つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

慈悲を知る。

2006-12-22 | Weblog
慈悲=「慈」は衆生に楽を与える意、
「悲」はその苦を取り除く意。
仏、菩薩が衆生をいつくしむ心。あわれみ。と辞書にある。

慈=いつくしむ。かわいがる。あわれむ。大切にする。
悲=かなしい。いたましい。(仏教で)他人の苦しみ、悩みを取り除いてやろうとする、仏の博愛の心。
哀れむ=同情、(けいべつ)に値すると思う。かわいそうに思う気持ち。・・・
と辞書にある。

慈しむという文字にどうして悲しいという文字がついているのだろうか。
そして 慈悲として、いつくしみあわれむことという意味になるのだろうか。

道理に歩めば、「慈」は幸福をあらわし「悲」は不幸をあらわす。
慈は天国であり、悲は地獄である。法の慈悲をあらわす。
相対する世界であるために、対立するものが存在する。
その対立を慈と悲という言葉であらわしている。
対立が一つの中に含まれている世界。これがこの世。
対立が一つの中に含まれず、対立するものとして別々にある世界。これがあの世。
この世は、そのどちらも僅かながら垣間見ながら過ごすところ。
あの世は、そのどちらかで長い長い間過ごすところ。
この世は、そのどちらかを選べるところ。
あの世は、この世の選択によって決定されたところ。もう選択肢は無い。
あの世はこの世の業によって決まる。
何も知り得ないという無知であるならば、輪廻の絆に結ばれて
来世もまた業の報いを受け続ける。
あの世からこの世へと苦しみの中を行き来する。
生死の苦しみをただ繰り返す。

悪を為すなと無知なる人の為に法を見た人、仏は言う。
疑う者など助ける必要など無いのだが、これが法の慈悲である。
人の理解するところの慈悲である。
仏は神はただ法を説くだけである。ただ訓えるだけである。
悟って、博愛心を得ているために。
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