つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

相対している世界

2005-10-12 | Weblog
  相対して存在する。明と暗、光と影、白と黒、早いと遅い、高いと低い、
右と左、前と後ろ、強いと弱い、大きいと小さい、きれいときたない、見えると見えない、表と裏、善と悪、天国と地獄、・・・等々まだまだたくさんある。このように、存在は相対している。同じものの中に、対するものが含まれている。
変化しながら変わらない存在。常住でありながら常住でない存在。これが生命であり、エネルギーである。無くなることのない存在で、変わることの無い存在で進化していく。この世は、同じものの中に、対するものが含まれて存在するが、
同じものの中に、対するものがなく存在する世界が天国であり、地獄である。
天国は、絶対善の世界で悪はない。地獄は、絶対悪の世界で善はない。善と悪がはっきりとわかれているのである。
極楽、涅槃と呼ばれる世界は、絶対善の世界である為、考える必要がなく、‘思議のいらないもの’となって、‘不思議’な世界となっている。すべてが理解できてしまう為に、躊躇しなくてよいのである。これが、絶対善であるためである。
対して、地獄は、絶対悪であるために、常にビクつき、恐れていて、悩み考えなくては答えがでず、判断できない。判断しても判断を誤る。常に騙し、騙され、安穏としていられず、傷つき、苦しむ世界である。これが、絶対悪であるためである。
 このように、天国は悪を含まず、地獄は善を含まない。として相対しているのである。そのために、天国へ赴く為にとして、生きている時の肉体行為を、正しい行為としていかなければならないと、先人の悟りを開いた人たちは、説いたのである。行為が縁となるためである。・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする