つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

経験のあやまり・・・

2005-09-07 | Weblog
いつもながら繰り返していく。
今日も昨日となんら変わらなく過ぎた。毎日毎日同じことを繰り返して生きていく。その繰り返しの経験が絶対となり、生命の世界が作られていく。経験が知識となっていくため、経験がまちがっていくと、知識のまちがいとなり、生命の世界が誤ってつくられていく。社会の知識は他人の知識である。社会生活をしていくには、この知識が必要なために、小さい頃から学校に入りこの知識を学ぶ。すべては先人の知識である。他人の知識である。
経験が人の知識となっていくために、経験の間違いが知識の間違いとなる。経験が正しいとしているために、経験が誤っていてもそれに気ずかなくなって、知識の誤りに気ずかない。
死は人の経験とならない。経験とならないために知識とならない。知識とならない為に、どうしてよいのか分からない。分からない為に怖いとなってしまう。怖い為に祈っていく。ただ一心に祈ることによって、心の判断がされなくなって、恐怖心
がなくなっていく。そのために救われていくとして、祈りは正しいとなっている。
この誤りに人は気がつかないでいる。
生まれたばかりのアヒルが、初めて接したのが白鳥だったとしよう。するとそのアヒルはその白鳥を親だと思ってしまう。そして、その経験をつんでいく。それが正しいとなって、誤りに気がつかない。
経験のまちがいが、知識のまちがいとなり、それが正しいとなって、まちがいに気がつかなくなっていく。・・・・つづきはまた
コメント
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