A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記1040 『映像のアルケオロジー』

2015-05-27 23:39:53 | 書物
タイトル:映像のアルケオロジー: 視覚理論・光学メディア・映像文化 (視覚文化叢書)
タイトル別名:Archaeology of screens in early modern Japan
著者:大久保遼
装丁:神田昇和
発行:東京 : 青弓社(視覚文化叢書, 4)
発行日:2015.2
形態:332p ; 22cm
注記:参考文献一覧: p293-318
    年表: p323-326
内容:
写し絵・幻燈・連鎖劇・キネオラマ…19世紀転換期の忘れられた映像メディアに光を当て、それを同時代の社会制度や科学技術、大衆文化の連関のなかに位置づけることで、日本近代の豊かな視覚文化を照射する。歴史と現在を対置し、19世紀の多彩な映像文化こそが現代の映像環境を準備したことを鮮やかに描き出す。

目次
序章 映像文化へのアプローチ
 1 スクリーンの偏在
 2 本書の視座
 3 本書の構成
第1章 写し絵と眼の機構――視覚理論・光学装置の伝来と映像文化
 1 阿蘭陀ヱキマン鏡
 2 眼の機構
 3 写し絵の空間
 4 物見の構造
第2章 教育幻燈と眼の規律――物理学・生理学的な視覚理論と実物教授
 1 開化の言説と新事物
 2 レンズと網膜
 3 観察の論理
 4 教育幻燈会における実践
 5 一八九〇年の観客性
第3章 磐梯山噴火と映像の流通――新聞報道、写真幻燈、芝居小屋
 1 磐梯山の噴火
 2 新聞「写真」の掲載
 3 写真幻燈会
 4 歌舞伎における上映
 5 情報と物語
第4章 戦争幻燈と感覚の動員――アトラクション、声の文化、スペクタクル
 1 幻燈会の変容
 2 教育と興行のはざまで
 3 国家教育と感覚理論
 4 日清戦争幻燈会
 5 シネマトグラフ伝来前夜
第5章 感覚の統御と影像の論理――十九世紀末における感覚の再編
 1 断片的な影像=イメージ
 2 実験心理学における感覚理論
 3 感覚の統御と注意の練習
 4 影像の論理
 5 イメージの近代
第6章 連鎖劇とキネオラマ――活動写真の一九一〇年代
 1 シネマトグラフの伝来
 2 連鎖劇
 3 キネオラマ
 4 映画の幼年期
終章 映像のアルケオロジー
 1 情報化の初期微動
 2 一八九〇仮説の転回
 3 未現像の風景

参考文献一覧
あとがき
年表
索引

購入日:2015年5月26日
購入店:紀伊國屋書店 梅田本店
購入理由:
 夏に開催を予定しているslideshowstudiesの参考文献として購入。
スライドショーのルーツとして幻燈はおさえておきたい。
 

未読日記1039 『高松次郎 : 制作の軌跡』

2015-05-26 23:43:19 | 書物
タイトル:高松次郎 制作の軌跡
別書名:Jiro Takamatsu: trajectory of work
企画:中西博之
学芸アシスタント:福元崇志
広報:冬木明里
翻訳:中山ゆかり、Tim Grovers
制作:鈴木宏、飛田陽子(水声社)
ブックデザイン:宗利淳一デザイン
発行:東京 : 水声社
発行日:2015.4
形態:223p : 挿図 ; 26cm
注記:展覧会カタログ
    会期・会場: 2015年4月7日-7月5日:国立国際美術館
    主催: 国立国際美術館
    出品作品リスト: p197-210
    主要文献: p218-223
内容:
「序 高松次郎の仕事」山梨俊夫
「高松次郎の全体像:ドローイングと装幀・挿画の仕事を交えて、年代順に」中西博之
作品図版
「内法の無限性」松浦寿夫
「高松次郎とアンフォルメル以後の抽象絵画」野田吉郎
「高松次郎を斜めから見る」沢山遼
出品作品リスト
展覧会歴
主要文献

