A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

TOUCHING WORD 002

2007-06-29 22:14:01 | ことば
「学生のころ、花の師匠がよういってた。花は花入にいけるのではあらしません、お部屋にいけるのですよ、って」

「近ごろの展示は照明がきれいで作品もよくみえるけれど、むかし梅津先生(引用者註:梅津次郎のこと)がこういってた。線はみえても絵がみえん、形はみえても姿がみえんということがある。暗くてもものはわかると。つまり美術品の眼目は、線や色や形だけではないということ。」

p.107 「speak low「美術は酔うもんやで」学芸員・武内範男の結論」『芸術新潮』2007年7月号 http://www.shinchosha.co.jp/geishin/

TOUCHING WORD 001

2007-06-27 23:08:54 | ことば


人はみな、それぞれの思想で作られた人間だけれど、思想の数の方が人間よりもはるかに少ないので、同一の思想を持った人間はみな似てしまうのですね。思想にはなんら肉体的なものが含まれてはいないから、一つの思想を持った人間を他の人間たちがただ肉体的にとりまいていても、彼らはいささかもその思想を変えることにならないのです。(p.212)

「それで一つの思想はね」と私はつづけた、「人間の利害にかかわりようのないものだし、その恩恵にあずかることもできないから、思想を持った人間は、利害に影響されないのですよ」(p.214)

そんなわけで、そこは戦場になったんだし、これからもなるだろう。どんな部屋でも画家のアトリエになるわけじゃないし、どんな場所も戦場になるわけじゃないんだ。あらかじめ定められた土地があるんだね。(p.224)

「失われた時を求めて5 第三篇 ゲルマントの方へ Ⅰ」
マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社文庫2006

未読日記45 「ジヴェルニーを訪ねて」

2007-06-27 22:56:18 | 書物
タイトル:モネ ジヴェルニーを訪ねて
著者:フランソワーズ・ベイル
デザイン・レイアウト:カリーン・バルー
出版社:artlys
発行日:2004年
内容:
「ジヴェルニーでのクロード・モネを見ずして、彼の気質、嗜好、人柄、つまり彼自身を知ることはできない。[中略]この家も、この庭園も1つの作品であり、モネはこれを創りだし、完成させるのに生涯をかけた。」(ギュスターヴ・ジェフロワ)(本書裏表紙コメントより)

贈呈日:2007年6月27日
コメント:
フランスからのお土産としていただいたもの。フランスのジヴェルニーにあるモネの庭で販売されているものだとか。日本語版を出版しているところが、日本人観光客の多さを物語っている。
中身は、主にジヴェルニーの庭を中心に、写真を豊富に使い紹介している。いわゆるジヴェルニーのガイドブックといった体裁だ。なぜか、本文の文字がところどころ消えかかっているのが不思議だ。インクが乗りきっていないのか(?)。
残念ながら私はまだフランスの土を踏んだことがないのだが、とても魅力的な庭だと思う。

未読日記44 「シュヴァルの夢」

2007-06-27 22:37:20 | 書物
タイトル:シュヴァルの夢
著者:大竹伸朗
出版社:UCA : Uwajima Contemporary Art
発行日:2007年
内容:
1994年に制作された私家版「夕刊宇和島日日2月号」を底本に、「大竹伸朗全景1955-2006」展覧会カタログの予約特典として作り替えた小冊子。
シュヴァルとは、フランス人の郵便配達夫で、33年間に渡って彼の理想とする石の宮殿を作り上げた人物。いわゆるアウトサイダーアート系のエキセントリックな「普通」の人。
そのシュヴァルを敬愛する大竹伸朗によるコラージュアートブック。

配達日:2007年6月24日
購入理由:
内容にも記したように本書は、「大竹伸朗全景1955-2006」展カタログの予約特典の冊子。カタログは展覧会終了後に完成・販売され、会期中に予約した人には郵送される形だった。だが、カタログを予約はしたものの、遅れに遅れていまだ届かない。前代未聞の発行延期続きで、お詫び文とともに先に予約特典の冊子だけが送られてきた、というわけなのだ。これを見ると、早くカタログを見たくなるのだが、遅れた分だけ未曾有のカタログが来るのかしらんと期待は膨らむばかり。このまま引っ張り続けて、パーツごとに送られてきて、1年通して読者が1冊の本に仕立てあげたりしたらおもしろいな、などと妄想を膨らませている。

