つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

知識と智慧

2006-10-12 | Weblog
4歳頃から幼稚園に入って、小学校、中学校、高校、大学・・と
知識を学ぶ。
知識というのは、他人の経験を正しいとしての証である。
自分の経験でないものを正しいとして学んでいく。
それが知識である。
他人の経験であるものを学んでいくために、常に他人に気を使い意識していく。
「人の振り見て我が振り直せ」として
他人の行いに振り回されてしまう。
知識が誤っていれば、その誤っているものを正しいとして学んでいくために、すべてが誤っていく。その誤りが正しいとなってしまうために、誤りを正せなくなってしまう。
その知識でつくられているのが社会である。
その社会の歴史は争いの歴史。地球上のどの国も紛争と殺戮の繰り返し、
戦争の歴史である。
往々にして戦争は悪であるという人達によって争いは繰り返されてきた。
自分が車に乗って大気汚染をしていながら、環境破壊をうったえる。
家畜の肉をたべながら、動物愛護を唱えるというよなもの。
自分が悪いのではなく他人が悪いためにとしていくために事は起こる。
矛盾に気がつかない。

智慧は知識とは違う。
智慧は自分の経験で得たものである。
自然は道理である。その自然と共に暮らし、自然に学んだものは
智慧の身についた判断となっていく。道理の判断である。
道理に適っていくために、よく道理に守られていく。
そのために、知識を滅していき、智慧を身につけていくために
社会を離れ、自然である山に入るのである。出家するのである。
そうして過去、仏たちは悟りを開いた。道理を観た。

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