つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

啓示

2006-12-07 | Weblog
死は人の経験とならないために、経験とならない世界から語られたものは
理解できない。
疑うばかりで 信じることができない。
死が経験とならないために、死後の世界が信じられない。
あるとも無いとも分からない。わからない為に、何を言われても疑うばかり。
「無い」ということはどういうことだろうか。
「無」から「有」は生じることは無い。これは道理である。
もし、死んで無になるのであれば 二度と生じることも無く、
一度でも生じることは無かったはず。また、
生じて何の努力、修行が必要だろうか。
無ということには 生きていることについて矛盾となる。
「有」という世界であるために、無くなることのない世界である。
物質的無常であっても、その記憶は形あるものでなく、無くなることはない。
水のように、空気のように相(かたち)あるものでなく、
見えていて見えない、見えないで見えているとするエネルギーである。
エネルギーという「有」である世界。
「有」であるために たとえて「無」を語ることができるが、
エネルギーのないところは「無」であり、存在とならない。そのため、
「無」は思うことも、語ることもできない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする