A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記1360 『ウィリアムズ詩集』

2017-09-30 18:02:17 | 書物
タイトル:ウィリアムズ詩集
シリーズ名:海外詩文庫, 15
著者:ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
編訳者:原成吉
装幀:芦澤泰偉
発行:東京 : 思潮社
発行日:2005.7
形態:160p ; 19cm
注記:年譜 / 国見晃子編: p155-160
内容:
「詩は、コトバで作られた小さな(あるいは大きな)機械だ。そこには感傷的なものもなければ、余分なものもない」と言い切るウィリアムズは、コトバの象徴性から詩を解放しようとしたアメリカを代表する詩人である。「事物を離れて観念はない」という彼のモットーは、20世紀後半のアメリカ詩を特徴づけるものとなった。産科と小児科医を生業とした多文化主義の詩人は、「反―詩」的な「ここ、いま」の現実から離れることなく詩を創造していった。アメリカ口語の持つ詩的可能性を追究し、ホイットマンが夢みた「アメリカのうた」を歌い続けたが、その実験的な詩のフォームは現代芸術の動向と無縁のものではなかった。ウィリアムズの「詩とは何か」という問いは、ブラックマウンテン派やビート派といったポストモダンの世代に引き継がれ、現在のわたしたちに至る。本書では、初期の名作「赤い手押し車」や、長篇詩『パターソン』から「図書館」を抄録、晩年の傑作「砂漠の音楽」を含む、ウィリアムズの代表作を収録した。

1
2 前期詩篇—1909−1939
3 長篇詩『パターソン』第三巻より
4 後期詩篇—1939 -1962
散文 オーストラリアの編集者への手紙
詩人論・作品論
解説・年譜
解説=原成吉
年譜=国見晃子

購入日:2017年9月30日
購入店:Amazon.co.jp
購入理由:
 ジム・ジャームッシュの映画「パターソン」を見た後、映画でオマージュを捧げられているウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩が気になり読んでみたく本書を購入。


memorandum 564 「いつか役に立つ可能性がある」

2017-09-29 22:23:19 | ことば
その「なんだかよくわからないもの」がいつ、どのような条件の下で、どんなふうに「役に立つ」ことになるのか、今の段階ではわからない。そもそもその価値や有用性を考量する手持ちの度量衡がないからこそ、それは「なんだかよくわからないもの」と呼ばれているわけです。
 でも、ある種の直感は、それが「いつか役に立つ可能性がある」ことを教えます。そのような直感が活発に働いている人だけが「いつか役に立った時に、『ああ、あのときに拾っておいてよかった』と思っている自分の感謝の気持ち」を前倒しで感知することができる。だとしたら、それは、さしあたりは意味も有用性もわからないものですが、その人にとっては、すでに「贈り物」なのです。

内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、202頁。

現代美術は意味も有用性もわからないものが多いがゆえに、直感という「贈り物」を私は信じる。

未読日記1359 『村岡三郎展』

2017-09-28 23:19:53 | 書物
タイトル:村岡三郎展 : 熱の彫刻 : 物質と生命の根源を求めて
別タイトル:Saburo Muraoka : salt : heat: oxygen
編集:東京国立近代美術館 本江邦夫、松本透、中林和雄
編集協力:家村珠代
翻訳:小川紀久子
デザイン:田中久子
制作:アイメックス・ファインアート
発行:東京 : 東京国立近代美術館
発行日:c1997
形態:96p ; 33cm
注記:展覧会カタログ
   会場: 東京国立近代美術館 , 1997.11.1-1998.1.11 ; 京都国立近代美術館 , 1998.1.27-1998.3.1
   主催: 東京国立近代美術館 ; 京都国立近代美術館
内容:
村岡三郎 1983-1997 : 塩・熱・酸素 松本透
村岡三郎あるいは物質の沈黙 本江邦夫
Saburo Muraoka 1983-1997 : Salt/Heat/Oxygen by Tohru Matsumoto
Saburo Muraoka or the Silence of Substances by Kunio Motoe
カタログ
Catalogue Notes
主要展覧会歴
主要文献
出品作品リスト

購入日:2017年9月23日
購入店:中井書房
購入理由:
 田中真吾展「Expect The Unexpected」(eN arts)レビューの参考文献として購入。以前に持っていたはずなのだが見当たらず、結局買うことにする。田中が火を制作に用いることから、鉄を熱する村岡三郎を思い出し、その関連性について調べてみたい。


