つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

ただの人は・・・

2006-11-29 | Weblog
ある生物が生きていくために、ある生物が犠牲となる。
勝ち上がる者がいればその反対の者がいる。
喜ぶ者がいれば悲しむ者がいる。
犠牲の上に成り立っているこの世。
これを幸せな世と言えるだろうか?
人は知識を持ちながら尚この範疇にある。
この世かの世と行き来し、苦しみと悲しみを離れない。
多くの人はこれを疑問にも思わずただ生きる。
ただ肉体の維持のため、食することに目的を置いて。
獣は肉体を維持するために、肉体の要求にこたえてのみ動く。
そこに善悪は無い。生きているための生きていく行動である。
慈も悲もない。だから いつか死しても地獄となることはないが、
疑問と思う思いが無いために、畜生の世界をただ流転する。

ただの人は知識を持ちながら、この獣より劣る。
知識の誤りにより善悪を持つために、悪が絶対となり地獄を生む。
人の知識など為にはならない。
自然に学び、自然と共に生き、得たものは智慧となる。
智慧の身についた判断は誤ることが無い。それは、よく
道理を観ていて、道理に従い、道理に適うために、道理に守られるから。

自然には善悪は無い。そのために絶対善となって浄化の動きとなっている。
くるくるくるくる回るのは、すべてを浄化する動きである為に、元に戻る。
ゼロに戻る。これが法則である。是諸法である。
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