A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

【ご案内】つくるビルゼミコラムvol.19(最終回)

2016-03-31 23:59:08 | お知らせ
今回をもって、つくるビルゼミコラムは最終回となります(つくるビルアドバイザーも終了となります)。これまでお読み頂いた皆さま、つくるビルゼミにご参加頂きました方々に心よりお礼申し上げます。どうもありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。お話しましょう。

つくるビルゼミコラム vol.19(最終回)
「失われた場を求めて」平田剛志
http://www.tukuru.me/?p=5319





memorandum 271 気分

2016-03-30 23:06:52 | ことば
寒さに抵抗する方法はただ一つしかない。寒さをいいものだと考えることだ。よろこびの達人スピノザが言ったように、「からだが暖まったからよろこぶのではなく、私がよろこんでいるからからだが暖まるのだ」。したがって同じような考え方で、「うまく行ったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまく行ったのだ」といつも考えねばならない。どうしてもよろこびが欲しいというならば、まずよろこびを蓄えておきたまえ。いただく前に感謝したまえ。なぜなら、希望から求める理由が生まれ、吉兆から事が成就するのだから。だから、すべてのことがいい予感であり、吉兆である。「君がそれを欲するならば、カラスが君に告げているのはしあわせなのだ」とエピクテトスは言っている。そこから彼が言わんとするのは、何でもよろこびなさいというのではなく、とりわけ、ほんとうの希望はいっさいをリアルなよろこびとするということだ。ほんとうの希望は出来事を変えるからである。もし君が退屈な人に出会ったら、必ず彼は自分でも退屈しているのだが、まずほほ笑む必要がある。眠りたいと思ったら、眠りを信じたまえ。要するに、どんな人でもこの世の中に自分よりもおそろしい敵は見つからないのである。
アラン『幸福論 (岩波文庫)』神谷幹夫訳、岩波書店、1998、74-75頁.

今日もいい予感がする!

memorandum 270 憂鬱

2016-03-29 23:33:15 | ことば
「悲しみなんて、病気にすぎない。だから、病気を我慢するように我慢したらいいのだ。そんなに、なぜ病気になったのかとか、あれこれ考えないで。」そこから、つぎつぎ出てくる辛辣なことばをけちらすのだ。心の悲しみをおなかの痛みのように考えるのだ。そうすれば、憂鬱はもう何ともいわない。まるで茫然自失状態で、ほとんど何も感じないようになる。もう何ごとをも責めない。耐えているだけだ。でも、からだは休めること。こうして、悲しみを相手にふさわしい戦いをすることになる。
アラン『幸福論 (岩波文庫)』神谷幹夫訳、岩波書店、1998、24頁.

風邪のときは、我慢する、考えない、責めない、しっかり休むこと。

未読日記1158 『東日本大震災の記録と津波の災害史』

2016-03-28 23:16:28 | 書物
タイトル:東日本大震災の記録と津波の災害史 : リアス・アーク美術館常設展示図録
編集・デザイン・レイアウト:山内宏泰
発行:気仙沼 : リアス・アーク美術館
発行日:2015.2
形態:175p ; 26cm
注記:気仙沼市・南三陸町簡略地図: p175
内容:
■はじめに

■現場写真
 被災現場からのレポート
 被災者感情として
 失われたもの・こと
 次への備えとして
 まちの歴史と被害の因果関係

■被災物
 鉄骨/電柱
 漁船/船外機/自動車/トタン板
 トタンの塊/鉄道枕木/ドラム缶/LPガスボンベ
 灯油タンク/ギア軸/マフラー/家の一部
 鬼瓦・伏間瓦/郵便受け/スレート屋根瓦/床板
 ドアノブ/呼鈴/タイル片/CSアンテナ
 洗濯機/自転車/炊飯器/ビデオカメラ
 電子レンジ/ビデオテープ/受話器/デジタル一眼レフカメラ
 児童文学全集/8ミリフィルム/ノートパソコン/プリクラ帳
 トランペット/レコード/一眼レフカメラ/TVゲーム機
 ゲームソフト/DVDプレーヤー/発電式ライト/マスコットチェーン
 ミニカー/戦士フィギュア/小型液晶ゲーム/カード集
 シュガーポット/ぬいぐるみ/足踏みミシン/携帯電話
 デジタルカメラ/香炉/祠/点ブロック
 ランドセル/机/椅子/ぬいぐるみとバスケット
 卒業証書/テーブル天板/時計