未読日記43 「ブロークン・ホワイト」

2007-06-27 00:04:22 | 書物
タイトル:マルレーネ・デュマス ブロークン・ホワイト
監修:東京都現代美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
ブックデザイン:折原滋
出版社:淡交社
発行日:2007年5月1日
内容:
マルレーネ・デュマスは、1953年に南アフリカ共和国のケープタウンに生まれ、現在アムステルダムを拠点に活動する女性画家。マス・メディアに流通する写真や映像を題材に、生命のきらめきを繊細かつ鮮烈なタッチで描いた人物像で知られる。その透明感あふれる独特の描写と、社会的テーマで絵画の新境地を提示し、インスタレーションや映像が台頭する現代美術シーンにあって、今もっとも熱い視線を浴びている。
 日本で初めての大規模な個展「マルレーネ・デュマス:ブロークン・ホワイト」の公式カタログとして刊行された本書は、初期作品から、代表的なドローイング・シリーズをふくむ主要作品、最新作の≪ブロークン・ホワイト≫まで、約80点の絵画を収録。自作に寄せた詩やテキスト、インタビューなど、珠玉の言葉とともに、デュマス芸術の全貌を伝える。(本書カバー見返し解説より)

購入日:2007年6月23日
購入店:東京都現代美術館ミュージアムショップ
購入理由:
昨年行われた<アフリカ・リミックス展>(森美術館)、<エッセンシャル・ペインティング展>(国立国際美術館)への出品など、近年見る機会の多かったデュマスの待望の大規模個展。ポップ(マイクロポップ?)な日本の現代絵画シーンに較べると、そのダークでエロスとタナトスが同居するデュマスの絵画は稀有な存在だ。

展覧会場に入ったとき、すぐに荒木経惟の写真を思い浮かべた。それは、新作≪ブロークン・ホワイト≫において、荒木経惟の写真作品からのインスパイア、引用であることからも、その影響がうかがえる。ポップなものとしてではなく、孤独で刹那的なエロス。

ヴァイオレンス。暴力の存在。身体に受ける暴力だけでなく、不穏な空気としての暴力。視線の暴力。あるいは「怒り」だろうか。どのように形容したら彼女の作品から受ける「暴力」を言語化できるのかまだわからないのだが、その作品からは「暴力」という名の「力」が充満している。その日の夜、たまたま久しくなかった怒りに直面する「暴力」を経験をしたのだが、その時感じた震えにデュマスの作品は似ている。
この先何度この「怒り」を感じればいいのだろうか。
行き場のない「怒り」は、まだ消化していない。しかし、この「怒り」「暴力」はなくならない。

「エロス」であり「死」であり「暴力」「怒り」という言葉を並べると、その作品はひどくネガティブなものに感じられるが、そうではない。それは、描かれた人物の眼を見ればわかる。
そこには、「恐れ」という優しさ、弱さが感じられるからだ。

なお、特筆すべき点として展示空間のすばらしさを加えておきたい。
このような絵画の展示空間に自分がいるということが、こんなにも心地よい緊張を与えてくれるとは。

未読日記42 「大辻清司の写真」

2007-06-18 22:49:53 | 書物
タイトル:大辻清司の写真 出会いとコラボレーション
編者:大日方欣一、光田由里
デザイン:中垣信夫、門倉未来[中垣デザイン事務所]
出版社:渋谷区立松濤美術館
発行日:2007年6月5日
内容:*同名展覧会の図録
写真というメディアのあり方をめぐって、「見る」「つくる」「語る」など、写真表現の新たな潮流を示し続けた写真家・大辻清司の全貌!(フィルムアート社ホームページより)

購入日:2007年6月16日
購入店:渋谷区立松濤美術館
購入理由:
日常を主題とすることは、日常を生きる者にとって平凡ではあるが、対象化するのは難しい。例えば、「退屈さ」を言葉や写真や映像、絵画によって表現することは可能なのか。何もしないまま一日が終わろうとする6月の午後4時の明るくも暗くもない夕暮れの光が路上を照らすその「時間」を記述・表現することはできないのか。かつて、小説家・保坂和志が提示したこの問いを、私は何度も反復しているのだが、大辻清司の写真を見るとそのような「日常」が大げさでもなく、適度な距離感でそっと佇んでいるのだ。
大辻のそのやわらかく、あたたかい写真は、牛腸茂雄、三浦和人等へと引き継がれ、現在では佐内正史、川内倫子、梅佳代などの写真家の登場を予告しているともいえる。しかし、それは大辻のスナップショットによる仕事の一側面でしかない。大辻の仕事をゆるぎないものにしているのは、「もの」を撮影した作品ではないか。1970年の「第10回東京ビエンナーレ 人間と物質展」を撮影したもの、斎藤義重の作品写真、雑誌「アサヒカメラ」にて連載した『大辻清司実験室』。これらの作品に見られる「存在」の強度はすばらしい。