頂いた日:2015年5月26日
 国立国際美術館に出張に行った際、頂いた1冊。どうもありがとうございます。
高松次郎展は東京でも先頃行われていたが、それぞれ企画意図が異なるので、優劣はつけがたい。好みとしては、国際美の方が好き。カタログは東京展より、外部執筆者が多く、読み応えがある。




未読日記1038 『デジタル・アーカイブの最前線』

2015-05-23 23:40:26 | 書物
タイトル:デジタル・アーカイブの最前線 (ブルーバックス)
著者:時実象一
カバー装幀:芦澤泰偉・児崎雅淑
本文デザイン:齋藤ひさの(STUDIO BEAT)
発行:東京 : 講談社(ブルーバックス, B-1904)
発行日:2015.2
形態:218p ; 18cm
注記:参考書籍: p210-212
    掲載画像の出典一覧: p213-214
内容:
活字、映像、ウェブ……残すのが困難な時代に!
災害の悲しい記憶も、映画の名場面が生む感動も、人類が未来に残すべき貴重な「知の遺産」である。だが、それらを守るしくみが崩れつつあるいま、出版物は孤児と化し、映像は再生不能となり、ウェブ世界でも膨大な情報がどんどん消えている。これらを電子的に保存すべく、世界の有志たちが立ち上がり、推進するデジタル・アーカイブ。その考え方、方法から乗り越えるべき問題まで。

目次
はじめに
第1章 歴史を記録するアーカイブ
 1-1 東日本大震災とアーカイブ
 1-2 テレビニュースを保存しよう
 1-3 昔のホームページはどこに
第2章 文化を記録するアーカイブ
 2-1 映画を消滅から救う
 2-2 家族の写真を保存する
 2-3 音を保存しよう
 2-4 芸術作品のアーカイブ
第3章 活字を記録するアーカイブ
 3-1 本をアーカイブする
 3-2 新聞記事で歴史をひもとく
 3-3 作られなかった議事録
 3-4 アカデミズムのアーカイブ
第4章 アーカイブの技術
 4-1 デジタルデータの技術
 4-2 アーカイブのネットワークで世界がつながる
第5章 これからのアーカイブ
 5-1 アーカイブに立ちふさがる壁
 5-2 デジタル・ヒューマニティーズのすすめ
エピローグ 感性はどこまでアーカイブできるか
謝辞
参考書籍
掲載画像の出典一覧
さくいん

購入日:2015年5月23日
購入店:MARUZEN 名古屋栄店
購入理由:
 週明けの仕事の出張・勉強会のための参考文献として購入。新聞の書評で知り、仕事の参考にいつか読もうとメモしておいたが、デジタル・アーカイブの現状を知るには最適な1冊であった。なかでも家族写真のアーカイブサイト「The Family Curator」には驚いた。読みやすいのでこの分野に関心がある方にはおすすめだが、図書館で借りて読んでもいいかもしれない。
 私はいわゆるアーキビストではないのだが、アーキビスト・司書のような仕事をしいている。アーカイブにまつわる入力、記録などの仕事としては、かれこれ10年以上になる。いろいろなご縁や偶然の結果であるが、それもまた仕事の適性なのかもしれない。個人的にも記録、収集の習癖があるので向いているのかもしれないが、全国の美術館・博物館でアーカイブが義務化されれば、転職率が上がるのにと思う今日この頃。

未読日記1037 『with norio nakaji 1949 - 2014』

2015-05-22 23:38:31 | 書物
タイトル:with norio nakaji 1949 - 2014
編集:安東菜々
アートディレクション&デザイン:杉本真治
発行:[出版地不明] : 安東菜々
発行日:2015.5
形態:62p ; 21cm
内容:
「明晰な謎・中井規夫の作品について」奥村素彦
図版
1973 SLICED DAILY
1974 MY FRIENDS
1978 版画のための鉛筆ドローイング
1984 NEWSPAPER
1985~1989 地図
1990~1998 MY ROMANCE
1998~2012 植物誌/点、線、面、そして純粋平面/クリスタル
作家略歴