■歴史資料
 風俗画報大海嘯被害録
 昭和三陸大津波/チリ地震津波
 埋め立てと地域の変化

■Key word 東日本大震災を考える我われのキーワード
 被害
 被災者
 被災地
 避難
 歴史
 文化
 地域
 家
 記憶
 記録
 表現
 教育
 自然観
 産業
 観光
 情報
 復旧
 復興
 支援

■展示解説

■付録《東日本大震災 記録調査活動》報告書
 《東日本大震災 記録調査活動》報告書 目次

■結びに

■気仙沼市・南三陸町簡略地図

購入日:2016年3月28日
購入店:リアス・アーク美術館
購入理由:
 つくるビルゼミ最終回「失われた場を求めて」のための参考文献として購入。
 ゼミでは参加者に「失われた場」を挙げてもらおうと考えているが、プルーストの『失われた時を求めて』のように甘美な記憶だけではないだろう。例えば、東日本大震災のように否応なく失われてしまった「場」もあるはずだからだ。折しも、目黒区美術館では「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史―」展が開催されており、あらためて5年前の東日本大震災とは何だったのか、震災の「場」とは何かを考えるために見に行った。
 展覧会は、震災の現場と被災物を記録した写真パネルとテキストによって構成されている。写真に記録された「場(風景)」の写真は、もとの場所がわからないくらい廃墟・破壊されており、愕然とする光景であった。5年前の震災は事実として知ってはいても、展示された資料類を見ると、言葉を失う「記録」ばかりであった。そして、これらが「記録」として残されていることの意味は、今後ますます大きくなるだろうと思う。
 あまり時間がなかったこともあり、図録を買おうと思ったが品切であった。致し方なく、発行元のリアス・アーク美術館に問い合わせたところ、在庫があったため通信販売で購入した。


memorandum 269 生きがい

2016-03-27 23:20:06 | ことば
 私は「生きがいとは時々刻々絶えず自己の内外から情報を得て、時々刻々絶えず自己を再構成・再創造し、その構成・創造の営みによって、自己の存在を再確認し納得することである。つねにいま新しく何かが生まれてくるという、何か貴重なものが生まれてくる、何かいま貴重な体験をしつつある、今という時間が自分にとって貴重なものであるという実感によって満たされている生き方をいう」と考えている。
野口三千三『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)』岩波書店、2003年、262頁。

そんな生き方ができればいいのだが、まだ実感が伴わない・・・

memorandum 268 意識の存在を忘れよ。

2016-03-26 23:48:22 | ことば
意識の存在を忘れよ。そのとき意識は最高の働きをするであろう。
筋肉の存在を忘れよ。そのとき筋肉は最高の働きをするであろう。
脳細胞一四〇億のすべてを休ませよ。そのとき脳は最高の働きをするであろう。
動きは意識の指令によって起こるのではなく、イメージによって生まれるものである。

 したがって、意識的にやるとうまくいかない、ということは当然のことで「人間はもともと意識で思うように制御(コントロール)できるようには出来ていないのだ」ということであり、「どのような状態を準備すれば、好ましい適切な自動制御能力が発揮されるか」というところに、問題の鍵がひそんでいるのである。

野口三千三『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)』岩波書店、2003年、255頁。

日々、イメージで動き、イメージを言葉にする。

未読日記1157 『杉本博司――光の自然』

2016-03-25 23:24:03 | 書物
タイトル:杉本博司――光の自然
タイトル別名:Hiroshi Sugimoto Nature of light
執筆:杉本博司、Larry J. Schaaf、清水穣
ブックデザイン:下田理恵
翻訳:アルフレッド・バーンバウム、スタンレー・N・アンダーソン、杉本スタジオ
進行:森陽子(IZU PHOTO MUSEUM)
協力:ギャラリー小柳新素材研究所
発行:長泉町 (静岡県) : Izu Photo Museum
発売:長泉町 (静岡県) : Nohara
発行日:2009.10
形態:151p ; 30cm
注記:展覧会カタログ
    会期・会場: 2009年10月26日-2010年3月16日:Izu Photo Museum
    英文併記
    略歴: p144
内容:
ごあいさつ
「作庭記」杉本博司
「光子的素描」杉本博司
図版
光子的素描[解説:ラリー・シャーフ]
放電場
「魔の差す場」杉本博司
「永遠の仮構と復元―杉本博司論」清水穣
作品リスト
略歴
謝辞

購入日:2016年3月25日
購入店:日本の古本屋
購入理由:
 企画している展覧会「High-Light Scene」のための参考文献として購入。
 杉本博司の写真を「ハイライト」の視点から見直して見ると、海景、劇場、放電場など、どのシリーズも「光」を捉えた「ハイライトシーン」だということに気づく。


