らをもってしても道理を超えることはできない。

夢に時間空間が無いように
想念も時間空間を持たない。
道理もまた同じである。
何万年、何億年の空間も、瞬時、繫がっている。
テレビのチャンネルのようなものである。

夢を観ているとき飽きることがないように、
あの世という空白の時も、どれくらい長い間そこにとどまっていても、
飽きるということが無く、いつの世にか生まれても、それは瞬時となっている。
生命は、あの人生この人生と空白を経て瞬時つながっていく。
それは、何万年の空白の時を経ても、一日の時でもかわらない。
瞬時となり、心は、しまい忘れた記憶となって、子供の動きとなっている。

過去も現在も未来もつながって動いているために、
前が見えるときもある。
コメント
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