未読日記1358 『IMAI Norio : origin of the blank』

2017-09-27 23:54:44 | 書物
タイトル:今井祝雄 余白の起源
並列タイトル:IMAI Norio : origin of the blank
撮影:小橋慶三、今井祝雄
翻訳:渡辺真也
発行:京都 : ART OFFICE OZASA
発行日:c2017
形態:[56]p ; 26cm
注記:展覧会カタログ
   『今井祝雄 余白の起源』
   会期・会場: 2017年9月2日(土)~9月30日(土):ozasakyoto
内容:
図版
「反転する絵画・世界・時間」平井章一
biography
list of works

頂いた日:2017年9月23日
 ozasakyotoにて開催された「今井祝雄 – 余白の起源」展を拝見した際、ギャラリーよりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
 本展は、2010,11年に制作された〈フレーム考〉シリーズを中心に、1971年の具体美術協会最後の展覧会「具体美術小品展」での出品作を併せて展示した展覧会。10年代と70年代という時間の開きがあるが、今井の造型が一貫していることが確認できる。と同時に、作品が古くなっていないことにも驚く。「起源」を問うことの重要さをあらためて感じる。

未読日記1357 『Noboru Fujino MOON Seung-Keun Toru Kuranuki』

2017-09-26 23:30:05 | 書物
タイトル:35th anniversary of Moon Seung-Keun's Death: Noboru Fujino MOON Seung-Keun Toru Kuranuki
発行:京都 : ART OFFICE OZASA
発行日:[2017]
形態:[14]p ; 26cm
注記:展覧会カタログ
   『没後35年 文承根 藤野登 倉貫徹』
   会期・会場: 2017年4月13日(木)~4月29日(土):ozasakyoto
内容:
「「Objet」ーホワイト・クレパス―藤野へ」倉貫徹
図版
Installation view
profile MOON Seung-Keun / Toru Kuranuki

頂いた日:2017年9月23日
 ozasakyotoにて開催された「今井祝雄 – 余白の起源」展を拝見した際、ギャラリーよりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
 本展はタイトルから3人展に見えるが、文承根(藤野登)と倉貫徹の2人展。同時代に活躍した二人の60〜70年代の作品が展示された。



未読日記1356 『miyuki yokomizo』

2017-09-25 23:32:14 | 書物
タイトル:miyuki yokomizo
発行:京都 : ART OFFICE OZASA
発行:c2017
形態:[32]p ; 26cm
内容
WORKS
"Dialogue with Nothingness, Formed by Accumulation・" The World of Miyuki Yokomizo"s Sculptural Painting, Katoh Yoshio
"Container of Color, Box of Light. Miyuki Yokomizo's "Operation of Space", Umezu Gen
profile
collection

頂いた日:2017年9月23日
 ozasakyotoにて開催された「今井祝雄 – 余白の起源」展を拝見した際、ギャラリーよりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
同ギャラリーから刊行されている「miyuki yokomizo accumulation・」とは異なり、こちらは横溝美由紀の旧作から近作までをまとめたもの。テキストは加藤義夫氏、梅津元氏の英訳テキストが収録されている。




未読日記1355 『miyuki yokomizo accumulation・』

2017-09-24 22:07:56 | 書物
タイトル:横溝美由紀 集積・
並列タイトル:miyuki yokomizo accumulation・
撮影:山本糺
発行:京都 : ART OFFICE OZASA
形態:[24]p ; 26cm
注記:展覧会カタログ
   会期・会場: 2016年11月4日-12月4日:ozasakyoto
内容:
「集積の中から生まれる、無との対話 横溝美由紀の彫刻的絵画世界」加藤義夫
図版
作家略歴

頂いた日:2017年9月23日
 ozasakyotoにて開催された「今井祝雄 – 余白の起源」展を拝見した際、ギャラリーよりご恵贈頂きました。どうもありがとうございます。
本展は拝見した記憶があるが、カタログがあるとは知らなかった。彫刻家の描く絵画は、ジャコメッティしかり線が印象的だが、横溝もまた緻密にして繊細な線で空間を紡いだといえる。

未読日記1354 『草月とその時代 1945-1970』

2017-09-23 22:58:17 | 書物
タイトル:草月とその時代 1945-1970
編集:芦屋市立美術博物館(加藤瑞穂、山本淳夫)、千葉市美術館(藁科英也)
デザイン:日向達也・磯田夏男
制作:光琳社
発行:[出版地不明] : 草月とその時代展実行委員会
発行日:1998.10
形態:314p ; 30cm
注記:展覧会カタログ
   会期・会場: 1998年10月17日(土)-11月29日(日):芦屋市立美術博物館, 1998年12月5日(土)-1999年1月10日(日):千葉市美術館
   主催: 芦屋市立美術博物館, 芦屋市立文化振興財団, 朝日新聞社 [ほか]
   参考文献: p158-171
   関連年表: p172-195
内容:
ごあいさつ
謝辞
草月と戦後日本の芸術運動/勅使河原 宏