初期の頃こそ、瀧口修造、阿部展也の影響で、シュルレアリスム風な作品が多いが、その後の作品にはシュルレアリスムの影響は感じられない。澁澤龍彦的なオブジェ趣味もあるにはあるのだが、それが幻想、怪奇な方向へはいかない。大辻の写真には「もの」にイメージを付着しないのだ。細江英公、奈良原一高、川田喜久治などの写真を思い出そう(あのゴテゴテとしたバロック趣味、絵画的写真を)。大辻にはグラフィック集団に参加していたことからも、モダニズム的な美学を持ち合わせていたようだ。それがややコンセプチャルすぎる嫌いもなくはないが、次第にコンセプトにはまらなくなり、そこからはみ出す一瞬間を捉えるような作風へと移行する。そこには、退屈な空気感も、日常の喧騒、ノイズが作り出す気配さえもが刻印されていた。それこそ、私にとって「退屈」ではなかった。

未読日記41 「藤森照信 野蛮ギャルド建築」

2007-06-06 23:28:12 | 書物
タイトル:ギャラリー・間叢書10
     藤森照信 野蛮ギャルド建築
企画・編集:ギャラリー・間
AD:田中一光
出版社:TOTO出版
発行日:1998年2月20日
内容:
タンポポとニラが建築になった。
屋根や壁に草や木を生やしたり、古代の割り板技術を復活させたり、とにかく珍しいことばかり。自然素材に徹底的にこだわった建築探偵・藤森照信の「建築実践篇」。

建築を作ろうとする時、土や木や石を目の前にすると、血が騒ぐ。信州の野山を駆けていた少年時代の血が騒ぐ。 藤森照信

「神長官守矢資料館」、「タンポポハウス」、「ニラハウス」、「一本松ハウス」、「秋野不矩美術館」一挙掲載。「ニラハウス」絵巻、「自然素材仕上げレシピ」初公開。
(帯コピーより)

購入日:2007年6月5日
購入店:amazon.co.jp
購入理由:
藤森照信の名前を知ったのは、おそらく赤瀬川原平、南伸坊らによる『路上観察学入門』(ちくま文庫)だったであろうか。この本は、展覧会の予習にと思い、いま読んでいるところだ。
そして、今週末までメゾンエルメスにて開催されている<メゾン四畳半:藤森照信展>、現在、東京オペラシティアートギャラリーにて開催中の<藤森建築と路上観察:第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展>を鑑賞し、その展示構成の匠な技に驚き、あらためて興味をもった。

それは、まず彼が建築の素材に使う「自然素材」だ。タンポポ、ニラなど、有機的な植物を建築に取り入れたユニークな作品に、わたしはなぜかここ最近考え続けている「いけばな」を思い出してしまったのだ。
別に、彼の作品が「いけばな」だ、というわけではない。人が居住する建築物には違いない。わたしは建築には疎いので、ヘタな事は言えないのだが、彼の自然素材を使用した建築を知るにつけ、いけばなという芸術形式が持つ有機的な作品の佇まい、存在に近いものを感じるのだ。
通常、芸術作品、建築作品は、一度完成したらその形態は変化しない。年月による劣化はあるだろうが、それ自体を想定して制作されてはいない。
だが、いけばなは植物が枯れるという「時間」を想定して制作される。つまり、形態が変化することを想定しているということだ。
そのオーガニックな要素がいけばなにとってはもっとも本質的な点なのだ。藤森建築においても、かつて使われていた建築技法を甦らせたり、自然素材、手仕事にこだわった工程などを知るにつけ、藤森建築にはオーガニックな要素が不可欠なことがわかる。そう、藤森建築にはそんな有機的な「時間」を想定して、設計、建築されているのだ。
藤森建築に「いけばな」を見てしまったわたしだが、逆に言えば「いけばな」が建築的だと言うこともできるかもしれない。「建築」と「いけばな」。この両者の関係は、一見相反する異ジャンルのように思えるが、なにか共鳴するものもあるかもしれない。だが、この問題もまた、有機的解決を待つしかない。

未読日記40 「まぐろ」

2007-06-05 01:09:31 | 書物
タイトル:「旬」が まるごと 創刊号 特集:まぐろ
責任編集:小山薫堂
アートディレクター:菊地敦巳(Bluemark)
出版社:ポプラ社
発行日:2007年5月
内容:
『「旬」が まるごと』とは?
『「旬」が まるごと』は、食材を切り口にしたカルチャー誌。
毎号ひとつの食材を徹底的に解剖します。
そして「食べたい」「つくりたい」「知りたい」に応えます。
つまり、とっても新しい食の雑誌です。
『「旬」が まるごと』は、
日本人の「食生活」と「食のリテラシー」を
豊かにする雑誌になりたい。と願っています。
「旬」がまるごとホームページより