頂いた日:2015年5月22日
 京都・ギャラリー恵風にて開催された「中路規夫 回顧展」(2015年5月19日~5月31日)を見に行った際に頂いた1冊。どうもありがとうございます。会場で作品を見はじめたとき、地図と題された作品があって、地図好きとしてはテンションが上がった。北辻良央の影響などがあったのだろうか。その後の作風は地図的な作品から外れてしまうのだが、この点だけでも調査・研究してみたいものである。

未読日記1036 『20世紀末・日本の美術』

2015-05-19 23:34:44 | 書物
タイトル:20世紀末・日本の美術―それぞれの作家の視点から
編著:中村ケンゴ
共著:眞島竜男、永瀬恭一、楠見清、木村絵理子、小金沢智
編集:細川英一
カバーデザイン:中村ケンゴ
ブックデザイン:アートダイバー
発行:東京 : アートダイバー
発行日:2015.4
形態:287p ; 19cm
内容:
90年代に活動を開始した同世代の美術作家―中村ケンゴ、眞島竜男、永瀬恭一。彼ら3人に、元美術手帖編集長の楠見清と、横浜美術館主任学芸員の木村絵理子を加え、2012年、2度にわたって催されたシンポジウム「日本の美術―それぞれの作家の視点から」。「90年代」から「ゼロ年代」のアートシーンをそれぞれの視点で振り返り、多くの反響を呼んだシンポジウムの記録を大幅に増補した書籍版。

目次
「まえがき」中村ケンゴ
第1部 1989―2001
『20世紀末・日本の美術―それぞれの作家の視点から』
中村ケンゴ+眞島竜男+永瀬恭一+楠見清

イントロダクション
1989(平成元)年
- 冷戦の終結とバブル経済/美術家自身による情報発信/『眼の神殿』の影響力
1990(平成2)年
- 西高東低
1991(平成3)年  
- シミュレーショニズム/シミュレーショニズムの影響
1992(平成4)年
- ネオ・ポップとアノーマリー展
1993(平成5)年  
- 街中が発表の場となっていく/演劇と編集/ポリティカル・コレクトネス/キーファーに染まる
1994(平成6)年
- 新世代コマーシャルギャラリーの登場
1995(平成7)年
- 日本文化の転換点
1996(平成8)年
- オルタナティブな活動/視ることのアレゴリー/『ぴあ』の時代のアート
1997(平成9)年
- 日本とアジアの美術
1998(平成10)年
- 『日本・現代・美術』刊行
1999(平成11)年
- 時代の体温展/セゾン現代美術館閉館へ
2000(平成12)年
- スーパーフラット
2001(平成13)年
- モダニズムvsポップ/80年代からゼロ年代の絵画空間の変遷
ネクストステップ

コラム
「90年代のインディーズ・メディアと東京のアート・シーン──インターネット出現前夜のDIY的情報発信者たち」楠見清
「未知の空気の追体験――平成の日本美術形成史」小金沢智
「言葉の不在」木村絵理子

第2部 1995―20XX
『20世紀末・日本の美術―何が語られ、何が語られなかったのか?』
中村ケンゴ+眞島竜男+永瀬恭一+木村絵理子

イントロダクション
1995(平成7)年
- 奈良美智とサブカルチャー/『モダニズムのハード・コア』
1996(平成8)年  
- 「アトピックサイト」展が意味するもの
1997(平成9)年
- 大学でつくられる美術理論誌/日本美術の再評価が盛んに
1999(平成11)年
- デパート美術館の相次ぐ閉館/美術系WEBサイトの黎明期
2000ー2001(平成12ー13)年
- 地方へと分散していくアートイベント
2002(平成14)年
- 大学における研究成果のオープン化/『芸術が終わったあとのアート』を読み直す/会田誠の表現とマイクロポリティクス/ゼロ年代のアート資本主義
2003(平成15)年
- 職業美術批評家不在の時代に/別のかたちで試みられる美術批評/誰が批評的発信をするのか/批評と共同体との関係性
ネクストステップ