1. オブジェの時代  
あいまいなる戦後のオブジェ /建畠 晢
戦後アヴァンギャルドの出発 ―「夜の会」から実験工房へ /五十殿 利治
勅使河原蒼風の立体造形 /藁科英也
作品図版
コラム
 戦前期の蒼風コレクション
 三人三様―土門拳、亀倉雄策と蒼風
 ヌードと前衛
文献再録
 「素材とオブジェ」(座談会)
 「古き美より 新しき美へ」(座談会)
 文献解題

2. アンフォルメル  
勅使河原蒼風とアンフォルメル(と私) /芳賀 徹
日本におけるアンフォルメルの受容 /加藤瑞穂
作品図版
コラム
 世界・今日の美術展
 アンフォルメル関係者の来日
 世界・現代美術展
 新しい絵画世界展―アンフォルメルと具体―
 国際スカイフェスティバル
文献再録
 ミシェル・タピエ(内藤 高訳)『生成する美学』
 ミシェル・タピエ(芳賀 徹訳)「第一回日本旅行の精神的決済書」
 ミシェル・タピエ(芳賀 徹訳)『激情の名証』
参考文献
関連年表 1945-1970

3. 草月アートセンター  
草月アートセンター活動記録
文献再録
 秋山邦晴「草月アートセンター」  
朱いベーゼンドルファー・ピアノにジャズは似合うだろうか ―草月とジャズ― /相倉久人
「音の実験」と草月アートセンター /山本淳夫
草月シネマテークの時代 ―実験映画と実験映像を中心に /正木 基
コラム
 草月ミュージック・イン
 草月コンテンポラリー・シリーズ
 機関誌『SAC』
 アニメーション3人の会
 草月シネマテーク
 ジョン・ケージ・ショック
 草月アートセンターのグラフィックデザイン
 6人を乗せた馬車
 草月実験劇場
 マース・カニングハム・ダンス・カンパニー
 ローシェンバーグへの公開質問会
 日本映画の足跡
 世界前衛映画祭
 アンダーグラウンド・シネマ
 草月実見映画祭からフィルム・アート・フェスティバルへ
 Expose 1968「なにかいってくれ、いま、さがす」
『SAC』総目次 299
出品目録

購入日:2017年9月23日
購入店:日本の古本屋
購入理由:
 田中真吾展「Expect The Unexpected」(eN arts)レビューの参考文献として購入。参考にしようとアンフォルメルについて調べていたところ、本書(本展)のことを思い出す。以前に千葉市美で図録を買っていたと思い、部屋を探すが見つからない。仕方なく古本屋で書い直す。
あらためて見直すと、痒いところまで手が届く緻密な構成と編集に脱帽。アンフォルメルについては、ブリヂストン美術館での『アンフォルメルとは何か」展と本書が決定版にして永久保存版と言える。



memorandum 563 「なんだかよくわからないもの」

2017-09-22 23:46:26 | ことば
 僕は自分の書くものを、沈黙交易の場に「ほい」と置かれた「なんだかよくわからないもの」に類するものと思っています。とりあえずそこに置いてある。誰も来なければ、そのまま風雨にさらされて砕け散ったり、どこかに吹き飛ばされてしまう。でも、誰かが気づいて「こりゃ、なんだろう」と不思議に思って手にとってくれたら、そこからコミュニケーションが始まるチャンスがある。それがメッセージというものの本来的なありようではないかと僕は思うのです。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、200頁。

私のテクストも「ほい」と無償配布されるだけだが、それでいいと思う。
一方、これは美術の在りようにも通じるだろう。

memorandum 562 待たなければならない

2017-09-21 11:23:21 | ことば
 無償で読む無数の読者たちの中から、ある日、そのテクストを「自分宛ての贈り物」だと思う人が出てくる。著作者に対して反対給付義務を感じて、「返礼しないと、悪いことが起きる」と思った人が出てくる。そのときはじめて著作物は価値を持つ。そのような人が出てくるまで、ものを書く人間は待たなければならない。書物の価値は即自的に内在するのでなく、時間の経過の中でゆっくりと堆積し、醸成されてゆくものだと僕は思っています。
内田樹『街場のメディア論』光文社(光文社新書)、2010年、187頁。

悪いことが起きるかわからないが、私も「自分宛ての贈り物」だと感じた数多くの書物や美術に対して反対給付義務を感じている。見れば見るほど、読めば読むほど、書けば書くほどたくさんの書物や美術に返礼をしたくなる。
私のテクストのほとんどは無償で読めるわけだが、それを「自分宛ての贈り物」だと思う人は同時代ではいないだろう。だが、著者は死んでもテクストは生き続ける。