A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記102 「海老塚耕一」

2007-09-27 23:15:55 | 書物
タイトル:海老塚耕一展
発行:かわさきIBM市民文化ギャラリー
発行日:2007年7月
内容:
2007年6月15日-7月4日にかわさきIBM市民文化ギャラリーにて開催された「海老塚耕一」展のカタログ。
図版13点
テキスト
「海老塚耕一 K市の水と異次元の皮膚」酒井忠康(美術評論家)
「展示の現場で思ったこと」藤嶋俊會(美術評論家)

入手日:2007年9月24日
会期後にカタログができるため、会場で予約をして先日届いたもの。
かわさきIBM市民文化ギャラリーで発行するカタログはB5判サイズだったが、今回はA4判で内容も一新となった。
海老塚氏の仕事は、その人柄とともに定期的に作品は見ていた。今回、レリーフの作品は新鮮だった。このレリーフ作品の内、水のシリーズは散らし文様が琳派のようであった。

未読日記101 「三俣元」

2007-09-26 22:57:57 | 書物
タイトル:三俣 元 -光の午後-
発行:ギャラリー山口
発行日:2007年9月17日
内容:
2007年9月17日-9月22日に東京京橋のギャラリー山口にて開催された展覧会リーフレット。
図版7点、柴田敏雄テキスト

入手日:2007年9月17日
入手場所:ギャラリー山口
はっきりとした記憶ではないが、以前ギャラリー山口にてグループ展「HARUTOARI-9展」「かおかたち展」を見たおぼえがある。白黒スナップショットから東京綜合写真専門学校卒の人ではないかと推測したが、やはりそうだった。この学校は課題として路上でのスナップショットを課しているようで、それだけに優れた写真が多い。しかし、三俣はそのような専門学校の課題レベルの写真ではない。それは、写真家柴田敏雄氏によるテキストからわかったことだが、三俣は8×10インチの大型カメラで撮影をしているというのだ。そして、40cm四方の暗箱を腰にくくりつけて撮影さえするという。このような大型カメラを使い、渋谷の雑踏の中を撮影してまわるとは驚きである。大型カメラを使いながらも、そのような重量感は微塵もない。フットワークの軽さ、動きさえ感じる。
また、若者たちのポートレイトシリーズも印象的だ。彼/彼女たちのまなざしには暗さとも空虚さとも言えない不思議なまなざしがこちらを見つめ返す。その浮遊するようなまなざしが何なのかは今はまだわからない。だが、このまなざしをシャッターで切り取る三俣のまなざしは信じてもいい、と思うのだ。

TOUCHING WORD 014

2007-09-21 22:07:25 | ことば
気に入らぬ風もあらふに柳哉        涯

(仙涯「堪忍柳画賛」出光美術館

にやにや笑いながらも、ふむふむとうなずいていた。
風だっていろんな種類がある。そりゃ気に入らない風もあろう。
強風、微風、涼風、寒風、温風、疾風・・
絵のいいかげんさと文字のダイナミックな配置も意表をつく仙涯の傑作。
展覧会も充実した内容だったが、余計な遊びが目につくカタログは図版を邪魔していてがっかりだった。

「没後170年記念 仙涯・センガイ・SENGAI-禅画に遊ぶ-」
2007年9月1日(土)-10月28日(日)
出光美術館

未読日記100 「ソドムとゴモラⅡ」

2007-09-18 22:05:24 | 書物
タイトル:失われた時を求めて8 
     第四篇 ソドムとゴモラⅡ
著者:マルセル・プルースト 鈴木道彦訳
装丁:木村裕治
カバー画:キース・ヴァン・ドンゲン
発行:集英社/集英社文庫ヘリテージシリーズ
発行日:2006年10月23日
内容:
ヴェルデュラン夫人が、連日のように晩餐会を開いている(第四篇Ⅱ 第二章・続)。語り手は運転手つきの自動車をやとって、アルベルチーヌとバルベック郊外を散策する。一方、シャルリュスは、ヴァイオリニストのモレルに会うために、ヴェルデュラン夫妻のサロンの常連になっている(第四篇Ⅱ第三章)。アルベルチーヌの同性愛への疑惑と嫉妬。彼女を隔離しなければならない。語り手は母親に、アルベルチーヌとの結婚を告げる(第四篇Ⅱ 第四章)。
エッセイ:菅野昭正