コラム
「美術館建築ワースト/ベスト1? 」永瀬恭一
「アート系ウェブサイトの黎明期」中村ケンゴ+永瀬恭一
「載録 大丈夫、あらゆる意味で誰も頼んでないから」
「ポストモダンなコンテンポラリー/現前するコンテンポラリー」対談:眞島竜男×中村ケンゴ

「あとがき」中村ケンゴ
著者紹介

購入日:2015年5月16日
購入店:ジュンク堂書店 京都朝日会館店
購入理由:
 5月のつくるビルゼミ「ニューアーティストヒストリー~新世代の美術史」の参考文献として購入。
 タイトルには注意する必要があるが、本書は20世紀の日本の美術をまとめた本ではない。「20世紀」ではなく、「20世紀末」であり、1989年以降を対象としている。そして、「日本」と付されているが、事実上、「東京」のアートシーンしか語られないし、書かれない。
シンポジウムでの集客を想定したタイトルなのだろうが、本来ならば「平成・東京の美術―それぞれの作家の視点から」とすべきであろう。まえがきで「正史」ではないと断っているが、このようなタイトルで本を出版することの影響、受容を軽視しているとしか思えない。多くの読者は本書を読んで「日本現代美術史」だと思い、地方の美術や取り上げられなかったさまざまな事項がなかったことにされるのである。京都在住の私は、このような東京一極集中の思考を無意識・無批判に受け容れ、発言するような姿勢に対して、ただただ失望と怒りを感じるだけである。

 さて、内容は現代美術史の参考資料になるかと思いきや、基本的に粗雑な思い出話であった(年表も客観性に欠けて資料性はない。参照文献にまともな図録・美術書さえ見ていない)。だがそれが悪いわけではない。当時を生きた作家の言葉は貴重だと私も思うからである。作家はなにを言っても自由なので、このようなシンポジウムもアーティストのアートプロジェクト的な作品として見ることもできよう。

 だからこそ、書籍化にあたってコラムが追加されるのであれば、トークの補足として触れられなかったこと、言及すべき事柄を取り上げるべきであった。だが、そのような論点や視点を本書から感じることはできなかった。関西や地方のアートシーン、アートプロジェクトやデザインなどの各論もない。
 その例として小金沢智氏のコラムを挙げることができるだろう。共著者の中では、学芸員という立場上、作家側ではない客観的な視点や論点が提示されるかと期待したが、こちらは思い出話に出てくる展覧会を調べたレポートであった。文中、ブリコラージュを「寄せ集め(プリ・コラージュ)」と記しているのはご愛嬌だが、美術手帖を中心に平成の東京で行われた現代美術展の作家をひたすら羅列することには閉口した。各地方で特色ある展覧会が行われているというのに、美術手帖に掲載された国内外の日本の現代美術展を取り上げて、「20世紀末・日本の美術の相対化と重層化を目指す」とは驚きである。「平成の日本美術形成史」もずいぶん簡単な作業になったものだ。美術手帖だけ見て書けばいいのだから。結論にいたっては「20世末末当時、どのように美術が語られていたか「追体験すること」を必要とした。そして、「ここ」から思考をはじめなければならない」と書くが、それを「ここ」(本書)に書くべきであろう。平成の展覧会レビューを駆け足でするのはいいが、その結果なにがわかったのかが私は知りたかった。

 さまざまな人々が歴史を語り、記述することは大いに賛成である。だが、その時に抜けてしまうこと、語られないこと、人々、場所があることに対して、私は自覚的、意識的でいたい。本書のようなシンポジウムや出版の試みは歓迎すべきだし、その実施・出版は高く評価するものである。ぜひ続編の開催を期待したい。