購入日:2007年6月3日
購入店:有隣堂アトレ恵比寿店
購入理由:
この雑誌のことは、『デザインの現場』(最新刊)で知った。菊地敦巳による『「旬」が まるごと』の創刊準備号のデザイン記事が出ていたのだ。シンブルでかわいい表紙だな、と感じた。内容も私好みであった。佐藤卓の「デザインの解剖」シリーズは大好きだし、博物誌的、辞典的な内容に私は弱いのだ。この雑誌は毎回ひとつの食材を徹底解剖すると言う。今回は、まぐろ。あらゆる植物的、料理的、経済的、自然的、文化的、生物的、歴史的、デザイン的にまぐろを徹底解剖する。ひとつの食材からこんなにもいろんなことがわかるとは。というより、ひとつのことは、いろんなことにつながっているのだが、それに気づかないだけなんだろう。気づくことは大事だ。
ちなみに、連載「商店街探訪」では、私もかつてたびたび足を運んだ武蔵小山商店街が取り上げられている。
変わった記事では、連載「ENJOY!トラクター」。この連載ではタイトル通りさまざまなトラクターが取り上げられていくらしい。今回は、日本ニューホランドのTS-110A。
また、買いたくなる雑誌の誕生である。

未読日記39 「書物の形態学vol.1」

2007-06-05 00:40:34 | 書物
タイトル:不明
     NATIONAL BEKAGRAPHIC 書物の形態学vol.1展配布リーフレット

贈呈日:2007年6月2日
贈呈場所:GALLERY MAKI
内容:
今福龍太コーディネイトによる「NATIONAL BEKAGRAPHIC 書物の形態学vol.1展」(2007年5月25日(金)~6月15日(金)GALLERY MAKI)会場にて手渡された冊子。
B4サイズの紙を2つ折りにして、ホッチキス留めされた冊子だが、折られたままの状態なので、読者が自身の手でカッターなどを使い、上と左右を切り開くことで「冊子」として完成する本。紙は手製と思われる和紙(?)にアナログな版画っぽい仕上がり。中身は、ドローイング、フェルナンド・ペソア、J・L・ボルヘスなどの引用が記されている。説明が悪くてなんのことかわからないと思うが、また、展覧会もやや頭でっかちでよくわからないのだが、書物に対する愛情は伝わってくる展覧会だ。

金銭上の理由から、最近本屋に行くことを控えているのだが、本屋に行かないからといって、欲しい本がなくなるわけではない。読んでいる本の中で、引用されているある書物の一節から、あるいは、参考文献、思いつきなどなど、読みたい本が増える瞬間は、実は本屋に行かなくとも、いつでも湧き上がってくるのだ。

「引用」。書物の中では当たり前のようにして、他者の文章が混ざり合う。その異なる「血」が、ひとつのテーマや物語を、より豊かに膨らまし、ときには優しく寄り添う。ひとつの書物を読むことは、実は、その後ろにあるだろう膨大な量の書物を感じることにある。実際は本だけではなく、美術、映画、音楽、スポーツなどなどあらゆる文化・自然・科学現象が折りたたまれているのかもしれない。
つづく

未読日記38 「花」

2007-06-05 00:10:56 | 書物
タイトル:特別展 花 FLOWER~太古の花から青いバラまで~[展覧会図録]
監修:岩科司、柴田道夫
デザイン・制作:ガッシュ
出版社:朝日新聞社
発行日:2007年3月24日
内容:*同名展覧会の展覧会図録
人の生活に欠かせない存在として愛され続けてきた花。その魅力を様々な角度から解き明かします。花の誕生の進化の過程や、多様性などを科学的に検証するとともに、世界一大きい花「ラフレシア」や、「ヒマラヤの青いケシ」など様々な珍しい世界の花々も紹介。あわせて最先端テクノロジーを駆使して生まれた「青いバラ」など最新の研究成果や、文化史、いけばなやフラワーアレンジメントまで「花と人とのかかわり」にも迫ります。美しい花の写真に彩られた花の知られざる世界にせまることのできる一冊です。 (ショップ・アサヒコムホームページより

購入日:2007年6月2日
購入店:国立科学博物館ミュージアムショップ
購入理由:
この展覧会図録に関しては、仕事用で購入という意味合いが大きい。いけばななんぞをやり始めてから、花や植物をキーワードに書籍、雑誌を購入したり、展覧会を見たりしてきて、ついに真打ちが来た!と、個人的には「花」ブームだった。がしかし、期待通りというべきか、あまりおもしろくない展覧会ではあったが、資料としては優れているので購入。
科学的に花や植物を解明・解説するのは、科学博物館だから当然なのだが、香り、匂い、色、花や植物の美しさ(あるいは醜さ?)を科学的に解明しても、私にはいまいちピンと来ない。説明にはなっても、理解にはならないというべきか。それは私が哲学的すぎるのかもしれない。断っておくが、雑学的な展覧会としてはけっこう楽しめる内容ではある。しかし、花や植物の存在や造形、その美しさについて考えてみたいなどという人は半分ぐらいしか楽しめないかもしれない。