購入日:2007年9月15日
購入店:ブックファースト 渋谷店
購入理由:
同性愛を主題とした「ソドムとゴモラ」篇の第2巻。長丁場を読み進んでくると、さまざまな人物に愛着が湧いてくる。シャルリュス男爵などがそうだ。その正体がわかるにつれて、この人物が今後どのような振るまいを見せてくれるのか楽しみになってくる。そして、アルベルチーヌ。この魅力的な人物を語り手は疑惑と嫉妬によって、まるで輝くことを止めようとしているかのようだ。ゆるやかに抑制された語り口が、物語の全貌を一滴づつじらすように進行していく。だが、確実に時間は進んでいる。
約600頁のバルベックでの豊穣な時間。その時間をいまは大切にしたい。

TOUCHING WORD 013

2007-09-14 22:02:16 | ことば
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう。私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。
(p.27 「自省録」マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子訳 岩波文庫2007.2)

未読日記99 「崩壊感覚」

2007-09-12 21:45:20 | 書物
タイトル:崩壊感覚 The Sense of Collapse
テキスト:鈴木勝雄(東京国立近代美術館)
デザイン:森大志郎
発行:東京国立近代美術館
発行日:2007年8月18日
内容:
2007年8月18日-10月21日に東京国立近代美術館ギャラリー4にて開催された<崩壊感覚>展のリーフレット。
「観る者の郷愁を誘う打ち棄てられた建物、戦争や災害による破局の光景、時間の経過とともに風化していく物質の姿、そして自己の境界が溶け出すような感覚におびえる人間の存在。これら「崩壊するもの」のイメージは、20世紀以降の美術の底に絶えず流れていたといえます。(中略)この展覧会は、21名の作家による45点の作品がとらえた様々な「崩壊感覚」を通して、その多様な意味の広がり、過去・現在・未来の時間の相と照らし合わせながら考察していくものです。」(本書テキストより)

入手日:2007年9月8日
入手場所:東京国立近代美術館 ギャラリー4
東京国立近代美術館の常設展スペースを使用し、コレクションを活用した企画展シリーズ。今回は<崩壊感覚>というタイトルで「崩壊するもの」のイメージを考察。美学的なテーマで、地味ながらも良質な展覧会で、美しい時間を過ごすことができた。絵画、写真、工芸など多様なメディアから選ばれているのも好感がもてる。今回の展示のハイライトは池田遙邨の「関東大震災スケッチ」と宮本隆司の「神戸1995」だろう。どちらも地震という災害後の廃墟の都市を記録したものだが、絵画と写真で表現が違うだけで、まったく印象が違うことにあらためて驚く。池田の廃墟は地震という説明がなくても、「廃墟」というイメージを出現させ、架空の都市として見るものはさ迷い歩く。だが、宮本の撮った「廃墟」には「廃墟」がもつロマンティシズム、郷愁のようなものはまったくない。もちろん1995年という「記憶」が遠い過去にさせないということはあるだろうが、そこには過ぎ去った過去ではない、生々しい「記憶」が生き続けている。このように同一のテーマを照応するような展示がすばらしい。
また最後に付け加えるならば、熱変形した大判ネガフィルムを減圧瓶の中に納めた中川政昭の「TYO」シリーズは崩壊の一形態として官能的である。崩壊を留める。記録する。その逆説的な行為のひとつのかたちとして中川の作品は多くの思考を含んでいる。

未読日記98 「国宝って何?」

2007-09-11 22:09:13 | 書物
タイトル:BRUTUS 2007.9.15号通巻624号
カバー:狩野永徳「檜図屏風」1590年
発行日:2007年9月1日
内容:
国宝って何?
日本美術をもっとよく知り楽しむ。その一番手っ取り早い方法、それは国宝について知ることです。「国」と「宝」と書きますが、日本人でも国宝について詳細を知らない人も多いのでは。国宝はいくつある? 国宝は誰が決める? 売ったり買ったりしていい? そんな素朴な疑問に答えつつ、絵画、仏像、建築、書etc.、を読み解いていきます。この秋、見るべき展覧会情報付き。今号特集は、国宝って何?(BRUTUS ホームページより)

購入日:2007年9月2日
購入店:ブックファースト 渋谷店
購入理由:
狩野永徳展の予習にと思い購入。永徳の「四季花鳥図襖」を観音開きで図版掲載するなど、その心意気にうれしくなる。並みの美術雑誌より、充実した特集だ。ちなみに、私はほとんど(日本の)美術雑誌というものを買わない。その理由は簡単で、高い値段を払って見にくい(醜い)雑誌など買いたくはないからだ。同様の理由で映画雑誌も買いたくない。美術手帖なども図版があっても小さくて見にくいのだから、思い切って「ユリイカ」や「現代思想」みたいな活字中心の雑誌になってしまえばいいのに、などと妄想する。もし、いい雑誌があれば教えて頂きたい。ちなみに、美術情報誌であれば言水ヘリオ氏編集の「etc.」は毎月購入している。安くて薄くて情報だけに特化しているのが使いやすいので。