未読日記1035 『発展する地域 衰退する地域』

2015-05-18 23:40:14 | 書物
タイトル:発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)
タイトル別名:Cities and the wealth of nations : principles of economic life
        都市の経済学 : 発展と衰退のダイナミクス
著者:ジェイン・ジェイコブズ
訳者:中村達也
カバーデザイン:服部一成
発行:東京 : 筑摩書房(ちくま学芸文庫, [シ31-1])
発行日:2012.11
形態:413p ; 15cm
注記:『都市の経済学 : 発展と衰退のダイナミクス』(1986年9月TBSブリタニカ刊)を改訂し、文庫化したもの
    叢書番号はブックジャケットによる
内容:
大都市の気ままな流行りや、公共事業、工場誘致に頼るのはもう終わりにしよう!それぞれの地域が持つ財を利用し、住民の創意を生かした活動をしない限り、経済的発展はない!かつてのベネチアのように、必要なものを自らの手で作り、近隣地域と共生的な交易を行えば、技術は高まり、雇用も生まれ、地域は自然と活性化する。アメリカで大規模再開発により街が「死んで」いく過程を観察したジェイコブズは、街や地域が生み出すダイナミズムに注目、経済が発展・衰退する鍵を、古今東西の無数の例から探り出した。地域が自立するための処方箋を描いた先駆的名著。

目次
日本語版への序文
第1章 愚者の楽園
第2章 現実にたちもどって
第3章 都市地域
第4章 供給地域
第5章 労働者に見すてられる地域
第6章 技術と住民排除
第7章 移植工場地域
第8章 都市のない地域に向けられた資本
第9章 取り残された地域
第10章 なぜ後進都市は互いを必要とし合うのか
第11章 都市への誤ったフィードバック
第12章 衰退の取引
第13章 苦境
第14章 漂流
謝辞
原註
訳者あとがき
解説 ジェイコブズ経済学とその実践(片山善博)
解説 ジェイコブズ経済学の現在的意義(塩沢由典)

購入日:2015年5月16日
購入店:ジュンク堂書店 京都朝日会館店
購入理由:
 帯につられたわけではないが、今年の1月に日経の書評欄で本書を知り、メモしておいたのだがこれまで買わず仕舞いであった。本を読むには目的やタイミングがある。だが先頃、奈良の地域アートプロジェクトの企画に参加することになった。そこで、参考までに地域の本を読もうと思い、本書を思い出して購入した次第である。
 少し読み始めたが、専門外ということもあるがそれほど興趣はない。

未読日記1034 『考える人 2013年8月号』

2015-05-17 23:19:33 | 書物
タイトル:考える人 2013年 08月号 [雑誌]
アートディレクション:島田隆
椅子のシンボルマーク:坂崎千春
発行:東京 : 新潮社
発行日:2013.8
形態:263p ; 26cm
内容:
特集 数学は美しいか
グラフィック 
 池田亮司
 杉本博司
 Orist
 数学を変えた人々
 算額
イントロダクション
 「数学の愉悦を味わうために」山本貴光
インタビュー
 円城塔「天才数学者は、変人とはかぎらない」
 伊東俊太郎「人は数学に何を求めてきたか」
 三宅陽一郎「人工知能は数学を理解できるのか」
 私が世界で一番美しいと思う数式・証明
エッセイ
 森田真生「数学と情緒」
ルポルタージュ・エッセイ
 筑駒中高数学科学研究会「趣味は数学」
 竹内薫「超難問と天才数学者の世界を探検する」
 長岡亮介「東大の数学入試問題は美しい」
 深川英俊「算額の愉しみ」
これも数学。
 中島さち子「スウィングと数学の絶妙な関係」
 鏡リュウジ「隠された世界を知るために「数学」と「占星術」」
 野崎昭弘「「天国への道」パズル」
 吉村仁「「カジノ資本主義」の破綻は数学で証明できる」
 Orist「肉体化する数学 複雑の度を増す現代折紙」
ブックガイド
 「発見と難問の森に遊ぶ」山本貴光
論文
 テレンス・タオ「素数の研究──その構造とランダム性について」

第1回 河合隼雄 物語賞・学芸賞 決定発表
選評 受賞のことば 西加奈子 藤原辰史
特別寄稿 村上春樹「魂のいちばん深いところ」

新連載
 「富士──ある山の伝記 御師の町」池内紀
 「アメリカン・レガシー ハーバード――アメリカ型高等教育の完成」渡辺靖
考える夏
 「鳥類学者は恐竜をかく語りき」川上和人