未読日記1156 『mysm+Y 創刊号』

2016-03-24 23:28:26 | 書物
タイトル:mysm+Y
卷号:創刊号
編集:mysm編集室
製本:mysm社中
発行日:2016.1
形態:20p ; 21cm
内容:
「東國のスサノオ―物質の勝利と非物質の栄光―」橋本 倫  
「資料が語る九州派―福岡市美術館 九州派展を訪れて」岡部 るい
「極私的村岡三郎論」北辻 良央  
「二〇〇三年八月の馬」植木 啓子
「洗う女考 白」吉本 直子
「なにわ図絵―七坂随想」きさらぎ 櫂
執筆者プロフィール
編集後記

頂いた日:2016年3月24日
 +Y Galleryよりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
「mysm」は「みずむ」と読み、「言葉の先にある美術を中心とし、動的で無形のものをつなぎ、散文や詩なども縦横に行き来する」同人誌。執筆者に名を連ねる北辻良央氏が編集に関わっているのだろうか。関西で発行される同人誌に画家・橋本倫氏の名前を見つけるとは思わなかった。今後が楽しみな同人誌が誕生した。製本は銀糸にビーズの玉でなされており、簡易ながらもすてきな造本である。

未読日記1155 『第三の意味』

2016-03-23 23:15:15 | 書物
タイトル:第三の意味―映像と演劇と音楽と
タイトル別名:L'obvie et l'obtus (Extrait)
著者:ロラン・バルト
訳者:沢崎浩平
発行:東京 : みすず書房
発行日:2004.6新装版第2刷(1998.10新装版第1刷)
形態:295p, 図版1枚 ; 20cm
内容:
「第三の意味」とは? そこには《第三の男》のような曖昧さがあり、深い謎につつまれている。おそらく意味論の学者たちその客観性を疑うかもしれない。しかしこれは《読む冒険》によって発見される新しい地平なのだ。表層のテクストやフィルムの下に潜むもう一つ別のそれを指すのである。それは水平的なストーリーを中断させ、言語活動の法則を打ちくだくカーニヴァル(バフチン)、またテクストの面をつきくずす《垂直の力》(クリステヴァ)である。
 著者は『イワン雷帝』や『戦艦ポチョムキン』のフォトグラム(スティル写真)を吟味し、この「第三の意味」を探り出す。精細な注視とシャープな分析はバルト読者にとって魅力に充ちたものである。本書にはそのほか、写真・映画・演劇・音楽に関する15篇を収め、これらの文章は60年代から70年代の全期にわたっている。バルトにとっては〈記号学〉から〈テクスト性・道徳性〉への転位の時代であった。本書所収のエッセーはバルトの内面的進化を具体的に跡づける貴重な道標である。

目次

写真のメッセージ
映像の修辞学

映画における意味作用の問題
映画における“外傷的単位”
第三の意味
映画館から出て

ギリシャ演劇
ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュテイン

聴くこと
ムシカ・プラクティカ
声のきめ
音楽、声、言語
ロマン派の歌
シューマンを愛する
ラッシュ

原註
訳註
訳者あとがき

購入日:2016年3月23日
購入店:日本の古本屋
購入理由:
 林葵衣展「水の発音」レビューテキストのための参考文献として購入。
 本書を知ったのは、河合隼雄・鷲田清一の対談本『臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知』(TBSブリタニカ、2003年)に所収の鷲田清一氏の論考だった気がする。本書の声に関する一文が引用されており、興味を魅かれたのであった。本書に所収の映像系の論考はキュレーションする展覧会「High-light scene」の参考になりそうだと期待。

memorandum 267 基準

2016-03-22 23:40:14 | ことば
 すべてのことにおいて絶対的な基準は存在しない。すべての基準は、関係によって、相対的に、その都度、今ここで、新しく、自分の中に生まれるのだ。自意識過剰ということは、ほんとうの自意識がないということだ。それがほんものであるならば、それはどんなに強くとも強過ぎるということはない。主観的・独断的であるほかに、判断というものは存在しない。非難・否定されるべきは、主観・独断ではなく、ほんとうの主観をもち得ないこと、責任をもって独断し得ないことではないのか。
野口三千三『原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論(岩波現代文庫)』岩波書店、2003年、237頁。


ああ、これまでずっと自意識過剰だった。世間や周囲の顔色ばかり見ていなかったか。
判断とは、主観的・独断的にすること。責任をもって独断しよう。