未読日記97 「花に生きる人たちへ」

2007-09-10 21:04:35 | 書物
タイトル:花に生きる人たちへ
著者:山根翠堂
発行:中央公論美術出版
発行日:1967年7月10日
内容:
いけばな研究家の山根翠堂によるいけばなについてのエッセイ集。

「教える方も、おそわる方も、いけ花の技術だけを熱心に稽古して、人間教育の責任者としての花道家を目的とした勉強には余り熱心ではないようです。(中略)そこで私は全日本のいけ花の先生のほとんどすべてに読んでいただけるような通俗的な本、いけ花の先生の常識といえるものを残らず一冊にまとめた本、いけ花の稽古場の雰囲気をすっかり変えることのできるような本、この一冊があれば花道家の話題はたちまち豊富になるといったものをつくりたいと思いまして、(中略)このようなものができあがりました。」(「はしがき」より)

購入日:2007年8月28日
購入店:公文堂書店
購入理由:
鎌倉の古本屋をぼんやり眺めていたら、古いいけばな本を見つけ、さんざ迷ったあげく購入。
山根翠堂といえば、以前にも『花道日本』という著作を<未読日記21>で紹介したが、この本は同じ著者による遺作本となる。内容は、翠堂が録音テープで吹き込んだテープを息子の山根有三が文字起しをしたとあとがきにある。他に、生前に書かれたいけばな論3篇が収録されている。いけばなの技術的なことがらより、いけばな、花、植物に向かう姿勢や考えなどが述べられているようだ。いけばなについての著作が少ないなかで、山根翠堂という人物が遺した仕事がどれぐらいのものかわからないが調べてみる余地はありそうだ。

未読日記96 「学問論」

2007-09-10 20:39:02 | 書物
タイトル:学問論
著者:シェリング 勝田守一訳
発行:岩波書店/岩波文庫 青631-1
発行日:1989年3月16日(初版1957年1月25日)
内容:
ドイツ観念論の代表的な哲学者シェリング(1775-1854)が1802年イエナ大学でおこなった講義。学問は哲学を中心にして有機的な統一を保っておこなわれるべきものであり、そのためには、大学の研究の自由を確立する必要があると説く。のちにベルリン大学をはじめドイツの諸大学の性格に多大な影響を与えた学問論の古典。
(表紙カバーより)

購入日:2007年8月28日
購入店:古書売買 公文堂書店
購入理由:
いつだったか、大学時代の先輩にシェリングの話を聞き、さらに数年後に後輩の友人からもシェリングの話を聞いたことがある。それ以来、シェリングを読みたいと思っていて、その機会を逸していた。たまたま、古本屋でシェリングの著作を見つけ、勝手に絶版と判断し思い切って購入。
また最近、大学教育について考えることがあり、「学問」のあり方を考えていたので、そのようなタイミングからいって、この「学問論」との出会いは好機だった。シェリングを読む秋、というのも悪くない。

TOUCHING WORD 012

2007-09-07 23:50:21 | ことば
生かしあう、とは、言葉の通り、相手を生かすことです。

生かしあうことのヒントって何でしょうね。それは、自分以外の人やものやことを生かすことができれば、はじめて自分もこの世界で生かされるということです。生かされるって嬉しいはず。生かしあうことをせずに、この世に一人きりになってしまったら、、自分ひとりで生きていけるわけがないのですから。

今、何からも満たされず、思い通りにもいかずに、暮らしや仕事に悩んでいる人は多いと思います。もしくはいらいらしたり、怒ってばかりいる人。ここはひとつ、生かしあう、という考えを広く持ってみませんか。そして「自分が、自分が」という考えは捨ててみませんか。今日一日からはじめてみましょう。生かしあうことです。そうしたら、いつか必ず自分が生かされるときが来るはずです。生かしあうことのヒント。それは許すことと、許し続けることです。
生かしあいたい人を、毎日想っていて、心の水面に静かに浮んできた言葉が、生かしあう、です。そして今、僕が感じていること、考えていることの答えなのです。

(p.80-81「こんにちは さようなら」松浦弥太郎『暮らしの手帖』第29号通巻380号)