連載 high thinking
「ヨーロッパの身体性(6) 自己と社会と」養老孟司
「新地球紀行(2)謎を解く鍵は海底に落ちていた」大河内直彦
「東北巡礼(8)大御幣祭 花笠舞 山形県飽海郡遊佐町鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮・吹浦口之宮」吉本直子、中野晴生
「行ったり来たり(14) 漢チャン」マイケル・エメリック
「ニッポンの馬(5) 競走馬の世界 その一」内澤旬子
「月日の残像(最終回)届かない領域」山田太一
「柳田国男、今いずこ(7)「翁さび」の世界」山折哲雄
「琥珀のアーカイヴ(9)パリンプセストとしての洞窟」今福龍太
「生命の内と外(2)細胞の「内なる外部」」永田和宏
「チキュウズィン(0119-0122)」木内達朗
「考えない(44) 恐怖の物件情報」宮沢章夫

連載 plain living
「日本のすごい味(21) 五島うどん 長崎県五島列島・新上五島町「五島手延うどん協同組合」」平松洋子
「京都寺町お茶ごよみ(18) 三角関係」渡辺都
「私の暮らしかた(最終回)荷物をおろして」大貫妙子
「『犬が星見た』をめぐる旅 高山なおみのロシア日記(8)」高山なおみ
「娘と私(36) 畑のおじさん」さげさかのりこ
「考える手(43)長野県中野市 コシナのレンズ」

連載 graphic special
「ニッポンの里山(11) 熊本県南阿蘇村」今森光彦
「動物たちの惑星(24)[南アフリカ4]」岩合光昭

購入日:2015年5月16日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
 木野智史展DMテキストの参考文献として購入。
木野智史の作品を見ていると、ふと杉本博司の「数学的形体」に見えてきた。ならば数学の「かたち」と「美しさ」について書かれた本はないか探したところ、本書の特集を見つけたので購入。とはいえ、文系人間の考えることなので付け焼き刀では文章は書けず、結局は他のことを書くことになった。まだまだ勉強が足りない・・



未読日記1033 『禅の第一義』

2015-05-16 23:58:13 | 書物
タイトル:禅の第一義 (平凡社ライブラリー742)
タイトル別名:The primary purpose of western Zen
著者:鈴木大拙
装幀:中垣信夫
発行:東京 : 平凡社(平凡社ライブラリー, 742)
発行日:2011.8
形態:238p ; 16cm
注記:その他のタイトルはカバージャケットによる
内容:
禅は、鈴木大拙の精力的な活動により、アメリカ・ヨーロッパをはじめ、世界へ広がった。この人なくして、新しい思想としての禅の世界化はなかった。単に仏教のみに沈潜するのではなく、キリスト教との比較、ヨーロッパ文学や神秘主義への探究を通し、大拙は開かれた世界から禅を深めていった。禅を「宗教の極致」と位置づけるに至った初期の代表作。

目次
第1篇 第一義
第2篇 莫妄想
第3篇 解打鼓

購入日:2015年5月15日
購入店:ジュンク堂書店 京都朝日会館店
購入理由:
 日本経済新聞夕刊のコラム「プロムナード」に批評家・若松英輔氏が書いた記事に本書の引用があり、興味を魅かれて購入。落語を聞きにいくため急いでいたこともあり、あまり中身も確認にせずに買ってしまったが、あとで読み始めて漢語調の文章だと気づく。原著が1914年刊行なので当然なのだが、なかなか論旨が頭に入りにくい・・。

未読日記1032 『原初生命体としての人間』

2015-05-15 23:49:01 | 書物
タイトル:原初生命体としての人間 ― 野口体操の理論
著者:野口三千三
発行:東京 : 岩波書店(岩波現代文庫, 社会 ; 80)
発行日:2003.6
形態:xii, 297p ; 15cm
注記:初版: 三笠書房(1972.9)刊
    底本: 岩波書店(1996.3)刊の同時代ライブラリー版
    解説(養老孟司著): p291-297
内容:
「からだの主体は脳ではなく、体液である」――こうしたからだの動きの実感を手がかりに生み出された野口体操の理論は、従来の体操観を大きく覆し、演劇・音楽・教育・哲学など多方面に影響を与え続けている。身体の可能性を拓く体操法を端的に語った本書は、身体的思考に基づく独創的な人間論、運動・感覚・言葉論でもある。

目次
はしがき
第1章 体操による人間変革
第2章 原初生命体の発想
第3章 息と「生き」
第4章 原初生命体の動き
第5章 ことばと動き
第6章 いろいろな問題
あとがき
解説 養老孟司

購入日:2015年5月15日
購入店:ブックオフ 京都三条駅ビル店
購入理由:
 探している本があって訪れたが、目当ての本はなく、かわりに探していた本書を見つけたので購入。後で書き込みがけっこうあったが、痕跡本として楽しむとしよう。
 本書は、中学か高校のときに読んで、影響を受けた一冊である。昨年、ある写真家の方に本書の話を久しぶりにしたこともあって、また再読したいと思っていた。初読時は、図書館で同時代ライブラリー版を借りて読んだ記憶がある。
 本書のことを知ったのは演出家・鴻上尚史の著作であった。中高生の私は鴻上氏の著作を娯楽読物として好きで読んでいたのだが、演劇論・身体論のエッセイのなかで本書を取り上げていたのだった。当時の私は今よりも「身体」について悩みがあり、興味がおこり手に取ったのである。読後、体操論・身体論としての野口体操も興味深かったが、私にとっては「いいかげんがいい加減」などの身体と言葉の関係性がとても刺激的だった。こんなにしなやかに「からだ」と「こころ」のバランスを考えられる思想・発想があるのかと目から鱗が落ちる思いであった。

未読日記1031 『すます』

2015-05-14 23:47:33 | 書物
タイトル:今村遼佑 : すます/見えてくるもの 聞こえてくるもの
並列タイトル:Ryosuke Imamura : Sumasu
編集:今村遼佑、BACADESIGN
撮影:金サジ、京谷裕彰、今村遼佑
デザイン:BACADESIGN
翻訳:吉倉拓真
発行:[出版地不明] : 舟橋牧子
発行日:2015.4
注記:52p ; 21cm
注記:展覧会カタログ
    作家:今村遼佑
    キュレーター:舟橋牧子
    会期:2014年11月7日‐11月16日
    会場:郡山城下町 南大工町の家
    主催:奈良・町家の芸術祭HANARART実行委員会
    共催:奈良県
    協賛:SHISEIDO
内容:
図版
「15」今村遼佑
作家略歴
「南大工町の家にて」舟橋牧子

頂いた日:2015年5月14日
 作家の方よりご恵贈頂いた1冊。どうもありがとうございます。
 展覧会は昨年の「HANARART 2014」の企画として開催されたもの。町家を使った展示は数多くあるが、これほど空気や湿度を感じた展示もめずらしいかもしれない。見に行った日に雨が降っていたこともあるが、木漏れ日や秋風、木々や町家の匂いが鮮やかに空間に満ちていた。それでいて、不穏や緊張を感じるというのではなく、不思議な安らかさと陰影が感じられた。
 金サジによる作品写真は、作品のみを撮影するのではなく、作品を含んだ空間、時間を念頭に記録されている。結果的に、インスタレーションや作品と町家に流れていた空気が記録されておりすばらしい。それはもはや作品写真でさえなく、金サジの写真集とも言える傑作である。あらためて、もっと評価されるべきすばらしい写真家である。
 デザインは、いわゆる「表紙」がなく、表紙部分から1頁が始まり、裏表紙部分に奥付がきている。表紙に付随する見返し・目次・ごあいさつなどもないため、いきなり映画本編が始まるように、作品の世界に入り込ませる手法は鮮やかである。これも写真の力があってこそのデザインであろう。